一本目の尻尾 4-5
鼬は泳ぎが上手く、着水するやいなやこちらに向かって勢いをつけると、水中から飛び出し、またこちらに向かって前足を振りまわす。
身体の大きさは同じくらい。爪の鋭さも似たようなもの。俊敏さも同様となれば、文字通り手数で負ける。数撃をしのいだ所ですぐに追い詰められる。
私の身体は回避の拍子に完全に浮き、着地に向けて手足も身体も伸び切っている。
伸び切った脇腹に鼬の後ろ足が叩き込まれ、その衝撃で川へ落ちてしまう。
最悪だ。
泳げないことはないが、私たち猫種は身体が濡れることを嫌う。しかしそんなことは今は重要ではない。
この鼬種は水中でこそ、その本領を発揮する。
常々あの4本の前足は邪魔ではないかと思っていた。器用に使って素早く走るが、どこかドタドタした印象で、猫種に近い速度しか出ない。食事や木登りでは役立つかもしれないが、常に必要かというと疑問が残る。
それでも4本ある理由。それは、主食である魚を猟るときだ。
奴らは魚を猟る時、はじめは漂っている木枝のようにゆらゆらと泳ぎ回る。そして目標を定めると、潜り、泳ぐ速度を上げる。
魚は地上の生物と違い上下左右に素早く動き回るが、4本の前足はこのときに大活躍をする。
魚の不規則で四方八方に動き回り急停止急発進を続ける動きに対し、4本の前足を使って泳ぐことでどこまでも追跡し、ほぼ確実に猟を成功させる。そして、鰓があるのかと思うほどにいつまでも水中にいることができる。
こちらは呼吸もできない上に速度でも不利。
水に浸かってしまった不快感も合わせて、危機感で総毛立つのを感じた。
私を追って川に飛び込んだと同時にもう目前まで迫る鼬。
何とか逃れようと川底を蹴るが、後ろ足を横殴りに叩かれ、あらぬ方向に身体が向きを変える。結果的に鼬と向き合ってしまったところで、顔面に一撃を浴びる。
ふっと意識が遠のき、少し川に流される。ぼんやり見えていた鼬が、水中でグアと一声鳴いた。そして息継ぎもせず、こちらに迫ってくる。
身体は重いし息もできない。
顔面もじんじんする。
怪我なのか鼻血なのか、少し水が赤い。
滝に近かったせいか、水の流れは不規則で、私の身体もぐにゃぐにゃと流されてゆく。
それに対し、鼬は前足と尻尾を駆使し、地上よりも安定して一直線にこちらに向かってくる。
私は、ぼんやりした頭で、器用なもんだなあと感心していた。
鼬が目前に迫った時、大きな何かが川に飛び込んできた。
その勢いに目の前は泡だらけになった。私の記憶はここでぷつりと切れている。
次に気が付いたとき、わたしは塒で伸びていた。むくりと顔を上げると、母が近寄ってきて、額を擦り付け、顔を舐めてきた。
混乱したまま父を見ると、無邪気にニヤリと笑い、どさりと目の前に何かを持ってきた。
あの、鼬だった。
鼬は致命の一撃を受けたようで外傷という外傷は無かったが、背骨が粉々になったうえに、心臓を切り裂かれていた。
多分、父の飛び込みながらの一撃で、ほぼ決着がついていたのだろう。
悔しさと、安堵と、蘇った恐怖と、そして変に冷静であった自分が可笑しく、心の中がぐちゃぐちゃになる。どの感情が優先されたのかは分からなかったが、とっさに母の腹に顔を埋めた。最後まで残ったのは、ニヤつく父への怒りだった。
鼬との対面以降、数日はまともに動けずにいた。
あの時興奮により動いていた身体は中々のダメージを受けていたようだ。
あの時三つ目は無事に帰れただろうと思うし、食事に三つ目を食べた記憶もないが、最悪、鼬のついでに父に狩られていてもおかしくない。
そう思うと確認せずにはいられなくなり、後ろ足を庇いながらも沢へ向かおうと塒を出ようとしたが、父に連れ戻されることとなった。 久しぶりに首根っこを噛まれ、塒の奥に投げ込まれた。
後ろ足や脇腹よりも、首根っこが一番痛かった。
十全に動かない身体を引き摺って歩けるほど、この森林は甘くない。そう言われているようだった。
しっかり回復するまではそれほど時間はかからなかった。若い時分の回復力は凄まじいものがある。
既に塒の近くで野兎などは苦も無く狩れる身体に戻っていた。昼寝のフリをして私の動きを見ていた父も、とうとう本当に昼寝を始めた。そろそろ大丈夫という判断だろう。
翌朝、あの沢へ向かった。
三つ目は、対岸に居た。
水を飲みに来たようではあるが、なんだか落ち着かず、居心地が悪そうだ。短い尻尾がるふるふと動き続けている。
私はそろりと草木を抜け、三つ目に姿を見せることにした。
対岸に私を認めた三つ目は2~3歩足踏みをする。じっと私を見つめ、またトトッと足踏みを数歩。
父のように表情豊かな獣は少なく、ここからは三つ目の感情は読み取れない。しかし、警戒されているというよりは、驚きとか興奮とか、そういった感情のように思った。
いつもの飛び石を渡り、対岸へ。三つ目に向かってトコトコと歩く。
三つ目は変わらずこちらをじっと見つめている。
距離が縮む。三つ目にとっては逃げられるか怪しい距離に入る。
とうとう目の前にたどり着く。
ここまで来て、重大なことに気づく。
私の目的は何だろうか。
殆ど何となくでここまで近寄ってしまった。
いつもは魔法の練習や崖登りの練習に付き合ってもらっていたが、近づけたことといえば、偶然魔法が発動した最初だけ。
元々あまり獲物として見ていなかったこともあり、近づいたところで目的もなく、多分私はぽかんと阿呆な顔をしていただろう。
後に知ったが、額晶鹿は額の結晶を通して自らに対する敵意・害意などを感じ取ることで身を守る。
目の前の私に敵意が無いことが分かっていたのだろう。三つ目はゆっくりと顔を下げ、私の頬から肩口に自らの頬を当て、フンスと息を漏らした。
三つ目の息が体に当たり、温度を感じ、その温度が身体中に広がってゆくように安堵感が広がっていった。
血縁以外で、こういった感情を持ったことは初めてであったが、心地の良いものだったことを覚えている。
私は一度、三つ目の頬を自分の頬でグイと押し、崖へ向かう。勢い良く中腹まで登り、三つ目を振り返って、ァアーオと声をかけた。
三つ目はこちらに駆け寄り、瞬く間に崖を登り切り、まっすぐ私を見下ろす。この時私は、不思議と登り切れる自信があった。ひょいと跳び、崖上まで登っていった。




