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終わりの名を持つ君へ  作者: そらいろは
第2部 旅の始まり

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22/61

第21章 灰の下の星

第2部 旅の始まり

 朝になっても、連なる灯は戻らなかった。


 約束の庭には、灰だけが降っている。


 人間の墓にも。


 吸血鬼の墓にも。


 同じように、薄く、静かに。


 夜のあいだ墓標の間を流れていた小さな灯は、もうどこにも見えない。


 まるで最初から存在しなかったように、約束の庭は沈黙していた。


 けれど、イロハの目にはまだ残っている。


 青白く、低く浮かびながら流れていった光。


 墓の間を抜け、庭の外へ消えていった光。


 そして、その光が向かった方角を見た時の、クルムの沈黙。


 イロハは水の容器を抱え直した。


 掌の傷は、まだ痛む。


 布の下で、熱を持っている。


 昨日よりはましになった。


 けれど、完全に治ったわけではない。


 自分で選んだ痛み。


 そう思うたびに、クルムが血を飲んだ時の感覚が蘇る。


 怖い。


 でも、ただ怖いだけではない。


 そのことにも、まだ慣れない。


 クルムは墓地の外れに立っていた。


 街とは反対側。


 連なる灯が消えていった方角を見ている。


 灰の向こうには、低い地形が重なっている。


 丘なのか、崩れた建物なのか、遠目には分からない。


 ただ、街の道とは明らかに違う。


 人の通る道ではなさそうだった。


「行くぞ」


 クルムが言った。


 イロハは頷きかけて、少しだけ迷った。


「あの灯を追うの」


 クルムは振り返らない。


「灯ではない」


「じゃあ、何を追ってるの」


 問いかけると、クルムは少しだけ間を置いた。


「場所だ」


「場所?」


「昨日言っただろう」


 昔、あった場所。


 クルムが探していた場所。


 イロハは、約束の庭の外を見た。


 灯はもうない。


 跡もない。


 ただ、灰に沈んだ地形だけが続いている。


「でも、灯はあっちへ行った」


「だから何だ」


「同じ方角なんでしょ」


「偶然かもしれん」


「でも、あなたは行く」


「行く必要がある」


 必要。


 その言葉は、重かった。


 人を探すためではない。


 食料を探すためでも、水を探すためでもない。


 クルム自身が行く必要のある場所。


 イロハはそれ以上聞こうとして、やめた。


 今聞いても、きっと答えない。


 そう分かるくらいには、クルムの沈黙に慣れてきていた。


     *


 約束の庭を出ると、すぐに道は頼りなくなった。


 灰の街へ続く道は、まだかろうじて人の作ったものだと分かる。


 割れた舗装。


 崩れた縁石。


 倒れた標識。


 形は失われていても、そこには人が通った痕跡があった。


 けれど、クルムが向かった先には、それすらなかった。


 低い塀の残骸を越え、乾いた溝をまたぎ、灰をかぶった斜面へ入っていく。


 草は少ない。


 土は硬い。


 ところどころ、黒い石が剥き出しになっていた。


 人間が作った道から、少しずつ外れていく。


 イロハは不安になった。


「こっちで合ってるの」


「合っている」


「道、ないけど」


「道が必要な場所ではない」


「人が行く場所じゃないってこと?」


 クルムは答えなかった。


 それが答えのようだった。


 イロハは足元を見た。


 灰に足跡が残る。


 自分の足跡。


 クルムの足跡。


 二人分だけ。


 約束の庭には、死者のための石が並んでいた。


 灰の街には、人が生きていた痕跡があった。


 けれど、ここには何もない。


 誰かが通うための印もない。


 案内もない。


 名前もない。


 ただ、クルムだけが迷わず歩いている。


「地図もないのに、分かるの」


 イロハが聞く。


 クルムは少しだけ歩みを緩めた。


「覚えている」


「三千年前のことを?」


「そうだ」


「普通、忘れない?」


