第77話 城塞内のサキュバス
【これまでのあらすじ】
魔王が近々復活すると言う予言にしたがい、異世界召喚された女子高生勇者、早瀬 麻美と、その巻き添えとなった担任教師の眞壁 真一。
しかし、実はその復活した魔王とは真一の事だった。
フラーノの街で吹雪によって身動きが取れなくなっていた真一達の元に、フラーノ城塞から依頼が届く。
フラーノ城塞における異変は、死の谷を吹き抜けてくる風が強くなり、気合を入れないと外を歩けなくなり始めた頃から起こり始めた。
最初の犠牲者は、見張りに立っていた兵士達だった。
吹雪が始まると、城壁の上に立って見張りなどできなくなる。
どれだけ厚着をしていても寒すぎて、30分もすれば低体温症になってしまうのだ。
そもそも、視界が利かないので、見張りをする意味もない。
そのため、吹雪の日は城壁に等間隔で併設されている塔の中から、見張りをするようになっていた。
朝になり、交代の兵士が塔内の見張り室に上がっていくと、夜半から見張りをしていた2人の兵士が、壁にもたれかかるようにして倒れていた。
「おいおい、お前達、いくらなんでも堂々と寝すぎだぞ」
この時期は、肉眼では谷の状況が何も見えないため、どうしても気が抜けてしまう。
特に夜中の見張りは、上司である騎士達も巡回に来ないため、寒さを紛らわせるためにこっそりと酒を飲み、そのまま居眠りをしてしまう者がよくいた。
この時、交代に来た兵士も、これまでの自分の経験からそう考えたのだ。
「そろそろ朝の見回りが来るぞ」
城塞には、アルメシア王国の騎士が数年交代で赴任してくる。
それは騎士にとっての義務であり、ここでの勤務を終えて初めて一人前と認められると言われていた。
そして、騎士達は当番制で、一日に何度か城塞内を見回りしているのだ。
彼らが来た時に居眠りなどしていたら、厳しい罰を与えられる。
場合によっては、その兵士が所属している隊の全員が、連帯責任として罰せられるかもしれない。
その罰は、この城塞で勤務している兵士達にとって唯一の楽しみである、街の酒場への出入り禁止かもしれなかった。
しかし、この時倒れていた2人の兵士は、飲酒も居眠りもしていなかった。
たった一晩で、やつれ果て、何日も森の中をさまよった遭難者のように疲弊していたのだ。
そもそも、居眠りどころか昏睡状態に陥っており、どれだけ体を揺すっても目を覚まさない。
「ま、まさか、疫病?!」
それは、城塞のような閉鎖空間に多くの人間が詰めている場所では、敵襲や火災に匹敵する緊急事態だ。
集団生活をしているため、あっという間に感染が拡大する可能性が高い。
そして、そんな時に魔族が攻めてきたりしたら、まともに戦えないだろう。
しかし、幸いなことに、その時倒れていた2人の兵士は、極度に疲労しているだけだった。
体力が回復するまで見張りなどの勤務には就けないが、命に別状はない。
「質の悪い風邪でもひいたか?」
最初は皆がそう思っていた。
しかし、それから毎日のように、1人、次の日には2人といった具合に、同じように疲労して倒れる者が続出した。
ここに至って、これは病気などではなく、魔族が城塞内に侵入しているのではないか、と疑い始めたわけだ。
「それなら、戦の神殿の神官に調べてもらえば良いのではありませんか?」
話を聞いたミント・アンジーがそう言った。
戦の神殿とは、ここフラーノの街にある神殿で、城塞のすぐ隣に建っている。
いざという時には、すぐに城塞の兵士達を援護できるように、地下通路でつながっているほどだ。
神官は、所属する神殿によって得意分野が分かれている。
しかし、どこの神殿であろうと、神の奇跡と呼ばれる治癒魔術と、アンデッドなどを浄化する浄化魔術、そして魔法陣などを用いた魔族探知については、使える人間がいるはずだった。
特に魔界に近いこの城塞では、魔族探知ができる神官が必ず詰めているはずだ。
「それなら、もう頼んだ」
「だったら……」
「全員、精気を抜かれて今はベッドで休んでいる」
「え~……」
「ちょっと待て。今、精気を抜かれているって言ったか?」
城兵が何気なく口にした言葉に、真一が食いついた。
