第3話 繋がる
ドリームライド
第3話 繋がる
「……夢じゃないんだ」
放課後のグラウンド。
海は、消えていく青白い文字をじっと見つめていた。
「え?」
悠斗が聞き返す。
「いや、なんでもない」
「さっきからそればっかじゃん」
「ほんとになんでもないって」
そう答えながらも、海の頭の中はそれどころではなかった。
理科の授業で突然現れた、
《DP +1》
そして部活中に現れた、
《敏捷が上昇しました》
《体力が上昇しました》
昨日、あの荒野で見たものと同じだった。
夢だと思っていた。
いや。
正確には、夢だったことにしようとしていた。
朝起きれば自分の部屋に戻っていたし、家族も学校も昨日までと何も変わっていなかった。
それなのに。
あの世界のものが、現実にまで出てきた。
「神谷!」
黒田の声が飛ぶ。
「はい!」
「集中しろ!」
「すみません!」
海は慌てて練習に戻った。
今はサッカーだ。
考えるのはあとにしよう。
そう思った。
けれど――。
ダッシュをする。
ボールを追う。
切り返す。
走る。
そのたびに、海は視界の端を気にしてしまう。
また出るんじゃないか。
今度は何が出るんだ。
いつもの練習なのに、今日はまるで別のことをしているような感覚だった。
⸻
練習が終わった。
「ありがとうございました!」
部員たちの声がグラウンドに響く。
海は水筒の水を一気に飲んだ。
「カイ、帰ろうぜ」
悠斗が声をかけてくる。
「あー……先帰ってて」
「何かあんの?」
「ちょっと走ってく」
悠斗が海を見る。
「今まで散々走っただろ」
「まあ、そうだけど」
「大会前にやりすぎんなよ」
「分かってる」
悠斗は少し怪しそうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
「じゃ、また明日」
「おう」
悠斗が帰っていく。
部員たちも一人、また一人と校門へ向かう。
海はバッグを背負うと、そのまま学校を出た。
向かったのは朝凪川だった。
⸻
夕方の河川敷。
ランニングをしている人。
犬を散歩させている人。
自転車で帰る高校生。
昨日までなら、何も考えずに見ていた景色。
海はスマートフォンを取り出した。
メモアプリを開く。
少し考えて、入力した。
⸻
DP
歩く100m +1?
走る100m +1?
石を拾う 最初だけ?
何かを知る +1?
サッカー +?
筋トレ 筋力UP
走る・切り返し 敏捷UP
⸻
「……何やってんだ俺」
自分で書いておいて、少し笑ってしまう。
完全にゲームの攻略メモだった。
でも、確かめたい。
海はスマートフォンの距離計測を開始した。
「まず歩く」
河川敷を進む。
百メートル。
⸻
《DP +1》
⸻
「やっぱり」
スマートフォンを見る。
ほぼ百メートル。
海はメモに、
歩く100m=1DP ほぼ確定
と書き加えた。
次。
同じ百メートルを走る。
⸻
《DP +1》
⸻
「これも一緒」
速く走ってもDPは変わらない。
なら、DPだけを貯めたいなら歩いた方が楽だ。
海は少し考えた。
「自転車は?」
通学用の自転車に乗る。
河川敷を走る。
百メートル。
何もない。
二百。
三百。
変化なし。
さらに進む。
そして、一キロほど走ったところで――。
⸻
《DP +1》
⸻
海はブレーキをかけた。
「一キロで1?」
スマートフォンを見る。
ほぼ一キロ。
「歩くより全然少ないじゃん」
メモを追加する。
⸻
歩き100m=1DP
走り100m=1DP
自転車1km=1DP?
⸻
「楽した分、減るってこと?」
まだ一回試しただけだ。
確定ではない。
それでも、何となく共通点があるような気がした。
自分の身体を使う。
その負荷によって、獲得できる量が変わっている。
「じゃあ……勉強は?」
海はベンチに座った。
三時間目の理科を思い出す。
あの時は、水の循環について考えていた。
でも、本当にそれが理由だったのか。
スマートフォンで適当なニュース記事を開く。
読む。
五分。
何もない。
「読むだけじゃダメ?」
次に検索欄へ、
水循環
と入力した。
授業で聞いた内容より少し詳しい説明を読む。
海や川の水が蒸発する。
雲になる。
雨になる。
地面へ落ちる。
地下に染み込んだ水は、地下水になる。
植物からも水蒸気が大気へ出ている。
「植物からも?」
知らなかった。
海はページを少し戻して、もう一度読む。
「蒸散……」
その瞬間だった。
⸻
《DP +1》
⸻
「……出た」
海は画面から顔を上げた。
周囲を見る。
誰もこちらを気にしていない。
当たり前だ。
表示が見えているのは、おそらく自分だけ。
海はもう一度スマートフォンを見る。
「やっぱ、何か知った時?」
授業の時もそうだった。
ただ座っていただけでは出なかった。
自分が疑問を持って、岩城先生に質問して、今まで知らなかったことを理解した。
今も同じ。
記事をただ読んでいた時には何も起きなかった。
知らないことを理解した瞬間に増えた。
海はメモへ書き加える。
⸻
知らなかったことを理解する=DP?
