シーン1:クリスの決意
夜更けだというのに、大通りにはなお人波が絶えなかった。
軒先に並ぶ灯りの下を、六人の黒ずくめの一団が歩いている。
目深にかぶったフードに隠れ、その顔はまったく見えない。
揃いの黒装束は、ひどく目を引くはずだった。
だが、道行く者たちは誰ひとりとして彼らを振り返らない。
人と人の隙間を縫う足取りはあまりに自然で、六人は初めからそこにいたかのように雑踏へ溶け込んでいた。
その先頭を歩いていたリーアが、不意に足を止める。
一歩遅れて、後ろに続く五人も立ち止まった。
リーア:「先に行ってろ」
低く押し殺した声で告げる。
五人の暗殺者は、ただ黙って頷く。
そのままリーアの両脇を通り過ぎると、人の流れに紛れ、振り返ることなく遠ざかっていく。
リーアは通りの端に立ったまま、仲間たちの姿が雑踏に消えるのを見届けた。
それから、フードの奥でわずかに顔を動かし、後方へ目を向ける。
リーア:「……」
何事もなかったかのように再び歩き出すと、露店の切れ目にあった細い路地へ入っていった。
大通りの灯りが届かなくなったところで、懐から黒い仮面を取り出す。
それを静かに顔へつけると、リーアの姿は薄闇の奥へ音もなく消えた。
しばらくして、同じ路地へクリスが駆け込んできた。
周囲を見回しながら、暗い道を奥へと進んでいく。
クリス:「おかしい……。確かに、こっちへ入ったはずなのに」
フードの一団から離れ、リーアがこの路地へ入るところを確かに見た。
見間違えるはずはない。
だが、一本道に見えた路地は奥へ進むほど細かく枝分かれし、何度角を曲がっても彼女の姿は見つからなかった。
人の気配すら感じられない。
クリス:「見失ってしまったか……」
足を止め、荒くなった息を整える。
その時だった。
クリス:「――っ!?」
首筋を、氷の刃でなぞられたような寒気が走った。
息が止まる。
誰かがいる。
すぐ背後に。
振り向かなければならない。そう思うのに、体は強張ったまま、指一本動かせない。
リーア:「こんな夜更けにお出かけかい、坊や。感心しないね」
冷ややかな声が、すぐ耳元で囁いた。
バルサム卿の部屋で耳にした、あの声だった。
クリス:「……っ」
唇がかすかに震える。
足音も立てずにクリスの脇を通り、リーアがその正面へ回り込む。
リーア:「おや、誰かと思えば、あの時の坊やじゃないか」
仮面の奥から、クリスの顔を覗き込む。
リーア:「見逃してやった命、無駄にする気かい」
落ち着いた口調で、リーアは言い放った。
クリス:「……そんな気は、ない」
喉の奥から絞り出した声は、ひどくかすれていた。
なんとか声だけは出せるようになったようだ。
リーア:「なら、どうする」
仮面の奥で、リーアの目が細められる。
ワードック:「こうするんじゃ」
その声は、リーアの背後から聞こえた。
枝分かれした路地の暗がりから、ワードックが飛び出す。
片腕で握った戦斧が、唸りを上げて振り下ろされた。
リーア:「――っ!」
リーアは振り返りざま、腰の二本の短剣を抜き放った。
交差させた刃が、迫る戦斧を受け止める。
ギィン――!
