#17.5-5 名前を呼んで
「あぁ、本当だ。本当に俺の妹だ」
抱きしめる力が無意識に強くなっていた。それに応えるように、少女が抱きしめてくる力もどんどん強くなっていく。離れないように、離さないように。今までの空白をギュッと埋められるように。
申し訳ないな、と感じるよりも、こうして出会えたことが嬉しかった。これで母さんと約束した『いいお兄ちゃん』になれるかもしれないし、何より、大切な存在が増えるのはとても嬉しいことだから。
そんなことを考えていると、少女は俺の肩口に埋めた顔を擦りよせて、涙が混じった声でつぶやいた。
「うぅ……ぐす……あぁ、よかったなぁ……」
「なにが?」
「あたし、こんな素敵なお兄ちゃんの妹で良かったぁ……!」
「……やめろよ本人の前で。恥ずかしいだろ」
ささやかな抵抗を見せれば、えぇ?と少女は顔を引いて視線がぴたりと合う。その顔は怒っているわけではなく、ニヤニヤとした何かを企んだような表情だった。
「あのねぇ、こういうのは言葉にしないと伝わらないんだから。ねぇねぇお兄ちゃん。あたし、お兄ちゃんのこと大好き。何があっても折れなくてかっこいいし、何があっても底なしに優しいの」
「は?おい、」
「ちょっと照れ屋なとこも鈍いところも好き。戦ってるとこはもちろん、ちょっと無茶するとこも好き。かっこいいの。それにね、」
「やめ、やめろって」
「あたしのこと妹って呼んでくれる。あたしのこと抱きしめて、頭撫でてくれるし、優しく笑ってくれるの。お父さんみたいな優しい笑顔、あたし大好き!」
「……」
別にそれくらい、いつだってやってやるのに。
「いっぱい好きなところあるの。こんなに大好きなお兄ちゃんの妹になれたこと、嬉しくて。言わなかったら、伝わらないでしょ?」
言わないと伝わらない。伝わらなければ、後悔が残る。
最近よく言われるな。後悔のないようにって。
なら────
「……そうだな。じゃあ、言うけど」
「?」
「俺、お前が生まれたら、なんでもやってやるつもりだったんだ。もう、なんでも父さんと母さんの代わりに全部やってやろうって。だからやってほしいことがあるなら言え」
「……!」
「頭なんていくらでも撫でるし、いつでも抱きしめてやる。笑顔……は、よくわかんない。けど、笑わせることはできるから。ほら」
そう言って体を離し、泣いて赤くなった少女の頬を両側に軽く引っ張る。むにむにと横に揺らせば、ぷっと少女は吹き出した。
「ぷっ……うひゃひゃひゃ!なにそれ〜!顔赤いよ〜?」
「お互い様だな」
「あたしのは泣いてるからだもん。お兄ちゃんは恥ずかしがりやでしょ」
「でも好きなんだろ、そこも」
「もっっちろん!」
ちょっとは否定しろ。小っ恥ずかしいだろ。そうは言っても口角が上がってしまってなんの意味もなかった。
そんな会話をしていると、少女は残念そうに一つため息をつく。
「はぁ……ずっとこのままが、よかったなぁ」
「……さっきから、その言葉ばっかり。なぁ、もしかして」
「消えるわけじゃないよ?」
「違うんかい」
「違うけど……でもね、お兄ちゃんを待ってる人がいるの」
「……」
「聞こえるの。外から、お兄ちゃんのこと呼ぶ声が」
「……龍斗さん、海美」
「そう。2人が、SCRのみんなが、待ってるの。お兄ちゃんのことを」
「うん」
「……寂しいなぁって。あたしのお兄ちゃんなのに」
「うん」
「でもこんな素敵なお兄ちゃん、みんなにも見せてあげたいし。自慢したいし」
「うん」
「だから、わがまま言わないの。だからこの幻想の世界ももう終わり。もう帰らないと」
「……うん」
そう返した途端、見える視界の端からどんどん白い煙に撒かれて消えていく。幻想が現実に飲まれていく。
少女は相変わらず寂しそうだ。何かを言いたいことや想いがあるはずなのに、わがままを言いたくないのだろう。
……だから、言ったんだ。
「おい」
「えっ」
