一本目の尻尾 6
額晶鹿は数家族からなる群を作って暮らす。
生まれてすぐの頃は全身の体毛が明るいグレーの単色で少しずつくすんだグレーになってゆき、個体差はあるが成長につれて耳や肩などから黒い帯模様が現れる。ある程度身体が大きくなると、角と額の結晶が現れる。額の結晶は目とほとんど同じ大きさになり、個体ごとに薄っすらと模様があるが、多くは斑点が入り斑模様となる。角は黒く短く、後ろに向かって延びる。角の付け根が盛り上がり、そのあたりの骨が厚くなってゆく。蹄は黒く鋭利で、切り立った岩場に突き刺すように使われる。蹄の先に体重を乗せる形となるため、脚の脹ら脛側が発達している。
基本的には森林の食物連鎖では中下位あたりに属するが、身を守るために繰り出される頭突きと蹴りは、油断していると大怪我をする威力を持つ。
三つ目は身体の帯模様がくっきりとあるが、角はまだ小さく、付け根もまだそれほど発達していない。しかし、額の結晶は目よりも少し大きいほどある。
まだ大人になりきれていない三つ目が、他の個体と同行している姿は見たことはない。
ある時、三つ目が高い枝に生える柔らかい若葉を食べようと苦心していた。私はその木に登り、枝まで進む。私の重さで枝を撓ませ、懸命に伸ばす口が届く辺りまで下ろしてやった。
三つ目は嬉しそうに葉を食み始めるが、ビクっと森林の方を振り返り、耳と目で観察する。
一瞬遅れて私も何かの存在を感じる。
すると、三つ目はそろそろとその場を離れていった。私は驚異が何なのか、場合によっては狩ってしまおうか、という腹積もりで、撓んだ枝から幹に戻り、もう少し高い位置まで上って樹上から息を潜める。
滝とは逆方向から現れたのは三つ目と同種の鹿の群が、ぱらぱらと7頭が確認できた。
私たちが居たあたりに近づくと、大人の数頭がすんすんと鼻を鳴らし始める。周囲の足元も確認を始める。我々猫種とは違い、三つ目たちは蹄が鋭利なため、足跡がつきやすい。辺りには三つ目の足跡が残っていた。
数頭が足跡を見つけ、匂いを確認する。すると、真似して子どもも一緒に足跡の匂いを確認し始める。
子どもの一頭が足跡を辿って行こうとすると、群の大人たちは行く手を阻み、頭で群に戻るよう促す。子どもは大人たちに制止され、三つ目が消えていった林を気にしながらも群に戻る。
群のリーダーであろう雄が足跡が続く方角を睨み、突然両方の前足を上げて威嚇のような仕草をする。そして、勢いよく前足で地面を突く。ドドという音と共に崩される三つ目の足跡。
明確な敵意だった。
理由は解らないが、三つ目は群を追い出された個体なのだろう。これは、私にも思い当たるフシがある。
この森林では、私たち猫種や、以前現れた鼬種の他にも、多様な種が生命を営んでいる。危険も多い中で種を繋いでいくためには、異常異変に敏感でなければならない。これは私たち一族にも当てはまる。
私は兄弟の中で浮いた存在であった自覚がある。
兄弟達から見て、私は意外な行動ばかりとる存在だった。じゃれ合っても痛いことがなく、狩ってきた猟果を分けてくる。自分が狩りに夢中になっている時期には小さい妹弟達のことばかり見ていた。
結果として、兄弟達は皆、他の兄弟と連れ立って出ていくか、単独で出ていくかで、私と共に行こうという兄弟はいなかった。
兄弟達にとって、私は異常であり異変であったのだと思う。行動が読めないからこそ、共にこの森林で生きてゆくことに不安があったのだろう。
食物連鎖の中上位に位置し、単独もしくは少数個体で生活する猫種だからこそ、私はそこまで気に留めていなかったが、鹿種にとっては大事だろう。
肉食でもなく狩られる存在である種として、危機を関知する能力を持つ個体が集まって群をなし、相互に危機を教えあって身を守るのだ。その中に異常・異変があれば群全体の危険に繋がる可能性がある。額の結晶のせいか、もしくは体臭やその他何らかの理由により、三つ目は追い出されたのだろう。
追い出すという、種として群を守る判断はこの森林では適切だろう。それだけ厳しい環境なのだ。
