第73話:弱まりゆく支配
ロイドは違和感を覚え、食事の手を止めた。
(街が騒がしいな。何事だ?)
それは、歓声でも暴動の音でもない。
音ではなく、空気そのものがざわついている感覚だった。
人々の感情が、同じ方向へ流れていないときに生まれる、あの不穏な空気。
「……おい」
近くに控えていた兵士へ、低く命じる。
「何が起きている。確認しろ」
兵士は一瞬、言葉に詰まったように視線を泳がせた。
「え、あ……そ、その……」
その歯切れの悪さに、ロイドの眉がわずかに動く。
「聞こえなかったか? 王の命令だ」
その言葉に、兵士ははっと我に返り慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました! すぐ調べて参ります!」
そう言って駆け出していく背中を、ロイドは無言で見送った。
(今のは何だ?)
命令への反応が遅れたこと自体が異常だった。
これまで、兵も民もロイドの言葉に即座に従ってきたはずだ。
「……妙だな」
ロイドは、周囲へと視線を巡らせる。
通りを歩く住民たち。
立ち止まり、互いの顔を見合わせ、ひそひそと囁き合っている。
「……なんで俺、ここに……」
「さっきまで、何してたんだ……?」
自分の手を見つめ、額を押さえ、困惑の色を隠せない者たちが、街のあちこちに現れ始めていた。まるで、長い夢から突然引き戻されたかのように。
「……馬鹿な」
ロイドの背に、冷たい悪寒が走った。
彼らは、命令を待っていない。
――考えている。自分の意志で。
(まさか……俺のスキルが、解除されたというのか!?)
「王都の皆さん! 聞いてください!」
ロイドが振り向く。
広場の中央。ユナが人々の前に立っていた。
その隣にはラースがいた。
「今、あなたたちが感じている違和感……それは当然です」
「あなたたちは、長い間、正常な意識を奪われていた!」
ざわめきが、一気に大きくなる。
ロイドは、歯を食いしばった。
「あいつらを止めろ!黙らせろ!!」
そう言った瞬間、さらに違和感が走る。
兵士たちが動かない。命令を待つ気配もない。
彼らはユナの言葉に耳を傾けている。
「王ロイドは、スキルで人の意思を縛り操ってきた」
「従っていると思わされていただけ。選んでいたわけじゃない!」
ユナの声は震えていない。
逃げるための告発ではない。
返すための言葉だった。
「……黙らんか!」
ロイドが叫ぶ。
だが、その声は思ったほど響かなかった。
人々は、もう彼だけを見ていない。
ラースが一歩前に出る。
「俺たちは、もう自由だ!だから聞け。考えろ。自分の頭で」
ロイドは、その光景を理解してしまった。
――崩れている。
彼が築いてきた絶対が、音もなく、確実に。
王都の空の下。
奪われていた意思が、ひとつ、またひとつと戻っていく。
だがロイドは、すぐに表情を引き締め、冷静さを取り戻した。
隣に立つフローラへと視線を向ける。
――問題ない。
彼女の瞳は虚ろなまま、意思の揺らぎは一切ない。
スキルは、確かにかかっている。
「……なぜ他の連中が解けたかは分からんが」
ロイドは小さく息を吐いた。
「俺の力そのものが消えたわけじゃない」
ならば、やることは一つ。
かけ直すだけだ。
ロイドは胸を張り、王としての威圧を込めて声を張り上げた。
「民よ! 騎士たちよ!
貴族も、平民も――聞くがよい!」
その言葉が、王都に響き渡る。
だが、何も起こらなかった。
空気は、変わらない。
人々の視線は集まるが、瞳に宿るのは従属ではなく、困惑だけだ。
「……何を言ってるんだ?」
「急にどうした……?」
住民たちは顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げている。
ロイドの喉が、わずかに鳴った。
――スキルにかからない……?
ありえない。
そう思おうとした瞬間、胸の奥に沈殿していた違和感がゆっくりと浮かび上がってきた。
(……いや、前からだ)
ここ最近、確かに感じてはいた。
号令をかけたときの手応えが鈍い。
支配の糸が、どこか緩んでいるような感覚。
(なぜだ……なぜ、俺のスキルはここまで弱くなってしまった)
焦りを悟られまいと、ロイドは唇を噛む。
その脳裏に、不意に一人の男の姿が浮かんだ。
――料理人、レオン。
あいつの料理を口にしていた頃。
身体の奥から力が湧き上がり、支配のスキルが際限なく広がっていく感覚があった。
命令は絶対で、疑念など挟む余地すらなかった。
(……まさか)
一瞬、考えがよぎる。
(レオンの料理が、なくなったせいで……?)
だがロイドは、すぐにその思考を振り払った。
(馬鹿な。そんなわけがあるはずがない)
料理ごときが、スキルの根幹に影響するなど。
そんな非常識な理屈が、あってたまるものか。
――だが。
目の前の現実が、その否定を嘲笑う。
王の声は、もう命令ではなかった。
ただの言葉として、空間に虚しく落ちていくだけだった。
ロイドの背筋に、冷たいものが這い上がる。
(……何が起こったんだ)
理解できない。
理解したくもない。
それでも確かに、世界は変わり始めていた。




