#11.5-4 優しい音
「それで俺は足音が怖くなくなった。むしろ出迎えに行くぐらいで……って、え!?」
「うぅぅうううううう!!何その話!!超カンドーものじゃん!!」
歯止めが効かなくなったように涙が次から次へと溢れ出てくる。うぅう、昔2人にそんなことがあったなんて知らなかったよ。正直優也が自傷してたって話でもかなりしんどかったのに!
グズグズと泣く私に優也が慌ててティッシュ箱を手渡してくれる。とりあえず鼻水をかんで、少し一呼吸置いて。
「龍斗さん、私たちのこと守ってくれてるんだね昔からずっと」
「子供を守る。それがあの人の本分だからな」
「私のときもさ、部屋に来てくれて、変な意地はってた私のこと怒ってくれたの。戦う理由だって無くしてたのにもしかしたらって話もしてくれて。すごいね、大人って」
「敵う気がしない。本当に」
そう言って優也はアップルパイを口に含む。りんご好きだもんね。柔らかく微笑んだその表情で、優也にとっても、きっとこのアップルパイがお気に入りってことが伝わてくる。
優也の優しさも料理上手もきっと龍斗さんからなんだろうな。こんな場所で、今とは比べ物にならない過去の酷い状況の中だって、汚れず捻くれずに愛情と優しさいっぱいで育った、優しい人。
優也はよく龍斗さんのこと、敵わないっていうけどさ。私は優也に敵わないなってよく思うよ。
「優也」
「ん?」
「ありがとう。色々話してくれて」
「……話がだいぶ脱線したな。つまり俺が言いたいのは」
優也が横に座り直し、茜色の2つの目と目がぴたりとあう。
「俺にとって足音は不快じゃない。だから困った時はいつでも来い。アップルパイはないかもしれないけどな」
──やっぱり、この優しい笑顔が大好きだ。
「うん。そうする」
「よし。ホットミルクはまだ飲む?」
「飲みたい!」
「ちょっと味変えようかな。コップ貸せ」
「何味?」
「飲んでからのお楽しみ」
私のコップを取りニヤッと笑ってキッチンの方へ歩いていく。かちゃんとシンクとコップの底がぶつかって音を鳴らす。キュッという音と一緒にサーっと水が流れる音がして、止まったと思うとワシャワシャとスポンジで擦る音が聞こえてくる。
目を瞑って、優也の音に耳を澄ます。
水の流れる音。濡れたコップを拭く音。冷蔵庫の扉を開ける音。牛乳パックを取り出して、開ける音。その合間合間の布の擦れる音。
ただここに生きる音。
どれも珍しくない普段の生活の音。けれど心温まる、優しい音。
その音を耳の奥に、私の意識はゆっくりとまどろんで夜の波に乗せられていった。
*****
「………」
すうすうという寝息にキッチンから顔を覗きだすと、ソファの上で丸くなっている海美が小さく上下している。そこで寝るなよ。体痛めるだろ。
手元に残った隠し味ホットミルクはどうやら俺の胃に収められることになりそうだ。コップもちゃんと洗ったしいいだろう。そう一口飲むとお気に入りのアレンジが効いた好みのホットミルクの香りが鼻を抜け、その温かさに眠気を誘われる。この味を海美が知るのはまだ先の話になりそうだ。
コップをテーブルに置き、棚からブランケットを取り出して海美にかける。すうすうと眠る穏やかな寝顔につい頬が緩んだ。
……こつ、こつ、こつ
静寂の中にこっそりと、1つの足音。
その音に驚いて扉を開く。
「龍斗さん」
「よ、優也。良い匂いがしたもんだから」
「今日は別にドラマ見ながらじゃないですから」
「え?そうなの?」
というかここで話していたらせっかく眠れた海美が起きるんじゃないか?慌てて外に出て扉を閉める。
「今海美が中で寝てます。静かに」
「え」
「眠れなかったらしいです。些細な音が気になるって」
「あーそういうこと。焦った………」
焦った?何を?首を傾げてもその疑問に答えは返ってこない。
「昔話してたら眠くなったみたいですね」
「昔話?なんの」
「これの」
そう右耳の裏にある古い傷跡をトントン、と指で叩く。あぁ、あれ。懐かしいな。と龍斗さんは呟いた。あの時のハンバーグあんだけ調子こいてて失敗したのマジで面白かったよなぁ、と苦笑いし、それが面白くて張り詰めていた気が完全に抜けたことを伝えるか迷ったが、伝えないことにした。
「そうか、優也と同じように海美ちゃん耳良いもんなぁ。あれ、鮫だからかな?」
「さぁ」
「それだけじゃなくとも、色々心に来ることも多いからな。ゆっくり休んでほしいね」
「そうですね……あ」
口元に手を当てる。ちょっと待て。あれ?これどうすんだ?
隣で龍斗さんが不思議そうに俺を見る。
「何?どうした?」
「あの俺……」
「?」
俺の部屋のソファで海美が寝ている。やっと眠れたことを考えるとわざわざ起こすのはなし。てなると動かせないし、仮に動かしたとして海美の部屋のコードを俺たちは知らないから入れない。あそこで寝てもらうしかないわけだ。
でも海美がソファで眠る隣で俺がベッドで寝るのもなんか……ていうか一応異性がいる部屋だしちょっとなんかあれだろ。絶対長官あたりに睨まれるし。かと言って部屋を留守にして万一海美が起きたら困るだろうし。
龍斗さんの部屋はベッド一つだけ。予備ベッドなんてものはない。じゃあ、
「今日、俺どこで寝ればいいんですか……?」
*****
「……んぅ、あれ、私なんでここに…?」
「おはよ海美ちゃん」
「龍斗さん?優也も。おはよう」
「……ぁよ」
「優也はなんで床で寝てるの?」
「ちょっとグズっちゃったんだよな?優也」
「ぐず……?」
「ぐずってねぇ……でss……」
「うわ、朝弱すぎでしょ」
「許してあげて。俺がかなり遅くまで付き合わせちゃってね」
「そうなの?何してたの?」
「色々。さ、一回部屋戻って着替えといで」
「?……はーい!行ってきます!」
「………優也今日休み?」
「なわけないでしょぉ」
「『何もしてないことを証明する証人になってください』とかいって、暇つぶしの神経衰弱で本当に衰弱するやつがいるとはね。ほら、起きた起きた!」