「あ、ああ、その通りだ」
「つまり、城兵達も神官も、何者かに精気を抜き取られていたということだな?」
「うむ」
フラーノ城塞は、人界にとっての最前線基地である。
当然、あらゆるタイプの魔族を迎え撃てるように、あらゆる武器や装備、さらには薬品などが取り揃えられていた。
だというのに、魔族の侵入を許し、毎日犠牲者(死んではいないけど)を出しているのだ。
「城塞には魔術師もいるが、彼らによると霊体などの反応はないそうだ」
いくら魔族とはいえ、高さが50mもある城壁を誰にも見つからずに登り切り、城内に侵入するのは難しいだろう。となれば、ゲインズ・ラモンのような実体のない霊体系ということになる。
しかし、そうした目に見えない魔族への対処は、きちんとされているのだ。
「命を奪わないのは、なぜなのでしょうか?」
ミントがそう質問した。
「分からない。そろそろ、最初に襲われた兵士は回復して、任務にも戻っている」
どうやら、精気を吸われた者は、3日ほどで起き上がれるようになり、1週間で軍務に復帰できるようだ。
「…………」
シンイチが腕を組んで天井を見上げる。
「先生、どうしたの? 地縛霊でもいるの?」
「いたとしても、俺には見えない……ところで、人の精気を吸い取る魔族で有名なのは?」
「そりゃ、やっぱり淫魔でしょ」
そう答えたのはシラクサだった。
淫魔。これは、シンイチ達がいた世界のゲームでもよく出てくる有名なモンスターだった。
美しい女性の姿をして男にエロい夢を見せるサキュバスと、イケメンの姿をして女性にエロい夢を見せるインキュバスがそれだ。
一度取り憑いた相手から毎晩精気を吸い取り続け、最後には命そのものを奪うというのがお約束だが、時々、取り憑いた相手に恋をしてしまい、悲恋になるというオチもある。
「ゲームの世界だと、幽霊みたいに実体がなかったり、逆に生身の体を使って直接誘惑してきたり、いろいろなバージョンがあるよね」
ちなみに、サキュバスとインキュバスで性別が分かれておらず、獲物に合わせて使い分けるというバージョンもある。
「で、今回は男達がターゲットにされているから、サキュバスか?」
「我々もそう思って、城塞で働いている女達を全員調べたのだが」
どうやら、この世界の淫魔には実体があり、標的に近づくことでエロい夢を見せるようだ。
兵士や戦の神殿の神官が精気を吸い取られてから、これは淫魔の仕業ではないかと気づき、城塞内で働いている女性の調理人や使用人達を1人ずつ調べていったのだが、全員普通の人間だった。
ちなみに、どうやって調べたかというと、魔族に反応する魔法陣の中に立たせただけだった。
「サキュバスには変身能力があるんだろ? 男の姿に化けている可能性はないのか?」
「それはない」
この世界のサキュバスは、ロリから熟女まで、相手の好みに合わせて理想の姿に化けることができるが、性別を変えて男になることはできないらしい。
それはインキュバスも同じで、ショタからダンディーまで化けることができるが、女にはなれない。
「でも、男装しているかもしれないよね」
「早瀬にしては良いところに気づいたな」
確かに、サキュバスは男には化けられないが、筋肉質の女性になり、さらに男の格好をしていれば、男の兵士に紛れ込むことも十分に可能だろう。
阿左美の意見を聞いて、兵士はそれが盲点だったと言わんばかりに考え込んだ。
「とりあえず、砦にいる男達も全員、その魔法陣で調べてみるんだな」
どいつがサキュバスなのか突き止めることができれば、捕まえることも退治することも簡単だろう。
なんせ、対魔族用の城塞なのだから。
「サキュバスって、戦闘能力は高いのか?」
「魔族だから、魔術は使うだろうし、身体能力も高いのは間違いない。だから、神官の助けが必要なんだ」
兵士がミントの方を見つつ、そう言った。
神官は戦闘のエキスパートではないが、魔族を弱らせたり、その魔術攻撃を防いだりするのは得意だ。
「あと、男の神官はサキュバス相手に役に立たないことが分かったからな」
「戦の神殿の神官は特に駄目っぽいよね」
