第75話 狙われたエルフの森とリコン領
【これまでのあらすじ】
魔王が近々復活すると言う予言にしたがい、異世界召喚された女子高生勇者、早瀬 麻美と、その巻き添えとなった担任教師の眞壁 真一。
しかし、実はその復活した魔王とは真一の事だった。
魔界に召喚されそのことを知った真一だったが、魔王としての記憶がないため途方に暮れる。
その後、彼は阿左美たちが行った帰還呪文によって、再び仲間たちの元に無事に戻ることが出来たのだった。
12月15日
12月も半ばになると、冬真っただ中の人界北部では、気温がどんどん下がっていく。
特に標高6千メートル級の山々が連なる城壁山脈。人間側から見ると、魔界からの侵攻を防ぐ天然の防壁であるこの山脈は、北からの激しい寒気にさらされていた。
高い尾根の連なりを雪雲が越えることができないため、城壁山脈の麓はそれなりに雪深いが、そこから少し離れると、気温の割には積雪量が減るのだ。
それでも辺り一面は雪に覆われ、街道を行き交う人の数もほとんどいなくなる。
北国特有の働き者として知られるこの地方の人々は、そうなる前に越冬のための蓄えを済ませている。そのため、春に備えて仕事道具の手入れをしたり、雪かきをしたりしながら、のんびりと暮らしていた。
アルメシア王国とトルタロス王国との国境にあるリコン領も、同様に雪に閉ざされていた。
広大な森林の北側に隣接して築かれた、城壁に囲まれた小さな町。そこは領地と同じ名前のリコンと名付けられていた。
人口は約3千人で、領地全体では7千人ほどだ。
主な産業は農業と牧畜で、国境に接してはいたが、軍隊の規模はかなり小さい。
というのも、魔界が近いため、これまで人間同士の争いに巻き込まれなかったからだ。
このような場所で戦などしたら、それを好機と捉えた魔族が、再び侵攻してくるかもしれない。つまり、魔族の脅威が人間同士の戦いに対する抑止力となっていたのだった。
このリコン領には、人界でも珍しい特徴があった。
城壁で囲まれた町の南側に広がる森林にはエルフが住んでいるのだが、他種族との接触を極端に嫌う森エルフ(ほかにも、人間と同様に平野部に国や町を築いて暮らすエルフもいる)にしては珍しく、人間とエルフは良好な関係を築いていた。
それは千年前の魔族による人界侵攻時に、種族を越えて共闘し、侵攻を食い止めたことがきっかけだった。現在も適度な距離を保ちつつ、親密と表現してよい関係を維持しているのだった。
森の管理者でもあるエルフが暮らす森林は豊かで、魔物などが住み着くこともない。近隣で暮らす人間にとっても、その恩恵は大きかった。
特に、エルフが住む森を水源とする泉や川は、ひどい日照りが続いても決して枯れることがなく、ほかの地方で干ばつによる飢饉が発生しても、リコン領だけはそれとは無縁だった。
もっとも、それゆえにトラブルに巻き込まれることもあるのだが。
冬の夜明けは遅い。
東の空が白み始めていたが、太陽が姿を現すのはまだしばらく先と思われる時刻だというのに、ミューム・ミフィーはパチッと目を覚ました。
そこそこ広いものの、質素な家具しか置かれていない室内の空気は、ほとんど屋外と変わらない。吐く息も白かった。
茶色と金色の中間のような色の髪をした彼女は、ベッドの中で上半身を起こした。
可愛らしさから美しさへと移り変わる途上にある整った顔には、眠気の色が感じられない。
一瞬だけ細身の身体をブルッと震わせた彼女は、ためらうことなく毛布と掛け布団をめくり、ベッドから降りた。
肩の線で切りそろえられた髪の寝癖を手で直しながらクローゼットへと向かい、北国ならではの、裏地に毛皮を使った寝間着を脱ぐ。短時間だけ下着姿になると、手早く仕事着に着替えた。
外見年齢は20歳前後だったが、そのときにチラリと見えた身体つきは、少し幼く見えた。
要するに、身体の凹凸が控えめで、手足が細いのだ。
濃い青色のシャツに、エプロンとスカートが一体化したようなメイド服風の仕事着を身に着けると、彼女は先ほど抜け出したベッドへと戻り、手早く布団を整えた。そして、枕元に立てかけてあった剣を手に取り、左腰にベルトで吊るした。
その剣は、両手で扱うグレートソードと呼ばれる大剣で、凝った装飾が施されていた。彼女の細い腕で振り回すにはかなり厳しそうな印象を受けるが、本人はまるで重さを感じさせない動作で動き回っている。
