Chapter2 剣を持て、拳を握れ
真紀さんが本気でキレ始めた。かかとで思いっきり私の脛を攻撃する彼女に、さすがに何かを喋らなければ次は首を絞められると察す。
「わ、私は『流れ星回線』っていう漫画が好きで、」
「『流れ星回線』!? 僕も好きなんだ!」
間髪入れずに帰って来た返答に、一瞬自分の耳を疑った。ええ? 猩々さんが『流れ星回線』を知っているって? 少女漫画なのに? 私の目が輝いたのを察したのだろうか、猩々さんが話を続ける。
「とくにラストシーンが。まさか雪乃が鳴海を好きだとは思わなかったが」
「ほんとそれですよね! 私も祐也とくっつくとばかり思ってました!」
「いい意味で裏切られたよ。いや、だが結婚式場のバイトの話も好きなんだ」
「主人公のウエディングドレス姿、祐也の告白まがいの言動、誠司きゅんの「マイは俺のだ」宣言……キュンキュンしましたよね!」
『流れ星回線』。月刊キスミーで連載していた少女漫画だ。あの漫画は私を、決して抜け出ることのできない、深い沼に突き落とした。王道を突っ走ったラブコメである『流れ星回線』は、私に二次元と三次元の遠さというものを改めて突きつけやがったのである。その壁の厚みを改めて意識するほど、好きになった作品なのだ。
「つぐみとマイちゃんの喧嘩シーンはほんともう心臓が痛いし」
「伊織と誠司の睨み合いだってすごく胃が痛んだぞ」
「でもマイちゃんがあそこでデレるとは」
「誠司がマイを庇うとは」
噛みあっていないようで噛みあっている話を展開していく。視界の端に苦笑いした真紀が目に映ったが、その笑みの意味は問わないことにしておこう。
「いや、こんなに話が合う人は初めてかもしれない」
「本当です! 『流れ星回線』をこんなに語れる人がいるとは思いませんでした!」
二人してニマニマと怪しい笑みをこぼしながら、固く握手をした。そういえばこの人のバッグについてるキーホルダーも、『流れ星回線』の単行本の特典についてきたヤツだ。雪乃が鳴海さんにあげたやつ。何で気が付かなかったんだろう。
「それで、本命は誰なんですか?」
テンションのままにそんなことを聞く。同志を見つけて嬉しかったんだ。女キャラならマイちゃん推しだ。あのツンデレっぷりは可愛いです。誠司きゅんとまとめて嫁にこい。主人公のつぐみも可愛いけどさ。
「僕は雪乃が好きで」
その言葉にギョッとした。あの雪乃? ……嘘だ。私はあの漫画で唯一、野々原雪乃が好きになれなかった。ウジウジしてるし優柔不断だし。怒られて泣く、ビックリして泣く、嬉しくて泣く。とにかく泣き虫な上に、主人公のつぐみは鳴海さんの事が好きなのではと勘違いして余計な世話を焼いたり。そのくせ信念だけは固くて、自分の意見を貫き通す我儘。はっきり言ってしまえば嫌いな女のタイプであり、できれば知り合いたくない。
「君は?」
「え?」
「君は誰が好きなんだ?」
私が野々原雪乃について考えている間に十分愛を語ったのか、少し嬉しそうな顔で猩々さんは問った。
「も、もちろん鳴海さんです」
「鳴海!? あのナルシストのどこが良いんだ!? 裏切り者の癖に!」
ちょっと何を言われたのかがわからなかった。私の周りの時間が停止する。……はあ? 鳴海さんが、ナルシストだと? 待て待て待て、少し落ち着こう、冷静になるんだ私。これは合コン。この人とはもう二度と会わない。だから余計な波風は立てない。わかったな? よし。
「良いだろう戦争じゃ! 鳴海さんを馬鹿にしないで……ください。彼は自分の夢の為バイトを辞めて、フランスへ行ったんです。大体、雪乃だってつぐみを裏切ったじゃないですか。突然祐也が好きとか!」
「それは正々堂々自分の気持ちと戦うためだろうが!」
「正々堂々? 昔の事なんか言わなければ、つぐみと祐也は幸せだったのに?」
「君に雪乃の何がわかる? 雪乃は僕の理想の女性なんだ! あんなに優しく強い女性がいるか? いないだろ。大体君みたいな女が、雪乃に対してとやかく言う権利はない!」
「はぁ!? 君みたいな女ってなんですか!」
「君みたいにガサツな女はってことだよ。まず鳴海を好きだとかぬかしている時点でろくな女じゃないがな」
「鳴海さんのこと馬鹿にすんなっつってんだろ! 鳴海さんはあんたなんかより数倍、数千倍かっこいいっつーの! 顔だけじゃない、その考え方、生き方も!」
叩きつけるように叫んで、ハッとする。呆れたような顔で真紀がこっちを見ていた。店内の視線が刺さる。
「……私帰る! ごめん!」
でもこの苛立ちをどうしていいかもわからず、私は鞄と上着を引っ掴んで店を出た。真紀が私の名前を呼ぶ。その声から逃げるように、私は家まで走った。




