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終わりの名を持つ君へ  作者: そらいろは
第4部 選ぶ道

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第41章 閉じた門

第4部 選ぶ道

 門の奥で、小さな音がした。


 カチ。


 何かが外れたような音。


 イロハは掌をくぼみに当てたまま、動かなかった。


「……今、鳴ったよね」


「ああ」


 クルムの声が後ろから返る。


 しばらく待つ。


 何も起こらない。


 大きな門は閉じたままだ。


 イロハは恐る恐る手を離した。


「開かない」


「見れば分かる」


「音したのに」


 もう一度、くぼみを見る。


 灰を払った金属の表面に、細い光が浮かんでいた。


 弱い。


 消えかけている。


 一本の線が、くぼみの縁をゆっくり回っている。


「光ってる」


 イロハは顔を近づけた。


「触るな」


「もう触ったよ」


「だから言っている」


「でも、さっきは何も起きなかった」


「まだ分からん」


 イロハは少し下がった。


 光を見る。


 一周。


 二周。


 三周。


 突然、赤く変わった。


 短い音が鳴る。


 ピッ。


 そして消えた。


「……失敗?」


 クルムは答えない。


 イロハはくぼみを見る。


 さっきと同じだ。


 人の手ほどの大きさ。


 五本の指を置くような形。


 自分の掌を見る。


 布が巻かれている。


「あ」


「何だ」


「これかな」


 イロハは掌の布を指した。


「手を見てるなら、これが邪魔なのかも」


「分からん」


「やってみる」


 布をほどこうとする。


「待て」


 また止められた。


「今度は何?」


「傷が開く」


「もうそんなに痛くないよ」


「お前の判断は信用できん」


「ひどい」


 それでもイロハは布をほどいた。


 掌の傷は残っている。


 完全には塞がっていない。


 けれど、血が滲んでいるわけでもない。


 指を何度か曲げる。


 少し痛む。


 動かせる。


「大丈夫」


「そうか」


「止めないの?」


「止めてもやるだろう」


「うん」


「なら好きにしろ」


 イロハは少しだけ笑った。


 そして、裸の掌をくぼみに押し当てた。


 冷たい金属が皮膚に触れる。


 今度はすぐに反応した。


 くぼみの縁が白く光る。


「わ」


 イロハは手を離しかける。


「動かすな」


 クルムの声。


 止める。


 白い光が指先から掌の周囲をなぞっていく。


 痛くはない。


 熱くもない。


 ただ、何かに触れられているような奇妙な感覚があった。


 ピッ。


 さっきとは違う音。


 白い光が、そのまま残る。


「今度は赤くならない」


 門の内側で音がした。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 今度は一つではない。


 いくつもの何かが、順番に動いていく。


 イロハは門を見上げた。


「開く?」


 低い音が地面を震わせる。


 ゴウン。


 足元の灰が震えた。


 門の中央に、細い隙間ができる。


「開いた!」


 イロハが手を離す。


 その瞬間。


 音が止まった。


「え」


 隙間は、人の指が入るほどしかない。


 そこから動かない。


 しばらくすると、


 ゴン。


 重い音とともに、門が元の位置へ戻った。


「閉まった……」


 イロハは呆然とする。


 クルムがくぼみを見る。


「手を離したからではないか」


「先に言ってよ」


「私も今知った」


 イロハはもう一度、掌を置いた。


 白い光。


 音。


 門が動き始める。


 今度は手を離さない。


 隙間が広がる。


 指一本。


 手の幅。


 腕が入る程度。


 そこで。


 ガガッ。


 嫌な音がした。


 門が止まった。


「……今度は離してないよ」


「見れば分かる」


「じゃあ何?」


 クルムが門へ近づく。


 隙間の奥を見る。


「途中で引っかかっている」


 イロハも覗こうとする。


「下がれ」


 今度は言われる前に一歩下がった。


 クルムが横目で見る。


「何?」


「いや」


 クルムは門の隙間へ指をかけた。


「ちょっと待って」


「何だ」


「まさか、開けるの?」


