第2話 夢の続き
ドリームライド
第3話 夢の続き
「これ、俺一人でやんのかよ」
返事はなかった。
海の目の前には、半透明のウインドウだけが浮かんでいる。
⸻
『ドリームワールドへようこそ。』
『あなたは創造主に選ばれました。』
『あなたの世界を創ってください。』
⸻
何度読んでも、やっぱり意味はよく分からない。
「世界って……」
海は周囲を見渡した。
乾いた大地。
石。
空。
それだけ。
家を作れってことなのか。
町?
それとも、本当に世界そのもの?
「いや、無理だろ」
海は十五歳だ。
サッカーなら分かる。
ボールがあって、ゴールがあって、相手がいる。
どうすれば勝てるか。
どうすれば点を取れるか。
少なくとも目的は分かる。
けれど、
世界を創れ。
そんなことを言われても、何から始めればいいのかすら分からなかった。
「……とりあえず」
海はウインドウの隅を見る。
⸻
所持DP:12
⸻
「まず、これか」
チュートリアルでは、百メートル移動すると1DP増えた。
なら、もう一度試せばいい。
海はバッグを肩に掛け、そのまま歩き始めた。
しばらく進む。
そして――。
⸻
《DP +1》
⸻
「やっぱり」
海は少しだけ笑った。
そのまま走ってみる。
百メートルほど進むと、
⸻
《DP +1》
⸻
「走っても同じか」
どうやら速さは関係ないらしい。
次に近くの石を拾ってみた。
何も起きない。
もう一つ。
やはり何もない。
「石は最初だけ?」
まだ分からない。
海は少し考え、その場でスクワットを始めた。
十回。
二十回。
三十回。
その時、視界の端で青白い文字が浮かんだ。
⸻
《筋力が上昇しました》
⸻
「……筋力?」
DPではない。
試しに腕立てもしてみる。
何十回か続けたところで、また同じ表示が現れた。
⸻
《筋力が上昇しました》
⸻
「へえ……」
海は自分の腕を見る。
見た目が急に変わったわけではない。
でも、歩けばDPが増える。
身体を鍛えれば、筋力という別の何かが上がる。
らしい。
「他にもあんのかな」
今度は軽くダッシュ。
急停止。
切り返し。
サッカーの練習でいつもやっている動きを何度か繰り返してみる。
しばらくすると、
⸻
《敏捷が上昇しました》
⸻
「やっぱり」
全部が分からない世界の中で、少しずつルールのようなものが見えてくる。
それは少しだけ面白かった。
ただ、
「ステータス」
「能力」
「筋力」
と口にしてみても、詳しい画面は出てこない。
「見せてくれねえのかよ」
返事はなかった。
⸻
それから海は、周囲を探しながら歩いた。
一キロ。
二キロ。
三キロ。
DPは確実に増えていく。
五キロを超える頃には、いちいち表示を確認することもなくなっていた。
景色はほとんど変わらない。
水もない。
木もない。
人もいない。
途中でCREATIONを開いてみる。
⸻
CREATION
水 500ml 1DP
パン 1DP
簡易食 3DP
ロープ 5m 15DP
毛布 30DP
寝袋 80DP
簡易テント 100DP
⸻
「テント百!?」
思わず声が出た。
水やパンは1DP。
けれど、少しまともな物になると一気に高くなる。
「全部ポイントで揃えてたら、全然足りねえじゃん」
DPがあれば物は出せる。
でも、何を出すのか。
それをどう使うのか。
そこまでは教えてくれない。
木材を出したところで、海には家を建てられない。
「父さんなら、こういうの分かるのかな……」
何気なく口にした瞬間、
父。
母。
悠斗。
陸。
蒼太。
美緒。
現実世界の顔が次々と浮かんだ。
「……帰れんのかな」
海は少し黙った。
けれど、考えても答えは出ない。
首を振って、また歩き出す。
⸻
十キロ近く歩いた頃。
所持DPは百を超えていた。
サッカー部の海にとって、十キロそのものは大した距離ではない。
ただ、何もない場所を一人で歩き続けるのは、脚より頭の方が疲れた。
「腹減った……」
パンを一つ。
水を一本。
合計2DP。
「1DPって、百円くらいなのかな」
現実の値段を思い出しながらパンをかじる。
本当かどうかは分からない。
ただ、水とパンが同じ1DPなのは感覚的には分かりやすかった。
そうしているうちに、
海は周囲が少しずつ暗くなっていることに気づいた。
太陽が低い。
「……夜になるのか」
家はない。
街灯もない。
火もない。
CREATIONを確認する。
寝袋80DP。
毛布30DP。
簡易テント100DP。
「寝袋はもったいないな……」
迷った末、毛布を一枚だけ交換した。
⸻
《毛布を創造しました》
⸻
太陽が沈んだ。
荒野は、昼間とはまるで別の場所になった。
少し先すら見えない。
「……怖」
思わず声が漏れる。
けれど。
空を見上げた瞬間、海は言葉を失った。
「……すげえ」
満天の星。
朝凪市では見たことがないほどの光が、空いっぱいに広がっていた。
