表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

第2話 カリオンの誓約譚

 

 舞踏会は華やかさに満ちていた。

 シャンデリアの光が幾重にも反射し、絹と宝石の波が揺れる。

 表向きは社交の場――だが実際は、兄である第一王子の婚約者を選ぶための場である。

 王族の一人として列席する以上、笑顔を絶やさず応じるしかない。


「殿下は、どのようなご趣味を?」

「我が家には金鉱脈がございますのよ」


 含みのある言葉を投げてくる兄の派閥に連なる者たち、そして濃艶なドレスをまとい、香水をこれでもかと漂わせた女たち。

  袖にすり寄り、甘やかな声を投げかける。


 カリオンは表情を崩さぬまま応じつつ、心の底ではひたすらにうんざりしていた。


 その時――。


「――女の癖に!」


 会場の中央で怒声が上がり、視線が一斉に集まった。

 カリオンも目を向ける。


 そこにいたのは、女癖の悪さと金への執着で悪名高いバルドン侯爵と、一人の娘。


 波打つ栗色の髪が肩にかかり、月光を映したような灰青の瞳が涙をこらえるように揺れていた。

 他の令嬢たちの煌びやかな流行服とは違い、どこか古風なドレス。

 けれどその素朴さがかえって際立ち、誰よりも印象的に見えた。


 娘はバルドンに必死に言葉を返していたが、やがて耐えきれなくなったのか、踵を返し出口へと裾を翻す。


 その時――出口近くに飾られた大理石の石像の突起に、彼女のドレスの裾が引っかかった。

 布が無惨に裂ける音がわずかに響いたが、彼女は気づかぬまま走り去っていく。


 残されたのは、わずかに裂けたドレスの布片と、騒然とした会場の空気。


 カリオンは、ただその背を見つめていた。

 声をかけるでもなく、追うでもなく。

 柱に寄りかかり、杯を口に運ぶふりをしながら、ただじっと――。


 結局、あの娘の名を知ることもなく夜は更けた。

 けれど、その儚げな後ろ姿はなぜか記憶に焼きつき、幾度となく思い返すことになる。


 ――そして時は流れた。


 母は兄だけを贔屓し、父は国を腐らせる根源。

 放蕩を重ねる第一王子セヴェリオ。

 血の繋がった家族でありながら、カリオンにとっては忌まわしい存在だった。

 それでも無駄な争いを避けるため、彼は第二王子として静かに己の役割をこなしていた。


 だが国は腐る一方で、民の不満は募っていく。

 貴族や王族が得をし、平民達が損をする格差社会。

 薬も食べ物もなく、家を失い、困窮する平民たち。

 やがて積もり積もった恨みは爆ぜ、反乱となって現れた。


 王はそれを武力で抑え込もうとした。

 その時、王が頼ったのは――あのバルドン侯爵である。


 バルドンは貪欲そのものの男だった。

 金と地位のためならどんな悪行にも手を染め、異国から違法に武器を買い集めては私腹を肥やす。

 王はそれを黙認し、武力にものを言わせて反乱を鎮圧した。


 戦の後、王の間に呼び出されたのはバルドンだった。

 公爵位を授けるという栄誉の場。

 その後ろに控えていたのは――どこかで見覚えのある女。


 しばし考え、カリオンは思い至る。

 舞踏会でバルドンと口論し、会場を逃げ出したあの娘。


 だが、彼女の姿は記憶の中とはまるで違っていた。

 もともと細かった体はさらに痩せ、栗色の髪はくすみ、肌は荒れ、目元には濃い影が落ちている。

 着飾ったドレスだけは豪奢なのに、彼女自身からは輝きが失われ、ただバルドンの影のように従っていた。


 胸に針が刺さるような痛みが走った。理由は分からない。

 声をかけそうになる衝動を、カリオンはぐっと飲み込んだ。


 やがて耳に入った噂が真実を告げる。

 彼女は小国アルヴァニアの姫、リュリア。

 元々豊かでなかった国が貧困に陥り、バルドンはその弱みに漬け込み、リュリアを差し出させる代わりに支援金を送っていた。


 知ってしまっても、カリオンには何もできなかった。

 胸の痛みは募るばかりで、それでも彼は目をそらし続けた。


 ――国は加速して腐っていく。


 やがてカリオンは決意する。

