Chapter24 ストロベリーウイルス
「はあ……」
ついた溜息は、幸せどころか僕の体力気力その他諸々すべてを奪って虚空へと消えていく。真っ白な原稿を見つめながら、僕は椅子の背もたれごと体を後ろにそらせた。
ネタが、ない。
一切ない。欠片もない。一文字すら頭の中に浮かんでこない。
漫画を描いていると言っても趣味だから、別に締め切りなんてものはない。だがここまで描けないとなると結構重症だ。今までもこんな風に書く気が起きず、ネタもなくなることはそれなりにあった。僕は意外と飽きっぽい方だし、当たり前だろう。スランプ、なんて言葉は一丁前に使いたくない。が、深刻なほどにネタがなかった。もう二週間も描いてないのだ。
こんな重要な時に夜月はいないし。まったく、役に立たない奴だ。今ネタを提供しないでいつすると言うんだ。まあチャットを使えばいいのかもしれないが、できれば使いたくない。この間半ば無理矢理相模に交換させられたアレである。文字を打つのは面倒だし、上手く伝わらないからだ。
家にいるから駄目なのかもしれない。久しぶりにポルトにでも行くか。重い腰を上げ、適当に身だしなみを整えて外へ出る。日差しが眩しい。射殺さんとばかりに僕を狙ってくる太陽に、数歩たたらを踏む。ああもう帰りたい。
数本横断歩道を渡った先にあるポルトは、いつも誰かお客がいるにも関わらず、今日はがらんとしていた。休日とはいえ朝だからだろうか。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか? ではこちらのお席へどうぞ」
にこりと笑った店員は、僕を席へと案内してくれた。こいつ、確か前に相模が可愛いとかぬかしてた店員じゃないか。まあ普通に顔は整っているが、雪乃ほど美人だとは思わない。
「えっと、ご注文はココアでよろしいですか?」
注文を言う前にそんな言葉をかけられ、顔を上げる。ニコニコしたままの店員は首を傾げていた。
「あれ、いつも来てくれるお兄さんですよね? 実はひそかにココアのお兄さんって呼んでたんです、私」
甘いもの、好きなんですか? そう続けられた言葉に、口の端が引きつった。知らない人間と話すのは苦手だ。ましてや何を考えてるかもわからない奴と話すのに時間を割きたくない。
「……まあ、それなりに」
……だなんて、言えるわけないだろう。泣かれたらどうする。余計に目立つ。逆にキレられても、どちらにしろポルトには来づらくなる。夜月の時はフォロー役に相模がいたし、普段行かないような店だったからよかったが、ポルトに行けなくなるのは困る。ここほど近くにあって、少なくとも一人は人が入っており、人間観察にうってつけの店はないのだから。
さて、どうするべきか。そんなことを考えているうちに、口を開いたのは店員の方だった。
「私、シャンディのチョコレートが好きで。こう見えても甘いものにはキビシーんですよ?」
「シャンディ・ドルチェか。確かにあそこのチョコレートは美味い。下手なブランド物より価値はあるだろうな」
なんだ、この女、少しは分かっているじゃないか。
「あ、やっと笑ってくれた!」
その言葉に、慌てて口元を抑える。
「ココアのお兄さん、いっつも難しそうな顔してたから! 私お兄さんの笑った顔の方が好きだなあ」
じゃあココア、持ってきますね、なんて残して去っていく彼女の背中を一瞬だけ見つめた。……なんなんだ、あの女。テーブルに漫画用のノートを広げて、漫画に集中しようとする。しかしどうも気が散ってしまう。きょろきょろと視線をさまよわせれば、さっきの店員が視界に入った。何とも言えない気分になりながら、再び視線をノートに戻したのだった。




