#9-9 意外な見舞客
ゆっくりと視界が開けていく。ここがどこかを理解する前に感じたのは額を流れる汗だった。
白い天井。見慣れたそれは俺が仰向けにされている証拠だ。視界を横にずらすとポタ、ポタ、と滴れる点滴。その点滴バックの表面に書かれた薬の名前は久しぶりに見たような気がする。
点滴が打たれている感覚のある左腕の反対に、右手は何故か掛け布団からはみ出ていた。
「……ぅ…」
完全に目を開いても暗い。電気が消されているせいだろう。少し目を慣らして壁にかけられた時計を見ると午前か午後の2時半。人の足音がほとんどしないから午前の方か。実験後が大体19時でそこから今までずっと寝ていたのか。夜中だ。
ゆっくりと体を起こす。体の方はまだ少し熱い気もするがほとんど問題ない。手をグッパッと動かして体の調子を取り戻していく。
カタンッ
「…え……」
腹の近くで何かが音を立てる。見ると右手側に本が一冊、俺を避けつつベッドの上に置かれていたようだ。俺が起き上がって動いたせいでベットの柵とぶつかって音を立てたのか。
本を手に取り中を見ると難しい生物科学の本。ベッドの横には丸椅子と、俺の掛け布団の上にかけられた見覚えのある薄めの青のブランケット。それらから連想される人物の顔が浮かんで一つため息が出た。心配させたくないのに、こんなに迷惑かけてしまっては本末転倒じゃないのか。
ついさっきまで居たみたいでブランケットはまだ少し暖かい。もう夜も遅いし自室に戻ったかな。……いや違うな。あの人昔、ずっとベッドから離れなかったんだよな。俺が暴れるのを止められるのがあの人だけだからっていうのもあったけど、単純に過保護なんだよ。
そう考えるともしかしたらトイレに立っただけかもしれない。帰ってきて起きているのを見つかっては色々面倒だ。狸寝入りでもしておこう。そうポスっとベッドに仰向けになった。点滴もあるし下手に動けないのが面倒だ、とやることもなく目を瞑る。
コツコツコツ
「………」
暗闇でさらに鋭敏になった聴覚がこっちに近づいてくる足音を捉える。軍靴じゃないから龍斗さんじゃない。もちろん海美でもない。誰だ?
足音の主はまっすぐこちらに歩いてきている。規則的な高い足音とともにジャラジャラと何か金属がぶつかる音。それにこのテンポの速さ。
あれ?この音、この感じ。ちょっと待てよ?
音が近づくに伴ってだんだんボケていた頭が冴えてくる。まさか!!
慌ててパッと上半身を起こす。高熱にうなされた汗とは別に背中に冷たい汗をかいた。
カラカラと静かに個室の病室の扉が開かれる。
「なんだ、起きたのか」
「白夜長官……どうして……!?」
ジャケットにぶら下がるいくつもの勲章。長い切れ目の厳しい目線。白夜長官だ。慌てて立ちあがろうとする俺を手で制し、扉近くの壁に背を預けこちらを見てくる。
「ストームから報告は受けている。何でもたいそう無理をしたとな」
「ご迷惑をおかけし申し訳ありません。もう熱は引いて、体の方に異常は残っていません」
「当たり前だ。どうせあのマッドサイエンティストのことだ。お気に入りのおもちゃを簡単に壊すことはないだろう」
お前もしぶとさを売りにしているんだ。死んでも死なない体の心配をしに来たわけじゃない。そう半笑いで俺に話す。じゃあ……
「ここへは何の用件で?」
別に回復するのがわかっているならわざわざこんな時間にそれも長官が直接見にくることじゃないだろう。
するといつもはすぐにはね返ってくる言葉はなく、白夜長官は視線を逸らさないまま首をぽきっと鳴らしてこちらを見てくる。真意を探ろうとしても難しい。……え、何?何かしたか?俺。
「過酷な実験を自ら志願して受けた、と聞いたが、間違いないか?」
「えぇ、そうです」
「何故」
「そりゃ、実験が、研究が進めばより早くザセルを焼却できる術を手に入れられるからですけど」
すると白夜長官はハァとため息をついた。
「焦りか?」
「……白夜長官が研究に協力しろと、指示に従ったまでです」
「ガキじゃあるまいし程度を知れアホ」
「……」
「普段冷静な癖に、ストームやスパークのことになるとどうにも取り乱す。的戸が家族ごっこだなんて揶揄っていたが、強ち間違いじゃなさそうだ」
「家族ごっこ?」
「お仲間意識は自由にすればいいが、無駄な焦りは足元を掬うぞ」
家族ごっこ。そんな風に見えていたのか。
確かに、海美を妹のように思ったこともある。龍斗さんを面倒だけど優しい兄のように思ったことも。この半年と少しの間、短いけれど濃度の高すぎる時間を一緒にいたんだ。周りから仲のいい兄妹のようだと思われても仕方ないかもしれない。けれど、
「問題ありません。2人を本当に家族だなんて思ったりしませんから。俺の家族は父だけです」
「ほう、強がっているように見えるがな」
「事実ですよ。仲が良いのは円滑な連携のため。それ以上でも以下でもない」
「本当に?」
「ええ」
チクリと痛んだ胸は気がつかなかったフリをした。本当の家族なんて思っていないのは真実。でも──
「確かに家族というには遠いな。だがただの仲間というにはいささか近すぎるような気もするが?」
「何が言いたいんですか」
「フン、まぁいい。ここまで喋る元気があるなら問題ないだろう」
「え?」
白夜長官は壁から背中を離し扉に手をかける。え?
