#8-6 知らない顔
「う、つかれたぁ」
「まさか30分も踊らされるとは思ってなかったな」
「ね!意外と長かった……」
「ほらこれ、ちゃんと水飲め。暑いから」
「ありがとう」
近くの自販機で買ってきたペットボトルを開けて海美に渡す。イベントが終わり、鑑賞スペースからゾロゾロと人が移動して波のようになっている。あれに巻き込まれたくはないな。少し休んでから……って、あれ?
「龍斗さんは?」
「え?あれ?どこいっちゃったかな。逸れた?」
「インカムで……って、無いんだった。監視の人に預けてはいるけど、そこまでしなくとも見つかるか」
「そうだね。多分トイレとかだろうし、ここにいれば来るよきっと。そこのベンチで待ってよ」
「あぁ」
近くの3人ぐらいが座れそうな横長のベンチに腰掛ける。ふぅ、と一つ息をついた。流石にちょっと疲れたな。しばらくアップテンポなダンスだった。真夏にこんな動いても熱中症にならないのはショーの最中に放出されたあの大量の冷たい水のおかげだろう。
楽しかった。本当に久しぶりに、何も考えずに楽しめたかも。
その証拠に頬が痛い。笑いすぎて、普段使わない筋肉が疲れてしまった。
それもこれも全部海美のおかげだ。そう隣のMVPをちらりと見ると上目遣いで俺を見上げている。
「ねぇねぇ優也。ちょーっと席外してもいいかな」
「いいけど、どうした?」
「ここから少しだけ離れたところにアイスワゴンっていうのがあって、そこのアイスも名物なんだよディスティニーアイス!アタリ棒に巡り会えたらディスティニー!って!」
「……わかった、龍斗さん来てもここから動かないから、焦らずゆっくり戻って来い」
「やったーありがと!2人の分も買っちゃうね〜」
「おう、ありがとう」
なんでもかんでも運命に結びつければ良いと思ってないか?ここの運営。
そそくさと楽しげに早足でワゴンの方へ向かう海美を見送っていると、少し歩いた先で海美が何もないところでコケる。大丈夫かと慌ててベンチを立つと、それ以上の速さで顔を赤くした海美が走って行ってしまった。……まぁ、怪我してる感じでもなかったしいいか。
1人汗を拭う。ここは日陰だからだいぶマシだけど、ショーの最中は日向だったから結構汗かいたな。小さな斜めがけの鞄からハンカチを取り出して汗を拭く。
「っあ、」
やべ。せっかく横髪を綺麗に編み込んでもらったのが、さっきのショーの水と動きでちゃっと崩れてきてる。う……これどうやって編んだんだ?鏡もないしよくわからない。後で海美に見てもらうか。
キャアァァァァァアアッ!!
「っ!?」
突然どこかから上がる悲鳴に身を固める。なんだ、敵か?こんなところで……って、あ、あぁ。あのジェットコースターの客の悲鳴か。ここ、今日の始めに来たジェットコースターの近くなのか。
周囲には色々な乗り物がある。上にはジェットコースター、近くには観覧車の乗り口に、メリーゴーランドの並び列。どうやら家族連れの多いエリアらしい。近くではしゃいだ子供が親の手を引いて元気に走り去っていく。はしゃいでるなぁ……俺もか。
朝はどうなることかと思ったけど、全力で楽しんでいる自分に苦笑する。
「あの」
「っえ、」
物思いに耽っていると突然声をかけられた。顔を上げれば、目の前には女性が1人立っている。
女性らしい華奢な体に緑と黒のレースの綺麗なワンピース。腰まで伸びた艶のあるストレートな黒髪。誰もが美人と形容するであろうそのスタイルと顔の良さに、思わず息をのんだ。
「あの、お隣よろしいですか?」
「あ、ど、どうぞ」
「すみません。失礼します」
女性が隣に座ると花のような上品な香りがふわりと少し香る。無意識にベンチの端へと身が寄った。人見知り?あぁそうだよ!
