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終わりの名を持つ君へ  作者: そらいろは
第2部 旅の始まり

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第22章 星の見えない丘

第2部 旅の始まり

 丘の上へ近づくほど、風は強くなった。


 灰が横へ流れていく。


 足元の白い小石は、斜面を登るにつれて少しずつ増えていった。


 灰の下から顔を出し、また灰に隠れる。


 踏むと、かすかに転がる。


 昼の白い光の中では、ただの石にしか見えない。


 けれど、イロハにはもう、それが石だけには思えなかった。


 夜になれば、きっと違って見える。


 空に星があり、足元にも白い粒が散っていたなら。


 ここは、どれほど静かな場所だったのだろう。


 そう思いながら顔を上げると、空は灰に濁っていた。


 星など、どこにもない。


 昼だからではない。


 空そのものが、遠い。


 厚く濁った灰色の向こうに、何かが隠されているようだった。


 クルムは前を歩いている。


 水の容器は、まだ彼が持っていた。


 返してとは言えなかった。


 クルムの背中が、何かを拒むように硬かったからだ。


 ここに近づくほど、彼の歩幅は不思議に変わっていた。


 速くはない。


 でも、遅くもない。


 迷っているわけではない。


 ただ、一歩ごとに重くなっている。


 まるで、足元の灰ではなく、記憶の上を歩いているみたいだった。


 最後の斜面を登りきると、急に視界が開けた。


 イロハは息を呑んだ。


 丘の上には、何もなかった。


 高い建物もない。


 石碑もない。


 人が集まった跡もない。


 広場というほど整えられてもいない。


 ただ、低く平らな地面が、風にさらされている。


 白い小石が灰の間に散り、黒い岩がところどころ顔を出している。


 丘の端からは、灰の街が遠くに見えた。


 約束の庭も、もう見えない。


 廃駅も、線路跡も、貯水場も、避難所跡も。


 イロハたちが歩いてきた場所は、灰の向こうに沈み、境目を失っていた。


 ここは、本当に人の道から外れた場所だった。


 誰かが住むには乾きすぎている。


 畑にするには石が多すぎる。


 水もない。


 屋根もない。


 風を避けるものすら少ない。


「ここが……探してた場所?」


 イロハが聞いた。


 クルムは答えなかった。


 ただ、丘の上を見渡している。


 赤い瞳は、風景を見ているようで、今の風景だけを見てはいないようだった。


 イロハは一歩、丘の内側へ進む。


 足元で白い石が小さく音を立てた。


 星みたい。


 そう言いかけて、やめた。


 前に同じ言葉を口にした時の、クルムの沈黙を思い出したからだ。


 ここでは、何気ない言葉でも何かを傷つける気がした。


「星、見えないね」


 代わりに、そう言った。


 クルムは空を見上げた。


 灰に濁った空。


 光のない空。


 彼の銀白の髪が、風に流れる。


「昔は見えた」


 低い声だった。


 イロハはクルムを見る。


 昔。


 三千年前。


 クルムがまだ封印される前。


 この丘に来た誰かが、空を見上げていた頃。


「綺麗だった?」


 聞いてから、また踏み込みすぎたかもしれないと思った。


 クルムはすぐには答えなかった。


 長い沈黙の後、言う。


「余計なものがなかった」


「余計なもの?」


「灯りも、声も、血の匂いも」


 イロハは黙った。


 それは、ただ美しい場所だったという意味ではないのだと思った。


 人間の街から遠い。


 人の道から外れている。


 誰も来ない。


 だから、ここを選んだ。


 何のために。


 誰のために。


 それを聞くには、まだ怖かった。


     *


 クルムは丘の中央へは向かわなかった。


 開けた場所を横切り、風を避けるように低くくぼんだ方へ歩いていく。


 そこは丘の端に近かった。


 大きな岩が二つ、風除けのように並んでいる。


