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カーテン・コール/冒険者の宿屋アーポット亭  作者: 春夏かなた
第2幕 騒ぎ始まる夜

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10/27

シーン3:運命の夜は、始まったばかり

店内に響き渡るミアラの歌声は、もはや暴風のようだった。



空気を震わせ、鼓膜を容赦なく打ち据えるその歌声が、レックスたちのテーブルにも襲いかかる。



マイケル:「あ、あばばば……! ミアラさんだああああ! ミアラさんが歌い始めやがった……っ!」



ピート:「誰だぁ! どこのどいつがミアラさんに歌わせたんだよぉ……!」



二人は必死に耳を塞ぎ、椅子から転げ落ちて床をのたうち回っている。



レックス:「ははっ、大袈裟なんだよ、お前ら。少しは落ち着けって」



苦しむ二人を横目に、レックスは愉しげにグラスを傾け、琥珀色の酒を喉へ流し込んだ。



マイケル:「……っ、お、お前……正気かよ」



涙目で耳を押さえながら、マイケルは信じられないものを見るようにレックスを見上げる。



マイケル:「……なんともないのか!?」



レックス:「ああ、別に」



レックスはそよ風でも受けているかのような涼しい顔で、あっさりと答えた。



レックス:「何度か聞いてるうちに、もう慣れちまったよ」



ピート:「……慣れるか!」



吐き捨てるように言ったピートの顔は、苦痛で青ざめていた。



レックス:「まあ、うまい歌とは言えないけどさ」



レックスは慣れた手つきで、再びグラスを酒で満たしていく。



レックス:「聴けば聴くほど、こう……独特の味があっていいじゃないか」



そのとき、フードを目深に被ったリーアが、凛とした足取りでレックスの背後を通りかかった。



レックス:「なあ、君もそう思うだろ?」



同意を求めるように、レックスは手にしたグラスを掲げてみせた。



リーア:「……そうね」



リーアはわずかにレックスへ顔を向けただけで、足を止めることなく出口へと向かっていった。



ピート:「……とんでもない子だ」



息も絶え絶えに呟くピートをよそに、レックスは目を細めた。



店中を揺らすミアラの歌声など気にも留めていないかのように、リーアは変わらぬ足取りで扉へ向かっていた。



レックスはしばらく、その後ろ姿を呆然と見送っていた。



だが――



レックス:「……えっ?」



レックスはハッと目を見開いた。



レックス:「あの子、金を払ってない!」



レックスは慌ててグラスをテーブルへ置くと、リーアを追って店を飛び出した。





ワードック:「こりゃ、たまらんわい……」



ワードックは片手で頭を押さえ、苦しそうに顔をしかめる。



クリス:「そうですね……あっ」



クリスも冷や汗を浮かべながら答えたが、店を出ていくリーアとレックスの姿を見逃さなかった。



クリス:「行きましょう」



ワードック:「うむ」



二人もすぐに椅子から立ち上がり、後を追うように出口へ向かった。



酒場を飛び出したレックスは通りへ出ると、すぐさま左右を見渡した。



レックス:「……いた」



少し先を歩いていくリーアの背中を見つけ、レックスは小走りで後を追う。



レックス:「君! 金を払ってないぞ!」



足早に遠ざかる背中へ向かって、大声で呼びかける。



その声を聞いたリーアは、フードの奥でニヤリと口元を歪めた。



そして振り返ることもなく、突然走り出す。



レックス:「おい、待てよ!」



レックスも慌てて地面を蹴り、その後を追った。



リーアの姿が、通りの角へ消える。



一足遅れてレックスも角を曲がったが――そこにリーアの姿はなかった。



レックス:「……追いつけないとはな。ずいぶんすばしっこい奴だ」



レックスは足を止めて辺りを見回したが、人影一つ見つけられない。



悔しそうに眉をひそめ、リーアが消えた路地の奥をしばらく睨んでいた。



クリス:「代金なら、さっき小人族の給仕さんに渡していましたよ」



背後から聞こえてきた声に、レックスが振り返る。



酒場のほうから、クリスとワードックがゆっくりと歩いてきていた。



クリス:「レックスさん」



レックス:「……殿下?」



思いがけない人物の姿に、レックスは驚いたように目を丸くする。



レックス:「また城を抜け出してきたんですか?」