でも、どこかで見覚えのあるような……
いやないか。最近のアイドルの顔の見分けがつかない俺だ。きっとどっかの女優と勘違いしているんだろ。知らない顔だ。
ちら、とバレないように隣の女性を見る。顔なんて見れないから足元の方。これ3人用のベンチなのに、何で隣なんだよ。端っこに寄ればいいのに。もう動こうかな。いやでも海美に待ってるって言っちゃったし。
──あ
「あ、あの」
「はい?」
「あの、足、怪我、してますけど」
「え、あ」
女性の左足首辺りに血が伝っている。ワンピースもよく見るとその血の周りが汚れてほつれてしまっている。隠れて見えないけど細い足に伝う血は少し多いような気もする。気がするだけだけど、傷が大きいんじゃないか?
「あぁ、さっきのイベントで人とぶつかってしまって」
「あ、そう、そうですか。……その」
止まらない変な汗。変なこと言ってないよな?俺。手に汗をかきながら提案する。
「よかったら、俺、絆創膏とか、あるんで。いりますか?」
「えっ」
「いやあの、キモかったらいいんで、すけど。スカー……ワンピース?汚れちゃいますよ、血で」
「いいんですか……!?私、手持ちが無くて困ってたところで!」
パァッと明るい表情に変わる女性。良かった。間違いじゃない。
「じゃやるんで、少しだけ裾上げてもらってもいいですか。座ったままでいいんで」
「えっ!?いえいえ、そこまでは申し訳ないです!自分でやりますよ」
「えっあっすみません違うんですあの、別にやりたいとかじゃなくて、変な気持ちもなくて!単純に、その、ワンピースだと足上げるのもしゃがむのも大変かなって!!」
慌てて手を振って邪な気持ちはないと否定する。やばっ、流石にキモすぎた!?いや流石にキモイか!!違うんだよ俺はただ自分でやるのは大変だろうって思っただけで!汚れちゃうかもしれないだろ!
「あっ、そ、そこまで考えていませんでした……いいんですか、やっていただいても」
「え、あ、キモくないですか……?」
「とんでもないです!むしろ見ず知らずの私にこんなにも優しくしてくださるなんて、気持ち悪がるわけありません!」
「あ、そ、それは……なによりで……はは」
先ほどまでとは違う冷えた汗をダラダラかきながら女性の足元に膝をついてしゃがみ、跪く体勢で少しだけたくし上げられた裾の裏にいる傷を見る。見た感じ、範囲は狭いけど傷が深い。多分ヒールか何かで蹴られたか踏まれたかしたんだろう。
バックの中からガーゼと消毒液を取り出す。新しく買っていたペットボトルを開けて水でガーゼを濡らし、周りの汚れと流れ出る過剰な血液を丁寧に拭き取る。
「ちょっと沁みますよ」
「はい……っ」
ガーゼに染み込ませた消毒液で傷口を軽く消毒して、絆創膏を貼る。範囲が狭くて助かった。傷が少し深いくらいだ。
「終わりました」
「すごい、こんな手際よく……お医者さんとかですか?」
「いや別に。生傷が多い仕事なんで、慣れてるだけです」
慣れたくはなかった気もするけど。
そんな俺の気も知らず、口に手を当てててえぇ!?と驚いている。
「生傷が……?ええと例えば、大工さんとか?」
「違います」
「えっと、特撮俳優さん?スタントマンとか?」
「違います」
「あぁええと、じゃあ」
ああもうめんどくさい。次ので適当に嘘ついて切り上げて離れよう。場所は……まぁ適当に時間潰して。海美の方に行ってもいいし。もう疲れた。精神的に。こんな初対面の人と話す気力はもうマジでな───
「SCRとか?」
「……え?」
「あれ?その反応、当てちゃいましたかね?」
「……な、んで」
全身の血が逆流するような、最悪な寒気
先ほどまでの上品で清楚な雰囲気とは打って変わって妖艶に笑う女性は、固まる俺の顎をクイっと持ち上げ猫を可愛がるかのように撫でる。
「ねぇ、孤虎優也くん?」