「そのために来たのだろう」


「そうだけど」


 クルムが両手をかける。


 細い腕。


 白い指。


 人間なら、どう考えても動かせそうにない。


 けれど。


 ギギッ。


 門が軋んだ。


「……すご」


「黙っていろ」


 隙間が少し広がる。


 クルムの足元の灰が滑った。


 それでも門は動く。


 イロハは見ていた。


 そして、くぼみの光が消えかけていることに気づいた。


「あ」


 クルムが止まる。


「どうした」


「光」


 イロハはすぐに掌を戻した。


 白い光が強くなる。


 門の奥から、再び低い音。


 クルムが押す。


 機械も動く。


 二つの力が重なって、門がゆっくり開いていく。


「もう少し」


「分かっている」


「頑張って」


「うるさい」


 イロハは笑いそうになった。


 でも、掌は離さない。


 やがて、人ひとりが通れるほどの隙間ができた。


 クルムが手を離す。


「これでいい」


「入れる?」


「お前ならな」


 イロハは隙間を見る。


「クルムは?」


「通れる」


「ぎりぎりじゃない?」


「誰のせいだ」


「門のせいでしょ」


 クルムは何も言わなかった。


     *


 門の向こうは暗かった。


 外の灰色の光が、細い隙間から差し込んでいる。


 イロハは入口に立った。


 冷たい空気が流れてくる。


 匂いが違う。


 外のような灰の匂いが薄い。


 代わりに、石とも金属とも違う、乾いた匂いがした。


 奥は見えない。


 イロハは一歩踏み出そうとして、止まる。


 足元を見る。


 灰がほとんどない。


 床がそのまま残っている。


 長い間閉ざされていたからだろう。


 イロハは小さな石を拾った。


 中へ転がす。


 石は床を転がり、少し先で止まった。


 何も起きない。


 もう一つ。


 今度は少し遠くへ。


 何もない。


「何をしている」


「前みたいに、床が崩れたら嫌だから」


 クルムが中を見る。


「それで分かるとは限らん」


「何もしないよりいいでしょ」


 イロハは入口の壁を見る。


 細い線。


 小さなくぼみ。


 古い機械らしいもの。


 けれど、動いているものはない。


「私が先に入る」


「待て」


 イロハは振り返った。


「何?」


「今度は私が先だ」


「なんで」


「中に何がいるか分からん」


「何かいるの?」


「分からんから言っている」


 クルムが前へ出る。


 イロハは少し考えた。


 それから、横へずれた。


「じゃあお願い」


 クルムの動きが一瞬止まった。


「何?」


「いや」


 彼は門の隙間へ入る。


 イロハはその後ろに続いた。


 無理に先へ出ようとはしなかった。


     *


 中は静かだった。


 クルムが数歩進む。


 イロハもあとに続く。


 外から入る光が届かなくなる。


 暗い。


「何も見えない」


「止まれ」


 クルムの声だけが聞こえる。


 イロハはその場で止まった。


 手を伸ばす。


 何かに触れる前に、引っ込める。


 見えない場所で勝手に触るのはやめた方がいい。


 そう思った直後。


 天井で何かが鳴った。


 ピッ。


 イロハは肩を跳ねさせる。


 一本の光が点いた。


 それから、少し先にも。


 さらにその先。


 白い光が、順番に奥へ続いていく。


「……すごい」


 細長い通路が姿を現した。


 壁は白い。


 ところどころ黒ずんでいる。


 床にはほとんど灰がない。


 両側には閉じた扉がいくつも並んでいた。


 誰もいない。


 それでも、光だけが二人を迎えた。


 イロハは後ろを見る。


 入口の隙間から、灰色の外が見える。


 その向こうには枯れた世界。


 こちら側には白い通路。


 まるで、別の場所に来たようだった。


「まだ動いてる」


 イロハは呟いた。


「一部だけだろう」


 クルムが答える。


 天井の光は、ところどころ消えている。


 奥では点滅しているものもあった。


 それでも道は見える。


 イロハはクルムの横まで進んだ。


「どっち?」


 通路の先で、道が左右に分かれている。


 クルムは答えない。


 イロハもすぐには聞き直さなかった。


 壁を見る。


 左右それぞれに、文字や記号が残っている。


 読めない。


 その下に絵のような印があった。


 左。