街灯もない。
建物の明かりもない。
車も走っていない。
何もないからこそ、
星だけが異様なほど鮮明だった。
海は地面に毛布を広げ、バッグを枕代わりにして横になる。
「硬っ……」
毛布の半分を身体へ掛ける。
もう一枚欲しい。
でも、DPは残しておきたかった。
海は空を見上げた。
「悠斗にも見せたら、びびるだろうな」
少しだけ笑う。
その笑顔は、すぐに消えた。
「……起きたら家だったりしねえかな」
今日は学校へ行き、部活をして、そのあとこの世界を十キロ近く歩いた。
さすがに眠い。
星空が少しずつ滲んでいく。
「明日……どうすっかな」
そう呟いて、
海は眠りに落ちた。
⸻
「海!」
声が聞こえる。
「海! 起きなさい!」
「……ん」
聞き覚えのある声。
「遅刻するわよ!」
海は目を開いた。
白い天井。
照明。
カーテン。
机。
その上には、昨日もらったばかりのサッカースパイク。
「……え?」
勢いよく身体を起こす。
「家……?」
窓へ駆け寄る。
朝凪市の住宅街。
道路。
電柱。
車。
ランドセルを背負った小学生。
全部ある。
「……夢だった?」
荒野。
DP。
CREATION。
水。
パン。
筋力。
敏捷。
星空。
どれも、はっきり覚えている。
「海ー!」
一階から母の声が飛んできた。
「起きてる!」
時計を見る。
午前七時十二分。
「やば!」
学校だ。
海は慌てて制服を掴んだ。
⸻
「何その顔」
朝食の席で、母の彩が海を見る。
「何が?」
「ぼーっとしてる」
「別に」
「寝不足?」
海は箸を止めた。
寝ていた。
確かに寝ていた。
でも、その間に一日近く動いていた気もする。
「変な夢見た」
「どんな?」
「なんもない場所にいた」
「何もない?」
「荒野みたいな」
向かいに座った父の匠が笑う。
「サッカーしすぎなんじゃないか?」
「なんでサッカーで荒野見るんだよ」
「知らん」
海も笑った。
いつもの朝。
いつもの家。
それだけで、昨日のことが少し遠く感じられた。
やっぱり夢だったのかもしれない。
「行ってきます!」
「新しいスパイク忘れないでよ!」
「それ忘れたら今日学校行く意味ない!」
「勉強しに行きなさい!」
彩の声を背中に受けながら、海は家を飛び出した。
⸻
「おっ、新しいやつじゃん」
校門の前で悠斗が海のバッグを見る。
「昨日もらった」
「今日履く?」
「当然」
そこへ後ろから蒼太が追いついてきた。
「おはよー、十五歳のおっさん」
「まだ言ってんの?」
「二日目どう?」
「何も変わんねえよ」
「何が二日目なの?」
横から声がした。
桜井美緒だった。
肩まである髪を後ろでまとめ、友達と一緒に歩いてきたところらしい。
「こいつ昨日誕生日」
蒼太が言う。
「知ってるよ。私メッセージ送ったし」
「俺よりちゃんとしてる」
「お前が適当すぎんだよ」
海が返す。
美緒が海の顔を覗き込む。
「でも、なんか今日眠そうじゃない?」
「そう?」
「うん」
「変な夢見た」
「怖いやつ?」
「……いや」
海は少し考える。
「よく分かんないやつ」
「何それ」
美緒が笑う。
「夢なんてだいたいそんなもんじゃない?」
海は一瞬黙った。
確かにそうかもしれない。
普通なら、夢なんて時間が経てば忘れていく。
でも。
あの星空まで、まだはっきり思い出せる。
「カイ?」
悠斗の声で我に返る。
「行くぞ」
「おう」
海は校舎へ向かった。
⸻
三時間目。
理科。
黒板の前では、岩城隆一が水の循環について説明していた。
五十二歳の理科教師で、授業中によく話が脱線する。
以前の海なら、
また始まった。
くらいにしか思わなかっただろう。
「海水や川の水は蒸発して大気中へ移動する。そして雲となり、雨や雪になって地上へ戻る」
岩城が黒板に簡単な図を描く。
海はぼんやりそれを見ていた。
海。
川。
雨。
水。
――そういえば。
あの世界には水がなかった。
少なくとも、自分が十キロ近く歩いた範囲には川も池もなかった。
海は少しだけ姿勢を起こした。
「先生」
教室の空気が一瞬止まる。
岩城も驚いたように海を見る。
「どうした、神谷。珍しいな」
小さな笑いが起きる。
「いや……」
海は少し迷った。
「川も海もない場所だったら、雨って降るんですか?」
岩城が眉を上げた。
「面白いこと聞くな」
「そう?」
「水が本当に一切存在しない世界なら、少なくとも地球と同じような水循環は成立しないだろうな」
「じゃあ、水がなかったら?」
「まず循環させる水そのものがない」
岩城は黒板の図を指す。
「雨は突然何もないところから生まれているわけじゃない。水が形を変えながら巡っているんだ」
「巡ってる……」
海は黒板を見る。
蒸発。
雲。
雨。
川。
海。
そしてまた蒸発。
今までなら、テストに出るから覚えるだけだった。
でも今日は違う。
――じゃあ、あの世界に水を作ったら?