「忘れられない」


 短い言葉だった。


 けれど、その意味は重かった。


 忘れない、ではない。


 忘れられない。


 自分の意思ではなく、そういうものとして残ってしまう。


 イロハは、クルムの背中を見る。


 銀白の髪が、灰の光に揺れている。


 この人は、三千年前のことを覚えている。


 封印される前のことも。


 目覚めた瞬間に叫んだ言葉も。


 返せ、と言った声も。


 忘れられないまま、ここまで来たのだ。


 イロハは少しだけ息苦しくなった。


「それって、苦しくないの」


 言ってから、踏み込みすぎたと思った。


 クルムは立ち止まらなかった。


「苦しいかどうかは関係ない」


「関係あるでしょ」


「忘れられないものは、忘れられない」


 それ以上、何を言っても無駄だという声だった。


 イロハは黙る。


 自分には、忘れたいものがある。


 村が燃えた夜。


 白い閃光。


 外の者たちの血。


 倒れた人たち。


 それらはまだ新しい。


 今は忘れられない。


 でも、いつか薄れるのだろうか。


 薄れてほしいのか。


 それとも、薄れたらいけないのか。


 分からなかった。


 クルムは前を歩く。


 イロハが少し遅れると、わずかに歩幅が狭くなる。


 昨日と同じだ。


 待つわけではない。


 手を貸すわけでもない。


 ただ、置いていかない速さになる。


 イロハはその背中を追った。


     *


 昼に近づくころ、空気が変わった。


 灰の街の匂いが薄くなっていく。


 焼けた金属の匂い。


 古い埃の匂い。


 腐った水のような匂い。


 それらが遠ざかり、代わりに乾いた土の匂いが強くなる。


 風も少し強くなった。


 丘が近いのかもしれない。


 イロハは息を整えながら、斜面を登った。


 足首が痛む。


 掌も痛む。


 水の容器が肩に重い。


 けれど、ここで弱音を吐きたくなかった。


 クルムが探している場所。


 その言葉が、ずっと胸の中に引っかかっている。


「ここに、人は来ないの」


 イロハは聞いた。


「来ない」


 クルムは迷わず答えた。


「昔も?」


「昔もだ」


「どうして」


「来る理由がない」


「じゃあ、あなたはどうして知ってるの」


 クルムは答えなかった。


 イロハは少しだけ唇を結ぶ。


 答えない。


 でも、答えないことが増えるほど、その場所がただの場所ではないと分かってしまう。


 クルムが人間の道を外れてまで向かう場所。


 人間が近寄らない場所。


 地図にも、標識にも、記録にも残っていない場所。


 それを、クルムだけが覚えている。


 イロハは視線を上げた。


 灰の向こうに、低い丘が見えた。


 高い山ではない。


 けれど、周囲より少しだけ盛り上がっている。


 木は少なく、岩が剥き出しになっている。


 人が暮らすには向かない。


 畑にもならない。


 水場も見えない。


 本当に、誰かが来る理由のない場所だった。


 それなのに。


 クルムの歩みは、そこで少しだけ遅くなった。


 迷っているのではない。


 むしろ、近づくことをためらっているように見えた。


 イロハはそれに気づいた。


「クルム」


「何だ」


「怖いの」


 言った瞬間、自分でも驚いた。


 クルムが足を止める。


 ゆっくり振り返った。


 赤い瞳がイロハを見る。


 冷たい。


 いつも通り。


 けれど、完全にいつも通りではなかった。


「誰に言っている」


「あなたに」


「愚かな問いだ」


「そうかもしれないけど」


 イロハは水の容器を抱え直す。


「歩き方が、少し違うから」


 クルムは黙った。


 イロハはその沈黙が怖かった。


 怒らせたかもしれない。


 踏み込みすぎたかもしれない。


 でも、もう口にしてしまった。


 クルムはしばらくイロハを見ていた。


 やがて、視線を丘へ戻す。


「恐れているわけではない」


「じゃあ、何」


「思い出しているだけだ」


 それだけ言って、また歩き出した。


 イロハはすぐには動けなかった。


 思い出している。


