第37話 1秒の交錯
ここまで読んでいただきありがとうございます。
前話から続き、いよいよ敵拠点である「第七隔離坑道」へと突入します。
大きな戦いの入口となる回になりますので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
第七隔離坑道の入口は、山の中腹に穿たれた傷口のように口を開けていた。
自然にできた洞穴ではない。
岩盤を削って空間を作った跡が、壁にも地面にもそのまま残っている。
整えたというより、必要なぶんだけを急いで抉り取ったような荒さがあった。
削り落とされた灰色の砂があちこちに薄く積もり、足元では小さな石が靴先に触れるたび、乾いた音を立てて転がる。
見上げれば、入口の縁はきれいな弧を描いていない。
噛み砕かれたみたいに不揃いで、奥へ続く暗がりも、ただ黒いだけではなかった。
光がまったく届いていないわけではないのに、途中から距離の感覚だけが曖昧になる。
まっすぐ先へ伸びているはずなのに、視線を長く置いていると、奥がほんの少しだけ横へずれて見えた。
その前で、黒崎怜は黙って立っていた。
焦っている様子はない。けれど落ち着いているとも少し違う。
全身から余計なものだけを削ぎ落としたみたいな静けさで、前だけを見ている。
その横顔は普段よりずっと無口だったが、そこに迷いがないことだけは、誰の目にもはっきり分かった。
九条悠牙が、らしくなく口数少なめに入口を睨みながら、小さく息を吐いた。
「……思ったより、気分のいい場所じゃねぇな」
軽口の形にはなっているが、声は乾いていた。
霧島レンがその横へ並び、坑道の奥を覗き込むようにしてから肩をすくめる。
「気分がいい隠れ家だったら、そもそも敵の拠点になってないだろ」
「それはそうだけどよ」
「むしろ、嫌な感じしかしないくらいでちょうどいいんじゃない?」
「お前はたまに、励ましてるのか冷やかしてるのか分かんねぇな」
「半々だね」
レンは悪びれずに答える。
悠牙は呆れたように鼻を鳴らしたが、それで少しだけ肩の力が抜けた。
少し離れた位置では、水無瀬カナデが入口の周囲を静かに見ていた。
視線はせわしなく動かない。
ただ、壁、地面、奥へ流れる闇、その順番で必要なものだけを拾い上げていくような見方をしている。
派手な動きはひとつもないのに、彼女だけがこの場の音を別の密度で聞いているように見えた。
白鷺アオイは手の上でナイフを小さく回しながら、そんなカナデの横顔を一瞬だけ見たあと、ふっと入口へ視線を戻した。
銀色の刃が、曇った午後の光を薄く弾いていた。
「静かだね」
ぽつりとこぼれたその声は柔らかかった。
悠牙がすぐに返す。
「騒がしいよりマシだろ」
「どうかな」
アオイは首を少しだけ傾ける。
「静かな場所って、たまに“静かすぎる”から嫌なんだよね」
「言ってる意味がふわっとしてるな」
「分かりやすく言うと、何か待ってる感じがするってこと」
それを聞いた悠牙は、今度は否定しなかった。
「……それは分かる」
短い同意だった。
その一言で、この場にいる誰もが同じものを感じているのだと分かる。
後方では、アフェクト管理局の隊員たちが既に配置を整え終えていた。
余計な私語はない。入口周辺の警戒、負傷者が出た場合の対応、連絡線の維持、それぞれの役割が最初から決まっているような動きだった。
その中で、ミサキが一歩前へ出た。
白い手袋をはめた手は力みなく下ろされているが、目は坑道の奥を見たまま逸れない。
「ここから先は、あなたたちが主導で」
落ち着いた声だった。
「私たちは入口を押さえます。戻るにしても、押し戻されるにしても、ここが基点になる。だから、奥で余計なことは考えなくていい」
「あなたたちの力を存分に発揮してください」
黒崎が短く頷く。
「了解」
「それと」
ミサキは五人をゆっくり見渡した。
「中で無理に足並みを揃えないで。ここは、きれいに並んで動く方が危ない」
レンが口元だけで笑った。
「じゃあ、いつも通りだね」
「そうね」
ミサキも否定しない。
悠牙が腕を組む。
「要するに、詰まったらその場で散れってことだろ」
「要するに、そういうこと」
「だったら話が早い」
悠牙はそう言ってから、黒崎の背中へ視線をやる。
「お前、たぶん最初からそのつもりだったろ」
「さあな」
黒崎は短く返す。
「否定しねぇのかよ」
「必要ない」
悠牙は一瞬だけ口元を歪めた。
「ほんと、こういう時だけ分かりやすいな」
そのやり取りを聞きながら、レンが小さく息を吐く。
「こういう時“だけ”じゃないと思うけどね」
「お前はどっちの味方なんだよ」
「見てるだけ」
