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カーテン・コール/冒険者の宿屋アーポット亭  作者: 春夏かなた
第2幕 騒ぎ始まる夜

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8/27

シーン1:名も知らぬあの子

夜の酒場は、酔客たちの笑い声と、グラスの触れ合う音で賑わっていた。



その喧騒から切り離されたように、店の隅のテーブル席で、リーアが一人酒を飲んでいる。



頬杖をつくでもなく、誰かを待つでもない。



ただ伏し目がちにグラスを傾け、ときおり物思いに耽るように酒の水面を見つめていた。



そんな女性が一人で飲んでいるというのに、不思議と誰も声をかけようとはしない。



酔った勢いで近づこうとした男も、あと数歩というところで足を止める。



リーアが何かしたわけではない。



ちらりと視線を向けられただけで、男は気まずそうに踵を返していった。



そんな彼女のテーブルへ、酒瓶を載せた盆を片手に、小さな影が近づいてくる。



ミアラ:「いらっしゃい」



ことり、と酒瓶がテーブルに置かれた。



ミアラ:「最近、よく来るね」



その声に、伏し目がちだったリーアが顔を上げる。



そして、目の前に立つ少女の顔を見た途端、わずかに目を見開いた。



リーア:「……あれ。あんたは」



ミアラ:「やっぱり覚えてた」



ミアラは嬉しそうに、にこりと笑う。



ミアラ:「前に会ったよね」



リーアはしばらくミアラの顔を見つめた。



森の街道。



野盗に囲まれた中で、呑気にリュートを鳴らしていた小さな吟遊詩人。



見間違えるはずもない。



リーア:「……こんなところで何してんだ、あんた」



ミアラ:「バイトだよ。冒険者の仕事がなかなかなくてね」



ミアラはそう言って笑いながら、空になった酒瓶を盆の上へ載せた。



リーア:「もったいないね」



リーアは新しい酒瓶を手に取り、グラスへ酒を注ぐ。



リーア:「あんた、腕はいいのにな」



ミアラ:「ありがと」



ミアラは嬉しそうに笑い、ぺこりと頭を下げた。



リーアはそれ以上何も言わず、再びグラスへ視線を落とす。



そして、注いだばかりの酒を一口飲んだ。



ミアラ:「お酒、好きなんだね」



リーア:「……これぐらいしか、楽しみがなくてね」



グラスを指先で軽く揺らす。



中の酒が、ゆらゆらと小さく波打った。



ミアラ:「……そういえば」



何かを思い出したように、ミアラが顔を上げる。



それから少し身を屈め、リーアの耳元へ顔を寄せた。



ミアラ:「今日、レックス君も飲みに来てるよ」



リーア:「レックス君?」



その名に覚えがないのか、リーアは怪訝そうに眉をひそめる。



ミアラ:「ほら。前に、わたしたちと一緒に野盗退治した人」



ミアラはにっこり笑った。



リーア:「……ああ」



ようやく顔と名前が結びついたのか、リーアの目がわずかに細くなる。



リーア:「あいつが、レックス……そうか。ここにいるのか」



どこか含みのある声でそう呟くと、リーアはグラスを口元へ運んだ。



ミアラ:「呼んでくる?」



ミアラはにこにこしながら、リーアの顔を覗き込む。



リーア:「......いや。遠慮しておくよ」



リーアは困ったように苦笑した。



リーア:「今は、一人で飲みたい気分なんだ」



ミアラ:「そっか。じゃあ、ごゆっくり」



ミアラはそう言って微笑むと、盆を抱えてカウンターの方へ戻っていった。



リーア:「……」



リーアは、その小さな背中をしばらく目で追う。



やがて、手元のグラスへ視線を落とした。



リーア:「まさか、ここでまたあいつに会うとはね……」



どこか感慨深そうに呟くと、リーアは静かに酒を口へ運んだ。





ミアラは客たちの間を縫うように歩き、カウンターへ向かっていた。



その途中――。



ドンッ。



ふらふらと歩いてきたレックスと肩がぶつかる。



レックス:「あ、ごめん」



レックスは反射的に軽く頭を下げた。



ミアラ:「あ。レックス君」



レックス:「ん? なんだ、ミアラさんか」



聞き覚えのある声に、レックスは顔を上げる。



ミアラ:「ねえ、ねえ」



ミアラは声を潜めると、胸元で小さく指を動かした。



ミアラ:「この前の子、来てるよ」



レックス:「この前の子?」



怪訝そうに眉をひそめながら、ミアラの示した方へ顔を向ける。



店の隅のテーブル席。



そこに、一人静かにグラスを傾けるリーアの姿があった。



レックス:「……」



レックスは何も言わず、思わずその姿に見入ってしまう。



レックス:(……あれ? こんな子だったかな)