「言いたいことがあるなら、言わないと伝わらないんだろ」
「っ!」
「それに言ったはずだ。やりたいことがあるなら、なんでも叶えてやるって」
「……なんでも?」
「ある程度のなんでもなら、なんでも」
「なんでもじゃないじゃん」
「いいからなんでも言えって。……好きな……妹の願いなら、なんでも叶えたいから」
「じゃあ、まず、一つ」
少女はおずおずと言い出す。
「お父さんと、仲直りして」
「!」
「『ごめんなさい』って言いたかったんでしょ。なら、絶対に言って」
「あぁ、わかった」
「あとね……その、」
すると少女は父さんの話の時とはうって変わって、照れているような仕草だ。視線を逸らし顔は少しだけ俯いて、何かを恥ずかしがっているような様子に見える。
言いにくいことなんだろう。でも、もう時間がないかもしれない。願いを詰め込んだこの幻想の世界は少しずつ形をなくしているのが視界の端でもわかる。
でも急かすわけじゃなくて、どちらかと言えば、ゆっくりと言い出せるように。
頭にポン、と優しく手を置く。驚いて顔をあげた少女になるべく柔らかく笑って見せた。
「大丈夫。にいちゃんがいるから」
「……」
「好きなこともやりたいことも一緒にしよう。これは言葉通り、なんでもしてやるから」
「……ぷっ」
「!」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情はみるみる崩れて、ついに吹き出して、
「うひゃひゃひゃひゃ!ひゃひゃっ!あーーー」
「なんだよ急に」
「やりたいこと全部やられたー!あー言わずとも全部やっちゃうとか、もーーーやられた!」
「???」
「言ったね!言質とったからね!これからもいっしょに、やりたいことやるんだからね!」
「それは当然だろ。これからも一緒なんだから」
「くーーーーーー!もう、これだから大好きなの!」
また飛びついてくる。全く、仕方ないやつだ。今までできなかった分も含めてくっついていたいんだろう。
「ねぇ、またこうして会いにきてもいい?」
「あぁ。いつでも会いにこい。俺も会いたいから」
「うひひ!……じゃ、最後に」
気がつけば世界の崩壊は足元まで近づいてきている。まぁ、いい。最後だけど、最後じゃないから。
少女の顔が近づく。
「俺の妹って、また呼んで」
「……妹……」
「うれしいの!お兄ちゃんの妹って感じられてさ!」
「なぁ、名前ないの?」
「!!」
「妹……でもいいけど、名前、あればなって」
現実では、生まれてくる前に事故にあって、名前をもらうことはなかったわけだけど。
やばい、嫌なこと言ったかな。そう伺うように顔を見つめると、一筋の涙が頬を伝っていった。
「っ!あ、ごめんな、嫌だったか」
「……」
「ごめん」
「……やっぱ、お兄ちゃんはすごいね。あたしのほしいもの全部、言わずにわかっちゃうんだもん」
「え……」
「あのね、名前ね、考えてたの。お兄ちゃんの中でずっと考えてたのよ、あたしの名前」
「……」
少女はすぅ、と息を吸う。
視界が白く飽和してきた。もう時間はない。
「利子」
「りこ」
「利子って呼んで。お兄ちゃんはお母さん────優未の優から優也って名前になったでしょ。だからあたしはお父さん────利人から利って字をとって、利子って名前がいいの」
「いい名前だな」
「でしょ?」
「いい名前。利子。利子」
「うひひひひ!あぁ、幸せでいっぱいだ。あたし、そばにいるからね。ずっと。寂しくないからね」
「!」
「寂しくないよ。独りじゃないよ。最後に、それだけ言わせて。すごく言いたかったこと。それとね」
ついに体が崩れた。足先からじょじょに感覚がなくなって、腕もなくなって。
それでも2人、目をはなさないで。
「お兄ちゃん。大好き」
「利子、俺も大好きだ」
視界が明転する。それがどれだけ眩い光でも、
2人の目線が逸れることはなかった。




