一本目の尻尾 7
朝靄の中、いつもの沢で三つ目を見つける。対岸へ渡り近づくと、もう距離を取ろうとはしなくなっていた。
陽が昇りはじめ、あたりの霧が薄くなり始める。私たちは崖を登り、森の中に入っていった。
それからいくつかの季節が過ぎた。私たちは成体と言って遜色無い身体に成長した。
私が属する猫種は、山猫の類だ。豹などよりは小ぶりだが、小型の猫ではない。耳の先に飾り毛があり、体は濃い茶色と黒のロゼット柄のような斑紋だ。この紋様は子どもの時はただの斑点だが、成長するにつれ点が円となってゆく。4本ある爪のうち、内側から2本目の爪だけが大きく発達しており、この爪は仕舞うことができない。普段は地面につかないよう上向きに保持し、狩りや木登りなど、必要に応じて下ろして使うものだ。
私は成体と言って遜色のない体躯となり、身体の斑点も概ね円となった。身体は順調に成長し、狩りの腕も上がった自覚がある。
以前痛い目を見た鼬などは、最近では幾度も狩っているし、地上であれば正面対決でも遅れをとるようなことはなくなった。
三つ目といえば、角は太く立派に成長し、付け根の骨もがっしりとした。額の結晶は模様がより一層くっきりとした姿となった。
私は私で獲物とする鹿種と行動を共にし、枝葉や木の実を食む傍で昼寝をする珍しい個体であるが、三つ目はより珍しい個体と言えるだろう。時折私の狩りに参加してくるようになったのだ。
そろそろ決着が付きそうな頃合いに横から飛び込んできて獲物に一撃入れたり、私が身を潜めて肉食獣に忍び寄る傍で、その目標の前に姿を見せ、鋭い蹄を使って威嚇を始めるのだ。
前者であれば、最後の一苦労がなくなり助かるし、後者であれば私の存在を勘付かれる可能性がぐっと下がるので、それはそれで助かる。ただ、私はその度にヒヤヒヤしきりだった。
勇敢な草食獣と過ごす、退屈しない日々だった。
三つ目が狩りに参加するようになってから、初めてヒト種と遭遇した。
随分と特徴的な臭いのその生物は、一見猿種にも見えるが、頭部に毛は少なく、口許に毛が蓄えられていた。そして何より我々山猫の皮を纏っていた。
三つ目と私がじっとヒト種を見ていると、木の枝のような物を立て、次の瞬間何かを飛ばしてきた。矢だ。
私たちが反射的に飛び退くと、ビィンと木の根に突き刺さる。
私と三つ目は警戒度を一気に引き上げ、一目散に逃げ出した。振り返ることもせずに、できるだけ蛇行しながら、できるだけ高く登り低く下った。引き離したかと立ち止まって周囲を警戒すると、しばらくすると微かに枝葉を踏む音が聞こえ、追って来ているのだと感じた。
何度目かに立ち止まると、風切り音に大きく飛び退くこととなった。元居た辺りにビィンという恐ろしい音と共に矢が突き刺さる。息つく暇もなく、また逃げ出した。
隣の山と接続する高い崖を登り、上から見下ろすと、崖の手前の林の中で崖上にギラギラとした視線を向けるヒト種の姿があった。しばらくにらみ合うと、流石にこの崖は登れないのか、そのヒト種は来た道を戻っていった。私は三つ目に、崖登りを教えてくれたことを感謝した。
三つ目も私も戻る気にはなれず、住処を崖より先の森林へと移すことにした。
崖を越えた森林は、蔦植物が多い地域だった。木々も枝振りがよく、木の実や果実なども豊富だった。
三つ目は果実が食べたくなると、昼寝する私に軽く頭突きをかまし、樹上へ顔を向ける。無視をすると延々と繰り返される為、その度に果実狩りをさせられることとなった。私はそれほど木の実は食べなかったが、果実は共に齧った。共に果実を食べる時には、三つ目は大変満足そうな顔をしていた。
しかし、実り豊かなこの地域を縄張りとする者が居ないわけはなかった。
果実が多く実る木が多く、水場があり、身を隠せる岩や根の多いという、住処にするにはうってつけの場所を見つけ、そこで過ごすようになってからしばらくしたある日。果実の木の方角から騒がしい声が聞こえた。猿種の声だ。
ウッウッウッウーッという鳴き声があちこちへ動きながら、私たちの方に近づいてきた。
樹上から姿を見せたのは、頭程の太さの両腕で木々を飛び回る、芥子色の猿種だった。腕に比べて小さい足には果実が握られており、それをひと齧りすると、私たちに向けて口内の牙を見せつけながら悲鳴のような威嚇の声をあげた。全身を使って太い枝を大きく揺らしながら威嚇の声をあげ続ける猿種は、相当お冠の様子だ。
これまで出会った猿種に共通して言えることは、執念深いということだろう。