 その間に、灰が厚く積もっていた。


 イロハは後を追う。


 足元の白い小石は、そのあたりで急に少なくなった。


 代わりに、灰が深い。


 一歩踏むと、足首まで沈む。


 風が届きにくい場所だからか、灰はそこに溜まり続けていた。


 クルムが足を止めた。


 イロハも止まる。


 何もないように見えた。


 灰。


 岩。


 乾いた土。


 それだけ。


 けれど、クルムはそこから動かなかった。


 赤い瞳が、灰の一箇所を見下ろしている。


 イロハは息を潜めた。


「ここに、何かあるの」


 クルムは答えない。


 片膝をついた。


 イロハは驚いた。


 クルムが膝をつくところなど、初めて見た気がした。


 彼は水の容器をそっと岩陰に置くと、灰に手を伸ばした。


 白い指が、灰を払う。


 乱暴ではなかった。


 急いでもいなかった。


 まるで、眠っているものを起こさないような手つきだった。


 灰が少しずつ除かれていく。


 下から、石が現れた。


 大きな石ではない。


 人の膝より少し高いくらいの、小さな墓標。


 風と時間に削られ、角は丸くなっている。


 文字は見えない。


 もともと刻まれていたのかも分からないほど、表面は傷み、灰と土に汚れていた。


 ただ、上の方に小さな傷があった。


 傷というより、模様。


 星の形にも見える。


 けれど、欠けていて、はっきりとは分からない。


 イロハはその場から動けなかった。


 墓だ。


 そう思った。


 約束の庭で見たものとは違う。


 あそこには、たくさんの墓があった。


 人間の墓も、吸血鬼の墓も、並んでいた。


 死者たちが同じ場所に眠っていた。


 でも、これは違う。


 たった一つ。


 丘の端。


 風を避ける岩の間。


 誰かが一人で置いたような、小さな墓。


 イロハは喉が詰まるのを感じた。


「お墓……?」


 声が震えた。


 クルムは答えない。


 灰を払う手を止めない。


 墓標の根元が見える。


 その周りには、白い小石がいくつか置かれていた。


 自然に散ったものではない。


 誰かが選んで、そこに置いたように見えた。


 一つ一つは小さい。


 けれど、円を描くように並んでいる。


 灰に埋もれ、崩れかけても、その形だけはかろうじて残っていた。


 イロハは胸の奥が痛くなった。


 ここにも、星がある。


 空ではなく。


 墓の周りに。


 地面の上に。


「誰の……」


 言いかけて、言葉が止まった。


 聞いてはいけない気がした。


 けれど、聞かずにはいられなかった。


「誰の、お墓なの」


 クルムの手が止まった。


 風が吹く。


 灰が墓標の横を流れていく。


 クルムは長い間、何も言わなかった。


 イロハは自分の心臓の音を聞いていた。


 答えてほしい。


 答えてほしくない。


 その両方が胸の中にある。


 やがて、クルムは低く言った。


「お前には関係ない」


 いつもの言葉だった。


 けれど、その声はいつもよりずっと小さかった。


 突き放すための言葉ではない。


 近づかせないための言葉。


 触れられたくないものの周りに、最後の壁を作るような言葉だった。


 イロハは何も言えなかった。


     *


 クルムは墓標の前に座り込むわけではなかった。


 泣くわけでもない。


 声を荒げるわけでもない。


 ただ、膝をついたまま、灰を払っていた。


 墓標の表面。


 根元。


 周りの白い小石。


 指先で、少しずつ。


 その手つきだけが、イロハの知っているクルムと違っていた。


 イロハは少し離れた場所に立っている。


 近づきすぎるのが怖かった。


 でも、背を向けることもできなかった。


 この墓を探していたのだ。


 約束の庭でも。


 灰の街の奥で見つけた、記録の残る建物でも。


 連なる灯の方角を見た時も。


 クルムはずっと、この場所を探していた。


 人間の生き残りでも、食料でも、避難所でもない。


 この小さな墓。


 三千年の時間に埋もれた、この一つの墓。


