包囲戦
目の前で「釣り野伏せ」によって味方の精鋭や指揮官が文字通り「解体」される様子を見せつけられた砦の異世界人。彼らが直面したのは、単なる敗北ではなく、既存の戦理が通用しない「理解不能な恐怖」だった。
異世界の冒険者はゴブリンやオークばかりを相手にしていた。無駄を削ぎ落とし、精鋭化された戦闘集団というのは初めて相手にすると言って良かった。
冒険者を含めた多くの異世界人は敵の腰に下げられた生首という形で友と再開した。
異世界側の砦を守る地頭に当たる人物までもが既に首となってぶら下がっているために、冒険者は決断に迫られる。
相手はただ一方的に勝利をあげた軍隊。しかも首を切ってくる。次は誰がああなる?…自分か?
異世界人側は、圧倒的なリーダーを失ったために、誰が次のリーダーになるのか揉めた。リーダーになったとして、あの首と同じ運命をたどるのか?という疑問さえ上がる。
さらに、魔法職が状況を複雑にさせた。
魔法そのものが貴重だった。
魔法の才能を持つ人間は限られており、一般の兵士や冒険者全員を魔導士にすることは不可能だった。
そのため、人数が少ない。
さらに、魔力は有限であり、ガス欠になればただの無力な人間になるため、物理的な武器が必須だった。
冒険者は剣を大小様々引っ提げるのを当たり前として、避難の準備を始める。
「急げ!早くしろ!」
人材としての値段がパニックを助長した。魔導士の育成には、剣術や弓術以上に膨大な時間と教育資金が必要となり、万が一失った場合の損害は、冒険者パーティーとして受け入れがたい状態と言って良かった。
逃げるにしても魔法職は不向きだ。強力な遠距離魔法ほど、長い詠唱時間や複雑な魔法陣が必要となる。詠唱中に俊敏な剣士や暗殺者に間合いを詰められると、魔法職は防御も回避もできず倒されてしまうのである。
島津は突っ込んでくる。そういう戦術なのだ。
そのため冒険者は前衛を剣士で固め、魔法職を中心にその回りをアーチャーで守るという形での撤退を選んだ。
が、島津がこのチャンスを無駄にするわけがない。
異世界人が砦を捨てて逃げる決断を始めたとき、それを見た島津側はからはどう見えていたのか。
島津軍の哲学において、砦から逃げ出した敵は「最早兵にはあらず。ただの獲物にごわす。(もはや兵士ではない、ただの獲物である)」と定義された。
島津は、逃げる敵に対して容赦のない「殲滅的追撃」を仕掛ける。しかし、それは単なる感情的な追い打ちではなく、極めて合理的かつ冷徹な計算に基づいていた。
島津は砦に対して包囲網を形成しながら、あえて一点だけ包囲を緩め、敵が「あそこなら逃げられる」と思う偽りの出口を用意した。
その包囲する時間も釣りを続けているために、異世界側からすれば正気ではいられない。
逃げるならば今だぞ、と示しているのである。わざと網の目をまばらにして。
そして案の定、異世界人は逃げ出した。
すかさず島津の追撃が始まる。
島津の追撃は、一気に全滅させるのではなく、生かさず殺さず、恐怖を維持したまま走らせるという特徴があった。
その戦法はこうである。
数里(8~20km程度)にわたってしつこく追い続け、敵が疲弊しきったところで一人ずつ仕留める。さらに、あえて数人を逃がすことで、その生存者が別の砦や本国へ帰った時に、島津の恐ろしさを語らせる。これは、次の戦いを有利に進めるための心理的武器として利用するための行動だった。
今回、島津側の武士が顔に矢傷をおっているために、その武器は特別濃厚に、そして相手に伝わるように送られることとなった。
島津にとっての追撃とは、単なる戦後の処理ではなく、敵という存在そのものを、歴史と記憶から消し去るための儀式に近いものがあった。
倒された異世界人は揃って首を切られて報告に使われる。
今回の戦闘において島津側は複数の魔法職を捕虜として領土に連れ帰った。
彼らにとって捕虜は労働力や略奪品ではなく、文化・技術という名の資源だった。
朝鮮の戦闘では焼き物の技術者を、そして鉄砲伝来では当時2億円近い巨額の資金で鉄砲の作り方を学ぶに至る島津である。彼らは戦闘に狂っているのではない。正常な判断能力を持ちながら、あのように戦っているのである。
さぞ、その眼鏡に魔法は魅力的に写ったことであろう。




