第8話 美しき世界
第8話 美しき世界
朝。
海は目を開けた。
見慣れた自分の部屋。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
しばらく天井を見つめた。
昨夜。
ドリームワールドで初めて降った雨。
そして。
最後に現れた表示。
⸻
《生態系の生成を開始します》
⸻
「……生態系?」
海は身体を起こした。
言葉は聞いたことがある。
でも。
何なのかと聞かれたら、うまく説明できない。
まして。
何もなかったあの世界で、
何が起きているのか。
まったく想像できなかった。
⸻
学校。
午前の授業が終わり、休み時間になった。
海は窓の外を眺めていた。
校庭。
木。
空。
鳥。
「カイ」
隣から声がした。
「ん?」
美緒が海を見る。
「最近どうしたの?」
「何が?」
「なんか、ずっと考え事してるじゃん」
海は少しだけ黙った。
「そう見える?」
「見える」
美緒は机に頬杖をつく。
「昨日もそうだったし。今日もなんか上の空だし」
「上の空ではない」
「じゃあ何考えてんの?」
「……言っても信じないと思う」
「何それ。余計気になる」
海は窓の外へ目を向けた。
少し迷う。
どうせ信じるわけがない。
そう思うと、
逆に言いやすかった。
「夢の中に、別の世界があるんだよ」
美緒の動きが止まった。
「……何?」
「何もない荒野みたいなところから始まってさ」
「うん?」
「そこでレベル上げたり、物作ったりしてる」
美緒は数秒、海の顔を見た。
それから吹き出した。
「何それ。ゲームやりすぎじゃない?」
「だよな」
「しかも夢の中でレベル上げって」
美緒は笑っている。
でも。
海は笑っていなかった。
「……」
少しずつ、
美緒の笑い声が小さくなる。
「え」
海を見る。
「……ほんとなの?」
海は一瞬、美緒と目が合った。
昨夜の雨。
PHASE 2。
⸻
《生態系の生成を開始します》
⸻
全部、本当だ。
でも。
これ以上話して、
美緒まで心配させる必要はない。
海は笑った。
「んなわけないじゃん」
「え?」
「冗談」
「……」
「テレビで生態系って言葉出てきてさ。ちょっと気になっただけ」
美緒がじっと海を見る。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「怪しい」
「何でだよ」
「一瞬めっちゃ真顔だったじゃん」
「演技派だから」
「絶対違う」
海は話を変えるように言った。
「で、生態系って何?」
「動物とか植物だけじゃなくて、水とか土とか、その場所の環境も含めて、生き物が関わり合って成り立ってるもの」
「水とか土も?」
「入るよ。光とか気温とかも関係するし」
「ふーん……」
海は窓の外を見る。
木。
土。
空。
鳥。
言っていることは分かる。
でも。
全部をまとめて一つのものだと言われても、
まだいまいち掴めない。
「分かってないでしょ」
「なんとなくは」
「それ分かってないやつ」
「うるさいな」
海は椅子から立ち上がった。
「どこ行くの?」
「図書室。ちょっと調べてみる」
美緒が海を見る。
「ほんとに調べるんだ」
「気になったから」
海が歩き出そうとすると、
美緒も立ち上がった。
「じゃあ私も付き合ってあげる」
「何で?」
「理科なら私の方が分かるし」
「頼んでないけど」
「じゃあ帰ろうかな」
「嘘嘘」
美緒が笑った。
「じゃ、行こ」
二人は並んで教室を出た。
⸻
図書室。
美緒は生物関係の棚から一冊の本を取り出した。
「これとかじゃない?」
二人で机へ座る。
海がページをめくる。
植物。
動物。
微生物。
水。
土。
光。
温度。
空気。
そこに書かれているのは、
生き物だけではなかった。
「ほんとに全部入ってんだな」
「だから言ったじゃん」
「もっと動物とかだけの話だと思ってた」
ページを進める。
土がなければ、
植物は育ちにくい。
植物があれば、
それを利用する生物が現れる。
生物の活動は、
また土や環境へ影響する。
水も。
光も。
気温も。
別々のものではなく、
互いに繋がっている。
⸻
《生態系の基礎を理解しました》
《DP +3》
《LEVEL進行度:4% → 9%》
⸻
海はさらに読み進める。
同じ生物でも、
生きられる場所は違う。
水辺。
森。
草原。
土壌。
気候。