暑苦しい脳筋ばかりのため、エロい夢など見せられたら、さぞかしチョロかったことだろう。
「あ、あの兵隊さん、彼らに淫魔退治の依頼をしたいのでしたら、受付をしてもらえますか?」
ギルドの職員が紙とペンをテーブルの上に置きながら、そう言った。
そう、冒険者達は必ずギルドを通して依頼を受けなければならないのだ。
例外としては、旅先などで緊急事態に対処するため、直接依頼を受けた時だけで、そういう時も速やかに最寄りの冒険者ギルドに報告しなければならないことになっている。
「ああ、すまない」
兵士はもちろんそのことを知っていたので、素直に指示に従った。
依頼用紙には、依頼者の氏名(組織名)、役職、住所、依頼の概要、求める冒険者の能力、そして報酬などの項目が印刷されていた。
サラサラとそれらを記入していた兵士の手が、ある欄でピタリと止まる。
そして、ふと用紙から顔を上げると、真一達が彼の手元を興味深げに覗き込んでいた。
「な、なんだ?」
「いや、気にせずに」
彼のペン先が止まったのは、報酬の欄だった。
「そ、そうか」
そう言って、金貨と書き、さらに1枚……。
「はぁ~」
それを見て、真一がわざとらしく大きくため息をついた。
「さてと、今日はどうやって暇をつぶそうか?」
「そうねぇ~、外には出られないから、カードでもする?」
「私は、魔術の練習がしたい」
「だから、それはやめておけ」
などと言い出した。
「ま、待て、待て、間違った」
それを聞いて兵士が慌てて、1枚の部分に二重線を引き、2枚に直す。
「……ミントさん、淫魔って、魔族のランクとしてはどの程度なんだ?」
「決して高くはありません。しかし、人界に紛れ込みやすいので」
「なるほど。退治はしにくいんだよな」
「はい。紛れ込みやすいということは、見つけるのが困難だということですから」
「そして、今のこの街は、ある意味、密室状態だ」
そこまで言って、依頼書の報酬欄を見て、再びため息をつく。
「ないよなぁ~」
「分かった、分かったよ」
半ば自棄気味にそう言うと、兵士が報酬欄の金貨を3枚と訂正した。
「あんた、報酬をちょろまかそうとしただろ?」
半眼状態の真一にそう言われ、兵士が気まずそうに視線を逸らす。
金貨1枚=約10万円なので、今回の報酬は約30万円ということになるが、当然、この額は退治する魔族(魔獣)の強さや数によって増減する。
通常、魔族や魔獣の退治は山奥や洞窟(迷宮)で行われることが多いため、まずは発見するだけで一苦労だが、淫魔の場合は逆に、人口の多い街が舞台になるケースが多い。
間違って普通の人間を捕まえたり、傷つけたりしないように気をつけなければならないし、見つけるのに時間をかければ、被害はどんどん拡大していく。
さらに言うと、相手に気づかれると、退治する前に逃げられる可能性も高かった。
とりあえず、淫魔には変身能力があるが、剣などの物理攻撃が通用するため、見つけることさえできれば退治は可能だ。
今回は、城塞の中にいることが分かっているし、民間人と違って兵士達の協力を得ることも可能なため、街中に潜む淫魔を狩るよりは簡単だろう。
そう考えれば、報酬が金貨3枚というのは、相場より少し高いと言えた。
もっとも、淫魔にもレベルがあり、低い者は寝ている相手にしかエロい夢を見せられず、一度に吸い取れる精気の量も少ない。しかし、レベルが高くなると、起きている人間、それも複数を同時に昏倒させ、強引に精気を吸い取ることが可能になる。
兵士が依頼書を受付に提出している間に、真一はパーティーメンバーを全員集め、出発の準備をさせた。
「今回はサキュバス退治だから、どちらかと言うと危ないのは俺とエリチンだな」
そう言って、極寒の地にいながら、外套の下は革のブーメランパンツ1枚だけというマッチョエルフの方を見る。
「…………」
「いや、危ないのは俺だけか」
「まあ、エルフは人間より性欲が弱いから、淫魔の夢も効果は薄いと聞くからね」
確かに、人間よりはるかに寿命が長いエルフは、魅力的な異性を見てもガツガツしたりしない。
いくら人間に比べて妊娠しにくいとはいえ、人間並みの性欲があると、大陸はエルフだらけになってしまうだろう。