「一番タチ悪ぃな」
軽い応酬だったが、誰も笑いすぎない。
それでも、完全に張り詰めたままだった空気が、ほんの少しだけ人の呼吸に近づく。
未来を取り戻すための突入だ。
本来はそこに余裕なんてない。
けれど、余裕がないからこそ、こういう数秒のやり取りが必要になる。
言葉を交わすことで、無理に気持ちを奮い立たせるのではなく、いつも通りの自分たちの輪郭を戻す。
その感覚を、五人とも分かっているのだろう。
カナデが静かに口を開く。
「……広い」
全員の視線がそちらへ向く。
カナデは入口の内側を見たまま、言葉を継ぐ。
「中、一本道じゃない」
「分かるのか?」
悠牙が聞く。
「少しだけ」
「少しでそこまで言えんの、すげぇな」
「別にすごくはない」
カナデは感情の薄い声で返すが、否定の仕方があまりきつくないのは、悠牙なりの言い方に悪意がないと分かっているからだろう。
アオイが、ナイフを止めたまま小さく笑う。
「さすが、カエデちゃん。
頼りになるね」
「便利な言い方するなよ」
悠牙が言うと、アオイは少しだけ肩をすくめる。
「便利なのはいいことでしょ」
「お前が言うと、なんか別の意味に聞こえる」
「気のせいだよ」
そう答える声は柔らかいのに、どこまで本気なのかは分からない。そこがまたアオイらしかった。
ミサキが最後に短く言った。
「無事に戻ってきて」
命令でも激励でもない、静かな言葉だった。
黒崎がそれに背を向けたまま答える。
「未来を連れて、戻る」
それだけだった。
けれど、その一言には余計な飾りがなかったぶんだけ、妙な説得力があった。
そして黒崎は、躊躇なく坑道へ足を踏み入れる。
「行くぞ」
その一言に合わせて、四人も続いた。
⸻
中へ入った瞬間、外とは空気の質が変わった。
冷たいわけでも湿っているわけでもない。ただ、肺へ入ってくる感触が一枚ぶん重くなる。外の風が切れて、別の空間へ身体ごと移されたような感覚だけが残った。
通路は一見するとまっすぐだ。だが数歩進むだけで、壁との距離が微妙に変わる。
肩が触れそうなほど近くなったかと思えば、次の一歩で抜けるように広がる。
その揺れが、歩調そのものを少しずつ乱してくる。
悠牙が眉をしかめた。
「……歩きにくいな」
「壁の位置が一定じゃないからね」
レンが視線を横へ流しながら言う。
「詰まったり抜けたりしてる」
「だったら、壁見なきゃいいってことだろ」
悠牙はあっさり返す。
「足元だけ見て行けば外さねぇ」
「お前はそれで行けるだろうけど、全員がそうじゃないだろ」
「じゃあ各自で好きなようにやれよ」
言い方は乱暴だが、理屈としては間違っていない。
カナデは、二人の会話に挟まず一度だけ歩幅を変えた。足を置く位置をわずかに調整し、それで十分だと判断したのか、すぐに元へ戻す。
「……視界より、足」
小さく言う。
レンが頷く。
「そうだな。目で合わせると逆にズレる」
「だったら話は早い」
悠牙は鼻を鳴らす。
「足で行く」
アオイは奥を見たまま、静かに呟いた。
「壁だけじゃないね」
「何がだ」
黒崎が聞く。
「影の位置も、ちょっと変」
アオイは指先で前方をぼんやり示す。
「あそこ、さっき見た時より少し手前に見える」
レンがそちらへ視線を向ける。
「……ああ」
「見えるだろ?」
「見える」
悠牙が軽く息を吐いた。
「全部まとめて嫌な感じってことだな」
「雑だねえ」
アオイが笑う。
「でも、間違ってはないね」
そんなやり取りの間も、黒崎だけは歩みを変えない。
一定の速さで、一定の姿勢で、ただ前へ進む。彼の背中が少しも揺れないせいか、後ろの四人も自然とその流れに乗る形になる。
通路はやがてゆるやかに下り、その先で視界が開けた。
黒崎の足が止まる。
四人も同時に止まる。
目の前には、五つの通路が並んでいた。
左右に二本、斜めに二本、そして正面に一本。どれも同じくらいの幅があり、同じくらい暗い。
けれど、奥の見え方は微妙に違う。影の濃さも、空気の沈み方も、ひとつとして同じではない。
悠牙が低く笑う。
「……露骨すぎるだろ」
「むしろわかりやすくて助かるけどね」
レンが言う。
「悩む時間いらないし」
「お前、そういうの嫌いじゃねぇよな」
「嫌いじゃないけど、面倒じゃないとは言ってない」
カナデが中央へ一歩出た。
そこで視線を順に流す。
「……全部、違う」
「どれが一番マシだ」
悠牙が聞く。
カナデは少しだけ間を置く。
「左はずいぶん静か」
「静か?」
「うん」
「それ、良い意味か?」
「分からない」
悠牙が苦笑する。
「正直で助かるわ」
アオイが残りの通路を見て、小さく口元を緩めた。
「右は、ちょっと近いね」
「近い?」