環境が変われば、
そこに暮らす生物も変わる。
⸻
《生物と環境の関係を理解しました》
《DP +4》
《LEVEL進行度:9% → 15%》
⸻
「へえ……」
「今度は分かった?」
「さっきよりは」
美緒も横から本を見る。
海はページの図を指した。
「これ、環境が変わったら生き物も変わるってこと?」
「そうだね。逆に生き物が環境を変えることもあるし」
「生き物の方も?」
「植物だってそうじゃん。森ができれば日陰も増えるし、落ち葉だって土になるでしょ」
「あー……」
そこまで聞いて、
少し繋がった。
環境が生き物を変える。
生き物も環境を変える。
一方通行ではない。
⸻
《生態系の相互関係を理解しました》
《DP +4》
《LEVEL進行度:15% → 21%》
⸻
海は表示を見る。
美緒が顔を覗き込んだ。
「また変な顔してる」
「してない」
「してる」
「本読んでただけ」
「はいはい」
海は本へ目を戻した。
昨日の、
《生態系の生成》
という言葉。
少しだけ、
意味が分かった気がした。
⸻
放課後。
部活。
海はグラウンドを走った。
ボールを受ける。
相手を見る。
肩。
腰。
重心。
《予測》を意識する。
相手が足を出す。
薄い線。
海は一歩早くボールをずらした。
「またそれ!」
悠斗が追ってくる。
海は身体を入れ替える。
加速。
もう一人。
視線。
足。
進路。
切り返す。
「最近マジで抜きにくいんだけど」
「いいことじゃん」
「俺にはよくねえよ」
海が笑う。
何度も使うほど、
《予測》した動きと身体の反応が、
少しずつ近づいている。
⸻
《予測 Lv.1の習熟度が上昇しました》
《LEVEL進行度:21% → 26%》
⸻
練習を終え、
海は帰宅した。
夕食。
風呂。
自分の部屋。
Tシャツと短パンに着替える。
外はすっかり暗くなっていた。
海は机の前へ座った。
「STATUS」
⸻
神谷 海
LEVEL:5
HP:120 / 120
筋力 16
体力 18
敏捷 22
器用 14
知力 14
感知 17
精神 14
LEVEL進行度:26%
未使用SP:10
⸻
「十……」
海はステータスを眺める。
PHASE 2がどうなっているのかは、
まだ分からない。
だから全部を使うつもりはなかった。
でも。
これから探索するなら。
長く動けること。
速く動けること。
周囲の変化に気づけること。
どれも必要になる。
「体力、二」
⸻
《SPを2消費しました》
《体力:18 → 20》
⸻
「敏捷も二」
⸻
《SPを2消費しました》
《敏捷:22 → 24》
⸻
最後に。
「感知、二」
⸻
《SPを2消費しました》
《感知:17 → 19》
⸻
表示が変わる。
⸻
神谷 海
LEVEL:5
HP:120 / 120
筋力 16
体力 20
敏捷 24
器用 14
知力 14
感知 19
精神 14
LEVEL進行度:26%
未使用SP:4
⸻
「残り四」
何が必要になるか分からない。
だから、
これは残す。
次。
「DP」
⸻
所持DP:262
⸻
「二百六十二……」
昨日、
かなり使った。
それでも。
学校へ行く。
歩く。
部活をする。
新しいことを知る。
動いて、学んでいれば、
また増えていく。
海はCREATIONを開いた。
今のDPで、
何ができるかを見る。
テント。
道具。
生活用品。
簡単な設備。
選択肢は、
かなり戻っている。
「今は使わなくていいか」
向こうがどうなっているのか、
まだ見てもいない。
必要なものを決めるのは、
そのあとでいい。
海は画面を閉じた。
机の上には、
図書室で借りてきた生態系の本。
少しだけページを開く。
水。
土。
植物。
生物。
環境。
「……どうなったんだろ」
海は本を閉じた。
ベッドへ入る。
目を閉じる。
⸻
鳥の声。
海は目を開けた。
「……?」
木の天井。
自分で作った小屋。
簡易寝床。
Tシャツ。
短パン。
寝る前と同じ格好。
そこまでは、
昨日と同じ。
でも。
音が違う。
チチッ。
チュン。
遠くから、
何種類もの声。
さらに。
サァァァ――。
何かが擦れ合う音。
「何だ……?」
海は寝床から降りた。
小屋の入口へ向かう。
外へ出る。
そこで。
足が止まった。
「……」
言葉が出ない。
昨日まで、
どこまでも続いていた土の大地。
その色が、