彼女の部屋は2階にあったため、ドアを開けて廊下に出ると、階段を使って1階へと降りていった。
どうやら、ここはそれなりに広くて立派な屋敷のようだ。
廊下には、魔力を注ぐと発光する魔石を利用したランプなどが壁に取り付けられていた。
1階には台所があり、ミュームはまず竈に薪を入れた。そして、指先をパチンと鳴らす。
どうやら発火の魔術を使ったらしく、すぐに火がついた。
火が次々と薪に燃え移っていく間に、納戸から外へと出る。
当然、そこは雪に覆われており、空気が痛いほど冷たかったが、彼女は雪を踏み固めながら井戸へと進んでいった。
そして、井戸の中に下ろされている桶に結ばれたロープを、滑車を使って手繰り寄せ、引き上げる。
その桶の中には当然、井戸水が入っているのだが、さらに野菜などの食材も沈められていた。
今の季節は野菜も肉も、普通に置いておけば一晩で自然に凍ってしまう。そのため、凍らせたくない食材は、逆に水につけておくのだった。
井戸水のほうが外気よりも温かく、凍らないためだ。
ミュームは桶から食材を取り出すと、台所へと戻り、朝食を作り始めた。
ラムゼン・ピントは、ここリコン領の領主であった。
年齢は19歳。今の立場に就くには少し若すぎたが、両親が相次いで病気で亡くなり、兄弟もいなかったため、否応なく2年前にこの地位を継いでいた。
彼の部屋には暖炉があったが、夜中に火が消えてしまったため、室温は外よりマシという程度にまで冷え込んでいた。
立派ではあるが、かなり古いベッドの中で、彼は丸くなって眠っている。
領主の寝室は、この時代、この世界では高級品であるガラス窓を備えていた。そのため、カーテン越しに外が明るくなってきたことが分かった。
そのとき、ドアが控えめにノックされた。
「おはようございます、ラムゼン様」
部屋の外から、若い女性の声が聞こえた。
事前に、3回ノックをして返事がなければ勝手に入室してもよいと言われていたため、彼女はその指示に従った。
3回ノックし、さらに声をかけてから、遠慮がちにドアを開ける。
それは早朝から起きて朝食を作っていたミュームだった。
「失礼いたします」
彼女はそう言うと、まず窓へと近づき、カーテンを開けた。
弱々しいながらも明るい光が、室内を照らす。
「うう~ん、ファ~ァ」
それまでベッドの中で丸くなっていたラムゼンが目を覚まし、大きな欠伸をした。
「おはようございます、ラムゼン様」
「おはよぉ~、ミューム」
そう言う領主様は、はっきり言って平凡そのものの外見だった。
威厳のかけらもなく、ここが貧しい農民の家であっても、まったく違和感がない。
「朝食の準備ができました。こちらでお召し上がりになりますか?」
そんな彼に、ミュームは優しく微笑みながら尋ねた。
「ううん、下で食べるよ」
「かしこまりました」
彼女はそう返事をすると、ドアへと移動し、一礼してから退室していった。
廊下を歩いていると、背後からヘクチッという領主のくしゃみが聞こえた。
ラムゼン・ピントは普段着に着替えると、1階の食堂へと降りていった。
街の住民と大差ない服装で、ミュームのように剣を持ち歩いてもいない。
「わぁ~、温かい」
食堂の暖炉には火が入れられており、室内はほどよく暖められていた。
テーブルの上にはサラダやパン、さらに目玉焼きとベーコンが盛られた皿が並べられていた。さらに、彼が食卓に着くタイミングで、温かいスープが運ばれてくる。
それらはすべて二人分で、配膳を終えると、ミュームも彼の正面の椅子に座った。
「いつもありがとう、ミューム。とても美味しそうだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
そして、二人そろって食事を始めた。
ここまで見ていて分かるとおり、この領主の館には二人しかいないようだった。
もちろん、二人の関係は夫婦でも姉弟でもない。主と従者である。
「今日の予定は、なんだっけ?」
食後のお茶に口をつけながら、ラムゼンが尋ねた。
「はい。日課の見回りの後は、パン屋のダンドンさんの家に出産祝いを届けに行きます」
「ああ、そうだったね。ダンドンさんのところは、これで5人目だっけ。全員女の子だから大変だ」
ニコニコと笑いながら彼がそう言うと、ミュームも微笑みながら答えた。
