#8-8 震える均衡の中で
「まさかただ道を案内したら、こんなナンパされちゃうとはね」
「いやねナンパなんて。私は本気」
ウエスタンな雰囲気の街並み。優也と海美ちゃんの元から結構離れたこの場所まで案内してしまったのが運のツキだったかな。汗が首を伝う。
目の前にはセミロングの可愛らしい20代ぐらいの女性。オレンジ色の花柄の半袖パフスリーブに黒のデニムのストレートパンツ。大きな目元は何だかうちの女の子を想起させる。
「だってお兄さん、聞いてたよりもイケメンでタイプだったから何だかドキドキしちゃって」
「へぇそりゃどうも。じゃあそのタイプの顔に免じて」
ギチ、と嫌な音がした
「これ、引っ込めて?」
「やーだ♡」
突然繰り出された大きな爪を近くにあった射的銃の鉄の部分で受け止め力が均衡して数十秒。相手の爪と鉄部分がカタカタと音を鳴らす。女性は余裕そうににやにやと笑っているが、対してこちらは腕も銃も限界だ。
「私はこのままずぅっとこれでもいいよ。お兄さんの顔近くで拝めるし」
「あれ?俺のこと殺しに来たんじゃないの?」
「んーん。私はおまけ。ネイチさんもね。今日はボスの本命を見に来たの」
「あぁそう。君の名前は?」
「私?私は────」
その瞬間力を上に流して均衡を破り、間髪入れずに顎を狙って蹴る。だが狙いがバレたのか身を退かれ、お互いに距離を取った。その隙にこっそり小声で耳のインカムに少し頼み事をする。
その合間に女性はパンパンと服の汚れを払うと、眉を寄せてため息をつきつつ、未だ余裕の消えない表情で微笑む。
「もう、レディの言葉は最後まで聞くことね」
「これは失礼。じゃ、続きでも」
「私の名前はネピア。可愛らしい名前でしょう」
「ほんと素敵な名前。名付けは誰が?」
「そりゃザセル様よ。あの方が私とネイチさんを作ったんだから。それに全ての特異生物?を生み出したのはザセル様だし、ザセル様以外にそんな神業はできない」
「ふぅん。ザセルはお母さんってとこ?」
この子、意外にペラペラ喋ってくれる。嘘かブラフか、ちょっと頭が弱いのか。
「お母さん……とは違うわね。創造主?の方が近いかな。それにザセル様が大切に思ってるのなんて1人しかいないし」
「へぇ、誰?」
「そりゃあの本命くんでしょう。今頃デート中じゃない?てかさっきから何?別の人の話ばかり。私のことなんてどうでもいいの?」
あ、やば。この辺が潮時かな。
「いやごめんね。俺、婚約者がいるからさ。他の女の子に目移りしないんだよね」
「ヤダヤダ綺麗事はタブーよ。それで本心は?」
「残念ながら10年以上一途だ」
「アッハッハッハ!!面白い冗談ね!!」
「笑えないぐらい本気だよ」
「そんな誰かを思う一途な愛なんて存在するわけないでしょ?いいわ、わからせてあげる」
ネピアは突然左手の親指口の中に突っ込みぶちぶちと爪を食いちぎる。口からプッと血を吐き捨て、血が滴れる親指で口角を笑うように少し持ち上げながら
「変身」
そう宣言する。まるでどこかのヒーローみたい。
関している合間にみるみる彼女の体は人から変異して別の生物に変貌していく。
シャツとズボンの間に挟んでいた銃を抜き取り安全装置を外した。ポケットの中のシリンジはまだまだ恥ずかしがり屋だ。遠目にまだ避難中の人達がゾロゾロいるしね。さて、
「……ちゃんと練習しとくんだったかな、射撃も」
目の前に現れるのは、シャチが四肢を得たような姿。
黒い頭部には特徴的な背鰭と目のあたりに大きな白い楕円。マリンスーツのように全身を覆う黒と白の鱗はどことなくぬらぬらとしていて、尾鰭が二つに割れたようなものがヒラヒラと腰あたりにある。
一方で腕と足はシャチには似ても似つかない熊のよう。可愛らしいふわっとした茶色の毛とは反対に、手と足先は鋭く大きな爪がギラリと光った。
唾を飲み込んで銃を構える。
「ねぇあなたのこと食べさせて?」
「悪いけどお断りさせてもらうよ」