 それは、クルムにとってどれほど重い言葉なのだろう。


 忘れられない者が、思い出す。


 それは、新しく思い出すのではない。


 ずっとそこにあったものを、もう一度見せられることなのかもしれない。


 イロハは小さく息を吸い、クルムの後を追った。


     *


 斜面の途中で、クルムが足を止めた。


 唐突だった。


 イロハは危うく背中にぶつかりそうになり、慌てて踏みとどまる。


「どうしたの」


 クルムは答えない。


 周囲を見ていた。


 右の岩壁。


 左の崩れた斜面。


 遠くの灰の街。


 そして、丘の上へ続いているはずの道なき道。


 赤い瞳が、何かを探すように動く。


 イロハはその様子を見て、胸の中に小さな不安が生まれた。


 クルムは迷わず進んでいた。


 今までずっと。


 地図も標識もないのに。


 三千年前の記憶だけを頼りに。


 なのに、今は止まっている。


「迷ったの?」


 聞いた瞬間、クルムの目が細くなった。


「違う」


「でも、止まった」


「道が変わっただけだ」


「三千年前と?」


 クルムは黙った。


 それが肯定に聞こえた。


 風が吹く。


 灰が斜面を滑り、足元を流れていく。


 クルムは岩壁へ近づいた。


 そこには大きな亀裂が入っていた。


 昔からあったものか、後から崩れたものか、イロハには分からない。


 けれど、クルムの横顔を見れば分かった。


 少なくとも、彼の記憶の中にはなかった形なのだ。


「記憶はあるんでしょ」


 イロハは小さく言った。


「なのに、分からなくなることもあるの」


 クルムはしばらく黙っていた。


 やがて、低く答える。


「記憶は変わらない」


「じゃあ」


「変わるのは、世界の方だ」


 その言葉は、ひどく静かだった。


 イロハは何も言えなくなる。


 忘れられないものがある。


 でも、世界は変わる。


 覚えている場所は、もう同じ形では残っていない。


 覚えている人は、もうそこにいない。


 それでも、記憶だけは変わらない。


 それは、どれほど残酷なことなのだろう。


 クルムは崩れた斜面を見上げる。


「この先に、細い岩棚があった」


「あった?」


「今は崩れている」


「じゃあ、別の道を探す?」


「道ではない」


「でも、通れないなら」


 イロハが言い終える前に、クルムは斜面の方へ歩き出した。


 そこは、道には見えなかった。


 灰をかぶった急な斜面。


 足をかけられそうな岩がいくつかあるだけ。


 イロハは思わず声を上げる。


「そこ、登るの?」


「迂回するより早い」


「危なくない?」


「危ない」


「じゃあ」


「遅れるな」


 いつもの言葉。


 でも、今回はさすがに困った。


 イロハは痛む足を見下ろす。


 掌もまだ痛い。


 水の容器も重い。


 これであの斜面を登るのか。


 無理だと言いたかった。


 でも、クルムはもう登り始めている。


 迷いはない。


 イロハは唇を噛み、水の容器を抱え直した。


「本当に、少しは待ってよ」


 小さく文句を言いながら、後を追う。


     *


 斜面は思った以上に脆かった。


 足を乗せるたび、灰の下の土が崩れる。


 石だと思って掴んだものが、簡単に外れる。


 水の容器が体を引っ張る。


 足首に痛みが走る。


 イロハは息を切らしながら、岩に手をかけた。


 布を巻いた掌が痛む。


 力を込めると、傷の奥がじんと熱くなった。


「痛っ」


 思わず声が漏れる。


 上にいたクルムが少しだけ振り返った。


「手を使うなと言った」


「使わないと登れない」


「なら落ちるな」


「無茶言わないで」


 言い返した瞬間、足元の灰が崩れた。


 地面が滑る。


 身体が下へ引かれる。


 イロハは息を呑んだ。


 足が空を掻く。


 水の容器が肩からずれた。


 視界が傾く。


「イロハ」


 名前を呼ばれた。


 それが誰の声か分かった時には、腕を掴まれていた。


 強い力だった。


 痛いほどに。


 クルムがイロハの腕を掴み、斜面の上へ引き戻す。