「はい。ただ、一番上のチャームがもう10歳になりますから、妹たちの面倒をよく見ているようです」
「そうだね。チャームはしっかりしているから、お店を継いでも、お嫁に行っても安心だ」
ほのぼのとした、領主というより小さな村の村長のような会話である。
食後のお茶を飲み終えると、二人は外套を着込み、ダンドン家への出産祝いを持って屋敷を出た。
リコン領領主の館は2階建てで、城壁に囲まれたリコンの町の一番奥にある。
その背後にはエルフの住む森があり、そこへ通じる門が設けられていた。
門から一本道を徒歩で3時間ほど進むと、エルフの集落にたどり着く。
もっとも、今のように雪が積もっている状態では、倍以上の時間がかかるが。
二人が暮らしている屋敷は、それほど大きくも立派でもなかった。
大きな町の裕福な商人のほうが、よほど立派な家に住んでいる。
もっとも、二人で暮らすには十分すぎる広さがあったが。
リコンの町は、千年前の魔族侵攻時に住民を守るため、周囲に城壁を築いた。
それが今でも残っており、高さ3メートル、幅2メートルの石を積み上げた城壁が町を取り囲んでいる。
実際に魔界の軍勢が押し寄せてきたとき、この町には人間とエルフが立てこもり、激しい籠城戦を繰り広げた。
幸いなことに、この町に攻め寄せてきた魔族軍は主力ではなかったため、撃退することができた。いや、辛うじて耐え忍ぶことができたというべきだろう。
住民もエルフも、半数以上が犠牲になったと言われている。
町の中心部を走る通りを進んでいくと、円形の広場があり、そこでは市が開かれていた。
食材や生活用品などが露店で売られている。
その中には、人間に混じってエルフの姿もあった。
狩りが得意なエルフは、森で捕らえた獣の肉や毛皮、さらにエルフの工芸品などを売り、人間から穀物やパンなどを買っている。
「あっ、領主様、おはようございます」
「ラムゼン様、ミュームさん、おはようございます」
人間もエルフも、二人に気づくと笑顔で挨拶をしてきた。
「おはよう、皆。今日は晴れてよかったね」
空は曇っていたが、この時期は青空など滅多に見られない。
とりあえず雪が降っていなければ、天気がよいということになるのだった。
「ちょうどよかった。ミュームちゃん、これ持っていってよ」
もともと恰幅のよい体型をしているうえに、防寒着などでさらに着膨れしたおばさんが、そう言って腸詰の束を差し出してきた。
「ありがとうございます」
ミュームが笑顔で礼を言い、それを受け取ろうとしたが、すでにダンドン家への祝いの品で手がふさがっていた。
「僕が持つよ」
「そ、そんな、ラムゼン様」
「いいから、いいから」
そう言いつつ、半ば強引に祝いの品を持つラムゼン。
「申し訳ありません」
「何を言っているの。ラムゼン様は、こんなときくらいしか役に立たないんだから、気にしなくていいんだよ」
露店のおばさんがそう言うと、周囲の店主たちも笑いながら「そうだ、そうだ」と同意した。
「そうだよ、気にしないで」
いや、あんたは少しは気にしろよ、と言いたくなるが、当の本人もニコニコと笑っている。
この後も、あちらこちらの露店で乾燥野菜や干し肉などをもらいながら、広場を通り過ぎた。
「皆、ありがとう~」
ラムゼンがそう言い、ミュームが深々と頭を下げて広場を出ていくと、皆が笑顔で手を振った。
「リコンはほかよりも税が安いから、これくらいしないとね」
「本当に。前の領主様も女癖が悪いこと以外は良い人だったけど、ラムゼン様はそれ以上だよ」
「こっちが心配になるくらいお人好しだからね」
露店商や買い物に来ていた住民たちが、口々にそう言った。
「でも、春になれば……」
人間に混じって店を広げていたエルフが、ボソッとそう言った。
それを聞いて、周囲の者たちは表情を曇らせた。
実は、このリコン領、いや、正確にはエルフの住む森林が、隣国に狙われているのだった。
リコン領はアルメシア王国に属している。
そして、隣のトルタロス王国では、ここ数年、雨が少なく、作物の不作が続いていた。
そのため、豊かな水源を持つエルフの森林を手に入れたがっているのだ。
通常であれば、アルメシア王国は断固としてそれを阻止すべく、軍事行動も含めたあらゆる対策を講じるところだった。