偶然他の猿種と獲物が重複したことがある。奪い合いの末に私が得たのだが、そこから数日に渡って群に追い回された。群の頭に襲いかかり撃退したことで一時は落ち着きを見せたが、忘れた頃に仕返しに来る厄介な群だった。何度か撃退しているうちに頭が変わったようで、以降はこちらに関わってくることはなくなったが、それ以降、猿種とは関わらないのは三つ目と私の共通認識だった。
そして今、すぐそこで大騒ぎしている個体が持つ果実は、私たちがよく食べているものだ。私たちは図らずも、奴の縄張りを荒らしてしまったようだ。
こうなってしまうと、この場を去っても追いかけてくるのは間違いないだろう。
であれば、この縄張りを私たちのものとしてしまう方が単純だ。これまで経験したことのない、縄張り争いの始まりだ。
この芥子色の猿種はカラザオカニザルという種で、両腕が異常に大きく発達し、基本的に両腕だけで木登りや移動、隣の木へ飛び移るのも腕だけで行う。足はむしろ、果実を掴んだり、小動物を捕まえたりと、手のように使う変わった種だ。ほとんど樹上で生活するには手と足の役割が逆の方が便利なのだろう。尾はそれほど太くはないが先が硬く発達していて、尾だけが暗い緑色をしている。
そして特徴的なのは体の構造だけではなく、蜂のような群を作るという点だ。頭は雌であり、多産だ。その雌の世話を含め、雄が働き回る役割となっている。
この猿単体での脅威はそれほどでもないが、何かあれば蜂のように仲間の雄がどんどん参戦してくることもあり、群単位ではこの森林で中上位の存在と言えるだろう。
樹上の相手には何もできないと判断した三つ目はその場を離れ、私は威嚇の声を上げる。
猿は手当たり次第、硬い木の実や枝、さらには熟れすぎた果実などを投げてきた。便利なもので、物を投げるときは腕を使うらしい。
私は木に登り、樹上で猿と対峙することを選んだ。この辺りは幹の太い木が多く、また、私も木登りは得意だ。
猿は枝を両腕でぴょんぴょんと枝を渡り、迫り来る。剛腕の一撃を躱すも、通り過ぎた先の枝を使い、幾度も襲い掛かってくる。
私も木登りが得意とはいえ、猿程自由に動き回ることはできない。なんとか攻撃を躱すことはできていたが、反撃はあと少しのところで届かない。
有利なはずの樹上で攻撃を躱され続けて焦れたのか、猿は太い両腕を広げて体ごと飛び込んできた。
咄嗟に躱せないと踏んだ私は、反射的に正面から飛び込んだ。
空中で正面衝突しながら団子になって落下。
まともに着地ができず地面に叩きつけられるが、それは相手も同じ。むしろ地上に下ろすことができればこちらものだ。素早く一足距離を取り、猿に飛び掛かる。太い腕で凌がれるも、また距離を取って再度飛び掛かる。私の自慢の爪でも、振り回される腕に阻まれ深手を負わせるには至らない。樹上とは攻守が入れ替わり、ケガが増えてゆく猿がジリ貧の様相を呈するが、しぶとく耐えて反撃の拳が頭上や鼻先を掠める。右の拳を搔い潜り、猿の腹に向けて爪を突き立てようとした瞬間、脇腹にボゴという音と共に衝撃が走る。目を遣ると、猿の尻尾がめり込んでいた。
カラザオカニザルの名前の所以たる、殻竿のような尻尾だ。この尻尾は全身の毛と反対に暗い色をしており、両腕に気を取られている獲物に対して不意打ちに使われる。見事に視界の外から打ち込まれてしまった。
不意を突かれた衝撃と威力に、思わず飛びのいて距離を取る。猿は両腕で地面を叩きながら大騒ぎしている。悔しいが、ヤツの手に嵌った。
しかし、不意打ちは猿だけのものではない。大喜びして私を煽る猿の後背から、三つ目が飛び込んだ。
草食獣にあるまじきことに、三つ目は静かに、しかし虎視眈々と自分の出番を待っていたようだ。
背中に三つ目の渾身の頭突きをくらった猿は弓反りに突き飛ばされる。脇腹の痛みに半歩出遅れるが、なんとか飛び掛かり、肩口に爪を突き立てる。切り裂くまではいかないまでも、軽傷では済まない手ごたえがあった。
猿は両腕両足を使って私を押し退け距離を取る。三つ目の一撃で声が出づらいのだろう、カヒーッという掠れた声をこちらに向ける。肩から出血し、芥子色の体毛が朱色に染まってゆく。
猿は手元にあった小石や砂など、滅茶苦茶にこちらに投げて近くの木に登ってゆく。追おうと後ろ足を踏ん張るが力が入らず、カクンとその場でへたり込むこととなってしまった。
ガサガサという音がどんどん離れて行く。
まずいことになった。




