#20-8 シャーク・ガールズ
後ろからお姉ちゃんが何かを取り出す。
「ねぇ海美、これあげる」
「え、なに……ノート?」
「中みてよ」
ノートの表紙をめくる。そこにはペンで大きく書かれたこの本のタイトルが書いてあった。
「『シャーク・ガール』……これって!!」
「こらこら、タイトルよく見てよ」
「えっ……シャーク・ガール……ズ?」
「そう。シャーク・ガールズ!強くて、優しくて、かっこいい女の子“達”の物語。実は書いてたんだ」
「え、え!これ、これって!」
ノートをパラパラとめくる、そこには綺麗な字で小説がつづられ、間にはちょこちょこ挿絵が入っていて、姉妹の女の子たちが世界を冒険している。初めの話には見覚えがあった。
「これ昔、読み聞かせしてくれた時の!」
「そうそう。あの時からずっと書き留めてる話だよ」
「わぁーすごい!うれしい!」
何も知らない可哀想で何もできない主人公の女の子が、仲間と出会い戦いを通して成長していくストーリー。偶然だけど、なんだかこれって今までの私のことを暗示しているみたい。
私、シャーク・ガールになれたのかなぁ。
自分のことも自分の力も何も知らないで、何もできなかった。けれど、優也と龍斗さんに出会って、自分に何ができるのか知ることができた。世界の広さを、残酷さを、美しさをその身で知ることができたんだ。
パラパラとページをめくる。けれど、ノートに書かれた物語は途中で止まっていた。
「お姉ちゃん、これ…………」
「海美にあげる。途中まで書いたから」
「途中?」
「完成はしてない。まだまだ未完成。続きは海美、貴方が書くの」
「私が!?む、無理だよ。私、そんな文才ない!」
「えぇ?なんでよ。私に続きを読ませてくれないの?」
「自分で書けばいいじゃん!」
「私は初めの方たくさん書いたもん。あとは、これから先の未来は、海美が生きるの」
「!……」
先ほどまでの輝きは静かになって、そこには寂しさだけが残っている。
そうだ。そうだった。私は今、夢の中にいる。
『シャーク・ガールズ』は女の子が仲間と出会い、成長して、世界の広さを知るために海へ繰り出すところで止まっている。お姉ちゃんは私に、世界に踏み出してって言ってるの?
「世界は広いよ、海美の想像以上にね。だから生きて、世界を知って、それをそこに書いて。それを私に教えてよ」
「でもどうやって。私、死んだんじゃ」
「あぁ、そうだね。心臓は止まっちゃったみたい」
「…………」
「でもね、私が手伝うから大丈夫。それに、呼吸だって私が何とかしてあげる」
「何とか…………って、私の呼吸がおかしいの、知ってるの?」
「魚みたいに陸上で呼吸が出来なくなってるんだよね。知ってるよ。でも大丈夫。お姉ちゃんの普通の呼吸と取り換えてあげるから」
私の呼吸と、お姉ちゃんの呼吸を入れ替える?そんなこと、できるのかな。
それにそんなことをしたら、お姉ちゃんが危ないんじゃない?それこそ、お姉ちゃんが死んじゃうじゃん。
────まさか、お姉ちゃんは自分の命を犠牲に、私のこと助けようとしているの?
いつの間にかうつむいてしまっていた顔を勢い良く上げると、よほど酷い表情をしていたのか、お姉ちゃんはそんな顔しないで、と柔らかく笑った。
「私はいつでも海美の傍にいるよ。心の傍に」
「……!」
「一緒にいるから。胸に手を当てれば、そこに」
「胸に…………手を、当てれば」
「そうすれば、また会えるよ」
髪を撫でられる。さぁっと温かい海風が私たちの合間を吹いていく。
気が付いてしまった。お姉ちゃんの体が青白くなっていること。生気が全くと言っていいほど感じられない肌の色は、お姉ちゃんの命の終わりを想起させる。
だから、せめて私には生きてって言ってくれているんだよね。
そんな愛を、私は乱暴に振り払うなんてできない。
涙があふれていく。
「おねえちゃん」
「生きて、息をして。そして世界を知って、飛び込んで」
「もっと世界を、知って、」
「そう。もっと、もっとたくさんの出会いや、発見や、苦しいこと、それにかけがえのないことが見つかるはずだから。それらすべてが、あなたの人生を彩るの。その色彩を、胸の中にいる私にも教えて」
「う、うぅぅううう………………!」
もう時間がない。もうお別れなんだ。でも、でも、でも。
やっと本音で話し合えたのに。やっと、あなたの愛をちゃんと知ることができたのに。
もう、お別れなの?
ポロポロと涙がさらに溢れていく。
「また会える……よね…………?」
「また会える。ふふっ、そんなに泣かないで。私、海美の笑った顔好きなんだよ」
「またあぇ、るっ、ひっく、」
「うん。私はそこにいる。寂しくなったら手をあてて。ずっとそこにいるから」
「いっ、うぅうううっ、ぁ」
「それに、傍に優也くんと龍斗さんもいるじゃん。何か辛いことがあれば、きっと助けてくれるよ」
「ひっく、グスッ」
「それに、優也くんとはいい感じなんじゃないの~~?」
「ちょっ!?ひっく、そ、そんな、ことない!」
「ふふふ。あはは。さぁ、もう時間だ。シャークガール、準備はいいかな?」
波が打ち寄せて、下半身が濡れる。穏やかだったはずの波は大きくなって、いつしか荒波に変わりつつある。波の花にさらわれそうなお姉ちゃんの手をぎゅっと強く握りしめた。
寂しい。心は寂しい気持ちでいっぱいだ。もう実体を持ったお姉ちゃんに会えることはないと、直感でわかっているから。でも前を向かなければいけない。悲しい感情にうずくまっていたって仕方ないって、仲間が教えてくれたから知っている。
けれどこの寂しさもおいてはいかない。
全部の感情を知って、抱えて生きていく。
呼吸を整えて、お姉ちゃんに向き直った。
「……うん。私、生きるよ」
「よく言った!はは、これで安心して眠れるなぁ」
「ちょっと。違うでしょ」
「え?」
全部持っていくんだ。その全部には、当然あなただって。
「あーゴホンゴホン……そっちこそ、準備はいいかねシャークガール!」
「!」
「私の胸の中にいてくれるんでしょ?なら、体は一人でも、心は二人分だよ!」
夕日に照らされた鳩が豆鉄砲を食ったような表情が、少しずつ笑顔に変わっていく。
そうだよ。私だけじゃないよ。私たちで見に行こうよ!
波がひときわ高く立ち上る。夕日を遮って、私たちに覆いかぶさるよう影になった。
「行こう、一緒に!」
「うん。シャークガールズで一緒に世界に飛び込もう!!」
ざぶんと波が2人を飲み込んだ。
冷たさに身構えたけれど、予想外に温かい。
きっとこれからも世界の予想外は続く。それを、あなたと一緒に知っていくんだ。
繋いだ手をはなさないように、手だけは力強く握ったまま、広い海へと繰り出した。




