#11.5-3 あなたの音なら何度でも
「ん?あれごめん。なんか言った?」
まさか、自分を騙そうとしている?
だってこんなに優しくなんて、おかしいから。
「優也くん?」
そうなると瞬く間に頭を嫌な考えが支配し、優也はキッと扉を睨め付ける。
きっと裏があるに違いない。そうだ、きっと罠に嵌めるに違いない。扉を開けたらきっと、『騙されてやんの』ってバカにするつもりなんだ!子供だからって舐めやがって!
自分がどれだけここで嫌われてるなんか痛いほどわかってる。以前親切で場所を案内してくれたと思っていた人が、突然階段から突き落としてきたのだってまだ忘れてない!!もう騙されてたまるもんか!!
優也は強くドアを貫通して龍斗を睨みつけた。
「ウソつき」
「え?」
「そんなウソ、だまされないからな!」
「ゆう」
「そんな優しくなんて信じられない!アンタもどうせ俺のこと信じてないんだろ!孤虎の血が流れた化け物だって!!もう……もう来んなよ!!」
フゥフゥ、と荒い息。言ってやった。舐めてやがって。気を許しかけたちょっと前の自分を殴ってやりたい!と心の中で叫んで、何度か荒い呼吸を繰り返してやっと落ち着いた。返す言葉もないのか、扉の向こうからは何も聞こえない。静寂がまた優也の喉を絞める。
ふん、と優也は踵を返した。もう返す言葉もないんだろ。秒針が音を立てるにつれて心に積もっていく罪悪感に目を逸らし、面倒な意地と共にリビングへと戻った。何に矛先を向けた怒りかはわからないが、頭を掻こうとした手が耳に引っかかり、瘡蓋になりかけたそれがめくれてまた血が流れ始めじぐじくと痛んでまた涙が溢れる。痛い。痛い。痛い。
痛みを誤魔化すようにベッドにボスンと横になってタオルケットに包まる。扉の向こうからは何も聞こえない。飽きたならさっさと帰ればいいのに。いやもう帰ったのか?だから聞こえない。……はずだった。
「ごめん」
「……」
「ごめん。急に距離詰めるようなこと言ったな。嫌だったよな。ごめん。でも、これだけは聞いて」
蚊の鳴くような声だ。息を落として先ほどまでの明るさを忘れてしまったその声を、優也の耳は敏感に掬い取る。
「俺は、優也くんのこと信じてるよ。お父さんのことだって。あの日言っただろ?『一緒にお父さん待とう』って」
「………!」
「無理はさせない。けど信じてる。いつか優也くんが俺のこと信じられる日が来ること。それまでは2人分もらってくるから、これもさ」
ガサっと何かがなる。その音に優也は聞き覚えがあった。ビニール袋だ。スーパーに置いてあるようなやつ。それと同じ音。
扉の向こうで落ち込んでいる男はレジ袋を持っている。そういえば、夕食にハンバーグを作りに来てくれていたんだった。だから何が入っているのか、優也でも簡単に想像がついた。
「1人で落ち着きたいところごめんな。俺、今日は適当なところで寝るし、この居住区には普通の人はこない。……普通の人ってか、人間はこないから安心して。ご飯食べなくともゆっくり寝るんだぞ」
じゃあまた明日。おやすみ。
その声に雪のように積もっていた罪悪感が血液にのって優也の体全体を支配した。
あんなに落ち込んだ声、自分を想ってくれる人になんて返した?怪我をした俺を安心させようと、あの話をしてくれたんじゃないか。俺が怪我をしたって言っちゃったから、それに応えようとしてくれた。なんで、どうしてそんなに優しい。その優しさに怖くなって、俺は、俺は、
俺はなんて突き返した?