腰に手を当て、呆れたようにクリスを見つめる。



クリス:「今日は一人じゃないですよ。連れもいますし」



クリスが隣へ目を向ける。



レックスとワードックは、互いに軽く会釈を交わした。



クリス:「彼女とは知り合いなんですか?」



レックス:「知り合いってほどでもないんだけど……」



レックスは視線を泳がせながら、後頭部を掻いた。



わずかに赤らんでいる頬も、どうやら酒のせいだけではなさそうだ。



レックス:「旅の途中で、ちょっと会っただけさ」



クリス:「本当ですかぁ?」



クリスが疑わしそうな目で、レックスの顔をじっと見つめる。



レックス:「本当だって。それより――」



その視線から逃れるように、レックスは腕を組み、リーアが消えた通りの先へ目を向けた。



レックス:「金を払ってたなら、なんで逃げたんだろう」



クリスはそんなレックスの顔を覗き込んだ。



クリス:「さあ……」



その口元に、にやりと笑みが浮かぶ。



クリス:「あなたをからかったんじゃないですか?」



レックス:「俺をからかったぁ?」



レックスは不満そうに顔をしかめた。



やがて小さく息を吐くと、再び通りの先を見つめる。



レックス:「なんで、そんなことするんだよ……」



納得がいかない様子で呟くレックスのそばへ、クリスがそっと顔を寄せた。



クリス:「あなたが声をかけなかったからですよ」



レックス:「えっ?」



驚いて振り返る。



だが、クリスは何も言わず、にこりと笑っているだけだった。



クリス:「それでは、僕らはこれで」



レックス:「この前みたいに、危険なことはしないでくださいよ」



釘を刺され、クリスは困ったように苦笑いを浮かべる。



クリス:「気をつけます」



クリスは軽く頭を下げると、ワードックとともに通りを歩いていった。



レックスは二人の後ろ姿を見送ってから、酒場へと戻っていった。

              ♢

通り沿いの建物。



その屋根の上から、リーアは酒場へ戻っていくレックスの後ろ姿を眺めていた。



レックスが店内へ入り、酒場の扉が閉まる。



それを見届けると、リーアは満足そうに微笑んだ。



リーア:「ふう……やはり、あいつは面白いな」



リーアは夜空を見上げ、穏やかな表情で呟く。



リーア:「……あいつとなら、美味い酒が飲めるかな」



その光景を思い浮かべるように、リーアは夜空を眺めていた。



しばらくすると、何者かの気配を感じ取り、わずかに肩を落とす。



しかし、すぐにその表情を険しくした。



リーア:「来たか」



リーアが視線を向けた先へ、五つの影が次々と舞い降りた。



いずれもリーアと同じようにフードを目深に被り、腰には二本の短剣を提げている。



五人の男たちはリーアの前に片膝をつき、揃って頭を下げた。



リーアは彼らの姿を、一人ずつ確かめるように見据えていく。



リーア:(こいつらが、ソフィの代わりか)



身のこなしを見るかぎり、よく鍛えられた精鋭であることは間違いない。



リーア:「相手はソフィに深手を負わせたクインだ。油断するなよ」



リーアが低い声で告げる。



影の男たち:「おう」



五人の声が短く重なった。



そのうちの一人が、リーアの前へ進み出る。



リーア:「どうした?」



影:「ヴィクター様から、言伝を預かっております」



リーア:「言伝?」



リーアは首を捻った。



影:「死にたくなかったら、まだアーポットとは戦うな、と」



リーア:「……そうか」



リーアはわずかに顔を伏せた。



フードの奥で、その口元にかすかな笑みが浮かぶ





リーア:「行くよ」



影の男たち:「おう」



リーアは屋根を蹴り、通りへ飛び降りた。



外套をひるがえしながら、何事もなかったように音もなく着地する。



五人の男たちも次々と屋根から飛び降りると、リーアの後に続いて通りを歩き始めた。



その一行を、建物の物陰からクリスとワードックが見つめていた。



ワードック:「つけるのか?」



ワードックが声を潜めて尋ねる。



クリス:「そのために来たんです」



クリスはリーアたちの背中を見据えたまま答えた。



一行が通りの奥へ進むのを待ってから、クリスとワードックも物陰を離れ、その後を追っていく。



運命の夜は、まだ始まったばかりだった。




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