雨が降るようになるのか。
川を作るには?
そもそも海はどうやって作る?
そんなことを考えた、その時だった。
視界の端で、
青白い光が瞬いた。
海の身体が固まる。
⸻
《DP +1》
⸻
「……え?」
昨日と同じ文字。
同じ青白い光。
でも、
ここは荒野じゃない。
教室だ。
「……夢じゃ、なかったのか?」
思わず声が漏れる。
海は反射的に周囲を見回した。
前の席。
隣の席。
黒板の前にいる岩城。
誰も、目の前に浮かんでいる文字を気にしていない。
「神谷?」
岩城の声に、海の肩がわずかに跳ねる。
「あ……いや、なんでもないです」
数秒すると、文字は消えた。
海はゆっくり黒板へ視線を戻した。
でも、
もう授業どころではなかった。
昨日の荒野。
水。
CREATION。
筋力。
敏捷。
全部、夢だったはずだ。
目を覚ませば終わるものだと思っていた。
なのに。
その夢の中にあったものが、今、現実に現れた。
「……なんなんだよ、これ」
小さく呟く。
そして、少し遅れて次の疑問が浮かんだ。
なぜ今、DPが増えた?
海は黒板を見る。
水の循環。
さっきまで自分が考えていたこと。
何かを知ったから?
理解したから?
それとも、たまたま?
分からない。
ただ一つだけ確かなのは、
もう「ただの夢だった」で終わらせることはできないということだった。
⸻
放課後。
青葉南中学校のグラウンド。
海は新しいスパイクの紐を強く結んだ。
「どう?」
悠斗が聞く。
「軽い」
「それで外したら言い訳できないな」
「外さねえって」
紅白戦が始まる。
悠斗がボールを持つ。
海は前を見る。
相手DFの間。
一瞬の隙。
走る。
パスが出る。
海は一気に加速した。
新しいスパイクが地面を捉える。
ボールへ追いつく。
その瞬間。
視界の端に、青白い文字が浮かんだ。
⸻
《敏捷が上昇しました》
⸻
海の目が見開かれる。
「……敏捷まで?」
DPだけじゃない。
昨日、荒野で見た自分自身の変化。
それまで向こうだけのものだと思っていた表示まで、
現実で現れた。
「カイ!」
悠斗の声。
海は我に返る。
ボールが少し前へ流れている。
「やべっ」
追いつき、そのまま右足を振り抜く。
ボールはゴールポストの外側を抜けた。
「うわ!」
海は頭を抱える。
「珍しいな」
陸が笑いながら横を通る。
「新しいスパイクのせい?」
「違う!」
言い返しながらも、海の頭の中は別のことでいっぱいだった。
DPだけじゃない。
筋力も。
敏捷も。
昨日のあの世界で起きたことが、
現実でも起きている。
練習が再開する。
海は今度は意識して走った。
ダッシュ。
切り返し。
ボールを追う。
しばらくすると、
⸻
《DP +1》
⸻
海は表示を見ても、今度は足を止めなかった。
「また……」
授業でも。
部活でも。
DPは増える。
さらに練習を続ける。
息が上がる。
汗が額から落ちる。
その時。
⸻
《体力が上昇しました》
⸻
「マジかよ……」
海は走りながら呟いた。
学校で何かを知った時。
サッカーをしている時。
現実世界での行動が、
あのドリームワールドとつながっている。
まだ理由は分からない。
どういう仕組みなのかも分からない。
でも。
夢ではない。
少なくとも、
ただの夢ではない。
「カイ?」
悠斗が不思議そうに海を見る。
「さっきからどうした?」
「……いや」
海はグラウンドを見渡した。
悠斗。
陸。
仲間たち。
校舎。
その向こうに広がる朝凪市。
昨日までと何も変わらない景色。
なのに。
海にはもう、
同じ世界には見えなかった。
「……夢じゃないんだ」
「え?」
悠斗が聞き返す。
海は答えなかった。
ただ、
視界から消えていく青白い文字を、
じっと見つめていた。




