一本目の尻尾 8
逃がしてしまった。これは今後、確実に集団で襲撃を受けることを意味する。
現在は太陽が中天を過ぎ、空が赤らみ始めた時間帯だ。
奴等は昼行性の猿で、夜目が効きづらい。であれば、今晩の夜襲ではなく、明日以降の襲撃となるだろう。
さっさと三つ目とこの場を離れてしまえばとも思ったが、移動すれば移動した先を縄張りにする者が必ず居る。であれば、どうにかあのカラザオカニザルとの関係性を落ち着かせ、居ついてもいいと認められたたい。
できるだけ穏やかに過ごしたい。生きるための狩りはするが、殺し合いの全面対決は避けたい。どうするべきか。
ジンジンする脇腹を庇いながら、樹上から見つかりづらい木の洞を見つけて丸くなり、思案に耽る。
三つ目も三つ目で何か考えているようだが、ふと思い立ったように立ち上がり、どこかへ消えていった。
度々思うが、三つ目も私と同じように、野生に生きる個体とは少し違う印象だ。もう少し意思疎通ができれば、相談の一つもできるのだが。
辺りも暗くなり、脇腹の痛みもほとんど収まった頃。腹を決めた。夜襲をかける。
猿種との決着は、以前のように頭が交代するまで退け続けるか、頭を狩るかの二択だ。前者は運の要素が強く、後者はできるかどうか分からない。ただ、猿種に限らず、争いにならない”当たり前”がある。
それは、圧倒的強者だ。
野生動物は絶対に敵わない相手には近づかない。狩る者、狩られる者、この関係は三つ目を例外として、絶対の掟だ。
つまり、私を”絶対に敵わない相手”とまでは言わないが、せめて、関わると面倒な相手だと思わせ、放っておくように仕向けるということだ。
夜目の利かない奴らに対し夜襲をかける。日中は樹上から見つからない洞窟や洞穴などに潜み襲撃を逃れる。これを繰り返して疲弊させ、降参させるという、随分と単純で、非情な作戦だ。
この辺りにたどり着くまでに、身を隠す場所はいくつか思い当たる。十分に逃げ隠れできるはずだ。
私は、穏やかに生きるために、戦うことを決めた。
その晩、真っ暗になるまで静かに過ごし、ゆっくりと洞から抜け出す。
日中に怪我を負わせた個体の血痕と匂いをたどり、後を追う。
樹上にも痕跡は多く、しばらく進むと数匹が枝の付け根で丸くなって眠る姿を見つけた。
私と争った個体もその中に居た。爪が突き刺さった肩を押さえながらも、眠れているようだ。
彼等の寝床よりも高い位置まで登り、飛び降り様にその一団へ躍り掛かった。
手前の一頭の背中に私の爪が突き立つと、眠っていた猿は悲鳴を上げ、その声に飛び起きた猿たちが一斉に警戒の声を上げる。私はすぐに別の個体に飛びつき、腕に爪を突き立てる。夜目の利かない中で襲われた猿達は、とにかくその場で腕を振り回す。出鱈目に振るわれる腕を避け、すぐまた別の個体に飛び掛かる。太腿に爪を突き立て、都合三頭に傷を負わせた。潮時だ。
私は飛び降り、身を低く足音を消しながら走り、見つけていた大岩の隙間から洞穴の中に身を隠した。
翌日、森は騒がしかった。
木々を飛び回る猿達の威嚇の声が四方八方から聞こえ、栗鼠や兎が逃げ回っていた。
私は洞窟の少し奥へと身を隠し、そこにいた蛇を捕まえ、食事をした。
日が傾くにつれ、森の喧騒は収束していった。ここからは、こちらの時間だ。
しかし、昨夜と同じ場所で眠る程油断はしておらず、そして森林はそこら中に猿種の痕跡が残っており、むしろ塒を見つけるのに手古摺ってしまった。空が白み始める少し前、やっと眠る一団を見つける。
急いで手前の一頭に襲い掛かる。ここからは昨夜の繰り返しとなる。
空が白む前に、その場を離れる。今日は木の洞だ。できるだけ小さく丸まり、ひと眠りする。
日中、またもや森林は騒がしかった。私はその喧騒にじっと耳を欹てる。どちらの方角へ去っていったかを確認するためだ。
昨夜のようにギリギリの時間帯になってしまっては、余裕を持った逃走ができない。絶対的な有利な状況を維持し続けなければ、脅威足りえない。それでは、ダメなのだ。
それから数日は、偶に夜襲をかけない日も織り交ぜ、時間帯も変えながら続けた。
とうとう、明るい間に森林が騒がしくなることもなくなり、群の全ての雄が一ヵ所に集まって過ごすようになった。この群の頭の塒は、これまで見た中で一番の大木の、太い枝の付け根にある洞だった。
洞の奥に、頭の雌が居た。
怪我をしていない個体の方が少ないであろう自分の群と、睡眠を妨げられ続けた疲労と、夜になる度に襲われる恐怖に、群全体が明らかに憔悴している様子だった。もちろん子猿に手出しはしていないが、育児担当なのであろう雄の個体にぶら下がり、夜間の騒ぎのせいで不足した睡眠を昼間に取っているようだった。
私は、集まって身を固める群の前に姿を現した。
まだ怪我を負っていない個体が威嚇の声を上げ、臨戦態勢を取る。しかし、私が爪を枝にめり込ませ、メキリと音を立てると、威勢の良い声が止まり、じりじりと身を退いていった。
十分だ。
姿勢よく、堂々と、たっぷりと時間をかけ、頭に近づく。
頭と私の目線は合ったまま。
とうとう爪の届く距離まで近づく。
じっとにらみ合う。
周囲の雄たちが自分の傷を押さえながら、頭の動向を伺う。
あと一押し。どうしたものか。
じっと目をそらさずに、決着を待つ。
遥か下で、ガサガサと音がした。頭は、ついそちらを見てしまう。そして、ハッとして私をまた見る。
こちらの勝ちだ。
再度目線を合わせた頭は、すぐに目を反らした。負けを認めた。
私は余裕を持って、木の根元に目をやる。そこには、木の枝を咥えた三つ目がトコトコと円を描いて歩き回っていた。
三つ目が咥えた木の枝に気づいた私は、一度降り、三つ目から枝を受け取ってまた頭の前に戻る。
頭はもう一切こちらに目を合わせない。
頭の目の前に枝を置く。枝には、いくつかの実が成っていた。
その実を手に取ると、一つ食べ、枝を持って洞から出たあたりで実をもう一つ食べた。
これが合図であったのか、猿たちはあたかも私たちなど居ないもののように、一斉に普段の生活に戻り始めた。
隣の者と毛繕いをし、果実を食べ、木々を行ったり来たりして時に声を上げた。
三つ目が持ってきた実は、大きな谷を越えた先に生えている物だ。
谷で木々の枝も途切れ、この群はそちら側には行けなかったのだろう。
三つ目がそそくさと離れたのは、自分達と敵対しないことでの利益を示す作戦だったのだ。
私などよりもよっぽど穏やかで、賢い選択だ。
こいつを見習って、私ももう少し物を考えなければいけないな。
などと苦笑しながら、気に入った住処での塒づくりに思いを馳せ始めた。