 体が岩にぶつかる。


 息が詰まった。


 水の容器がぶら下がり、灰が舞う。


 イロハはしばらく声が出なかった。


 心臓が、耳の奥で大きく鳴っている。


 落ちるところだった。


 あのまま下まで滑れば、無事では済まなかった。


 クルムは腕を離さなかった。


 怒っているような顔だった。


 でも、その手はまだイロハの腕を掴んでいる。


「足元を見ろ」


「見てた」


「見ていない」


「見てたけど、崩れたの」


「なら崩れる場所に足を置くな」


「分かるわけないでしょ」


 言い返す声が震えていた。


 悔しい。


 怖かった。


 でも、それ以上に、名前を呼ばれたことが耳に残っていた。


 イロハ。


 クルムが、そう呼んだ。


 今までにも呼ばれたことはある。


 でも、さっきの声は違った。


 命令でも、確認でもなかった。


 イロハはそのことに気づいて、余計に落ち着かなくなる。


 クルムは腕を離した。


「荷を寄越せ」


「え」


「そのままではまた落ちる」


「でも」


「寄越せ」


 イロハは迷った。


 水の容器は大事だ。


 落としたくない。


 失いたくない。


 でも、今は確かに重すぎる。


 イロハは水の容器を差し出した。


 クルムは片手で受け取る。


 まるで重さなどないように。


「先に登れ」


「あなたは」


「いいから行け」


 イロハは頷いた。


 今度は慎重に、岩を選んで登る。


 クルムはすぐ後ろにいた。


 前ではなく、後ろ。


 イロハが滑れば、届く距離。


 それに気づくと、胸の奥がまた変に熱くなった。


 優しさではない。


 そう思おうとした。


 でも、そう思うだけでは片づけられなかった。


     *


 斜面を登りきると、少し開けた場所に出た。


 息を切らして膝をついたイロハの前で、灰が風に払われる。


 そこに、白いものが見えた。


 小さな石だった。


 一つ。


 また一つ。


 灰の下から、白い小石がいくつも顔を出している。


 丸く、少し透けるような石。


 普通の石よりも明るく見えた。


 イロハはそっと手を伸ばしかけて、掌の痛みを思い出し、反対の手で一つ拾った。


 軽い。


 冷たい。


 灰に汚れているのに、内側に薄く光を抱えているように見える。


「これ」


 イロハは呟いた。


「石?」


 クルムは動かなかった。


 赤い瞳が、イロハの手の中の白い石を見ている。


 その顔から、感情が消えていた。


 怒りも。


 苛立ちも。


 冷たさも。


 一瞬、何もないように見えた。


 だからこそ、イロハは怖くなった。


「クルム?」


 呼ぶと、クルムはゆっくり視線を上げた。


 周囲を見る。


 灰に埋もれた白い小石。


 崩れた斜面。


 風に削られた岩。


 そして、さらに上へ続く丘。


 クルムが小さく息を吐いた。


 それは、ため息ではなかった。


 何かを確かめるような息だった。


「ここだ」


 低い声。


 ほとんど独り言だった。


 イロハは白い石を握る。


「この石を知ってるの」


 クルムは答えない。


「これが、目印?」


「昔は、もっとあった」


 イロハは周囲を見回した。


 灰の下に、白い点がいくつもある。


 風が吹くたびに、ちらちらと姿を見せる。


 夜なら、どう見えるのだろう。


 暗い丘の上。


 空には星。


 足元にも、白い小石。


 まるで、星が地面にも落ちているみたいに見えるのかもしれない。


 イロハはそう思った。


「星みたい」


 口にした瞬間、クルムの気配が止まった。


 イロハははっとする。


 何か、触れてはいけないものに触れてしまった気がした。


 クルムはイロハを見ていない。


 白い石を見ている。


 いいや。


 石ではない。


 その向こうにある、もうここにはない何かを見ている。


 イロハは急に、手の中の石が重く感じた。


「ごめん」


 なぜ謝ったのか、自分でも分からなかった。


 クルムは何も言わない。


 長い沈黙の後、低く言った。


「置け」


「え」