前に会ったときは、荒っぽく野盗に立ち向かっていた。



だが、今は一人でしっとりと酒を嗜んでいる。



状況が変わると、こうも印象が変わって見えるものなのだろうか。



ミアラ:「気になってるみたいだね」



横から楽しそうな声が飛んできた。



レックス:「えっ?」



振り向くと、ミアラが目を細めて笑っている。



ミアラ:「声、かけてみたら?」



レックスはもう一度、リーアへ目を向けた。



酒場の喧騒の中で、彼女だけがぽつりと取り残されているように見える。



しばらくして――。



レックス:「……やめとくよ」



レックスは視線を外した。



レックス:「別に、気になんてなってないさ」



ミアラ:「ほんとにー?」



半眼になり、じっとレックスの顔を覗き込む。



レックス:「……」



一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに肩をすくめた。



レックス:「それに、あの子も一人で飲みたいんだろ」



ちらりとリーアを見る。



レックス:「話しかけるなオーラが駄々漏れだ」



ミアラ:「そうだね。……でも」



今度はミアラがリーアへ目を向けた。



ミアラ:「なんか、寂しそうに飲んでるね」



レックス:「……」



再び、その視線がリーアへ戻る。



グラスを片手に、一人静かに座っている姿をしばらく見つめた。



レックス:「……そうだな」



ぽつりと呟く。



ミアラ:「じゃあ、わたし行くね」



レックス:「ああ」



ミアラは盆を抱え直し、そのままカウンターへ向かっていった。



だが――。



数歩進んだところで、ふと後ろを振り返る。



レックスはまだ、その場にいた。



頭を掻きながらリーアへ目を向けては、すぐに逸らす。



そしてまた、しばらくすると彼女を見る。



リーア:「……」



そんな視線に気づいたのか、リーアもふと顔を上げた。



二人の視線が、一瞬だけ重なる。



レックス:「……」



リーア:「……」



だが、どちらから声をかけることもない。



リーアは何事もなかったようにグラスへ視線を戻し、レックスも気まずそうに顔を逸らした。



その様子を遠くから眺めながら――。



ミアラは、そっと微笑んだ。

                ♢

クリスはグラスに継がれた飲み物をじっと見つめていた。



マスター:「お探しの方ではありませんでした?殿下」



コップを拭きながら、酒場のマスターが声をかけてきた。



クリス:「……まだ、わかりません。でも……」



クリスはグラスを上げた。



クリス:「彼女はただ者ではなさそうですね」



クリスはそう言ってグラスの飲み物を口にした。



バルサム卿が暗殺されてから、一か月が経つ。



クリスは、姿を消した二人の暗殺者につながる手がかりを探し続けていた。



そして数日前、この酒場に最近、怪しげな女性がよく飲みに来ているとの情報が入った。



クリス:(せっかく掴んだ手がかりだ。逃すものか)



今夜、クリスは父ジョッシュが護衛として遣わした戦士――隻腕のドワーフ、ワードックとともに、この酒場を訪れていた。



ワードック:「あ奴が、ラミアスの倅か」



クリス:「ええ。レックスさんです」



隣に座るクリスが、小さく頷く。



ワードック:「父親に似て、すっとぼけた奴じゃのう」



ワードックは低く喉を鳴らした。



だが、その目はどこか楽しそうだった。



ワードック:「もっとも――目は母親に似ておるがな」



目を細め、懐かしむように笑う。



クリス:「……それよりも、ワードックさん」



ワードック:「分かっておるよ」



その一言で、ワードックの表情から笑みが消えた。



視線の先にいるのは、レックスではない。



一人で酒を飲んでいるリーアだった。



ワードック:「あの女子……ただ者ではないな」



クリス:「わかります?」



ワードック:「己の気配を完璧に操れておるわ」



ワードックは目を細める。



ワードック:「並の者にできる芸当ではないな」



クリス:「やっぱり……」



クリスは椅子を引き、立ち上がった。



ワードック:「まあ、待つのじゃ」



リーアの方へ向かおうとしたクリスを、ワードックの声が引き止める。



クリス:「でも……」



ワードック:「奴さんが何をしに来たのか、それを確かめるのが先じゃ」



ワードックはリーアから目を離さない。



ワードック:「今は、近づかん方がええ」



クリス:「……でも」



クリスは唇を噛み、拳を強く握った。



クリス:「また、もたもたしてたら……」



ワードック:「バルサム卿のことは、おぬしのせいではない」



鋭い声が飛ぶ。



クリスの肩がぴくりと動いた。



ワードック:「急いては事を仕損じる。ここは焦らず行くのじゃ」



クリス:「……」



ワードック:「今は待て」



ワードックは静かにリーアを見据える。



ワードック:「その時は、必ず来る」



クリス:「……はい」



しばらく立ち尽くしていたクリスだったが、やがて諦めたように息を吐き、席へ戻った。



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