弾かれたようにベッドから飛び出し、扉を開く。先ほどまで怯えて手もかけられなかったはずのその扉は、驚くほど簡単に開けられた。
「うわっ!?優也くん!?」
「りゅうとさん」
情けなく震えた声だった。しかも耳の深い切り傷の痛みに泣いていた喉は引き攣って、少し上擦ってすらいた。
龍斗はそんな様子の優也を、茶化すことなく、けれど抱きしめるようなこともなく、ただ黙って真っ直ぐと優也を見据える。
「…………」
「りゅうとさん、ごめんなさい」
「…………」
「そんなこと思ってない。そんなこと思ってないんです。りゅうとさんが俺のこと罠にかけようとかそんなこと思う人じゃないって知ってる」
「…………」
「本当はそんなこと思いたくなくて、グズッ、……ひっく、でも優しいから。嫌になるぐらい優しいから!!何かあるんじゃないかって、急にすごく怖くなって」
「うん」
「父さんを一緒に待っててくれるって覚えててくれた。いっしょに待ちたい、です。ひどいこと言ってごめんなさい」
言いたいことは順を成さず、もう最後はぐしゃぐしゃでまともに伝わったかすら怪しい。それでも優也の精一杯を込めて叫んだつもりだった。頭を下げるとぽたっと何かが垂れる。それが血か涙か、ぎゅっと目を瞑った優也にはわからなかった。
それに微笑み、膝を床について優也よりも低い目線から、優しく優しくゆっくりと語りかける
「謝らないでいいから。これは距離感ミスった俺のせい。ちょっとだけでも心開いてくれたって1人で喜んじゃってさ。急に何言ってんだってな。ごめん」
「でも、」
「いいのいいの。子供は大人を頼るもんだよ………あー暗い暗い!そんなんじゃクラクラ魔人になっちゃうぞ〜?」
「っわ?!」
ぐしゃぐしゃと頭を乱暴撫でられ驚いて顔をあげ、目を開いて龍斗とぴたりと視線が合うと、朗らかに笑う龍斗に誘われるように優也がクスッと笑いだし、2人の重なった笑い声が静かな廊下に響いて空間に飽和した。
距離感なんて間違えてしまう。だってお互い違う生き方をしてきて、何にも知らないから。わからないことも分かり合えないこともきっとたくさんある。
けどその度今日みたいに、少しずつ。
グゥゥウウウウ
「っあ、」「!」
慌てて優也が腹を押さえる。次第に顔が赤くなり、また下を向いてしまった。そういえば、今日は昼から食べていなかった。安心したところで腹の虫が鳴き始めてしまったのだった。
「っふふ、食べる?ハンバーグ」
「……食べたい」
「オッケーまかせろ!でもまずはその耳の手当からな。優也くんの部屋にしようか」
「うん」
「よし、じゃいこう」
「あ、ちょ、ちょっと。ひとつだけ」
クイ、と袖を引っ張られ、目を丸くしながら視線を優也に落とす。
さっき差し伸べてくれた優しい手を乱暴に振りきってしまったから。今度は俺から。
「どうした?」
「あの、優也って…………その、」
「うん?」
「くん、いらない。なんかよそよそしいし」
「え」
「……優也でいい。呼ぶの。優也って呼んで」
単によそよそしいから。
その優しい笑顔が、父に似ていて重ねてしまって。
心の距離が縮まった記念に。
どれも正解の理由だった。全部が正解だけど、なんて伝えるのがのが正解かはわからない。だから1番そっけない感じで、なるべく恥ずかしさを包み隠すように。
優也は照れて顔を隠したはずが、目の前のみるみる破顔していく男は隠そうともしなかったようだ。
「よーし優也!デザートもつけてやろうじゃないか!!」
「え、で、デザート?」
「優也の好きなデザートつけてやる!何か好きなデザートある?」
「えー…………なんだろ。あ、そうだ」
ん?と優也の顔を満面の笑みで覗き込む龍斗。振り返るその足音があまりに楽しげに浮かれているもので、少しクスッと笑った。
この人の足音なら怖くない。
あなたの音なら何度でも迎えにいこう、その音を。
龍斗に負けない、慣れないけど精一杯の笑顔を返す。
「アップルパイが好きです」