 イロハは、ようやくそれを理解した。


「ここに来たかったんだね」


 小さく言う。


 クルムは答えない。


 でも、否定もしなかった。


 イロハはそれを答えとして受け取った。


 風が強く吹いた。


 灰が舞い上がり、イロハは目を細める。


 その一瞬、灰の向こうに黒い夜を想像した。


 空いっぱいの星。


 足元に散る白い石。


 丘の端に立つ誰か。


 その隣に、クルム。


 何を話していたのだろう。


 誰が笑っていたのだろう。


 この墓に眠る誰かは、この丘を見て何を思ったのだろう。


 分からない。


 分からないことばかりだ。


 けれど、クルムの沈黙を見ていると、それが大切な場所だったことだけは分かった。


「名前は……」


 イロハは言いかけた。


 クルムの手が止まる。


 その反応だけで、イロハは言葉を飲み込んだ。


 名前。


 それは、この人にとって軽く扱ってはいけないものだ。


 クルムという名前を聞いた時のことを思い出す。


 名を呼ぶことの近さ。


 怖さ。


 そして、まだ知らない名前が、この墓にはある。


 たぶん。


 けれど、その名は今、自分が聞いていいものではない。


「ごめん」


 イロハは言った。


 クルムは灰を払う手を再び動かした。


「謝るな」


 低い声。


 イロハは戸惑う。


「でも」


「知らないだけだ」


 その言葉は、責めるものではなかった。


 突き放してはいる。


 でも、責めてはいない。


 イロハは唇を結ぶ。


 知らない。


 自分は何も知らない。


 クルムのことも。


 この墓のことも。


 三千年前のことも。


 でも、知らないまま近づいて、触れてしまうことがある。


 それが怖かった。


「知らないことは、聞いたらいけない?」


 イロハは聞いた。


 クルムは少しだけ顔を上げた。


「聞けば答えが返ると思うな」


「……分かった」


「答えを知らない方がいいこともある」


「でも、知らないままだと、分からない」


「分からなくていい」


「あなたは、いつもそう言う」


 イロハの声に、少しだけ力が入った。


「分からなくていい。関係ない。聞くな。そうやって、全部閉じる」


 言ってから、しまったと思った。


 でも、言葉はもう出ていた。


 クルムの赤い瞳がこちらを見る。


 冷たい。


 けれど、怒りではなかった。


 イロハは胸の前で手を握った。


 布の下の傷が痛む。


「私は、全部知りたいわけじゃない」


 声を落とす。


「でも、あなたが何を見ているのか、少しも分からないままだと……怖い」


 クルムは黙っている。


「あなたが怖いんじゃない。いや、怖いけど」


 イロハは少しだけ目を伏せた。


「それだけじゃなくて」


 言葉を探す。


 灰が舞う。


 風が、墓標の小さな模様を撫でていく。


「あなたが、どこか遠くにいるみたいで、怖い」


 言った瞬間、胸の奥が静かになった。


 自分でも、それが本音だと分かった。


 クルムは何も言わなかった。


 ただ、イロハを見ていた。


 長い沈黙の後、彼は墓標へ視線を戻す。


「遠い」


 低い声だった。


「え?」


「お前が思うより、ずっと遠い」


 イロハは言葉を失う。


 それは、拒絶なのか。


 それとも、認めたのか。


 分からなかった。


 ただ、その声には嘘がなかった。


 三千年。


 封印。


 滅びた人間。


 消えた吸血鬼。


 忘れられない過去。


 その距離は、イロハには想像できない。


 クルムがいる場所は、自分には届かないほど遠いのかもしれない。


 それでも。


 今、同じ丘の上にいる。


 同じ灰の中に立っている。


 同じ墓の前にいる。


 それだけは、確かだった。


     *


 しばらく、二人は何も話さなかった。


 クルムは墓標の周りの灰を払い終えると、立ち上がった。


 その動きは静かだった。


 水の容器を岩陰から拾い、イロハの足元へ置く。


「持てるか」


 突然聞かれ、イロハは少し驚いた。


「持てる」


「なら持て」