そして、性欲が薄ければ、エロい夢を見せられてもあまり興奮しないため、精気を集めにくいのだった。
しかし、エリチンの場合は、そもそも自らの肉体(筋肉)の美しさ以外に興味がないように感じる。
「エリチンが、若い女の子を見て、『良い女だ、たまんねぇ~』などと言っている姿は想像できないな」
シンイチが小声でそう言うと、隣に立っていた阿左美が、
「『良い筋肉だ、切れてるよ、仕上がっているな』って言う姿は簡単に想像できるけどね」
と答えた。
ちなみに、この世界でも、よく鍛えられた筋肉をした人に対しては独特な賞賛の声がかけられ、その最上級は、
「裸なのに甲冑装備」とか「ドラゴンの牙も通らない筋肉」や「腹筋が城壁」
というものだった。
もっとも、シンイチ達は実際に、そのような掛け声を聞いたことも、かけたこともなかったが。
「まあ、エリチンが目をハート型にして、女の子を追いかけだしたら、誰も止められないよね」
そう言ったのはシラクサだった。
「ねえ、先生」
「何だ、早瀬?」
「もしエリチンが、私やミントちゃんのことを好きになって、付き合いたいとか思ったら、これって究極のロリコンになるの?」
「……確かに、年齢差が半端じゃないな」
尖った耳以外はとてもそうは見えないが、エリチンは千年以上生きているエルフだ。
対して、阿左美は16歳、シラクサは17歳、ミントは18歳で、ヴァレリアンは19歳。
種族が違うため、人間とエルフが恋人になったり結婚したりすることは基本的にないが、絶対とは言い切れない。
現実に、ハーフエルフがこの世界にいることが、その証明だ。
もっとも、人間側からエルフに好意を寄せる理由は分かる。
エルフは美男美女ぞろいで、人間の感覚からすると、その美しさは永遠に維持されるように感じられる。
問題は、エルフ側から見た人間だ。
長命なエルフは誇り高くはあるが、焦って物事を解決しようとはしない。
その証拠に、学校のような制度はなく、狩りの仕方も楽器の演奏も、長い年月をかけて、親を含めた大人達からのんびりと学んでいく。
人間が楽器の名演奏者になるためには、寝食を忘れて毎日8時間も10時間も猛練習をしなければならない。武術や魔術を極める者も同じだ。
要するに、努力と根性、厳しい修行や修練が欠かせない。
対してエルフは、毎日1時間程度の練習でも、それを百年単位で続けられるため、まったく無理をする必要がないのだった。
そのため、最初は人間とエルフの違いに驚き、興味本位から恋愛関係に発展しても、次第にその感覚の違いについていけず、別れてしまう。
そもそも、どれだけ人間が健康に留意しても、エルフの伴侶とは違って年老いていくし、先に寿命を迎える。
さらに、エルフは結婚しても、その関係を生涯続けることは滅多にない。
子供が生まれにくいうえに寿命が長いため、百年も一緒にいると飽きてしまい、自然消滅的に離婚するのだった。
そういう意味では、エリチンはかなり変わり者のエルフと言える。
なんせ、千年もの間ボディービルに打ち込み、人間では寿命的に到達不可能なレベルの肉体を手に入れたのだから。
もしかすると、彼の感性や感覚は、エルフよりも人間に近いのかもしれない。
「なんにせよ、どれだけエリチンに美人エルフの夢を見せても、『フン、その程度の筋肉では俺の心は動かんぞ』とか言って、一緒に筋トレを始めそうだ」
「さすがにそれは、サキュバスに同情するね」
きっと精気を吸い取るどころか、精神的に疲れ果て、プライドもズタズタにされてしまうだろう。
「では、この依頼は皆さんが受けるということでよろしいのですね?」
ギルドの受付が、できたばかりの依頼書を見せながらそう言った。
その内容を確認してから、真一が頷いた。
「分かりました」
そう言うと、受付がダンッ!! バンッ!! と大きなスタンプを依頼書に押す。
一つはフラーノの街の冒険者ギルドのもので、もう一つは依頼を承認したという印だ。
「それでは、さっそく砦に来てもらおうか」
隙間から雪が入らないように外套を着込み、首にマフラーを巻き、頭に耳当て付きの毛皮の帽子をかぶった兵士がそう言った。




