第86話 領主 ラムゼン ピント
「ようこそおいでくださいました。私がリコン領主のラムゼン・ピントです」
その建物は、確かにそこそこ立派だったが、領主(貴族)の屋敷と呼ぶには、いささか見劣りした。
フラーノの街のそばに住んでいた魔導書研究家、ビーデ・シヨの屋敷の方が立派だったぐらいだ。
さらに言うと、玄関まで出迎えに出てきたのは、見るからに人畜無害以外に何の取り柄もなさそうな男で、威厳も貫禄も欠片も感じさせない。
「さあさあ、外は寒かったでしょう。中に入ってください」
「えっと、今、領主とか言わなかった?」
「ああ、俺にもそう聞こえた」
どう反応するべきか戸惑っている阿左美と真一を押しのけるように、ヴァレリアンが進み出ると、その場で片膝をついた。
「領主様、お初にお目にかかります。私は王国騎士のヴァレリアン・ホルセットと申します」
さすがは騎士である。
「これはご丁寧に。冒険者の皆さんと聞いていたのですが、騎士様もいらっしゃったとは」
「は、はい。今は見聞を広めるために、この者たちと行動を共にいたしております」
「素晴らしい。さあ、どうぞ奥へ」
その後、ラムゼンに案内され、真一たちは屋敷の中へ入り、食堂へと移動した。
豪華ではあるが古く、よく手入れされたテーブルや椅子が並んでいる。そして暖炉のおかげで、室内は温かかった。
「今、ミュームが皆さんの食事を準備していますから、ここで少し待っていてください」
「この屋敷には、彼女以外に人はいないのですか?」
「いません。人を雇う余裕がないので」
「あなたは領主様なのですよね?」
「はい、一応」
どうやら、このお人好しは筋金入りだな、と真一は呆れながらも感心した。
領民から税を集めれば、贅沢し放題なはずだ。
もちろん限界はある。あまり高い税を取ると、領民が逃げ出したり、最悪の場合は怒り狂って反乱を起こしたりするからだ。
よく言われる、生かさず殺さず、という奴だろう。
「ところで、皆さんはどうしてこの街へ? 領主の私が言うのもなんですが、今の時期は雪が多くて寒いだけですよ」
「実は、パーティーメンバーの一人が、この隣にあるエルフの森の出身なのですが。久しぶりに里帰りがしたいと言うので」
「エルフ?」
ラムゼンはそう言って、真一たちを一通り見回した。
「ちなみに、彼です」
そう言って指をさすと、エリチンがフードを取った。
「ええっ?! た、確かに、その顔立ちと耳はエルフですけど……驚きました。このように立派な体格のエルフとは、お会いしたことがありません」
そう言われ、エリチンがムンッとポージングをする。
「確かに、そうでしょうね」
「失礼ですが、お名前は?」
「エリチン・ボデーだ」
「ボデーさんのお子さんでしたか。確か、一人で遠く離れた森に住んでおられたと聞いていますが?」
「エリチンの家族をご存じなのですか?」
「もちろんです。ボデーさんは千年前の魔族侵攻時に勇者様と一緒に戦った英雄ですから。今ではエルフの戦士長をしておいでですよ」
「……本当に実在したんだ、エリチンのお父さんって」
「かなり失礼な言い方だが、まあ、気持ちは分かる」
「そうですか。あのボデーさんの御子息が……。あまり似ていませんね」
「俺は母親似だ」
エリチンがそう言った瞬間、一同の頭にムキムキのエルフ女性のイメージが浮かんだ。
「ところで、領主殿。噂で聞いたのですが、隣国がこの領地を狙っているとか?」
ヴァレリアンがそう質問した。
やはり、休業中とはいえ、騎士としては気になるのだろう。
本来であれば、王都から援軍が派遣され、今頃は国境に見張り用の砦を築いたり、この街の防御を固めるために城壁を補強したりしているはずなのに、街は平穏そのものだった。
「そうですね。去年の夏ぐらいから、書状がよく届いていました。エルフの森をトルタロス王国に譲渡しろと。それに合わせて、時々、少数の兵士たちが越境してきていましたね」
「そのことを王都には?」
「もちろん、報告しています。そして、おそらく雪解けを待ってトルタロス軍が攻めてくることも」
「それで、王都からは何と?」
