シーン1:王都飲み明かす夜
あの壮絶な決戦から、半年が過ぎようとしていた。
エルーデ残党のアジトが発見され、強襲作戦の準備が進められていた。
出撃を翌日に控えた夕刻、レックスは酒場の前に立っていた。
まだ開店前らしく、扉の向こうに喧騒はない。
中へ入ると、椅子を動かす音だけが小さく響いていた。
レックス:「やあ、マスター」
フロアで椅子を並べていたマスターが手を止め、顔を上げる。
マスター:「いらっしゃいませ」
穏やかな笑顔に、レックスも軽く笑みを返した。
レックス:「大佐はもう来てるかな」
マスター:「ええ、いらしてますよ。奥の部屋でお待ちです」
レックスは頷き、店の奥へと足を向けた。
誰もいない部屋をいくつか通り過ぎ、一番奥の部屋を覗く。
テーブルについている人物を見て、その足が止まった。
レックス:「あれ……?」
待っているはずのクインではない。
見知らぬ男が、こちらを見て微笑んでいた。
???:「やあ、こんな早い時間から呼び出してしまってすまないね、レックス」
親しげに名を呼ばれ、レックスは眉を寄せる。
一度廊下を振り返ってから、改めて男へ目を向けた。
レックス:「あ、あの……どちらさまですか?」
男は一瞬きょとんとしたあと、人の好さそうな笑みを浮かべた。
???:「おっと、会うのは初めてだったな」
ゆっくりと椅子から立ち上がる。
ジョッシュ:「ジョッシュ・ロールブレアだ」
レックスは目を瞬かせた。
男の顔を見つめたまま、口が少しずつ開いていく。
レックス:「えええええっ!」
静かな店内に、素っ頓狂な声が響き渡った。
思わず一歩後ずさり、目の前の男をまじまじと見つめる。
レックス:「お、王様……!?」
ジョッシュ:「ははは、驚かせてしまったね。まあ、気にせず座ってくれ」
ジョッシュは向かいの椅子を勧め、自らも腰を下ろした。
レックス:「は、はい」
レックスはおずおずと椅子を引き、浅く腰かける。
背筋を伸ばし、両手を膝の上に揃えた。
ジョッシュ:「身体の方は、もう大丈夫なのか」
酒瓶を手に取り、レックスの前のグラスへ傾ける。
レックス:「は、はい! おかげさまで、もう大丈夫です」
レックスは身を縮め、ぺこりと頭を下げた。
ジョッシュ:「だが、一か月も寝込んでいたんだろう。今も無理はできないと聞いているぞ」
レックス:「ええ、まあ……そうなんですが」
後頭部をかき、曖昧に笑う。
ジョッシュは酒瓶をテーブルへ戻した。
しばらくレックスの顔を見つめたあと、その表情を曇らせる。
ジョッシュ:「すまん」
不意に、深く頭を下げた。
レックス:「そ、そんな。陛下、顔を上げてください」
レックスは慌てて身を乗り出す。
膝から浮かせた両手が、行き場を失ったまま宙で止まった。
ジョッシュ:「いや、君とリーアを引き合わせようと画策したのは、私なんだ」
頭を下げたまま、静かに告げる。
レックスは言葉を止めた。
やがて、浮かせていた手をゆっくりと下ろす。
レックス:「……たとえ陛下の企みだったとしても、俺は会えてよかったと思ってますよ」
ジョッシュ:「よかった?」
ジョッシュは顔を上げ、怪訝そうにレックスを見つめた。
レックス:「俺、エルーデのお姫様のことは知っていたんですよ」
その口元に、ふっと笑みが浮かぶ。
ジョッシュ:「誰から聞いたんだ?」
ジョッシュの目が、わずかに細くなった。
レックス:「母さんからです。なんでも、エルーデ王の娘さんと仲がよかったみたいで。その人の娘と俺を、くっつけたかったらしいんですよ」
レックスは苦笑し、頬をかいた。
ジョッシュ:「では、私が引き合わせなくても、お前たちは出会っていたと」
レックス:「そういうことになりますね」
ジョッシュ:「ほう……それで、実際に顔を合わせてみてどうだった?」
ゆったりと背もたれに身を預け、レックスの返事を待つ。
レックス:「あんなじゃじゃ馬だとは思いませんでしたよ」
レックスはグラスを手に取り、肩をすくめた。
そのまま、しばらく酒の表面へ目を落とす。
