第二十二話「社会人、ネカフェ難民のプレイヤーの話を聞く(後編)」
前回の続きです。
GEワールドで知り合った「ネカフェ難民」のプレイヤーを心配し、実際に会いに行ったアンナ。
ゲームの中では何度も話していた相手でも、顔も本名も分からない。
実際に会ってみると、そこにはアンナが想像していたのとは少し違う人物がいました。
今回は、その時のお話です。
あと三年前のお話なので、亮平は中学二年生となっておりますよ。
アンナがそこまで話し終えると、ロビーに妙な沈黙が流れた。
レインは何か言おうとして、結局口を閉じる。
エミリアも考え込んでいる。
いつもなら何かしら茶化すミナトまで、珍しく黙っていた。
私も、すぐには言葉が出なかった。
アンナが出会ったというネカフェ難民のプレイヤー。
ノアという男性型サイボーグで、その中の人は家を持たず、ネットカフェを転々としているという。
そしてアンナは、そのプレイヤーに実際に会いに行った。
「……それで」
グレイが口を開く。
「実際に会ったら、思ってたのと違ったんだよね?」
「うん」
アンナは少し懐かしそうに頷いた。
「全然違ったってほどでもないんだけど」
「私が勝手に想像してた人とは、ちょっと違ったかな」
「どんな人だったんですか?」
レインが聞く。
アンナは少し考える。
「じゃあ、その時の話をするね」
三年前。
GEワールドからログアウトした亮平は、しばらくパソコンの前に座ったまま動けなかった。
時計を見る。
すでに夜中だった。
「……大丈夫かな」
ノアが言っていた言葉を思い出す。
今日はまだ何も食べていない。
今週はずっと同じネットカフェにいる。
聞いた店は、ここからそれほど遠くない。
本名も知らない。
顔も知らない。
ゲームで知り合っただけの相手だ。
それでも。
「……行ってみるか」
亮平は立ち上がった。
途中のコンビニへ寄り、弁当とパン、ペットボトルのお茶を買った。
売り場を歩きながら、自分でも何をしているのか分からなくなる。
そもそも何を持っていけばいいのかも分からない。
食べ物なら困らないだろう。
その程度だった。
深夜の道路を歩き、教えてもらったネットカフェへ向かう。
明るい看板が見えてきた。
自動ドアをくぐる。
「いらっしゃいませ。ご利用ですか?」
受付の店員に聞かれ、そこで初めて重大なことに気付いた。
「あ……」
顔を知らない。
しかも本名も知らない。
「あの、人を探してて……」
「お待ち合わせですか?」
「いや、その……ここで夜間パックで入ってるって聞いて」
説明しようとして、言葉に詰まる。
ゲームのキャラクター名しか知らない。
さすがに店員へ、
『ノアっていうサイボーグの人を探しています』
とは言えない。
「どうしよう……」
その時だった。
「ねぇ、君」
背後から声を掛けられる。
「どうしたの?」
振り返る。
ドリンクバーの紙コップを持った若い女性が立っていた。
二十歳くらいだろうか。
白いTシャツ。
少し太めのジーンズ。
スニーカー。
長い髪は後ろで雑に束ねている。
肩には使い込んだ大きめのバッグ。
どことなくストリート系の雰囲気はあるが、街で見かけても特に気に留めないような、ごく普通の若い女性だった。
「こんな時間に一人で何してるの?」
むしろ向こうが心配そうにこちらを見ている。
「いや、あの…実は人を探してて」
「人?」
「ここで夜間パックで入ってるって聞いた人なんですけど」
女性が少し首を傾げた。
「……ねぇ、君」
亮平を見る。
「もしかしてだけど、アンナさん?」
「え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……ノアさん?」
「うん、そう」
女性は普通に頷いた。
「……えっ、ホントに? アンナさんって君なの?」
「中学生?」
「中二だけど」
「いやいやいや、何でこんな時間に来てるの」
「それに、何その顔」
「いや、その……」
ゲームの中にいるノアを思い浮かべる。
無骨な装甲。
機械化された身体。
どう見ても男性にしか見えないサイボーグ。
「男だと思ってたの?」
「……うん」
女性は笑った。
「ゲームだし」
それだけだった。
「私、矢島綾子」
「あっ……俺は亮平」
「亮平君ね」
綾子は時計を見る。
「ここで立っててもしょうがないし」
「ちょっと外行こっか」
「え?」
「話しに来てくれたんでしょ?」
「えぇ、まあ……」
二人はネットカフェを出た。
少し歩いたところに、小さな公園があった。
夜中ということもあり、誰もいない。
街灯の下にベンチ。
水道。
