シーン3:君の名か
レックスとクインは、共に手足を大きく動かしながら、肩を並べて走っていた。
レックス:「大佐、まだ着かないんですか」
息を切らしながら、レックスが声を上げる。
クイン:「前に公園が見えるだろう。あそこで連中を迎え撃つ」
クインは走る速度を緩めないまま、ちらりと背後へ目を向けた。
追っ手の姿は見えない。
だが、気配はまだ離れていなかった。
クインは警戒を解くことなく、再び前を向いた。
レックス:「だいたい、大佐は病み上がりなんですからね。おとなしく寝ててくださいよ」
クイン:「いつまでも寝ているわけにはいかん。お前も上に立つ身になればわかる」
レックス:「ごめんですね。俺は」
クイン:「お前は嫌でも上に立つ身になるさ」
レックス:「そうですかね……うっ」
不意にレックスの顔が歪んだ。
走りながら口元を押さえ、そのまま苦しそうに俯く。
レックス:「……大佐。駄目です」
クイン:「何がだ?」
レックス:「吐きます」
クイン:「なに?」
レックス:「おぇぇぇっ!」
なぜかレックスは隣を走るクインへ顔を向け、そのまま盛大に吐きかけた。
クインは走りながら、咄嗟に上体を反らす。
クイン:「私に向かって吐くなぁぁぁっ!」
夜の通りに、クインの怒号が高らかに響き渡った。
レックス:「この辺ですかね」
クイン:「そうだな」
二人は公園の奥、木々が鬱蒼と生い茂る一角まで来たところで足を止めた。
クインは腰に差していた長剣を一本、鞘ごと抜き取ると、レックスへ投げてよこす。
レックスは危なげなく受け止め、そのまま鞘を払った。
月明かりを受けて、鋭い刀身が淡く輝く。
レックスは興味深そうに目を見開き、角度を変えながら剣を眺めた。
レックス:「いい剣ですね。くれるんですか?」
クイン:「やらん。必ず返せ」
レックス:「残念」
レックスが刀身から目を離したとき、前方の木立から三人の男たちが姿を現した。
遅れていた追っ手が、ようやく追いついたのだ。
すでに、その手には短剣が握られている。
クイン:「三人だけか」
クインは腰に残った剣を抜き、レックスの隣へ並んだ。
レックス:「兄さんが減らしてくれたみたいです」
レックスは男たちの背後、その先に広がる夜の闇へ目を向け、わずかに笑みを浮かべた。
クイン:「クリストファーが王都にいるのか」
意外そうに眉を上げ、クインがレックスを見る。
レックス:「ええ。大学に来てるんですよ」
クイン:「そうか……」
まだ聞きたいことはあった。
だが、三人の暗殺者から放たれる殺気が、一段と濃くなる。
クインはレックスから視線を外し、正面へ剣を構えた。
レックス:「大佐も一人くらいは倒してくださいね」
レックスは長剣の腹で軽く肩を叩き、余裕の笑みを浮かべている。
クイン:「わかってるさ」
三人の暗殺者が左右へ広がり、二人を取り囲む。
互いに目配せを交わした次の瞬間――。
暗殺者:「はっ!」
三人が一斉に地面を蹴った。
レックスとクインも同時に動き、左右へ分かれる。
暗殺者のうち二人がレックスを追い、残る一人がクインへ向かった。
正面から迫った男が、レックスの胸めがけて短剣を突き出す。
レックスはわずかに身をひねり、その切っ先をかわした。
すれ違いざま、手にした長剣を流れるように振るう。
鋭い刃が、男の背中を斬り裂いた。
暗殺者:「ぐはっ!」
男は前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。
背後からレックスを襲おうとしていたもう一人は、踏み込む寸前で足を止める。
一瞬のうちに仲間を斬り伏せたレックスを前に、明らかな動揺を見せていた。
レックスは血のついた長剣を下げ、ゆっくりと振り返る。
レックス:「さて、まだやるかな?」
暗殺者:「……っ」
男は短剣を握り直すと、覚悟を決めたようにレックスへ突進した。
だが、その切っ先が届くよりも早く――。
レックスの長剣が、男の胸元を横薙ぎに走った。
暗殺者:「がっ……!」
男は勢いを失い、レックスの足元へ崩れ落ちる。
レックス:「ふう……」
レックスは小さく息を吐くと、クインの方へ目を向けた。
ちょうどクインが、暗殺者の胸から長剣を引き抜いたところだった。
レックス:「こんなものなんですかね、エルーデの暗殺者って」
レックスは長剣についた血を振り払い、倒れた暗殺者たちを見据えながら鞘へ納めた。
クイン:「お前が強すぎるんだよ」
クインも刃についた血を払う。
額には汗が浮かび、呼吸もわずかに乱れていた。
クイン:「だが、正直なところ助かった」
クインは顔を伏せ、声を落とした。
クイン:「この間の彼女が来なくてな」
レックスは黙ったまま、クインを見つめた。
クイン:「……なんだ」
レックス:「大佐。俺をわざと巻き込みましたね?」
レックスの口元に、意地の悪い笑みが浮かぶ。
クイン:「……何のことだ」
クインは剣を鞘へ納めながら、さりげなく視線を逸らした。
レックス:「そんなに俺を、そのリーアとかいう暗殺者と戦わせたいんですか?」
クイン:「……本当は、ラミアスさんに来てもらいたかったんだがな」
クインはばつが悪そうに目を細めた。
クイン:「現れたのがお前だった。それだけの話だ」
レックス:「父さんも一枚噛んでるわけですか。道理で、軍に入れってうるさかったわけだ」
レックスは面白くなさそうに後頭部をかく。
クイン:「ラミアスさんは何も知らん。こちらが勝手に当て込んでいただけだ」
レックス:「そうですかねえ」
クイン:「それに、お前が兵役に就いたのは、親にうるさく言われたからというだけではないだろう」
レックス:「まあ、それはそうですけどね」
レックスは後頭部から手を下ろすと、クインを鋭く見据えた。
レックス:「それで――彼女は何者なんですか?」
クインはその視線から静かに目を逸らし、遠くの木立を見据えた。
レックス:「彼女の腕はヴィクターと互角いやそれ以上でした」
クイン:「当然だ。彼女はエルーデ王家の人間だからな」
レックス:「エルーデ王家……!?」
レックスは驚きに目を見開いた。
レックス:「王家の人間は、もう誰も残っていないはずじゃ……」
クイン:「ヴィクターが、その存在をひた隠しにしてきた王族が一人だけいる」
クインの表情が険しくなる。
その視線は、レックスではなく、暗い木立の向こうへ向けられていた。
クイン:「そして、その王族が今――ここにいる」
レックスも、クインの見つめる先へ視線を向ける。
木々の間に横たわる闇の中から、一人の女がゆっくりと歩いてきた。
顔を覆う仮面。
腰に差した二本の短剣。
女は足音を忍ばせることもなく、真っ直ぐ二人へ近づいてくる。
クイン:「エルーデリーア・オルディル」
クインは女から目を離さないまま、その名を告げた。
クイン:「エルーデ王国、最後の王の孫娘。そしてエルーデ暗殺術の正統継承者――それがリーアだ」
リーアは二人から少し離れたところまで来ると、ぴたりと足を止めた。
仮面の奥から、レックスとクインを静かに見据える。
レックスはリーアを見つめ返し、その名を確かめるように呟いた。
レックス:「エルーデリーア・オルディル……それが、君の本当の名か」




