#11-7 絶望に落ちる夢
でもまだ、まだあと一つある。俺たちの逃げ道。
「……あんまり良くない気がするけど」
どうか無事に使えてくれ!
エレベーターの上矢印ボタンを押す。そこに止まっていたエレベーターはすぐにその口を開いた。
「!!」「ううっ!?」
バイオハザードって、どうなってんだよほんと。
そこには大量のマウスの死骸がある。素人目に種類はざっと見て、この研究所で使われるようなものばかり。だけど頭が二つあったり逆に頭のないものが混じっていたり。夥しい量の血液がエレベーターの後方の壁とその両隣の壁を鮮やかに彩って、鼻腔に錆びた鉄の匂いが掠めた。
でも正常に動く。どこにも壊れているような様子はない。これでいくしかない。
光莉の手を引いてエレベーターに乗り込んだ。これで地上に───!
ブーーーーーーーーーーーー
「え、」
ハザードの警報音とは違う、別の音。
「何……!?」
ブーーーーーーーーーーーー
エレベーターの上部から鳴るそれは、ある意味正常に動作している証拠なのかもしれない。操作盤の上に赤く灯るその文字は、
「重量オーバー!?」
「……っ!マウスのせいか!」
動くことのないエレベーターの原因。それはこの大量のマウスの死骸だろう。でもこれをどうやって退かす?時間もないのに!
一度エレベーターから降りて、何か道具がないかあたりを探す。何か、担架とかで一気によけられないか!?
………
「……あれ、」
エレベーターのブザーが、止んだ?
光莉はエレベーターの中に残ったまま、開くボタンを押し続けている。もしかしてこれ、
そう頭によぎって一歩エレベーターに乗り込む。すると、
ブーーーーーーーーーーーー
「これ、1人なら乗れるのか……!?」
重量オーバーの警報が鳴り響く。1人しか乗れない、けど1人なら確実に上に運べる!
エレベーターを出て廊下を見渡す。左手に伸びる廊下の向こう、粘着質な体を引きずっている化け物はまだまだ先だ。カマキリの方も音こそするけど入ってくる様子はない。
問題は眼前の動物舎。ドアや壁には亀裂が入ってて、今にも壊れそうだ。決壊したら溢れ出てくるのはあの化け物たち。ここにいればきっと、命の保証はない。
なら、俺のやることは一つだ。
「光莉、先に乗って上に行って」
「えっ……」
「上が安全かどうかはわからないけど、でもここにいるよりは希望がある」
「ちょっ、ちょっとまってよ!!龍斗は!?」
「まだ猶予はある。光莉が1階で降りた後は地下3階のボタン押して。そしたら俺が来たエレベーターに乗るから」
「間に合うわけないじゃん!!目の前見えてないわけ!?」
「いいから行けって!!」
返事は返ってこない。様子はわからない。でも振り返ることはできなかった。振り返ったら、なんだか未練がましく泣きそうな気がして。
ぐっと歯を食いしばった。喉の奥が震える。呼吸が早まっていく。怖い。怖い。怖い。
でも、ここを譲るつもりはない。
自分の人生全部投げ打ったっていいと思える、最愛の女性を生かすためなら死んだっていい。
「行って、光莉」
貴女の輝きがこれからも世界を照らすから。
こんな俺なんかが生き残るより、ずっといいから。
目の前でガラッと動物舎の壁が崩れ始める。
「行け!!!!」
あぁ、光莉に会えて幸せだったなぁ。
すぐ後ろからカチ、と嫌にはっきり閉じるボタンを押す音が聞こえた。
『ドアが閉まります』
無機質な電子音声。最後、もう最期か。
もう未練がましく泣くこともない。なら光莉の顔、みたいなぁ。
首だけ振り返る。最後ぐらいカッコつけた言葉一つ、残したって──
「──え」
その美しい顔立ちはなぜか、目と鼻の先にあって。
「龍斗、愛してる」
「ひか、」
口が塞がれる。柔らかな感覚。一瞬だった。
腕をひかれる。驚く暇もなく、一気に体が傾く。
強く引かれて傾いた体はエレベーターの中へと吸い込まれる。閉じ始めたばかりの扉。その間に滑り込むようにして。
刹那、何かが破壊されて崩れ落ちる音。何かの生物の鳴き声とも取れる奇声。その絶叫を背に受けながら、貴女は青ざめた顔で俺に微笑んだ。
「ひかり、」
その微笑みは、慈悲深い女神のようで。
ガタン、と音を立てて無慈悲にエレベーターの扉が閉まる。中は無機質な白の光が降り注ぐばかりで、向こうの地獄はめっきり見えなくなってしまった。
「光莉、おい、」
床から独特の圧力を感じる。ふわりと一瞬の浮遊感。操作盤のボタンは「1」だけが灯っている。
「光莉……光莉!」
床に手をつき下に向かって叫ぶ。届くはずもないのに。
「光莉ぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいい!!!」
届くはずもないのに。
帰らなきゃ。
帰らなきゃ。
光莉のところへ、迎えに行かなきゃ。
光莉が、光莉が、光莉が。
操作盤の「開」を乱暴に叩く。けれどエレベーターは止まらない。次は1階とだけ小さなモニターに表示されたままだ。なんで、止まれ、止まれ、止まれよ!!なんで!!
数秒してまた足元に独特の圧力を感じる。『1階です』と機械的な音声が鳴って、ドアが開いた。すかさず「B3」と「閉」を連打する。今すぐいくから、すぐ、すぐに!まだ間に合うかもしれないから!!
『ドアが閉まりま──』
ガギャンッ!!
「え、」
閉じようとしたエレベーターに強く衝撃が走る。
視線を横にずらせば、エレベーターの中に昆虫の足のようなものの先端が入りこんでいた。あれ、でもこんなでかい足を持つ昆虫って、いるのか?
操作盤から離れて、ふらりとエレベーター中心に立つ。大きく口を開けた扉の先には
「あ…………」
大きなバッタがいる。それは通常のサイズなんか比にできないほど、巨大な体躯を持っていた。
さらにその後ろ。翼を持った鳥の尾羽が蛇のように伸びており、翼から人間の手らしきものが生えている。人間の手の爪って、あんなに鋭いもんだっけ。
他にも地下3階にいた泥の混じった軟体生物、植物の頭とヒゲ根のような四肢をもつ生物、魚人やら風船のように膨らんだ腹の人間やらマグマのように沸騰している肉塊やら。
要は、大量の化け物が地上1階に蠢いていた。
それらの目や顔が俺に向く。眼前の凶器達がギラリと光る。
「はは、」
トン、と背中を壁につく。ぐちゃりとした水っぽい感覚を踏み潰しながら、渇いた笑いが漏れた。
あぁそっか俺たち、無理だったんだ。もうどうしようもなかったんだな。張り詰めていたものが緩く解けて、力が抜けたままズル、とその場に頽れた。
そこからは、多分夢なんだと思う。
俺の体はたちまち切り裂かれた。千切りとられた腕が床にゴロゴロと転がって、エレベーターの中の壁にぶつかった。いつもと比べて半分になった視界は呑気にそれを映し出している。神経がズタズタにされたのかなんなのか知らないけど、化け物の声も、肉が裂ける音も血が飛び散る音も何も聞こえない。
ブツリとテレビが途切れるように、いよいよ暗闇に染まった視界。真っ暗だ。
ごめん、母さん。親不孝者で。
ごめん、姉貴。光莉のこと紹介するっていったのに。
あぁ、ひかり、
「光莉……」
今逝くから。貴女の隣に。