ただ、三つ目は単独で危機を回避しつづけなければならないこととなる。
私と出会ってから少しの期間でも、一度狩られかけている。このままでは、いずれは狩られてしまうことだろう。
とうとう、私の一人立ちする時が訪れたようだ。
私は塒への帰り道、大きめの猪を狩った。少し前から目を付けていた個体だ。
この猪は泥を何重にも身体塗って身を固めると同時に、重量を増やし突進の威力を上げる。パッと見は泥から雑草が生え、地面がずるずると動いているような風貌だが、それだけ厚く塗られた泥と、その中で雑草の根が絡まり合い、仕留めるのは一苦労だ。
牙は前方やや下に向いており、地面を耕すのに適している他、突進されるとまっすぐ突き刺さる危険な代物だ。ずるずると進む地面を見かけた私は、地面が進む先の樹上に移動して潜む。この種は重たい泥を背負う為、上方の警戒がほぼできないからだ。
通り過ぎたあたりでそろそろと木から降り、後ろから忍び寄る。ゆさゆさと揺れる地面の真後ろに着くと、期を計って飛び込む。狙うは後ろ足の腱。
泥の鎧を纏ってはいるが、脚の稼働範囲、とりわけ後ろ足の稼働範囲は広く、泥の鎧はない。そこに爪を差し込み、一息に切り裂く。猪は猛烈な悲鳴をあげて振り返ろうとするが、片方の後ろ足が言うことを聞かず、ドタドタと足踏みをするばかりでうまくいかない。後ろに付いていた私はもう一方の後ろ足にも一撃を入れる。推進力の半分を失った猪にとって、自慢の鎧はただの錘だ。正面に回り高く飛び上がると、両前足で猪の頭を思い切り踏み付ける。前方に尖った牙が地中の木の根に突き刺さり、身動きが取れなくなったところで一丁あがり、だ。
地面から必死に抜け出そうと突っ張っている前足を登り、首もとの泥を剥がしてゆく。この猪の毛足は長く、これが泥を巻き込み、雑草と絡まることで鎧を保持しているようだ。
爪でぶちぶちと毛と根を切りながら地肌に到達したら、爪を立て、深く突き刺して切り裂く。地面からくぐもった悲鳴が聞こえる。一度では筋肉の壁に阻まれるが、何度も爪を立て、より深く切り裂いてゆく。切り裂く度に悲鳴が聞こえ、前足がダンダンと地面を叩く。
爪が骨に到達した時、前足がぐにゃりと曲がり、地面に突っ伏した。
猪の狩りは、いつも少しだけ後味が悪い。だがこの日は、奥歯を噛みながら狩りに集中した。
もう、狩りに失敗しても、父が獲物を分けてくれることはないのだから。
猪を丸裸にし、なんとか引き摺って塒へ帰った。塒で丸くなっていた父母の前に、猟果を置く。それに気づいた父は目を見開き、私をじっと見る。母は優しく一声鳴くと、首を擦り合わせてくれた。一緒に猟果にありつき、久しぶりに父母と丸くなって寝た。
早朝に起き、塒を見回す。
小さい頃はこの中が世界の全てだった。それでも広く、母のお腹は暖かかった。
初めて外に出た時は、世界の広さに呆然とした。時が経つにつれ、兄弟達と違っていることを少しずつ理解し、少し寂しかった。そんな時でも、他の兄弟達と同じように、父は私を子ども扱いしてくれた。
皆が一人立ちをしても残った私に、父は魔法を見せてくれた。
結局まだ一度しか使えたことはないが、この父と母の子である私は、いずれ使えるようになるだろう。
よし、行こう。
塒の外は、薄く霧がかかっていた。
塒を振り返ると、そこには父と母が居た。母は私の元に駆け寄り、頭をすり付けてくれた。私もそれに答える。
父を見ると、まっすぐ私を見つめていたが、不意に、チラリ左側に視線を逸らす。ついその視線を追ってしまうが、なにもない。たしたし、と地面を踏む音がする。はっとして向き直ると、父の姿は見えなくなっていた。
父のあのニヤリとした笑顔が見えた気がした。
今度はすぐ傍で、たしたし、と地面を踏む音がする。母の方を見ると、母の姿も見えなくなっていた。
そう、母も魔法を使えたんだよ。
なんだか腹の底が暖かくなり、ついァアーオと声をあげてしまった。
悔しくも楽しい気持ちで塒を後にした。