ほとんど見えなくなっている。
小屋の周囲を、
緑の草が覆っていた。
その向こうには木々。
さらに遠くには、
朝日に照らされた森。
風が吹く。
無数の葉が揺れる。
鳥が一羽、
木の間を飛んでいった。
海はしばらく、
そこから動けなかった。
「……すげえ」
ようやく、
声が出た。
一歩。
外へ出る。
靴の下で、
草が沈む。
湿った土の匂い。
植物の匂い。
昨日までとは、
空気そのものが違う。
どこかから、
水の流れる音が聞こえた。
「水……?」
海は音を追った。
少し進む。
木々の間。
その先。
「……川」
透明な水が流れていた。
石に当たり、
小さな音を立てる。
朝日が水面で反射している。
さらに下流。
少し離れた場所には、
池。
水面に、
空と木々が映っている。
海は川辺へしゃがんだ。
水へ手を入れる。
「冷たっ」
思わず笑った。
昨日まで。
水はCREATIONで出すものだった。
今は。
世界そのものから、
流れている。
海は顔を上げる。
川。
池。
草。
木。
鳥。
虫。
昨日、
美緒と一緒に読んだ本を思い出した。
水。
土。
植物。
生き物。
それぞれが繋がって存在する。
「これが……生態系?」
海は立ち上がった。
辺りを見渡す。
「……きれいだ」
本当に、
それしか出てこなかった。
昨日までとは、
同じ場所とは思えない。
少し歩くだけで、
知らないものが次々に目に入る。
木の形。
草。
花。
鳥。
流れる水。
海は双眼鏡を取り出した。
森へ向ける。
木。
枝。
葉。
さらに奥。
「……見えない」
双眼鏡を下ろす。
昨日までなら、
地平線まで見渡せた。
何かがあれば、
遠くからでも分かった。
でも。
今は違う。
木々。
背の高い草。
茂み。
その先に続く森。
奥に何がいるのか、
ほとんど見えない。
ガサッ。
海が振り向く。
少し離れた草が揺れている。
「……?」
しばらく見る。
何も出てこない。
海はまた歩き始めた。
上。
鳥。
右。
川。
左。
虫。
後ろ。
草の擦れる音。
「……音、多いな」
昨日まで、
風くらいしか聞こえなかった。
今は。
どの音が何なのか、
分からない。
どこに何がいるのかも。
さっきまで、
ただ美しいと思っていた森。
その奥が、
急に深く見えた。
「探索するのも、全然違うな……」
海はコンパスを見る。
方角を確認する。
それでも。
戻る気にはならなかった。
もう少し。
この世界を見たい。
海は川沿いに進んだ。
森へ入る。
木々が増える。
背の高い草。
茂み。
進むたびに、
見える範囲が狭くなっていく。
見たことのない鳥が、
何度か頭上を飛んでいった。
「何種類いるんだよ」
海は目で追った。
少し笑う。
その時。
ガサッ。
海の足が止まった。
さっきまでとは違う。
近い。
低い場所。
「……?」
茂みを見る。
動かない。
一歩。
後ろへ下がる。
ガサ。
今度は、
はっきりと動いた。
海の表情が変わった。
茂みの奥。
二つの目。
「……え」
灰色の毛。
低い姿勢。
ゆっくりと、
姿を現す。
狼。
最初は、
そう思った。
でも。
知っている狼より大きい。
太い前脚。
鋭い牙。
そして。
海を真っ直ぐ見ている。
視界に文字が現れた。
⸻
《対象情報を取得しました》
グレイファング
LEVEL:3
HP:78 / 78
筋力 12
体力 11
敏捷 17
器用 6
知力 4
感知 13
精神 7
SKILL
噛みつき Lv.1
追跡 Lv.1
⸻
続けて。
⸻
《初めてモンスターを発見しました》
《DP +5》
《所持DP:262 → 267》
⸻
「モンスター……」
海は表示を見る。
グレイファング。
レベル三。
自分より低い。
自分はLv.5。
筋力も。
体力も。
敏捷も、
自分の方が高い。
でも。
グレイファングが牙を剥いた瞬間。
そんな数字は、
どうでもよくなった。
低い唸り声。
身体が沈む。
「……っ」
青い線。
⸻
《予測 Lv.1》
⸻
来る。
海は横へ飛んだ。
直後。
グレイファングが、
さっきまで海がいた場所へ飛び込む。
「速っ……!」
⸻
《初めて敵性生物の攻撃を予測・回避しました》
《DP +5》
《LEVEL進行度:26% → 29%》
《所持DP:267 → 272》
⸻
グレイファングが着地する。
即座に振り向く。
海も下がる。
戦う?