レンが聞く。
「待つのが短そう」
その言い方に、悠牙が笑う。
「待つのが短い、ね。面白い言い回しするな」
「分かるでしょ?」
「まあな」
黒崎が後ろを見る。
黒崎たちと一緒に入ってきていた数人の管理局の隊員たちは、分岐点の手前で既に止まっていた。
「あんたたちはここで待機してろ」
黒崎が言う。
「この先には入るな」
隊員の一人が頷く。
「了解。ここを押さえる」
「抜けてくるものがあれば、私たちが受ける」
「頼む」
黒崎は短く返す。
それから、前へ向き直った。
「ここから先は、各自で進め」
「目的は、天城未来の救出」
「邪魔するものは全員排除しろ」
順番を決める必要はなかった。
最初に動いたのは悠牙だ。
「じゃあ、俺は右だ」
その言葉とほぼ同時に、身体はもう右の通路へ向いている。
レンが背中に声を投げる。
「早いな」
「悩む時間がもったいねえ」
悠牙は振り返らず、そのまま奥へ進んだ。
レンは一瞬だけ残って視線を流し、それから斜めの通路を選ぶ。
「……おれはこっちだね」
「任せる」
黒崎が短く言う。
レンは片手を上げ、そのまま進んでいく。
カナデは左へ向かった。足元を確かめるように、しかし迷いなく。
残るのはアオイと黒崎だけになる。
アオイはナイフを一度だけ回し、その刃に映る薄い光を確かめてから、少しだけ首を傾けた。
「……いるね」
黒崎が横目で見る。
「どこだ」
「今は前」
「今は?」
「動くと変わるから」
黒崎はそれ以上、聞かない。
アオイは小さく笑って、残った通路へ踏み込んだ。
最後に、黒崎が正面へ進む。
⸻
分岐点には管理局だけが残った。
隊員たちは互いに短く合図を交わし、それぞれの通路の入口を監視できる位置へ移る。奥へは入らない。
だが、戻ってくるものも、こちらへ抜けてくるものも逃さない。
それが自分たちの任務だと理解している。
若い隊員が、小さく息を吐いた。
「……すごいですね」
誰にともなく漏らした言葉に、隣の男が視線を動かす。
「何がだ」
「迷いがないです」
男は少しだけ考えてから、小さく肩をすくめた。
「迷ってないように見えるだけかもしれん」
「そうですか?」
「そういうのは、本人たちにしか分からん」
そこで会話は切れた。
⸻
黒崎はしばらく進んだところで、足を止めた。
踏み出す直前、足元の影がほんのわずかに遅れたからだ。
視線を落とす。
影の中に、もうひとつ輪郭が重なっている。
「……そこか」
黒崎の声は低い。
距離は近い。
それが直感で分かる。
黒崎はその場で呼吸を落とし、間合いだけを固定した。
⸻
悠牙は通路の奥へ進んでいく。
一歩、二歩、三歩。
そこで踏み込みをわずかに変えた瞬間、何者かの気配に気がついた。
悠牙の口元が歪む。
「……いたな」
笑うというより、ようやく手応えを掴んだ時の顔だ。
拳を引く。
躊躇はない。
⸻
レンは、進むほどに左右の気配が増えていくのを感じていた。
正面には何もいない。
だが、横に詰まる。
「……多いな」
小さく呟く。
嫌そうではある。
けれど、声の底にはわずかな面白がりが残っていた。
⸻
カナデは、目の前の空間だけ、沈んでいるのを確認すると、静かに立ち止まった。
見えない。
だが、そこに“ある”。
「……いる」
それだけ言う。
あとは動かない。
⸻
アオイはナイフを構え、刃に映る光が途中で切れる位置をじっと見た。
「ねえ」
静かに声をかける。
「見えてるよ」
空気が、わずかに揺れた。
⸻
第七隔離坑道のさらに奥で、レグルスはゆっくりと目を開いた。
「……来たか」
一拍置く。
「五つ」
それだけ言う。
その声には、驚きも焦りもなかった。
ただ確認するだけの静けさがある。
「こちらも始めよう」
レグルスは奥にいる未来へ静かに声をかけた。
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次の瞬間、五つの通路すべてで空気が張り詰めた。
そして、全員が同時に動く。
次回
1秒の増幅
第37話を読んでいただきありがとうございます。
今回は「突入」と「分岐」を中心に、戦闘直前の空気感を描いた回になります。
それぞれが別の道へ進むことで、ここから先は学園序列上位のアフェクト能力が明らかになっていきます。
次話からはその中の一つ――まずは悠牙の戦いを描いていく予定です。
ここで一気にバトルの温度が上がっていきますので、楽しみにしていただけると嬉しいです。
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引き続き『アフェクトブレイカー』をよろしくお願いします。