古い自動販売機。
遠くから車の音だけが聞こえてくる。
「ここ、よく来るんだ」
綾子が言う。
「水道あるから」
「……そうなんだ」
何気ない一言なのに、亮平には少し引っ掛かった。
二人でベンチへ座る。
「あの」
亮平は持っていたコンビニ袋を差し出した。
「これ」
「何?」
「今日、まだご飯食べてないって言ってたから」
綾子が袋の中を見る。
「え?」
弁当とパンとお茶。
少しの間、何も言わなかった。
「心配して持ってきてくれたの?」
「だって、食べてないって言うから」
綾子が吹き出した。
「ほんと、お母さんみたい」
「ゲームでもそれ言ってたよね?」
「言った」
「心配するだろ!」
「あはは」
綾子は笑いながら弁当を受け取った。
「ありがとう」
蓋を開け、普通に食べ始める。
しばらく亮平は、その様子を眺めていた。
もっと疲れ切った人を想像していた。
服も汚れていて。
暗い顔をして。
助けを求めている。
そんな人物を。
でも。
目の前にいる綾子は、何というか。
普通だった。
「何?」
「いや……」
「もっとホームレスっぽい人だと思ってた?」
「……ちょっと」
「失礼だなあ」
綾子が笑う。
「別に毎日路上で寝てるわけじゃないよ」
「じゃあ、普段どうしてるの?」
「お金ある時はネカフェ」
「仕事は?」
「たまにやるよ」
「たまに?」
「ネットで単発の仕事探して」
「倉庫とか、イベントの設営とか」
「一日だけ働くやつ」
「それだけ?」
「必要になったら」
あまりにも淡々としている。
「スマホは?」
「これ」
綾子がポケットから出す。
かなり古い端末だった。
「プリペイド」
「……」
「そんな顔しなくても、普通に使えるよ」
「でもさ」
亮平は思わず言う。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「何がって……」
思っていた以上に普通の返事が来て困る。
「家ないんでしょ?」
「ないよ」
「仕事も決まってない」
「うん」
「それ、大丈夫じゃないだろ」
綾子は少し考える。
「今日寝るところはあるよ」
「ご飯もあるし」
弁当を持ち上げる。
「それ俺が持ってきたやつだろ!」
「あはは」
「そういう問題じゃなくて」
「ちゃんと仕事探して」
「家とか借りた方がいいんじゃない?」
綾子は怒らなかった。
嫌そうな顔もしない。
ただ、不思議そうに亮平を見る。
「亮平君は?」
「え?」
「学校行ってるの?」
「行ってるよ」
「毎日?」
「平日は」
「楽しい?」
「……まあ」
「毎日、行きたいって思って行ってる?」
突然質問がこちらへ向いてきた。
「いや……そりゃ、行きたくない日もあるけど」
「でも行くんだ?」
「学校だから」
「嫌いな人とかいない?」
「いるけど」
「話す?」
「必要なら」
「何で?」
「何でって……」
亮平は答えに詰まる。
「学校だからだよ」
「ふーん」
綾子は弁当を食べながら頷く。
「やりたいことは?」
「え?」
「将来」
「……まだ分かんない」
「じゃあ何で毎日学校行ってるの?」
「だから」
少し苛立つ。
「みんなそうしてるからだろ」
綾子がこちらを見る。
馬鹿にしたような顔ではない。
本当に不思議そうだった。
「そっちの方が大変そう」
「……は?」
「毎日決まった時間に起きて」
「行きたくない日も学校行って」
「嫌いな人とも話して」
「それで、まだ何したいか分かんないんでしょ?」
「それは……」
「普通じゃん」
亮平は言った。
「みんなやってるし」
「うん」
綾子は頷く。
「でも私は嫌なんだよね」
「何が?」
「嫌なのに、みんなやってるからって続けるの」
綾子は食べ終えた弁当の蓋を閉じた。
「仕事も」
「嫌になったら辞めるし」
「今日はここにいたいから、ここにいる」
「明日は分かんないけど」
「でも、それって自由なの?」
亮平は聞いた。
「家もなくて」
「お金なくなったら働かなきゃいけなくて」
「寝る場所だって毎回探して」
「そんなの自由って言える?」
「さあ?」
「え?」
あっさり返される。
「分かんない」
「分かんないの?」
「うん」
綾子は笑った。
「別に私、自分が正しいなんて思ってないよ」
少しだけ空を見上げる。
「ただ」
「自分で決めてるつもりではいる」
亮平は何も言えなかった。
どちらが正しいのか。
そんなことは分からない。
綾子の生活が安定しているとは、とても思えなかった。
明日どうなるかも分からない。
でも。
少なくとも目の前の彼女は、自分を不幸だとは思っていないように見えた。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