一瞬だけ、
頭をよぎった。
無理。
自分は素手。
相手には、
牙がある。
海は背を向けた。
「無理だろ!」
走る。
背後。
ドッ。
ドッ。
ドッ。
地面を蹴る音。
「追ってきてる……!」
木の間を走る。
枝。
草。
石。
根。
昨日までなら、
ただ真っ直ぐ走ればよかった。
今は違う。
足元が見えない。
木が進路を塞ぐ。
背の高い草が、
足元を隠している。
「うわっ!」
根に足を取られる。
身体が傾く。
何とか踏みとどまる。
後ろ。
唸り声。
近い。
青い線。
右から。
海は反射的に左へ跳ぶ。
牙が、
空を噛んだ。
⸻
《敵性生物の攻撃を回避しました》
《DP +3》
《LEVEL進行度:29% → 31%》
《所持DP:272 → 275》
⸻
表示を見る余裕なんてない。
海は走る。
前。
木。
右。
岩。
左へ。
グレイファングが追ってくる。
海は木の間を何度も切り返した。
真っ直ぐでは、
追いつかれる。
少しでも、
進路を変える。
枝を避ける。
根を越える。
それでも。
速い。
「なんでこんな速いんだよ!」
青い線。
今度は真後ろ。
海は身体を捻った。
グレイファングの牙が、
Tシャツの袖をかすめる。
ビリッ。
布が裂けた。
「っ……!」
腕。
浅い傷。
血。
⸻
HP:119 / 120
⸻
「……減った」
一。
たった一。
でも。
その数字を見た瞬間、
身体が冷たくなった。
もし。
首だったら。
顔だったら。
足を噛まれていたら。
走れなくなっていたら。
「死ぬ……?」
初めて。
その言葉が、
はっきり頭に浮かんだ。
「やばい……!」
海は走る。
息が苦しい。
足も重い。
体力を上げた。
敏捷も上げた。
それでも。
怖い。
止まれない。
後ろの足音が、
消えない。
海は一度、
大きく進路を変えた。
木を挟む。
さらに反対へ。
グレイファングが一瞬、
回り込む。
その間に、
距離が少し開いた。
⸻
《追跡に対する回避行動に成功しました》
《DP +3》
《LEVEL進行度:31% → 34%》
《所持DP:275 → 278》
⸻
「小屋……!」
海は走りながら、
周囲を見る。
川。
見覚えのある木。
積み石。
方向は合っている。
森を抜ける。
草原。
遠く。
小屋。
「あった!」
海は全力で走った。
二十メートル。
十。
五。
後ろ。
唸り声。
青い線。
真後ろ。
「っ!」
海は前へ飛び込んだ。
次の瞬間。
バチンッ――!
大きな音。
海は地面へ転がった。
「……?」
振り返る。
グレイファングが、
弾き飛ばされていた。
「え……?」
グレイファングが起き上がる。
再び、
海へ向かって走ってくる。
「っ!」
海の身体が固まる。
でも。
小屋の少し手前。
何もない空間。
バチッ!
また、
弾かれた。
グレイファングが低く唸る。
何度か近づこうとする。
そのたびに、
見えない何かに阻まれる。
視界に表示。
⸻
《敵性生物の侵入を拒絶しました》
《居住区結界が作動しています》
⸻
「……結界?」
壁もない。
柵もない。
でも。
グレイファングは、
ここから先へ入れない。
しばらくこちらを睨んだあと。
やがて、
森の方へ姿を消していった。
⸻
《敵性生物からの逃走に成功しました》
《DP +8》
《LEVEL進行度:34% → 40%》
《所持DP:278 → 286》
⸻
続けて。
⸻
《居住区結界を発見しました》
《DP +10》
《LEVEL進行度:40% → 44%》
《所持DP:286 → 296》
⸻
海は、
その場に立ったまま動けなかった。
足が震えている。
手も。
呼吸が、
なかなか戻らない。
「はぁ……はぁ……」
もう来ない。
ここは安全。
分かっている。
それでも。
身体が、
全然言うことを聞かない。
海はその場へ座り込んだ。
「……怖かった」
声にした瞬間。
涙が出た。
「っ……」
腕で拭う。
でも。
止まらない。
次から次へと、
溢れてくる。
「マジで……怖かった……」
レベルは、
自分の方が上だった。
敏捷も。
体力も。
上げた。
《予測》も使えた。
それでも。
何もできなかった。
ただ。
噛まれないように。
追いつかれないように。
必死に逃げただけだった。
海は膝を抱えた。
涙が、
地面へ落ちる。
少し前まで。
この世界を、
きれいだと思っていた。
今も。
きれいだ。
風に揺れる草。
川。
森。
青い空。
でも。
その世界に、
自分へ敵意を向けてくる存在が、
突然現れた。
海は、
グレイファングが消えた森を見た。
「……どうすればいいんだよ」
答えは出なかった。
海はしばらく、
森を見つめたまま動けなかった。