 裏で不満を募らせた若者たちを集め、反乱を企てた。

 時間はかかったが、遂に実行に移す。


 そして、国は炎に包まれた。

 反乱軍は前回を超える勢力で押し寄せ、王城は落ちた。

 カリオンは父王と母妃の首を取り、勝利は目前に迫る。


 ――その時。


 背後から迫った刃が、彼を貫いた。

 振り返ればそこにいたのは、兄、第1王子セヴェリオ。


 血に濡れた剣先が揺れる中、カリオンの視界は赤に染まっていった。

 死に際、僅かな油断が後悔へと変わる。


 血の霞の向こう、最後に脳裏を横切ったのは、あの娘の姿。

 くすんだ髪、荒れた肌、心を失ったように項垂れる姿では無い。美しい衣を身にまとい、彼女がこちらに振り振り向き明るく微笑んでいる。

 胸を締めつける痛みと共に、カリオンの意識は闇に沈んでいった。


 ――はっと目を開く。


 そこは、見慣れた天井だった。

 息を荒げ、上体を起こし、周囲を確かめる。

 戦場のはずが、そこにあるのは整えられた部屋。血の匂いはなく、窓からは穏やかな朝の光が差し込んでいた。


「……これは……」


 動揺しながら手元を探れば、一通の封書が目に入る。

 封を切り、震える指で文面を追う。


 ――第一王子セヴェリオ殿下の婚約者選びのため、盛大なる舞踏会を執り行う――


 息を呑んだ。

 これは、かつて見た招待状と同じ。

 自分がすでに経験したはずの舞踏会の知らせ。


 ありえないこと。だが否応なく理解せざるを得なかった。


 ――自分は、過去に戻ってきたのだ。


 胸の奥で鼓動が大きく鳴る。

 動揺も一瞬。カリオンは深く息を吐き、己の運命を受け入れた。

 琥珀の瞳に決意の光が宿る。

 過去を知る者として、第二王子として、彼は覚悟を決めた。


 カリオンは裏で反乱の準備を進めていた。

 この舞踏会から、平民たちが反乱を起こすまで時間はそう残されていない。

 その蜂起に合わせ、自らも動く――それが彼の決意だった。


 表では公務に勤しみ、第二王子としての役割を果たす。

 裏では人を集め、武器を手配し、反乱軍に呼応する準備を進める。

 日々は緊張と策謀に彩られていた。


 だが、目前に舞踏会が差し迫った頃、ふとカリオンの脳裏に浮かんだのは――。


 アルヴァニア王国のリュリア姫。

 あの舞踏会でバルドンに目をつけられ、悲惨な運命を辿るはずの娘。


 資料に目を落としていた手を止め、カリオンはそっと天井を仰いだ。

 理由は分からない。ただ、ずっと頭の片隅に彼女の存在が居座り続けている。

 胸に刺さるような痛みと共に。


 ――もしまた、この舞踏会に彼女が来るのだとしたら。


 トントン、と考えるように机を爪で叩く。

 鈴を鳴らし召使いが近づいてきたところで、カリオンは静かに命じた。


「女性物のドレスを、一着見繕ってくれ」


 召使いが一瞬目を瞬かせたが、すぐに恭しく頭を下げて去っていく。


 カリオンは窓の外を見やり、夜の帳の向こうに迫る光景を思い描いた。


 舞踏会当日。


 煌びやかなシャンデリアの下、豪奢なドレスと宝石に身を包んだ令嬢たちが笑みを浮かべて集う。

 カリオンは杯を手に、王族らしい仮面の微笑を浮かべながら、会場をぐるりと見渡していた。


 ――あの娘は、来ているのか。


 栗色の髪、灰青の瞳、流行から外れた古風な衣装。

 記憶の中の面影を頼りに視線を走らせるが、それらしい姿はどこにも見えない。


 いないのか? それともまだ姿を現していないのか。


 そんな思考の最中、会場に演奏が流れはじめた。

 弦楽器が軽やかに舞い、舞踏会は本格的に幕を開ける。


 諦めかけたその時――。


「女の癖に!!」


 怒声が会場を裂いた瞬間、ざわめきが広がった。

 中央で紅潮した顔を歪め、バルドンが怒鳴り散らしている。

 その向かいに立つのは――。


 栗色の髪が肩に揺れ、灰青の瞳が怯えと誇りを同時に宿す娘。

 流行から外れた古風なドレスは、煌びやかな場に不自然に浮いていた。

 けれど、その違和感すらも彼女を鮮やかに際立たせていた。


 ――遅かったか……!


