シーン3:ガイザーインの悪夢
レックス:「あれ?」
不意に足を止め、レックスは後ろを振り返った。
レックス:「ここ、さっきも通ったよね」
クリス:「僕に聞かないでくださいよ」
呑気に問いかけてくるレックスに、クリスはうんざりした顔で頭を抱えた。
同じような問答を、先ほどから何度繰り返しているだろう。
ガイザー・インの内部は、いくつもの棟と廊下が複雑に繋がっている。
その上、どこを見ても豪華な調度品と似たような扉ばかりで、二人はすっかり方向を見失っていた。
クリス:「これじゃ、いつまでたっても大佐に会えませんよ」
口を尖らせるクリスをよそに、レックスは腕を組み、困ったように首を傾げる。
レックス:「……おかしいな。ちゃんと道を聞いたんだけどな……」
クリス:「聞いただけで、覚えてないんじゃないですか?」
レックス:「いや、そんなことは――」
ウィリアム:「バルサム卿の部屋なら、西棟の三十階だ」
背後から、低い声が割って入った。
二人が同時に振り返る。
そこには、レックスより一回りほど大柄な男が立っていた。
仕立てのよいスーツに身を包み、堂々とした体格も相まって、ひと目でただの従業員ではないと分かる。
レックス:「あなたは?」
レックスの声から、それまでの気の抜けた調子が消える。
男の姿を静かに見据えながら、探るように問いかけた。
ウィリアム:「ウィリアム・ゼクレス。この宿のオーナーです」
その名を聞き、クリスが目を見開く。
クリス:「ゼクレスって……」
ウィリアム:「ボクのことは、どうでもいいんじゃないのかな」
ウィリアムは口元に薄い笑みを浮かべた。
ウィリアム:「それよりも、君たちは急いだほうがいいと思うよ」
レックスとクリスは顔を見合わせた。
クリス:「……行きましょう」
レックス:「そうだね」
レックスはウィリアムへ軽く頭を下げる。
レックス:「どうも」
ウィリアム:「礼はいらないさ」
二人はすぐさまウィリアムに背を向け、西棟へ向かって駆け出した。
その姿が廊下の先へ遠ざかっていく。
ウィリアムはしばらく黙って二人の背中を見送っていたが、やがて思い出したように声を投げた。
ウィリアム:「――あまり物は壊さないでくれよ」
もちろん、二人がその言葉に振り返ることはなかった。
レックス:「……殿下。今の男、何者なんです?」
小走りの最中、レックスは探るように声をかけた。
クリス:「何言ってんですか」
クリスは呆れたように声を上げ、そのまま鋭く言い放つ。
クリス:「ゼクレスといえば、この宿を所有する大貴族ですよ」
レックス:「へぇ、そうなのか」
レックスは興味なさげに肩をすくめ、そのまま足早に廊下を駆け抜けた。
♢
西棟の三十階にたどり着いたレックスとクリスは、揃って足を止めた。
レックス:「……これは」
廊下の先に、何人もの護衛が倒れている。
折り重なるように床へ伏した者もいれば、壁にもたれたまま動かない者もいた。
だが、辺りに血の跡は見当たらない。
レックスはすぐさま駆け寄ると、護衛の一人の傍らに膝をつき、その首筋へ指を当てた。
レックス:「……生きてる」
クリス:「こちらもです」
クリスも別の護衛のそばにしゃがみ込み、脈を確かめる。
男の胸が、かすかに上下していた。
見渡せば、ほかの護衛たちにも目立った傷はない。皆、意識を失っているだけのようだった。
クリス:「誰も、武器を抜いていませんね」
護衛たちの剣は、どれも鞘に収まったままだ。
助けを呼ぶどころか、抵抗する暇さえ与えられなかったのだろう。
レックス:「これだけの人数を、一人も殺さずに……」
レックスは立ち上がり、廊下の奥へ目を向けた。
レックス:「聞きしに勝る連中ってことですか」
レックスの目が、わずかに鋭さを帯びる。
レックス:「どうします? 戻って応援を呼びますか?」
その目を、まっすぐクリスへ向けた。
クリス:「……そうですね」
クリスは周りを見回してから、倒れている護衛たちを見つめた。
応援を呼ぶなら、今来た道を引き返さなければならない。
だが、その間にも暗殺者はバルサム卿のもとへ迫っている。下手をすれば、戻ってきた時にはすべてが終わっているかもしれない。
クリスは廊下の奥へ目を向けた。
クリス:「……バルサム卿の部屋に行きましょう」
そう言って、静かに立ち上がる。
クリス:「今から戻っていたら、間に合わないかもしれません」
レックスはしばらくクリスの顔を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
レックス:「分かりました」
レックスも立ち上がると、クリスを庇うように一歩前へ出た。
だが、すぐに先へ進もうとはしなかった。
短く息を吐き、剣の柄に手をかける。
レックス:「ただし、ここから先は俺一人で行きます」
クリス:「えっ」
思わず、クリスが顔を上げる。
レックス:「殿下は戻って、応援を呼んできてください」
クリス:「そんな……僕も行きます」
レックス:「駄目です」
レックスはわずかに眉を上げ、静かに首を振った。
クリス:「で、でも……」
クリスがなおも食い下がる。
だが、レックスは倒れている護衛たちへ目を向けた。
レックス:「これだけの人数を、誰一人殺さず、武器を抜かせる間もなく倒す……」
鞘に収まったままの剣を見つめ、レックスの表情が険しくなる。
レックス:「こんな芸当ができるエルーデの暗殺者を、俺は一人しか知りません」
クリス:「……」
レックス:「ヴィクター・アーツマン」
その名を口にすると、レックスは廊下の奥を睨んだ。
レックス:「奴が来ているのかもしれない」
クリスは唇をかみしめ、顔を伏せた。
レックスがクリスへ視線を戻す。
レックス:「もし相手がヴィクターなら、あなたを守りながら戦う余裕はありません。だから、ここは――」
クリス:「……もう一人います」
レックス:「えっ?」
クリスはゆっくりと顔を上げた。
眉間にしわを寄せるレックスを、クリスはまっすぐに見つめ返した。
クリス:「エルーデ最後の王――その孫娘です」
レックス:「孫娘……?」
レックスは目を見開き、クリスを見つめた。
クリス:「僕は、その人に会うためにここへ来ました」




