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 かの名高い戸次川へつぎがわの戦い(1586年)において、島津が敵を破った決め手はまさに、「釣り野伏せ」で行った鉄砲による一斉射撃と、そこからの包囲・白兵戦であった。


 意外に思われるかもしれないが、この時代の島津はすでに鉄砲を所有して実戦配備していた。戦場で鉄砲といえば織田信長が有名だが、実戦で初めて使用したのは島津であった。


 「釣り野伏せ」という戦術がすさまじいのは、その兵力差を縮めるシステムにあった。

 

 この戦法では軍を三つに分ける。集団が強いとされていた時代に三つに分断するのはそれだけでも異質であり、常軌を逸した行動であったが島津はやった。


 まずは、釣り。中央の「囮部隊」が敵と正面から戦い、わざと敗走を装って後退する。


 もしも異世界人が島津を知っていれば、まず追いかけなかったはずの敗走兵を、まんまと、馬まで駆り出して追ってきたことが異世界人側の決定的な失敗だった。地頭を務めるような人物が手柄目当てに敗走兵を追いかけたのだ。


 戦況はこれに決定されたと言ってよかった。逃げる島津を追う異世界人は、砦から突出し、後続を引き離していった。

 馬と鎧を着た人間とでは速度差がありすぎたのだ。

 ゆえに、巨大なハチの巣から飛び出したような格好の冒険者たちは、その隊列を細くし、線を引くように島津陣営へと踏み込んでいく。


 その速度についていけなくなった足の遅い冒険者が、ぽつりぽつりと遅れ始めたころ、それはすでに島津の急峻な自然の要塞ともいうべき土地へと足を踏み入れた後だった。


 まず島津は敵を懐深く入れ込んだ状態で全ての門を閉める。


 冒険者は恐怖した。それまでの前進は敵が不注意で柵や門を閉め忘れたと考えていたのだ。

 金庫の戸が閉まるように重厚な音を立てて扉が閉まると、賢い冒険者は顔を青ざめた。


 その時である。左右の茂みががさがさと音を立てたかと思うと、「はなてっ!」という独特な掛け声とともに白煙が上がった。


 この時冒険者の一般的な防具は皮鎧であった。

 なぜならば、ゴブリンに対抗するには皮鎧で十分だったからである。

 鉄製の鎧は重くて錆びる上、金がかかる。ある程度素材の柔軟性と軽量性を持った皮鎧が好まれた。


 異世界人に対して左右の茂みからまず攻撃を仕掛けたのは、鉄砲を持った伏兵だった。

 通常、戦国大名の鉄砲隊は足軽(雑兵)が務めるものであったが島津は違う。

 島津家では中級・下級の「武士(侍)」自身が鉄砲を担いで戦いに持参した。


 指揮官クラスの侍が最新兵器を使いこなしていたため、命中精度や戦況判断能力が異常に高く、戦国史上最強の鉄砲集団とも言われている。


 島津は部下を危険にさらして、自分が安全なところにいながら利益を上げようとは考えない。自ら率先して戦場に赴く特徴があった。


 島津が使う鉄砲の弾の大きさは、10匁(約18mm 〜 19mm)であった。これは当時、他国の足軽が一般的に使った2匁半〜3匁(約12mm 〜 13mm)よりもはるかに大きく、非常に重く、反動も大きい。ゆえに射距離が近ければ盾や頑丈な鎧をも貫通する圧倒的な破壊力を持っていた。


 ありていに言えば、パチンコ玉をより巨大にしたような鉛の塊が眼にも止まらぬ速さで飛んでくるのである。


 それにはすさまじい衝撃が伴った。


 弾丸が重いため、当たった瞬間に強烈なエネルギーが冒険者を襲う。鎧を着ていても、その衝撃で骨が砕け、内臓が破裂する。狂った犬猫のような声があちこちで上がる。鎧が耐えてもその衝撃で内側の臓物が壊れてしまうのだ。