「ちょ、結局なんの用事だったんですか?」
「別に、調子を悪くした飼い犬の様子を適当に見に来ただけだ」
「体の心配はしてないってさっき!」
「早く寝ろ。体に響くぞ」
カラカラカラ、パタン
「何だったんだよ……」
相変わらず都合が悪くなると何も答えずそのままその場を後にする。あの人のよくやることだ。今更だけど、でもここまで理解不能なのは初めてだ。体の心配しに来たわけじゃないっていうなら何をしに来たんだよ。雑談?こんな時間に?まさか心の心配……?いやいやいやありえない。あの人特異生物嫌いだし。
そういえば、何で特異生物が嫌いになったのか聞いたことがない。家族や大切な人が殺された、とか?聞いたことないけど。
タッタッタッタッタッタッ
「……え」
また足音。今度は誰だよもう寝かせてくれよ。
そんな俺の願い虚しくガラガラガラバーーン!!とうるさく扉が開く。入ってきた人の身長に合わせて視線が下を向いた。
「フッレイムくーん!元気?」
「俺は寝ているのでどうぞおかえりください」
「えぇ!?せっかく起きたところに駆けつけられたんだから、ちょっと付き合ってよっ!!」
「え、何を………いたっ!?」
そう言って俺の腕に刺さっていた点滴の針を無理やり抜きクレンメを下げて点滴を止め、俺を引っ張って立ち上がらせる。何だ何だよ、もうさっきの白夜長官でお腹いっぱいだって。
スリッパを履いて個室を出る。腕を引かれ渋々歩くことにした。あぁ、龍斗さん帰ってきませんように。
後に落ちるであろう雷ですでに頭を痛くする俺を気にせず的戸さんはキラキラ輝く声色で興奮したように話す。
「良い報告があるんだ!君のパワーアップの試作品が出来たんだよ。見て見て!」
「えっ!?い、今出来たんですか?」
「ふふん、さっきので限界濃度が調整できたからねぇ!生まれたてほやほや!早く君で試したくてさぁ来たらなんと起きてるんだもん!」
「……見るだけ見ます。試すのは明日以降で」
「えぇなんで!?つれないなぁ!!」
「さっき白夜長官が来て疲れたんですよ。結局何の用事だったかもわからないし」
あぁ、と的戸さんがこぼす。
「なるほど。彼女はなかなか情が深いねぇ。責任感も強い」
「何か知ってるんですか?」
「……君、結構鈍いって言われない?」
「はぁ?」
「こんな時間に起きてるかもわからない君を見にくるなんて一つでしょ。君を案じてくれてるんだよ、上官として」
「そんなわけないでしょ。ありえない。あの鬼の長官ですよ?」
「鬼の目にも涙ってね。まぁいいや!」
俺の話を聞いているのかいないのか、手を引かれぐんぐん進んだ先は研究開発室2。青白い蛍光灯の光で照らされた部屋は真夜中ということもあって少し恐ろしい雰囲気だ。
適当な場所に座ると的戸さんはその向かいに座る。その手には何かのチラシだ。ねぇねぇと片側の口角が上がって俺を面白がるいつもの表情。あぁ、こうなったら止められない。めんどくさいけど乗るしかないか。
「コトラ事件の一年後ぐらい、ワクチンを打つかどうかって世間で一悶着あったの覚えてる?」