「うん」


 イロハは水の容器を受け取った。


 重さが肩に戻る。


 さっきまでクルムが持っていたせいか、少しだけ温かく感じた。


 それが自分の勘違いだと分かっていても、変な気持ちになった。


 クルムは墓標の前に立っている。


 何かを言うわけではない。


 祈るわけでもない。


 ただ、そこにいる。


 イロハは少し離れて、白い小石の円を見下ろした。


 灰で汚れている。


 いくつかは割れている。


 いくつかは位置がずれている。


 三千年の間に、風が動かしたのかもしれない。


 雨が流したのかもしれない。


 獣が踏んだのかもしれない。


 それでも、完全には消えていない。


 誰かが置いたものが、まだここに残っている。


 それが不思議だった。


 村は燃えた。


 人は消えた。


 街は灰になった。


 約束も、名前も、たくさん失われた。


 それでも、小さな石だけが残っている。


 イロハはしゃがみ込み、一つだけずれていた白い石を見つめた。


 触っていいのか迷った。


 前にクルムに「持っていくものではない」と言われた。


 でも、戻すだけなら。


 イロハはそっと手を伸ばした。


「触るな」


 クルムの声が飛ぶ。


 イロハは手を止めた。


 その声は鋭かった。


 けれど、すぐにクルム自身が黙る。


 まるで、自分の声に驚いたように。


 イロハは手を引っ込めた。


「ごめん。直そうと思っただけ」


 クルムはしばらく何も言わなかった。


 やがて、低く言う。


「そのままでいい」


「でも、ずれてる」


「それでも、残っている」


 イロハは白い石を見る。


 ずれていても。


 割れていても。


 灰に埋もれていても。


 残っている。


 その言葉が、墓標の前で静かに沈んだ。


 イロハは頷いた。


「分かった。触らない」


 クルムは何も言わない。


 イロハは立ち上がり、墓から一歩下がった。


 踏み込んではいけない場所。


 でも、背を向けてはいけない場所。


 そんなふうに思えた。


     *


 時間がどれくらい経ったのか分からなかった。


 空は相変わらず白く濁っている。


 昼なのに、明るさは薄い。


 灰の雲が、空を低く押し下げている。


 星の見えない丘。


 イロハは、心の中でそう思った。


 ここは星を見る場所だったのかもしれない。


 でも今は、星が見えない。


 空にも。


 墓標にも。


 ただ、足元の白い小石だけが、かろうじて星の名残のように残っている。


「夜になったら、見えるかな」


 イロハは呟いた。


 クルムは空を見上げる。


「見えない」


「どうして分かるの」


「この空では無理だ」


「そっか」


 イロハは少しだけ残念に思った。


 自分でも意外だった。


 ここが怖い。


 この墓も怖い。


 クルムの沈黙も怖い。


 それでも、星を見てみたかった。


 この場所が、かつてどんな場所だったのか。


 ほんの少しでいいから、知りたかった。


「昔の星は、どんなだったの」


 聞いてしまった。


 クルムは答えないだろうと思った。


 けれど、彼はすぐには拒まなかった。


 長い沈黙の後、言う。


「多すぎた」


「多すぎた?」


「数えようとしても、途中で分からなくなる」


 イロハは少し驚いた。


 クルムが、そんなふうに星を語るとは思わなかった。


「それは……綺麗ってこと?」


「知らん」


「知らんって」


「私がそう思ったわけではない」


 イロハはその言葉に引っかかった。


「じゃあ、誰かが?」


 クルムは黙った。


 答えはなかった。


 けれど、イロハにはそれで十分だった。


 誰かが、ここで星を見た。


 数えきれないほど多いと言ったのかもしれない。


 綺麗だと笑ったのかもしれない。


 クルムはそれを覚えている。


 忘れられない。


 この墓の前で、イロハはその誰かの輪郭を初めて感じた。


 名前も知らない。


 顔も知らない。


 人間なのか、吸血鬼なのかも分からない。


 でも、確かにいた。