「持っていくものではない」


 イロハは頷いた。


 白い石を、灰の上に戻す。


 すると風が吹き、灰が少しだけ払われた。


 白い石がいくつも見えた。


 地面に散らばる、小さな光の粒。


 今は昼だ。


 空も白く濁っている。


 星など見えない。


 それでも、イロハにはその場所が少しだけ分かった気がした。


 ここは、人が来るための場所ではない。


 けれど、誰かに見せたくなる場所だったのかもしれない。


 誰にも邪魔されずに、空を見られる場所。


 足元にも星があるように見える場所。


 クルムが探していた理由は分からない。


 でも、この石を見て、ここだと言った。


 この丘は、ただの丘ではない。


     *


 再び歩き出した時、クルムの足取りは少し変わっていた。


 迷いが消えていた。


 けれど、軽くなったわけではない。


 むしろ、もっと重くなったように見えた。


 イロハはその後を追う。


 水の容器は、まだクルムが持っていた。


 返して、と言おうとして、やめた。


 今は、言わなくてもいい気がした。


 斜面の上へ進むにつれて、白い小石は少しずつ増えていった。


 灰に埋もれ、割れ、散らばっている。


 昔はもっとあった。


 クルムはそう言った。


 なら、三千年前のこの場所は、どんなふうに見えたのだろう。


 夜になれば、空にも星。


 地面にも星。


 その真ん中に立つクルム。


 誰かと一緒に。


 イロハはそこまで考えて、胸が痛くなった。


 誰か。


 その誰かを、クルムはまだ言わない。


 でも、その誰かのために、ここへ来たのではないか。


 そんな気がした。


「クルム」


「何だ」


「この場所、誰かに見せたかったの」


 クルムは答えなかった。


 その沈黙は、今までのどれよりも長かった。


 風が二人の間を抜けていく。


 灰が白い小石の上を流れる。


 やがて、クルムが言った。


「お前には関係ない」


 冷たい言葉。


 いつもの言葉。


 けれど、イロハはそれを完全には信じなかった。


 関係ないと言う時ほど、クルムは何かを隠している。


 そう思えるくらいには、彼の言葉に慣れてしまっていた。


 丘の上が近づく。


 空が少し広くなる。


 しかし、星は見えない。


 昼だからではない。


 灰に濁った空が、重く垂れ込めているからだ。


 イロハは白い空を見上げる。


 ここで星を見ることができたのだろうか。


 昔は。


 三千年前は。


 クルムが覚えているこの場所では。


 答えは、まだ分からなかった。


 クルムが足を止める。


 丘の上へ続く最後の斜面の手前だった。


 その先は、今までより少しだけ開けているように見える。


 風が強い。


 灰が横へ流れていく。


 クルムはしばらく、そこを見上げていた。


 イロハは、その横顔を見る。


 ここに来るまでのクルムは、何かを探していた。


 でも今は、探しているというより、もう見つけてしまった人の顔をしている。


「この上に、あるの」


 イロハは小さく聞いた。


 クルムは答えない。


 ただ、白い小石の散る斜面を見ている。


 それだけで、答えのようだった。


 イロハは息を吸った。


 知りたい。


 でも、知るのが怖い。


 この丘には、クルムが三千年忘れられなかったものがある。


 たぶん。


 きっと。


 クルムがゆっくりと一歩を踏み出した。


 足元の白い小石が、灰の中でかすかに転がる。


「遅れるな」


 いつもの言葉だった。


 けれど、その声はいつもより低かった。


 イロハは頷く。


「うん」


 クルムはそれ以上何も言わなかった。


 丘の上へ向かって歩き出す。


 人の道ではない斜面を。


 名前の残っていない場所へ。


 クルムだけが覚えている場所へ。


 灰の下に散る白い石が、足元で小さく光って見えた。


 まるで、地面に落ちた星のように。


 イロハはその背中を追った。


 この丘の上で何が待っているのかも知らないまま。

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