⸻
まだ「確定」とは書かなかった。
「でも……」
海は再び水循環のページを見る。
昨日までなら、こんなものを自分から調べることなんてなかった。
学校で習う。
テストに出る。
だから覚える。
勉強なんて、それくらいのものだった。
でも今は違う。
「あっちで使えるかもしれない」
あの荒野には水がなかった。
なら。
水を作る。
川を作る。
池を作る。
いつか雨まで降らせられるのなら。
そのためには、どうすればいい?
当然、今の海には分からない。
けれど。
分からないなら、調べればいい。
「……なんか、すげえな」
海は自分でも少しおかしくなって笑った。
昨日まで嫌々聞いていた授業が、
今日はもう、
あの世界を作るための材料に見えている。
⸻
「ただいま」
家に帰る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
「遅かったじゃん」
キッチンから彩の声がする。
「ちょっと自主練」
「大会前なんだから、やりすぎないでよ」
「分かってる」
リビングへ入ると、匠がテレビを見ていた。
「海」
「ん?」
「明日ゴミの日だから、庭の段ボールまとめといて」
「えー」
言いかけて、
海は止まった。
作業。
それも、何か起きるのか?
「……分かった」
匠が振り返った。
「素直だな。気持ち悪いぞ」
「うるさい」
海は庭へ向かった。
⸻
段ボールを重ねる。
紐を回す。
適当に縛ろうとして――。
「あれ?」
うまく締まらない。
いつもなら、ほどけなければそれでいい。
ぐるぐる巻いて終わりだ。
けれど今日は、少し気になった。
「父さん!」
「何?」
「これ、ちゃんと縛るやつどうやるの?」
リビングから匠が顔を出す。
「ちゃんと縛るやつって何だよ」
「ほどけないやつ」
「お前がそんなこと聞くの珍しいな」
「いいから」
匠は庭へ出ると、海の手から紐を取った。
「こうやって一回回して」
紐を通す。
「ここを返して、締める」
一瞬だった。
「待って。もう一回」
匠が海を見る。
「本当にどうした?」
「覚えたいだけ」
「明日雪でも降るんじゃないか」
「うるせえな」
もう一度。
今度は海がやる。
一回目。
緩い。
「そこ逆」
二回目。
途中で分からなくなる。
「なんだこれ、むず」
「慣れだよ」
三回目。
紐を引く。
今度はしっかり締まった。
「お」
海が結び目を引っ張る。
ほどけない。
その瞬間。
⸻
《DP +2》
⸻
海の目が止まった。
そして、続けて文字が浮かぶ。
⸻
《器用が上昇しました》
⸻
「……!」
「どうした?」
匠が聞く。
「あ……いや」
海は自分が結んだ紐を見る。
「できた」
「それくらいでそんな嬉しいか?」
「まあ……ちょっと」
新しいことを覚えた。
DPが入った。
しかも、
器用。
また新しいものが出てきた。
筋力。
敏捷。
体力。
そして器用。
海の頭の中で、少しずつ点が増えていく。
「父さん」
「ん?」
「今度、工具とかも教えて」
匠が眉を上げた。
「お前、何か作るのか?」
海は答えようとして、
止まった。
何か作る。
その言葉だけが妙に引っかかった。
「……まだ分かんない」
「なんだそれ」
匠が笑う。
海も笑った。
でも、
嘘ではなかった。
何を作ればいいのか。
本当にまだ分からない。
ただ、
作れるようにはなりたかった。
⸻
夕食。
風呂。
宿題。
いつもと同じ夜。
ただ一つ違うのは、
海の机の上にスマートフォンとノートが並んでいることだった。
今日分かったことを書いていく。
⸻
今日分かったこと
歩く100m 1DP
走る100m 1DP
自転車1km 1DP?
新しいことを理解 DP獲得?
新しいことを覚える DP獲得?
