第68話:支配の闇に灯る絆
石畳を踏みしめながら、ティアナとレイナは互いに無言で歩いていた。胸中にはロイドの命令と、自分たちの決意がせめぎ合っていたが、その瞳には迷いを超えた強い光が宿っている。やがてティアナが小さく呟いた。
「……ここね」
目の前には温かな灯りがともる小さな店があった。香ばしい匂いが風に運ばれ、二人の記憶を無理やり呼び覚ます。かつて共に食べた料理の数々、そして、あの男の姿。扉を押すとカランと澄んだ鐘の音が響き、客のざわめきの奥から白衣姿の青年が現れた。
「……いらっしゃい」
その声を聞いた瞬間、二人の胸が強く震えた。(……レオン!)心の奥でその名を叫びながらも、二人は必死に平静を装った。人目を避けるようにレオンは二人を奥の個室へ案内し、扉を閉めると張り詰めた空気が流れ込む。
ティアナが口を開いた。「……レオン。ロイド様から命じられたの。あなたの前でフローラ様が虐げられていると話せって」
レイナもすぐに言葉を重ねる。「でも、それは罠よ。あなたが反応するかどうか試すための……」
レオンの瞳が鋭く光り、「そうか。ついに疑い出したか」と低く呟いた。二人は顔を見合わせ、小さくうなずき合う。ティアナがさらに声を潜めた。
「レオン、フローラは……あなたの似顔絵を見て、「レオン」と呟いたそうよ」
その言葉にレオンの表情が一瞬で揺らぐ。
「フローラが……」
レイナは身を乗り出し、必死に訴える。
「ええ。まだ完全ではない。でも、あなたのことを思い出しかけているの。私たちも、あの料理で支配が揺らいでいる。だから……信じてほしい」
しばしの沈黙ののち、レオンは深く息を吐き、二人をまっすぐ見据えた。
「フローラがまだ、ロイドに完全には染まっていないとわかったのは素直に嬉しい……ありがとう」
その声音は震えていたが、そこには確かな温もりがあった。
「フローラを取り戻す。必ずだ。そのために、お前たちの力を貸してほしい」
ティアナとレイナの瞳に涙がにじむ。
「……もちろん」
「命令には従ったふりをするわ。でも、私たちはもうロイドの人形じゃない」
三人の間に確かな絆の炎が灯った。その炎は、支配の闇を切り裂く小さな希望の光となっていた。
レオンは深く息を吐き、二人を見据えた。
レオンは深く息を吐き、二人を真っ直ぐに見据える。
「ロイドは俺の正体を疑っている。だからこそ、試しを仕掛けてくるのは想定済みだ」
ティアナが眉を寄せる。
「試し……?」
レオンは静かに頷き、低く続けた。
「お前たちに命令を出したのもその一環だ。俺がレオンなら必ず動揺するはずだと考えている。逆に言えば、平然と受け流せば疑いは薄れる」
レイナが不安そうに口を開く。
「でも……本当に受け流せるの? ロイドは一瞬の仕草や視線の揺れさえ見逃さない」
「だからこそ、芝居をするんだ」
レオンはきっぱりと言い切った。
「俺はアッシュとして冷徹に振る舞う。お前たちは命令どおり俺に問いを投げかける。それでロイドの目を欺く」
ティアナは唇をかみしめながら、そっとレオンの手に触れた。
「でも、あなた一人に背負わせるわけにはいかないわ。今度こそ、私たちも共に戦う」
レイナも静かにうなずく。
「ロイドに気づかれないように振る舞うのは簡単じゃない。でも、だからこそ――私たちの意志を示す時よ」
二人の声は弱々しくも確かな強さを帯びていた。
その響きにレオンの胸は熱くなる。
「……ありがとう。お前たちがそう言ってくれるなら、俺は最後まで立ち向かえる」
やがてティアナとレイナはロイドのもとへ戻り、落ち着いた口調で報告を始めた。
「……アッシュに関しては、特に不審な点は見当たりませんでした」
ティアナが感情を抑えた声で告げる。
レイナも続ける。
「フローラの名を出してみましたが……彼はまったく反応しませんでした。取り乱す様子もなく、ただ料理に集中していました」
玉座の間に響くその言葉に、ロイドの瞳が細く光った。
しばし沈黙が落ち、彼の口元にわずかな歪みが浮かぶ。
「……そうか。ご苦労だった。もう下がっていいぞ」
二人は恭しく頭を下げ、背を向けてその場を去る。
広間に残されたロイドは、しばし沈黙したまま目を閉じた。
やがて小さく息を吐き、肩を揺らして苦笑する。
「……どうやら考えすぎていたようだな。あの男はただの料理人にすぎん」
椅子の肘掛けを軽く叩き、立ち上がる。
「アッシュのことは――ひとまず忘れよう。疑念に囚われては、真に見るべきものを見失う」
その声は自らを納得させるように静かで、部屋に再び冷たい静寂が戻った。
ティアナとレイナが去り、店に残されたレオンは静かに包丁を置いた。
厨房に漂う香ばしい匂いとは裏腹に、胸の奥では煮え立つような怒りが渦巻いている。
(……やはりロイドは卑劣だ。疑いを晴らすために二人を利用し、平然と人の心を縛ろうとする。あの支配を当然のように振るう姿が、何より許せない)
握り締めた拳に血がにじむほど力がこもる。
それでも彼は深呼吸し、怒りを押し殺すように吐き出した。
(だが、今は感情に流されるわけにはいかない。必ず機を見て――あいつの偽りの力を打ち砕く)
(……料理人の祭はもうすぐだ。あの場には王都中の人々が集い、ロイドの目も必ず注がれる)
拳をゆっくりと握りしめ、レオンは自らに誓った。
(そこで、すべてを終わらせる。フローラを、そしてこの街をロイドの支配から解き放つ……)
静かな決意は、炎のように胸の奥で燃え続ける。
包丁の刃に映る自分の瞳は、もう迷いを残してはいなかった。