 バルドンと彼女は既に言い争っている。やがて彼女は声を張り上げ、そしてハッとしたように口を押さえた。

 次の瞬間、会場の視線が彼女に一斉に集まる。

 居場所を失ったかのように、彼女はドレスの裾を掴み、踵を返して走り去っていった。


 ざわめく人々をよそに、カリオンは使命感に駆られ、人垣をかき分けてそのあとを追う。


 しばらくして、演奏がかすかに流れ込む廊下の先。

 人気のないバルコニーに、月明かりに照らされて佇む彼女の姿を見つけた。


 淡桃色のドレスを纏った彼女は両手で顔を覆い、欄干に額をゴンッとぶつけては何やら嘆いている。

 そのあまりの光景に、カリオンは思わず口元を緩めた。


「……ずいぶんと賑やかな後悔ですね」


 カリオンの声に、彼女は跳ねるように顔を上げる。

 月光を受けた灰青の瞳が驚きに大きく見開かれ、次いで頬が一気に紅潮した。

 固まったかと思えば、今度は両手で顔を隠し、さらにはその場に座り込んでしまう。

 コロコロと変わる表情と大げさな反応に、随分と表情豊かで、明るい娘だと知る。


 彼女は「これ以上は耐えられません」と言わんばかりに立ち上がり、バルコニーを後にしようとした。

 カリオンは思わず一歩踏み出す。引き止めたい――しかし理由が見つからず、言葉が喉に詰まった。


 その時、ふと視線が彼女のスカートに落ちた。

 裾のレースが無惨に裂けている。やはり、過去と同じだ。


「……待って」


 咄嗟に声をかけ、彼女の歩みを止めた。

 指先で裂け目を示すと、彼女の表情は絶望に変わり、次の瞬間には泣きそうな顔でその場に座り込んでしまう。


 カリオンはそっと膝を折り、差し伸べた手に言葉を添えた。


「私に……あなたの手助けをさせて頂けませんか?」


 彼女は戸惑いながらも、その手を取った。

 小さな重みが掌に宿る。カリオンの胸に安堵が広がり、自然と息が深くなる。


 やがて彼女は個室に通され、着替えて戻ってきた。

 纏っていたのは、カリオンの選んだ淡い色のドレス。線の細い身体を優しく引き立て、解かれた髪が夜風に揺れている。

 その姿に、カリオンは一瞬言葉を失うもなんとか取り繕う。


 ――が、すぐに気づく。肩口のボタンが一つ外れている。


 気づけば、彼女をぐいと引き寄せていた。

 至近距離で息を呑む彼女。真っ赤に燃えるように頬を染め、声も出せずに固まっている。

 カリオンは静かにボタンを留め、そっと腕をほどいた。


 彼女はぱっと距離を取り、息を整える。

 その仕草に、なぜか胸の奥に寂しさが生まれる。


 ――繋ぎとめていたい。


 カリオンは微笑を浮かべ、軽く頭を下げた。


「でしたら――少し、私の話し相手になってくれませんか?」


 彼女は困ったように眉を寄せたが、やがて観念したように頷いた。

 前の生では、彼女と言葉を交わすことすらなかったのに。……それが今は、こうして目の前で声を聞いている。不思議なことだ。


「……あなたは、なぜ今夜の舞踏会に?」


 問いかけると、彼女は少し俯き加減に答えた。


「両親から、婚約者を探すようにと、ずっと言われておりまして。今日もそのために……」


 その言葉に、胸の奥がざわりと波立つ。

 カリオンは無意識に眉を寄せた。

 彼女の口から当然のように語られたその理由に、なぜこんなにも心が乱れるのか――自分でも分からない。


 だが彼女は気づくことなく、言葉を続ける。

 その声音には、幼くも真っ直ぐな強さがあった。


 民を思う気持ち。

 国を愛し、支えたいという想い。

 それらが言葉と瞳に溢れ出ているのが、痛いほど伝わってきた。

 けれど同時に思い出す。

 未来の彼女は、バルドンの影に押し潰され、輝きを失っていた。

 あの小汚い男に踏み躙られ、己をすり減らす姿ーーなんとも腹立たしい。


 胸が熱くなる。

 守りたいという衝動が、理性を突き破る。


 唐突すぎることは、十分わかっている。

 それでも――。


 カリオンは彼女との距離を一気に詰めた。

 驚いて大きく瞳を揺らすその顔を前に、言葉を紡ぐ。


「――私と婚約していただけませんか?」


 案の定、彼女は息を呑み、困惑を隠せない。

 その反応も想定の範囲だ。

 だがここで引けば、また過去と同じように彼女はズタズタに引き裂かれてしまう。

 それだけは、何としても避けたかった。


 第2王子である自分ならば、バルドンなど簡単に退けられる。

 彼女を守ることができる――その確信が、カリオンを突き動かしていた。


 カリオンは必死に言葉を紡いでいた。

 ――もしここで「あなたの未来を知っている」などと言った暁には、気味悪がられて終わりだ。王子という立場も敢えて伏せた。

 だから適当な理屈を並べ、必死にそれらしく繕うしかない。


 彼女を繋ぎとめるために。


 やがて彼女は少し考え込んだのち、静かに言った。


「……少し、考えさせてくださいませ」


 拒絶ではない。

 それだけで十分だった。

 カリオンは胸の奥に安堵を覚え、そっと彼女の手を取り馬車へと導いた。


 言葉は少なかった。

 というより、互いに何を話せばよいか分からなかった。

 それでも、並んで歩くだけで不思議と心は満たされていく。


 ふと視線を落とすと、自分の手に重なる彼女の小さな手。

 横を歩くその姿は、月明かりに照らされ、淡い羽衣を纏った妖精のように見えた。

 気づけば、ぽうっと彼女を見つめていた。


 やがて馬車へと辿り着き、名残惜しさを抱えながらも手を離す。

 扉が開かれる直前、カリオンは小さく微笑んで言った。


「おやすみなさい、リュリア姫」


 月光に照らされた彼女の姿が馬車へと消えていくのを見送りながら、カリオンは胸の内で静かに誓った。


 ――今世こそ、必ずこの国を、そしてリュリア姫をも救ってみせると。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