 いくつもの四角が並んだ印。


 右。


 葉のような形。


 イロハの目が止まった。


「これ」


 右側の印へ近づく。


 画面で見た緑を思い出す。


 葉。


 森。


 光。


「こっちかな」


「何が」


「あの緑」


 イロハは葉の印を指した。


「同じものかどうかは分からん」


「うん」


 前なら、そのまま進んでいたかもしれない。


 イロハは金属板を取り出した。


 灰の街で写した印と見比べる。


 同じではない。


「違う」


「何が」


「線の先にあった印と、これは違う」


 イロハは右へ進みかけた足を戻す。


 左を見る。


 四角の並んだ印。


 そちらも違う。


「どっちでもない」


 クルムが通路の奥を見る。


「なら、探せ」


 イロハは頷いた。


     *


 二人はまず左へ進んだ。


 イロハが決めた。


 扉がいくつもある。


 ほとんどは開かなかった。


 一つだけ、半分開いたものがあった。


 中を覗く。


 狭い部屋。


 机。


 椅子。


 壁いっぱいに並んだ黒い板。


「誰かいた場所かな」


「そうだろうな」


 机の上には、薄い板が何枚も積まれていた。


 触れようとして、イロハは止める。


 代わりに、少し屈んで見る。


 文字。


 読めない。


 いくつかの図。


 その中に、見覚えのある印があった。


「あった」


 イロハは金属板を横に並べる。


 灰の街の画面から写した、線の先の印。


 机の上の板にあるものと似ている。


 今度はかなり近い。


「クルム」


 呼ぶ。


 彼が入ってくる。


「これ」


 二つを見せる。


「同じ?」


 クルムが見る。


「そう見える」


 イロハは板の周囲を見る。


 印の横から、一本の矢印が伸びている。


 部屋の外。


 さらに何かの図へ続いている。


 イロハは指で追う。


 文字は読めない。


 でも、方向は分かる。


「この先」


 部屋を出る。


 矢印と同じ向き。


 通路の奥。


 イロハは歩き出した。


     *


 奥へ進むほど、施設は静かになった。


 光も少なくなる。


 時折、天井から細かな埃が落ちる。


 長い時間。


 誰も来なかった場所。


 それでも、完全には止まっていない。


 イロハは何度も立ち止まった。


 壁の印。


 床の線。


 閉じた扉。


 分かるものだけを見る。


 分からないものには、むやみに触らない。


 クルムは何も言わずについてくる。


 やがて、通路の先に大きな扉が現れた。


 入口の門ほどではない。


 けれど、人が使うには十分大きい。


 中央に、あの印がある。


 灰の街から続いていた線。


 その先にあった印。


 金属板に刻んだ形。


 同じだった。


 イロハは板を持ち上げる。


 見比べる。


「ここ」


 クルムが扉を見る。


「そうらしいな」


 イロハは近づいた。


 扉の横には、また手の形をしたくぼみがある。


 今度はすぐに触らなかった。


 周囲を見る。


 床。


 壁。


 扉の隙間。


 何か動くものはない。


 それからクルムを見る。


「触るよ」


「ああ」


 イロハは掌を当てた。


 白い光。


 短い音。


 今度は待たされなかった。


 扉が左右へゆっくり開く。


 冷たい空気が流れてくる。


 その向こう。


 広い空間が暗闇の中に広がっていた。


 一つ。


 また一つ。


 光が灯る。


 壁一面に並ぶ、無数の黒い画面。


 透明な箱のようなもの。


 天井まで伸びる棚。


 何に使うのか分からない機械。


 そして正面には、大きな一枚の壁があった。


 何も映っていない。


 イロハは中へ入る。


 一歩。


 もう一歩。


 奥で、小さな音がした。


 大きな壁に光が走る。


 文字が浮かび上がった。


 イロハには読めない。


 ただ、その下に一つの印があった。


 葉。


 水。


 人。


 いくつもの形が、一つの円の中に収められている。


 イロハは立ち止まった。


「ここ……何なの」


 クルムは答えなかった。


 答えを知っているようには見えなかった。


 誰もいない巨大な部屋で。


 三千年の時を越えて残った光だけが、二人を照らしていた。

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