 鉛は柔らかく、ナイフで削れるほどである。そのため、人体に当たると平たくつぶれて突き進む。これによって当たった弾のサイズよりも傷の大きさが大きくなった。


 数十人という冒険者の過半数がこの一撃でその場にバタバタと崩れ落ちた。


 頭部や胸部に当たればそれは即死を意味し、鎧の鉄板ごと体にめり込むため、救命はほぼ不可能だった。


 手足に当たれば、文字通りにその部分はちぎれ飛び、骨は粉砕され修復不能な状態になった。


 当時鉄砲の命中精度は低かった。それを島津は釣り野伏せと併用し、敵を誘い込むことで超至近距離にて、そのどてっぱらにぶち込むことで戦術として成り立たせている。


 冒険者は島津を追って突出しているため、砦の本隊からの救援が受けられない。


 まさに地獄の様相となりはてたその状況でも島津は止まらない。


 先ほどまで逃げるふりをしていた兵が今度は反転して冒険者側に突っ込んでくるのである。

 さらには左右の茂みから伏兵が一斉に躍り出て槍や刀を用いた白兵戦を展開。三方から包囲された冒険者たちは退路を断たれて壊滅した。先に述べた三つに分ける理由はこれのためである。


 島津は戦闘が完全に集結していない段階でも首取り(首の回収)を始める。


 釣り野伏せのような激しい包囲戦での欠点は、その混乱にあった。誰が最終的に倒したかが非常にあいまいになるため、混乱に乗じて手柄を確保しようとする武士たちの執念が凄まじく、激しい喧嘩やトラブルが頻発した。


 士気は異様に高い。自分の成果を確定する「証拠」がそこに転がっている。取り合いである。


 武士にとって、敵の首は自分の出世や恩賞(土地や金)に直結する「唯一の証明書」であり、異世界人からすれば、大事な仲間の遺体でもあった。感覚が違う。

 

 突っ込んできた中には大きな白馬に乗った銀色に輝く鎧を着た者がいた。これは戦場において「一国一城にも値する超大物」を表していた。

 これにはさすがに島津側の仲間内においても、壮絶な取り合いへと発展する。

 戦国時代の感覚では、派手な装備で目立つ武将を討ち取ることは、一族全員の将来が約束されるほどのビッグチャンスだったからだ。


 島津の人々が我先にと欲しがったのは何を隠そう「一番首」であった。敵の総大将や有名な武将を仕留めたとするのならば他の首とは話が違う。


「名乗り」の上げ合いが始まるのである。周囲に聞こえるように


「島津が家臣かしん新納権助にいろ ごんすっが討ち取ったい!(島津家家臣、新納にいろ 権助ごんすけが討ち取ったり!)」


この「名乗り」を複数人が挙げる。


「島津が家臣、鎌田伝左衛門かまた でんざいもんが討っ取ったい!(島津家家臣、鎌田かまた 伝左衛門でんざえもんが討ち取ったり!)」


「エイッ! 島津が家臣、山田やまだ 新右衛門しんうえもんが討っ取ったい!!(島津家家臣、山田やまだ 新右衛門しんうえもんが討ち取ったり!)」


 さらには、首論(首を巡る喧嘩)までその場で始めてしまうのである。


おいやりで突っいたがさっいだっ!(俺が槍で突いたのが先だ)」

「いんにゃ、おいっくびとしたっとい!(いや、俺が首を切り落とした)」


 回収した首をとられぬように腰にぶら下げたまま、次の戦闘に備える姿がそこにはあった。


 「銀色の鎧の武将」を討ち取った者が複数いたため、戦後の「首実検」の場で、泥沼の裁判が行われることになると思われる。

 さらにはその立派な白馬、銀色の鎧をめぐっても喧嘩が起きる。まだ戦闘の真っただ中であるのにだ。まるで当時の島津人は戦場が人生そのもののようであった。

 



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