レックス:「でも、俺が欲しいものを持っている子でした」
指先でグラスをゆっくりと回し、口元を緩める。
レックス:「母さんは、いつも正しい」
しみじみと呟き、酒を口に含んだ。
ジョッシュは何も言わず、その顔を優しげに見つめていた。
レックス:「作戦は、うまくいくんでしょうか」
グラスを下ろしたレックスが、ぽつりと尋ねる。
ジョッシュ:「うまくいかなければ、私が困る」
レックス:「確かに」
顔を見合わせ、二人は小さく笑った。
ジョッシュ:「心配するな。クインは優秀な男だ。それに、クリストファーもついている」
レックス:「兄さんも参加しているんですか?」
思わず声が跳ね上がる。
ジョッシュはその反応を楽しむように、口の端を上げた。
ジョッシュ:「お前らの戦いに刺激されたんじゃないか。私も見たかったよ」
レックス:「……どうでしょうかね」
レックスは曖昧に笑い、手元へ視線を落とした。
グラスの中で、酒がゆらりと揺れる。
ジョッシュ:「行きたいんだな?」
レックスの指が止まった。
レックス:「……はい」
ジョッシュはグラスを持ち上げかけ、手を止める。
ジョッシュ:「無茶だけはするんじゃないぞ。今は、身体の回復に専念しろ」
レックスは俯いたまま、小さく頷いた。
それを見届けてから、ジョッシュは酒を一口飲む。
ジョッシュ:「それに、たとえ彼女を無事に確保できたとしても、すぐに会えるとは思うなよ」
レックスは顔を上げた。
向かいの顔から、笑みが消えている。
レックス:「なぜです」
ジョッシュ:「お前たちには、まだ運命に抗う力が足りない。最後の最後で倒れたのは、お前の力不足だ」
レックスは眉を寄せた。
レックス:「……じゃあ、彼女が逃げたのも、運命だっていうんですか」
グラスを包む両手に、力がこもる。
酒の表面が、かすかに波打った。
ジョッシュ:「違う。あのまま運命に抗っていれば、お前たちは死んでいた」
ジョッシュはグラスを置き、レックスの目をまっすぐに見据える。
レックス:「……」
レックスは唇を引き結んだ。
グラスを握ったまま、黙ってジョッシュを見つめ返す。
ジョッシュ:「アーポットの力は、運命に抗う力だ」
静かな口調だった。
ジョッシュ:「お前たちは、その力を身につけねばならない」
レックスはしばらく口を閉ざしていた。
やがて、手元へ目を落とす。
レックス:「……身につくんでしょうか」
その一言に、ジョッシュの厳しい表情がふっと緩んだ。
ジョッシュ:「その力が身につくまで、私のもとにいてもらうぞ」
レックス:「陛下のもとにですか!」
顔を上げたレックスが、思わず声を張り上げる。
レックス:「勘弁してくださいよ。俺、堅苦しいのは苦手なんですよ」
心底嫌そうにぼやき、グラスの酒をすすった。
ジョッシュ:「実は、私もだよ。だが、姉さんに頼まれていてね。いい機会だから、鍛えてやってくれと」
レックス:「……姉さん?」
グラスを口元から離し、レックスは眉をひそめる。
ジョッシュ:「エリーゼ・アーポットは、私の姉だ。私も、かつてはアーポットだったんだよ」
レックスはグラスを手にしたまま、ぴたりと動きを止めた。
レックス:「ええええええっ!」
先ほどにも増して大きな声が、部屋に響き渡る。
レックス:「そんな話、聞いたことないですよ!」
ジョッシュ:「姉さんには口止めしてあるからな。私の息子にすら、話していないよ」
ジョッシュは何でもないことのように、自分のグラスを傾けた。
レックスはその顔をまじまじと見つめる。
レックス:「なんでまた、秘密にしてるんですか」
ジョッシュ:「身内にすごいのがいると、いろいろ大変だろう」
グラスを下ろし、肩をすくめる。
レックス:「……なんとなく、分かります」
レックスは目を細め、苦笑をこぼした。
ジョッシュも笑い、酒瓶へ手を伸ばす。
ジョッシュ:「まあ、君をこき使うのは明日からにして、今夜は飲もうじゃないか」
レックス:「そうですね」
レックスは口元を緩め、グラスを差し出した。
ジョッシュが傾けた瓶から、酒がとくとくと注がれていく。