綾子が時計を見る。
「あ」
かなり遅い。
「そうする」
「送るよ」
「え?」
綾子が立ち上がる。
「人通りあるところまで」
「いやいや」
亮平も慌てて立つ。
「俺が心配してここまで来たんだけど」
「それとこれは別」
「子供がこんな時間に一人で歩いてたら危ないでしょ」
「……」
結局。
亮平は綾子に送ってもらうことになった。
人通りのある大通りまで歩く。
途中、特別な話はしなかった。
ゲームの話。
最近追加された武器の話。
明日ログインするかどうか。
いつもの会話だった。
「じゃあ、ここでいいかな」
「うん」
「今日はありがとう」
「ちゃんと食べてよ」
「あはは」
「分かった分かった」
「じゃあまたゲームで」
「うん」
それだけ言って別れた。
翌日。
ノアは普通にログインしていた。
『昨日はありがと』
『ちゃんと残りのパンも食べたよ』
『ならよし』
いつものようにミッションへ行った。
その次の日も。
数日間。
何も変わらなかった。
だから亮平も、公園で話したことをあまり気にしなくなっていった。
ところが。
ある日から、ノアを見かけなくなった。
「あれ?」
フレンドリストを見る。
オフライン。
翌日も。
その次の日も。
「仕事でも入ったのかな」
最初はその程度に思っていた。
オンラインゲームでは珍しいことではない。
毎日いた人が、突然来なくなる。
別のゲームを始めただけかもしれないし。
逆に数ヶ月後、何事もなかったかのように戻ってくることもある。
だから待っていた。
数日後。
アンナがログインすると、画面の端に未読メッセージの表示があった。
「ん?」
メールボックスを開く。
差出人。
『ノア』
「あっ」
少し安心した。
「なんだ、メッセージ来てるじゃん」
開く。
そこには。
一言だけ書かれていた。
『あなたは心まで自由ですか?』
「……え?」
それだけだった。
挨拶もない。
説明もない。
どこへ行くのかも。
また戻ってくるのかも。
何も書かれていなかった。
そして。
それ以降、ノアがGEワールドへログインすることはなかった。
「……それが最後?」
グレイの声で、アンナは現在へ戻ってきた。
「うん」
中層ロビー。
目の前にはグレイ。
隣にはレイン、エミリア、ミナト。
「その後、一度も?」
「見てないよ」
「今どこにいるのかも?」
「知らない」
また沈黙が流れた。
「……」
レインは何か言おうとしていたが、結局やめた。
ミナトも黙ったままだ。
「難しいですね……」
エミリアが小さく呟いた。
グレイは少し考えてから、アンナを見る。
「その言葉」
「どういう意味だったと思う?」
「分からない」
アンナは即答した。
「今でも分からないよ」
「でも」
少し笑う。
「三年経っても、まだ覚えてる」
「そうか」
そう言ってロビーを見渡した。
今日も多くのプレイヤーが行き交っている。
誰かは会社から帰ってきたばかりなのかもしれない。
誰かは学生かもしれない。
誰かは家族の隣で遊んでいるのかもしれない。
そして。
もしかすると。
今夜泊まる場所さえ決まっていない誰かが、この中にいるのかもしれない。
住所がある。
仕事がある。
学校がある。
毎日帰る家がある。
それは間違いなく大切なことだ。
けれど。
それだけで、人は自由なのだろうか。
正直、分からなかった。
おそらく。
アンナも。
綾子も。
答えを知らなかったのだろう。
だからこそ。
三年前、GEワールドから姿を消した一人のプレイヤーが残した言葉が。
妙に心に引っ掛かった。
『あなたは心まで自由ですか?』
今回のお話は、以前から考えていた「現代版・羅生門」のような題材を、グレイさんの世界でやってみたものです。
綾子の生活は決して安定しているとは言えませんし、彼女の生き方が正しいという話でもありません。
一方で、家があって、学校や仕事へ行って、いわゆる普通の生活をしているからといって、それだけで自分の人生を自分で選んでいるとも限らない。
亮平も綾子も、どちらが正しいのか答えを持っていません。
だから最後に残った、
「あなたは心まで自由ですか?」
という言葉にも、明確な答えはありません。
読んだ方によって、かなり受け取り方の変わる話になったのではないかなと思っています。
そして、ちょっとだけ実話が入っているお話になっていて、MMOの出会ったネカフェ難民の人から実際に聞いた話が少しだけ入っています。
あのときのプレイヤーさん、その後、どうなったのか気になります。