ところが、こちらは経済政策の失敗によって、王国の予算が厳しい状況に陥っていた。
その結果、口では「王国の領土は、たとえドラゴンの爪の先ほどの広さであっても奪わせはしない」と豪語しているが、実際には軍勢どころか、兵士一人すら送られてこない。
それどころか、アルメシア王国は多額の金を受け取り、非公式ながらエルフの森林をトルタロス王国に売り払ったのではないかと噂されていた。
リコン領では、領内中から兵士を集めても100人ほどの兵力しかない。
戦力としてはほとんど役に立たない農民や商人たちから民兵を募っても、300人が限界だろう。
もしトルタロス王国が攻めてくれば、その軍勢は何千、何万という規模になるはずだ。
とても太刀打ちなどできないし、下手に抵抗すれば、領主や兵士はもちろん、住民まで被害を被る可能性があった。
「領主様は、人が良いこと以外は何の取り柄もないからねぇ」
皆がそう言って、ため息をついた。
日課の見回りを続けていると、町の入口にある門のほうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「何だろう?」
そう言いつつ近づいていくと、見張りの兵士と、いかにもならず者といった感じの男たちが睨み合っていた。
見張りの兵士は4人で、皆、鎧と兜を身につけ、手には槍を持っている。
対するならず者風の男たちは3人で、身につけている防具も、手に持っている武器もバラバラだった。
「だから、ここの領主に会わせろって言ってるんだよ!!」
額に十字の刀傷がある男が、ドスの利いた声で怒鳴った。
「ですから、何度も説明しているとおり、リコンでは傭兵を募集していないんですって」
完全に迫力負けしている兵士が、怯えた表情で答えた。
「ああ~ん? 雪が解けたら隣国が攻めてくるんだろうが。ろくな軍勢もないお前たちが、一体どうやって戦うっていうんだよ?!」
次にそう言ったのは、左頬に縦の刀傷がある男だった。
「そうだ。歴戦の俺たちが手を貸してやろうって、わざわざ来てやったんだろうが!!」
さらに、右頬に火傷の痕がある男が、まくしたてるように怒鳴った。
見張りの兵士たちは、ならず者たち(本人たちによれば傭兵)に詰め寄られてタジタジになりながら、「どうしよう?」とお互いに顔を見合わせた。
「どうしたの、皆?」
そこへ、ラムゼンとミュームが近づいていった。
「ラ、ラムゼン様!!」
見張りの兵士たちにしてみれば、最悪のタイミングだった。
「ラムゼン? それって、確かここの領主の……」
3人のならず者たちが、一斉に彼のほうへ顔を向けた。
そして、その表情がとても分かりやすく落胆した。
「おいおい、マジかよ」
「ガキじゃねえか」
「本当に領主なのか? その子供じゃなくて?」
それを聞いてミュームはムッとした表情になったが、当の本人は「あははは」と笑っている。
「すみません。僕がリコン領領主のラムゼン・ピントです」
見た目も態度も台詞も、とても領主らしくない。
「まあいい。領主さんよ、俺たちを雇ってくれよ。衣食住付きで、日当は銀貨20枚。戦で手柄を立てれば褒賞も出すってことでよ」
「言っておくけど、格安だぜ。こんな田舎じゃなかったら、もう少しもらうところだ」
「あと、食事には酒をつけてくれよ」
十字傷、縦傷、火傷の順番で男たちがそう言った。
人界では、国同士が戦うような大きな戦は滅多に起こらない。
しかし、小規模な小競り合いは、毎年、大陸のどこかで発生していた。
そうした戦場を渡り歩くのが、彼ら傭兵なのだった。
領主や貴族たちも、滅多に起きない戦のために常時軍勢を揃えておくよりも、必要なときだけ傭兵を雇い、用がなくなれば簡単に解散させることができるため、彼らをよく活用していた。
ちなみに、冒険者とは違い、傭兵はギルドに登録されているわけではない。
そのため、普段は盗賊や山賊をやり、戦が発生すれば傭兵になるという者たちもかなりいた。
また、傭兵の中には戦の旗色が悪くなると、すぐに逃げ出す者たちもいるため、正直なところ、あまり信用できない存在でもあった。
3人のならず者たちがラムゼンに近づこうとしたため、慌てて兵士たちが引き留めようとする。
「邪魔だ、どけ!!」
「どくわけないだろ!!」
「おい、領主さんよ。戦うんだろ?! だったら、味方は一人でも多いほうがいいんじゃないか?」