筋トレ 筋力
ダッシュ・切り返し 敏捷
長く運動 体力
細かい作業 器用
⸻
海はシャープペンを止めた。
「結構あるな……」
今まで普通にやっていたことばかりだ。
歩く。
走る。
学校で何かを覚える。
部活をする。
父親に何かを教えてもらう。
それだけで、
DPが増える。
自分自身も成長する。
「じゃあさ……」
海はノートを見る。
これを毎日続けたら?
もっと走ったら?
もっと勉強したら?
今までやったことのないことを覚えたら?
どこまで増える?
少しだけ、
胸が高鳴った。
「今、何DPなんだろ」
海は試しに、
「DP」
と呟いてみる。
何も出ない。
「CREATION」
無反応。
「ステータス」
やっぱり何もない。
「そこは見せてくれないのかよ」
海は椅子にもたれかかった。
現実世界では、通知は出る。
でも自由にシステムを開くことはできないらしい。
少なくとも今は。
海はスマートフォンを見る。
午後十一時過ぎ。
「……あ」
そこで、
昨日のことを思い出した。
眠った。
荒野へ行った。
荒野で眠った。
現実へ戻った。
だったら。
海はベッドを見る。
「今日も……?」
眠ったら、
また行くのか。
急に胸の奥がざわついた。
怖くないと言えば嘘になる。
何もない荒野。
自分一人。
もし、昨日より危険なものが現れたら。
もし、戻れなくなったら。
もし、現実の自分に何か起きたら。
考え始めると、不安は次々に膨らんだ。
それでも、胸の奥には別の熱があった。
今日増えたDP。
今日覚えたこと。
それが向こうで何を生み出せるのか、確かめたい。
荒野に水を作れるかもしれない。
何もない場所に、道を作れるかもしれない。
自分の力で、あの世界を変えられるかもしれない。
怖い。
けれど、それ以上に知りたかった。
現実で積み重ねたものが、夢の中で本当に力になるのか。
海はスマートフォンを充電器につないだ。
部屋の電気を消す。
ベッドへ入る。
「……行くのかな」
声に出すと、期待と不安が同時に胸を締めつけた。
行ってほしい。
でも、行ってしまうのも怖い。
昨日は何も知らなかったから、ただ流されるしかなかった。
今日は違う。
少なくとも、少しは準備をした。
それでも、向こうで何が待っているのかは分からない。
海は布団の中で拳を握った。
「……確かめる」
目を閉じる。
昨日までは、
眠ることに意味なんてなかった。
一日が終わる。
ただそれだけだった。
今は違う。
眠った先に、
もう一つの世界がある。
そこには危険もある。
けれど、可能性もある。
海の意識は、
不安と期待を抱えたまま、
ゆっくりと沈んでいった。
⸻
風の音。
頬に触れる、冷たい空気。
背中には、
硬い地面。
海はまだ目を開けなかった。
もう、
何となく分かってしまった。
「……マジか」
ゆっくり目を開く。
満天の星。
昨日と同じ荒野。
身体には毛布。
頭の下にはバッグ。
眠る前と、
何も変わっていない。
「戻ってきた……」
安堵が胸をよぎる。
同時に、心臓が強く跳ねた。
本当に来た。
また、ここへ。
海は身体を起こした。
目の前にウインドウが浮かぶ。
そして。
⸻
所持DP:164
⸻
海は目を見開いた。
「……増えてる」
昨日、この世界を離れた時より、
明らかに多い。
学校。
サッカー。
河川敷。
調べ物。
父親から教わった結び方。
今日、
現実でやったこと。
その一つ一つが、
こっちへ持ち込まれている。
数字を見つめる海の指先が、わずかに震えた。
嬉しい。
それだけではない。
この数字は、現実で過ごした一日が、確かにここへ届いた証拠だった。
自分が学んだことも、走ったことも、覚えたことも、消えずに残っている。
なら、もっとできる。
もっと知れば。
もっと鍛えれば。
この荒野を変えられるかもしれない。
けれど同時に、別の考えも浮かんだ。
もし、現実で傷ついたら。
もし、向こうで何かを失ったら。
二つの世界は、良いものだけを繋いでいるとは限らない。
海は数字から目を離せなかった。
期待が膨らむほど、不安もはっきりと形を持ちはじめる。
それでも、逃げたいとは思わなかった。
怖いからこそ、確かめなければならない。
この繋がりが何を意味するのか。
自分に何ができるのか。
海はゆっくり顔を上げた。
星空。
荒野。
昨日までは、
現実と夢。
まったく別のものだと思っていた。
でも。
「……繋がってる」
声は小さかった。
それでも、今度は迷いがなかった。
現実と、
ドリームワールド。
二つの世界は、
確かに繋がっていた。
そして、その繋がりは、
海の未来を変え始めていた。