「援軍を出す……かもしれない、と」
「やはり、陛下はリコン領をトルタロス王国へ売り渡すおつもりなのですね」
ヴァレリアンが複雑な表情になった。
彼女にとって国王は主君にして忠誠を捧げた相手なのだから無理もないだろう。
「実は、ここ数年、アルメシア王国、トルタロス王国ともに、国境付近で飢饉のために食料が不足しています。特にトルタロスの国境付近では餓死者も出ているとか。このままでは、食料を巡って両国が争うことになるかもしれません。しかし、ここリコン領は、エルフの森の水源のおかげで飢饉とは無縁です。陛下は、戦争をするぐらいなら、リコン領をトルタロス王国に明け渡す方を選ばれたのでしょう。条件までは分かりませんけど」
「領主殿は、どうされるおつもりなのですか?」
「もちろん、戦いませんよ」
「抵抗せずに領地をトルタロスに明け渡すと?」
「はい。噂では、国境の城に一万人近くの兵が集まっているとか。そのような大軍に攻め込まれたりしたら、手も足も出せません」
「で、でも、だからと言って……」
どんどん表情が暗くなり、声が小さくなっていくヴァレリアンに対して、ラムゼンは、ほのぼのとした平穏そのものの表情をしている。
「ねえ、先生の魔術で何とかならないの?」
阿左美が、小声で隣に座る真一にそう聞いた。
「相手が少数なら何とでもなるが、さすがに一万は無理だろ」
「メテオは? 小惑星を落下させれば、敵軍を一撃で全滅させられるよ」
「そんなの無理に決まっているだろう。そもそも、小惑星なんぞ地表に落下させたら、この街もエルフの森も吹き飛ぶぞ」
「他に何かないの?」
教え子にそう聞かれ、真一は少し考え込んだ。
「この世界にもウランやプルトニウムがあるとは思うのだが」
「それがあったら、敵の軍隊を追い払えるの?」
「ウラン二三五があれば、俺の魔術でその純度を高め、それを集めて圧縮して、周囲を火薬で囲んで起爆すれば……」
「先生、ストップ!! 駄目、それは色々な意味でアウト!!」
「だが、敵の軍勢が集結していれば、その拠点ごと一発で壊滅させられるぞ」
「それはそうだろうけど、それだけはやったら駄目な気がする」
「まあ、もちろん冗談だけどな」
「よく分かりませんが、私の領土のことを心配していただき、ありがとうございます」
ラムゼンはニコニコしたまま、そう礼を言ってきた。
「そうだ、今日は我が家に泊まっていってください。今から森に入っても、エルフの集落に着く前に日が暮れてしまいますから」
こうして、真一たちは領主の屋敷に泊まることになったのだった。
1月20日
真一たちがフラーノの街からエリチンの故郷へ出発した日、魔界の魔王城に一通の知らせが届いた。
魔王城内にある執務室で、人型になったシャドードラゴンが事務仕事をしている。
なぜ人の姿になっているのかというと、巨大なゴールドドラゴンの姿のままでは仕事がやりにくいからだ。
人間サイズの書類も読みにくいし、承認のサインもできない。
ドラゴンの姿のままでもくぐれるほど大きな、門のような扉がノックされた。
【入れ】
人間の姿でも、彼の声は相手の頭に直接響いた。
声帯を使って話すことに慣れていないため、この方が楽だからだ。
人力ならば十人がかりでなければピクリとも動きそうにない門がゆっくりと開き、人一人が通り抜けられる隙間が空くと、そこから褐色の肌の金髪メイドが入ってきた。
それは、魔王専属メイドであるイオン・モールだった。
魔王不在時の彼女の主な仕事は、魔王の居室の清掃だった。しかし、それだけでは暇なので、城にいる上級魔族たちにお茶を淹れたり、手紙などの届け物を配達したりしている。
「失礼いたします。死の谷の門から知らせが届きました」
【何だと?】
人界同様、魔界にとっても死の谷は国境に面した最前線だ。
千年前の魔族による人界侵攻時に少々脅しすぎたらしく、向こうからこちらへ攻め込んでくることはなくなったが、それでも決して油断はできない。
イオンが近づいてくると、巻いた状態で封をされた書状をシャドードラゴンに差し出した。
