第71話:スキルが封印される時
ロイドは無意識のうちに喉を鳴らしていた。
乾いた音が、自分でもはっきり分かるほどに。
(……美味そうだ)
王宮の料理は、確かに豪華だ。
金箔、希少な肉、過剰な香辛料。
権威を誇示するための味であり、腹を満たすための味ではない。
正直言うと王宮の料理には飽き飽きしてはいた。
だが、目の前にある一皿は違った。
派手さはない。しかし、皿の中央に盛られた料理からの穏やかな深い香りが
空腹を直接刺激する。
(余計な細工がない……だからこそ、味を誤魔化せない)
ロイドは気づいていなかった。
その誤魔化せないという感覚こそ、レオンが狙ったものだということに。
「……おい」
ロイドが短く言った。
その一言で、場の空気が引き締まる。
「その料理をこちらへ」
合図を受け、侍従が皿を持ち上げる。
だが、その直前。レオンの指が、ほんのわずかに動いた。
誰にも気づかれないほどの、あまりに自然な所作。
偽りの皿と、本物の皿が、静かに入れ替わる。
ティアナとレイナが口にしたのは、効果を抑えた皿。
そして今、ロイドの前に運ばれていくのは封印の料理、その本体。
(……行った)
ロイドは皿を覗き込み、鼻先に近づける。
香りを確かめるように、ゆっくりと息を吸い込んだ。
その瞬間。胸の奥で、何かが微かに軋んだ。
(……?)
違和感は、ほんの刹那だった。
だが次の瞬間、その小さな引っかかりは腹の底から湧き上がる飢えに呑み込まれる。
「……いただくか」
短くそう告げると、ロイドは箸を取った。
もはや警戒はない。迷いもない。
ひと口――。
その瞬間、ロイドの手が止まった。
ざわめいていた会場の音が、ふっと遠のく。
拍手も、話し声も、風の音さえ薄れていく。
視界がわずかに揺れ、意識が料理だけに引き寄せられた。
「……っ!」
驚きが、遅れて胸を打つ。
舌に広がる旨味は、王宮のどんな豪奢な料理とも違う。
強さではなく、深さ。誇示ではなく、満たすための味。
ロイドは思わず、二口目を運んでいた。
箸が止まらない。
三口、四口。
品位を保つはずの動きは崩れ、気づけば皿に身を乗り出している。
「……なんだ、これは……」
低く呟きながら、さらに掻き込む。
驚きは、すでに歓喜に変わっていた。
会場の誰もが息を呑んで見つめる中、ロイドはただ、無心で料理にがっついていた。
皿の上の料理は、みるみるうちに減っていく。
最後の一口を口に運ぶと、ようやく顔を上げた。
その表情には、もはや警戒も猜疑もない。あるのは、はっきりとした高揚だけだった。
「……美味い!」
低く、しかしはっきりと言い切る。
次の瞬間、王族席の空気がざわめいた。
「実に美味いぞ。この料理は!!」
ロイドは珍しく、笑みさえ浮かべていた。
その声には、偽りも誇張もない。純粋な称賛が混じっている。
「王宮の料理など、形ばかりで腹に残らんものが多いが……」
箸を軽く振り、空になった皿を示す。
「これは違う。身体が欲しがる味だ」
そして、侍従に向けて命じるように言い放った。
「もっと持ってこい!」
即座に従者たちが動き出す。
次の皿、さらに次の皿。
侍従が運ぶたび料理は迷いなく彼の前に並び、そして消えていく。
「……やはり美味い。最高の味だ!」
満足げに息を吐き、ロイドはふと隣を見た。
フローラが、まだ箸を取らずに座っている。
「どうした。食べないのか?」
何気ない調子だった。
だが、その声音にはいつもの圧はない。
「遠慮はいらん。ほら、せっかくの祭だ」
そう言って、皿を指で軽く押し出す。
命令ではなく、まるで同席者への勧めのような仕草だった。
フローラは一瞬だけ戸惑い、そしてゆっくりと箸を取る。
「……では、いただきます」
口に運んだ瞬間、彼女の瞳が揺れた。
懐かしさと温かさが、胸の奥に静かに広がる。
(……この味……)
その様子を見て、ロイドは満足そうに頷いた。
「どうだ?美味いだろ?」
さらに料理を掻き込みながら、彼は続ける。
「まだあるなら全部出せ。今日は存分に味わわせてもらおう」
――その時だった。
胸の奥で、何かがはっきりと切れる感覚が走った。
ロイドの箸が、止まる。
「……?」
理由は分からない。
ただ、体の内側から何かが音もなく消えた。
同時に――
「……あれ?」
王族席の近くで、誰かが声を上げた。
「俺たち……何でここにいるんだ?」
「祭……だよな? でも、今まで何を……?」
ざわめきが、一気に広がる。
護衛兵が周囲を見回し、困惑した表情を浮かべる。
「ロイド様の……命令は……?」
言葉が続かない。
思い出せない。命令そのものが頭から抜け落ちている。
フローラが、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳に宿っていた曇りが、確かに薄れていた。
「……ロイド様?」
呼びかけられ、ロイドは眉をひそめる。
「……何だ?」
声は平静だった。
だが、その声音には、決定的に欠けているものがあった。
支配の圧がない。周囲の人間たちが、次々と騒ぎ出す。
「俺たち、ずっと立ちっぱなしだったのか?」
「頭が……急に軽くなった?」
「……息が、しやすい」
祭の音楽は鳴り続けている。
だが、王族席の周囲だけが異様な混乱に包まれていた。
その中心で、レオンは勝ちを確信した。
(封印が始まった)
封印は、確かに成った。
誰もがまだ気づいていない。
だがこの瞬間、ロイドはもう支配する者ではなくなっていた。
王都の喧騒の中。
静かに、だが確実に支配の時代は終わりを告げ始めていた。




