Chapter8 水面下の甘味
丁度十八時半を指した時計の針に気が付き、僕は腰を上げた。さっきから欠伸ばかり零している女に飲み物を入れてくることを告げる。確かこの間購入したクリームココアがあったはずだ。せっかくだからふるまってやろうか。
マグカップを二つ、食器棚から出す。湯が沸くまで少し時間がかかるので、洗い終わって放置していた皿を拭き食器棚へとしまった。ヤカンが音を立てる。ココアの粉を入れたマグカップに湯を注いで、部屋へ。もう大分暗くなった部屋の中で、女は机に伏していた。静かな部屋に寝息が響く。僕は溜息をつきながらココアを机に置いた。
やわらかいのだろうか、なんて、そんな事を考える。女の髪はところどころ跳ねていて、ボサボサで。雪乃とは大違いだ。雪乃の髪は――最も紙面でしか見たことがないけれど――もっと艶やかで、光を反射して輝いていた。こいつの髪は光を反射するどころか、蛍光灯の光を呑みこんでいる。その暖かさで、髪は輝いていた。とても、やわらかそうだった。
触れてみようか。手を伸ばしたその瞬間、ガチャリと玄関の扉が開く音。慌てて手をひっこめた。ややあって、部屋のドアから相模が顔を出す。
「ただいまー。明吉先輩、進歩どうっスか?」
「……まあ、だいぶ進んだんじゃないか」
「るきー、寝てるの? ほら起きて、そろそろ帰るよ。お菓子買ってきたんだけど、もうこんな時間だから。あんた寮の夕飯に間に合わないでしょ」
その声に目を覚ました女が、ボケっとした目で僕を見る。思わず目をそらした。視界に入った時計は十八時四十五分を告げている。どうやら僕は、十五分近くこいつの髪について考えていたらしかった。
「じゃ、明吉先輩。お邪魔しました~」
玄関口まで相模達を見送る。笑いながら家を出る相模に溜息。真紀とかいう女は既に外に出ているようで、最後に靴を履き終えたこいつは、未だ寝ぼけたような目をこちらに向ける。
「えっと、猩々さん。途中で寝てごめんなさい。……お邪魔しました」
その背中を見送って、僕は踵を返す。机上に残った二つのココアは、もう湯気など立てていなかった。