これはただの紙ではない。火をつけても燃えず、水に濡れてもインクが滲んだりはしない。そもそも、宛先の人間(魔族)以外には封を解けないよう、魔術がかけられている。
シャドードラゴンが息を吹きかけると、その封が溶けてなくなった。
【どうせ退屈だから、人界に悪戯をしたいとか言ってきたのであろう】
魔族側が悪戯のつもりでも、人界にとっては洒落にならないレベルになるため、一切の接触を禁じている。
書状の内容に目を通すと、人間的に超美形の若い金髪男であるシャドードラゴンが眉をしかめた。
それは、死の谷の北側にある魔界側の門、その近くの集落から届いた知らせだった。
【神鳥がいきなり飛来して、棺を置いて飛び去っただと?】
「神鳥……勇者が従属させているゴットバードのことですか?」
【うむ、あの金ぴかの悪趣味な異世界からの召喚獣だな】
マツケンサンバを歌っているときの松〇健のような格好をした、人型の黄金竜がそう言った。
【そして、そいつが置いていった棺の中には、インキュバスが閉じ込められていたそうだ】
「なぜ、インキュバスが?」
【これによると、人界の死の谷の門で兵士に化けて精気を吸っていたが、正体がばれて捕まったらしい】
「では、処刑されて、見せしめとして亡骸が送られてきたということでしょうか?」
【いや、そのインキュバスは生きていて、見逃してもらったと言っているらしい】
「まさか、野蛮な人間どもが、そのような……」
【……】
シャドードラゴンが少し考え込んでから、高い天井を見上げ、
【ゲインズ・ラモン】
と呼んだ。
すると、空中に半透明の、身長が四メートル近くある巨人が出現した。
『お呼びですか、シャドードラゴン様』
【魔王様が反呪文で人界に召喚し返された時、確か……】
『はい、人界側の門のそばに魔王様はいらっしゃいました』
何しろ、彼が忘れていった装備や財布を届けに行ったのは、ゲインズ・ラモンだから間違いない。
転生した魔王である眞壁真一は、魔王としての記憶を失っているため、魔力も(人間としては桁違いだが)それほど強くはない。
そのため、勇者が召喚される際に巻き添えという形でこの世界に召喚されても、魔界側の誰もそれに気づかなかった。
しかし、勇者が召喚されていることを知った魔界側が、転生した魔王を召喚する儀式を行ったところ、彼は魔王城に出現したのだ。
その後、阿左美たちがナーデヤネーの儀式を行ったため、彼は再び仲間たちのもとへ呼び戻されていった。
ゲインズ・ラモンは、彼が呼び戻されるその場に居合わせたため、真一の魔力を追跡することができたのだった。
もっとも、それにも限界があるため、位置が異世界であったり、この星の反対側だったりしたら、追跡はかなり難しかっただろう。
幸いなことに、人界と魔界の境界である死の谷のそばだったため、かなり細かい位置まで分かったのだった。
もちろん、そのことはシャドードラゴンたちに報告した。そのため、魔王を連れ戻すと言って、一時期、魔王城内は大騒ぎになっていた。
【今も、魔王様はそこにいらっしゃるのか?】
『それなのですが、移動しているようです』
【何だと?!】
シャドードラゴンと、その横にいたイオンが驚いた。
【なぜ、それを早く言わんのだ?】
『私にとっては、魔王様の位置さえ分かれば、距離は問題ではありませんので』
彼は瞬間移動とまではいかないが、魔力さえあれば高速で目的地へ移動できる能力を持っているのだ。
【むう、やはり私自らお迎えに伺うしかないか】
『やめてください。あなたはご自身の姿を鏡で見たことがないのですか?』
体長が五十メートル以上もある巨大な黄金竜が人界をうろうろすれば、どれほどの騒ぎになることか。
【では、この人の姿ならば問題はなかろう】
『すみません。その姿でも十分すぎるほど目立っています』
【ええい、黙れ!!】
『早く帰ってお子さんたちの面倒を見ないと、また奥さんに怒られますよ』
【ウッ?!】
もしかして、魔界のナンバー2は、実はシャドードラゴンの奥さんなのではないか。
ゲインズ・ラモンとイオン・モールは、そう思わずにはいられなかった。