激しい金属音が、狭い路地に響き渡った。
刃と刃の間から火花が散り、リーアの足が石畳の上をわずかに滑る。
その隙にクリスはよろめくようにリーアから離れ、ワードックの後ろへ回り込んだ。
リーア:「ほう……。誘われたのは、あたしか」
押しつけられた戦斧を受け止めながら、リーアが目を細める。
ワードック:「そ奴が坊やなら、さしずめお前さんは嬢ちゃんじゃな」
リーア:「言ってくれるね」
リーアは交差させた短剣をひねり、戦斧の刃を脇へ受け流した。
斧が石畳を叩き、硬い破砕音とともに石の欠片が飛び散る。
すかさずリーアの右手が閃いた。
短剣の切っ先が、ワードックの喉元へ走る。
ワードックは戦斧の柄を立て、その一撃を弾き返した。
続けざまに迫るもう一本の刃も、斧頭を返して受け止める。
リーアは二本の短剣を、上から下から休みなく繰り出す。
対するワードックは戦斧の柄を短く握り、片腕だけで刃と柄を自在に操り、その連撃を次々とさばいていく。
甲高い金属音が、夜の路地に幾度も鳴り響いた。
ワードックの背後まで退いたクリスは、戦う二人からさらに距離を取った。
クリス:「……よしっ」
大きく息を整えると、右腕を前へ突き出し、掌を二人の間へ向ける。
クリス:《雷よ!》
夜空から一条の雷が走り、リーアとワードックの間へ落ちた。
轟音とともに石畳が弾ける。
刃を打ち合わせていた二人は、同時に地を蹴り、それぞれ後方へ飛び退いた。
焼け焦げた石畳から、細い煙が立ち昇る。
クリス:「僕は、あなたと戦いに来たんじゃない!」
右腕を向けたまま、クリスが声を張り上げる。
クリス:「話し合いに来たんだ!」
リーア:「話し合い、だと?」
リーアは短く鼻を鳴らした。
次の瞬間、体を低く沈め、クリスに向かって一直線に駆け出す。
黒い外套が、夜風をはらんで大きくなびいた。
ワードック:「クリス!」
ワードックも石畳を蹴り、その後を追う。
クリス:《雷よ!》
再び雷鳴が轟いた。
リーアの頭上から、まばゆい雷光が襲いかかる。
リーア:「甘い!」
リーアは足を止め、右手の短剣を頭上へ鋭く振り抜いた。
刃と雷がぶつかり、白い火花が弾ける。
雷は短剣に弾かれて軌道を変え、リーアの脇にある石畳を激しく打ち砕いた。
その背後では、追いついたワードックがすでに戦斧を振りかぶっていた。
唸りを上げる刃が、リーアの背中へ迫る。
だが、リーアは振り返らない。
その場で地を蹴ると、体を後方へ跳ね上げた。
戦斧が空を切る。
リーアの体はワードックの頭上で一回転し、そのまま彼の背後へ飛び越えた。
石畳へ着地すると、勢いを殺すように数歩滑り、二本の短剣を構え直す。
その仮面は、まっすぐクリスへ向けられていた。
リーア:「あんたたちは、あたしたちがどれだけやめてくれと叫んでも、やめなかった」
二本の短剣を構えたまま、リーアは言い放った。
激しい攻防の直後だというのに、その声にはわずかな息の乱れもない。
リーア:「それで今さら、何を話し合えというんだ」
クリス:「……」
突き出していたクリスの右腕が、わずかに下がる。
ワードック:「ロールブレアは、エルーデを弾圧などしておらぬぞ」
リーアの背後で戦斧を構えたまま、ワードックが口を挟んだ。
リーア:「そうかい」
リーアは顔だけを後ろへ向け、ワードックに皮肉めいた視線を送る。
リーア:「知ってるよ。ロールブレアが、あたしたちを潰すために殲滅部隊を送ろうとしていることくらいね」
クリス:「それは違う!」
リーアは再びクリスへ顔を向けた。
リーア:「何が違う」
クリスは右腕を完全に下ろした。
だが、その手は固く握り締められている。
クリス:「分かるだろう。今、ヴィクターが各国で繰り返している凶行が、君たちの立場を悪くしているんだよ」
抑えきれない怒りをぶつけるように、クリスの声が夜の路地へ響き渡った。
リーア:「だから?」
返ってきたのは、冷ややかな一言だった。
クリスは強く握っていた右手を緩め、一度大きく息をついた。
クリス:「だから、ヴィクターの凶行を止めるために部隊を送るんだ。エルーデを殲滅するためじゃない」
先ほどまでの怒気を抑え、クリスは静かに言い聞かせる。
リーアはしばらく黙ってクリスを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
リーア:「同じことだね」
両腕がゆっくりと下がり、二本の短剣の切っ先が石畳へ向けられる。
リーア:「あんたも聞いてたはずだ。あたしたちは、黙って殺されるのが嫌なんだよ」
仮面の奥から、鋭い視線が突き刺さる。
クリスはその視線に耐えきれず、目を伏せた。
しばしの沈黙が、三人の間に落ちる。
やがて、クリスは再び顔を上げた。
クリス:「……だったら、ロールブレアへ亡命してくれないか」
リーア:「……なに?」
仮面の奥で、リーアの目がわずかに見開かれた。