「こんな弱そうな兵士しかいないんじゃ、瞬殺されるぞ!!」
男たちは口々に言いながら、門の周辺で揉め始めた。
すると、ラムゼンが少し困ったような表情を浮かべた。
「あの~、戦いませんよ」
「へっ?」「えっ?」「何だって?」
3人は驚き、間の抜けた声を上げた。
「今、何て言ったんだ?」
「もし軍勢が攻めてきたら、戦いません」
「じゃあ、降伏するのか?」
「はい」
「お前、本当に領主か?」
「領主だから、そう決めたんです。誰にも傷ついてほしくありません。それは兵隊の皆さんも同じです」
「戦わなかったら、お前は殺され、領民は略奪されるんだぞ?」
「僕が殺されるのは仕方がありませんけど、領民への略奪は何とかお願いして、止めてもらいます」
しばしの沈黙。
そして今度は、3人のならず者たちが腹を抱えて笑い出した。
「ダァ~ッハッハッハッ、とんだ腰抜け野郎だ!!」
「信じられねぇ~っ。情けない領主もいたもんだぜ!!」
「お前たちも苦労するなぁ。こんな玉なしが領主じゃ!!」
それを聞いて兵士たちはムッとした表情になり、槍を握る手に力がこもった。
しかし、彼ら以上に頭にきている人物がいた。もちろん、それはラムゼンではない。
「無礼者!!」
空気が振動するような甲高い怒鳴り声に、ならず者たちも兵士たちも、さらにはラムゼンも、思わずビクッとなった。
そして、声の主のほうに顔を向ける。
それはミュームだった。彼女は手に持っていた荷物をそっと降ろすと、ゆっくりとならず者たちに向かって歩き出した。
「おいおい、姉ちゃんのほうが領主よりよっぽど骨があるじゃねえか」
「もう少し胸が大きいほうが俺の好みだが、嫌いじゃないぜ」
「でも、俺たちに歯向かえば、それなりに痛い目に……いや、気持ちいい目に遭うけどな」
このとき、彼女とならず者たちの間は20メートルほど離れていた。
しかし、その直後、一瞬で距離が縮まり、ならず者のリーダー格と思われる、額に十字傷のある男の鼻先に剣先が突きつけられた。
「なっ?!」
どうやって20メートルもの距離を一瞬で詰めたのか。さらに言えば、いつ剣を抜いたのか。まったく見えなかった。
おまけに、その剣は女の細腕で扱うには大きすぎる両手剣だ。
このタイプの剣は、普通、突くよりも振りかぶって相手の頭上に振り下ろすように使う。
3人のならず者たちは、武器を抜くどころか、身構えることすらできていなかった。
「お、お前、何者だ?!」
「私はラムゼン様の屋敷の召使です」
「こ、こんな召使がいるか?!」
「ラムゼン様への無礼は許しません。その命をもって償ってもらいます」
それは、とても脅しには見えなかった。
3人が少しでも動けば、その瞬間に首を切り落とされていただろう。
「だ、だめだよ、ミューム。そんな危ないことをしたら」
瞬間移動でもしたかのような召使とは対照的に、ラムゼンはバタバタと駆け寄りながらそう言った。
「しかし、ラムゼン様」
「いいから。僕は怒っていないから」
「いや、お前は少しは怒れよ」
そう言った瞬間、十字傷の男の鼻先を剣先がチクッと突いた。
「あ痛ぁ!!」
「駄目だったら、ミューム!!」
主がそばまで近づいてくると、ミュームはフゥと小さく息を吐き、剣先を下げた。
ちなみに、今、鼻先を突かれた額に十字傷のある男は、先ほど彼女の胸のサイズが好みではないと言っていた人物である。
「ごめんなさい。ミュームは普段は大人しいんだけど、時々怖くなるんだよ」
それは、あなたが馬鹿にされたときだけです、と兵士たちは心の中で突っ込んだ。
3人のならず者たちは、金縛りが解けたように、その場から逃げ出した。
「あ、あの、ごめんなさい。お詫びに、ご飯でも一緒にどうですか?」
「冗談じゃねぇ!!」
振り返らずに走り去る3人。
「申し訳ありませんでした、ラムゼン様」
剣を鞘に収め、その場で片膝をつくと、ミュームは深々と頭を下げた。
「別に謝らなくてもいいよ。ミュームは僕のために怒ってくれたんだから」
「もったいないお言葉です」
「皆もご苦労様。引き続きよろしくね」
次に、門を守る兵士たちにもそう声をかけた。
「い、いえ!」
「さあ、ミューム。ダンドンさんのパン屋に行こうか」
「はい」
ミュームが立ち上がると、二人は道の上に置いていた荷物を手に取り、並んで歩き出した。