 クルムの中に。


 この丘に。


 この小さな墓の下に。


 イロハは胸が苦しくなった。


「その人は、星が好きだったの?」


 口にした瞬間、風が止まったような気がした。


 クルムの赤い瞳が、ゆっくりこちらへ向く。


 イロハは息を止める。


 今度こそ怒らせた。


 そう思った。


 でも、クルムは怒鳴らなかった。


 ただ、ひどく静かな声で言った。


「聞くな」


 それだけだった。


 イロハは頷いた。


「うん」


 聞いてはいけない。


 今は。


 でも、もう分かってしまった。


 この墓に眠る誰かは、星が好きだったのだ。


 そしてクルムは、そのことを三千年忘れられなかった。


     *


 風が少し弱まったころ、クルムは丘の端へ歩いていった。


 イロハは墓の近くに残った。


 離れていいのか分からなかったからだ。


 クルムは丘の端で、灰の街の方角を見ている。


 街は遠い。


 あれほど大きかった建物群も、ここから見ると灰色の塊にしか見えない。


 その向こうに、イロハたちが歩いてきた道がある。


 そして、さらにずっと遠くに、燃えた村がある。


 イロハは胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 自分にも、戻れない場所がある。


 昨日まで、クルムの過去は遠すぎると思っていた。


 三千年。


 吸血鬼。


 封印。


 復讐。


 全部、遠すぎる。


 けれど、戻れない場所を持つことだけは、少しだけ分かる気がした。


 分かると言ってはいけない。


 同じではない。


 同じはずがない。


 それでも、燃えた村を思い出す時、自分の胸に空く穴がある。


 クルムの中には、それがどれほど大きく空いているのだろう。


 イロハは墓標を見た。


 小さな墓。


 風除けの岩の間。


 白い石の円。


 星の形に見える傷。


 ここに眠る誰かを、クルムは三千年探していた。


 いいや。


 探していたのではない。


 場所は覚えていた。


 ただ、世界が変わりすぎていた。


 それでも、ここまで来た。


 忘れられないまま。


 イロハは小さく息を吐いた。


「クルム」


 呼ぶと、クルムは振り返らなかった。


 でも、聞こえているはずだった。


「ここに、しばらくいるの?」


「夜まではいる」


「星、見えないのに?」


「見えなくてもいい」


 その返事は、静かだった。


 イロハは何も言えなかった。


 見えなくてもいい。


 星が見えない丘でも。


 そこに、かつて星を見た記憶があるなら。


 ここにいる意味はあるのかもしれない。


 クルムは丘の端から戻ってきた。


 墓標の前に立つ。


 イロハは一歩下がる。


 クルムは何も言わなかった。


 ただ、墓標を見下ろしている。


 長い沈黙。


 灰の音。


 風の音。


 遠い街の静けさ。


 その全部の中で、イロハは初めて思った。


 クルムは災厄だ。


 村を滅ぼした吸血鬼だ。


 自分を食料と言った男だ。


 それは変わらない。


 でも。


 この人は、誰かを失った人でもある。


 その誰かの墓を、三千年経っても探しに来る人でもある。


 そう思った瞬間、怖さの形が少しだけ変わった。


 消えたわけではない。


 薄れたわけでもない。


 ただ、怖いだけではなくなった。


 イロハは墓標の小さな模様を見る。


 星の形にも見える、欠けた傷。


 灰に濁った空の下で、その模様だけが静かに残っている。


 この墓が誰のものなのか、イロハはまだ知らない。


 クルムがなぜここへ来たのかも、全部は知らない。


 けれど、一つだけ分かった。


 クルムは、この墓を探していた。


 そして、この丘には、彼がまだ手放せない何かが眠っている。


 星は見えない。


 空は灰に閉ざされている。


 それでも、クルムは墓の前に立ち続けていた。


 まるで、見えない星を待っているように。

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