37ゲームクリア
そして、カーズドワールドの世界は白に塗りつぶされていく。
魔王は勇者によって討たれた。物語の終末が押し寄せる。悲喜こもごもを飲み込みながら――。
暗闇に紛れた奇襲も、禄に通用しない。かといって、正面から攻めたところで、ヤマメの援護が関の山。どうしてもあの壁は抜けない。
「こうしている間にも兄貴は……」
焦りが精神を不安定にさせ、見えているはずの逆転の筋を曇らせる。
ゾディアックは、整然と配備された使役魔獣の群れに手こずっていた。
アサシンは紙装甲。透明人間になれる、という対人に特化した有能なジョブではあるが、反面モンスターが相手となると、それほど強いわけではない。モンスターを配下として操るトラップメイカーは、気配察知持ちのレンジャーに並ぶ天敵だった。
「このっ!」
怪鳥の背中に跳びかかり、二連撃で、両翼をもぎ取る。その戦闘能力の大半を喪失したモンスターは、悲しげな鳴き声をあげて、消えていく。気配途絶を解除し、姿を見せたゾディアックに、息つく暇もなく、四方八方からモンスターが押し寄せる。
丸太のような棍棒を紙一重で躱したと思えば、壁そのものが迫ってくるような巨体が、ゾディアックを跳ね飛ばす。追撃のように追ってくる数十本の針は、全力で叩き落としたが、魔法攻撃には手が回らない。炎弾が迫り、目をつぶった瞬間、
「何してる!!」
叫んだヤマメが、迫り来る魔法弾とゾディアックの間に割り込んだ。当然炎弾は彼に当たる。
「ぐ……っ」
肉厚の鉄塊のような大剣を盾にして、衝撃を緩和したようだが、無傷とは行かない。痛みを押し殺した苦悶の声が漏れる。
「ヤ……マメ」
初めて彼の名前を呼ぶ。初めて会った時の印象から、一方的に敵視していたが、彼には彼の事情があったのかもしれないと、少しだけ許す気持ちが生まれる。
「あなたが僕の事をどう思っているかは知りません!!ですがっ!今は仲間でしょう!?仮初だったとしても、レンさんの仲間でしょう!」
「っ……。ああ!」
心が狭い、と。言われたようで、情けなく感じる。
――でも仕方ない。それが自分だから。あの海よりも深い大きな器のレンと、自分は不釣り合いなのだ。慕情は胸に秘めたまま。何より、今の自分はゾディアックというならず者。他者の悲鳴を食らって、呵々大笑する暗殺者、元プレイヤーキラーなのだ。こんな気持は似合わないし、だったら、自己嫌悪もそこまで。
ならば最後まで演じ続けよう。この役割を……!
気迫だけで、モンスターの壁を抜くことは不可能。
けれど、それは最善を尽くしているわけではない。
人一人の力には限度がある。けれど、力を合わせれば。足りないところを補い合えれば、越えられない壁は無いはずだ。
それこそが最善の道。
「ヤマメ!引き続き前衛は任せる」
一方的な叫びだったが、ゾディアックの真心が通じたように、ヤマメは頷いた。
ヤマメは大剣を旋回させて、周囲に取り付いた雑魚を薙ぎ払う。その隙に付け込もうとする大型モンスターは、スキルで迎撃。教科書通りの模範的な戦闘法だった。
「で、それで?」
モンスターを統率していたバルサの番えた弓から、閃光が迸る。最早光線にしか見えない豪速の矢が、一直線にヤマメを狙う。ヤマメは通常攻撃の隙をスキルで消した。なら、スキルの隙は……?
「二対一の意味、分かってるか?”キャンセリング”」
自分が消す。
ヤマメに向かって飛来した矢をアサシンのスキルで消し飛ばす。発動中のスキルにタイミングを合わせて短剣を当てる必要が有るため、成功率は低いのだが、なんとか成功したようだ。
「ナイスアシストッ!!」
ヤマメのスイングで、烈風を孕んだ風の塊が生じる。その風邪の塊は周囲のモンスターを押しのけながら、バルサに迫る。
結局のところ、これらのモンスターは全て彼女がテイミングした存在である。頭は彼女だ。彼女さえ抑えれば、烏合の衆と変わる。個人でこれだけの膨大な数をコントロールする手腕は確かに驚嘆に値するが、テイマーの根源的な弱点を克服した訳ではない。
「将を射んと欲すればまず将を射よ!!」
元気いっぱいにヤマメが吠えた。今回の場合、そう間違った判断ではなかった。
風の塊が、圧力を伴ってバルサを打つ。そう見えた瞬間、
「で?」
彼女は空へと逃げた。確かにモンスターの充満する地上を自由に機動するのは難しい。その点空中には少数の鳥型モンスターが浮かぶだけで、広大な空間が残っている。洞窟内なので、天井の高さは10メートルもないが、人一人が逃げるには十分なスペースがある。
だからこそ、その行動は対人経験の豊富なゾディアックには読めていた。
姿勢を低く、這うようにして、風の塊の影に隠れ、一気にモンスターの群れを突破したゾディアックは、空中に浮かぶ彼女に向かって、スキルを発動する。
「”サット・ドラゴン”!」
血を這う大蛇が、急に鎌首をもたげ獲物に噛み付こうとするように、全身を伸ばし空へ伸び上がった。捕らえた、と。そうゾディアックが確信した時、ふわりと。獲物が手の中から逃げ出していく。
「んな……!?」
空中を第二の足場にしたバルサは、ゾディアックの攻撃を回避しただけでなく、近くに居た怪鳥の首根っこを抑え、バタバタ暴れるモンスターを物のように扱う。鋭いくちばしを槍に見立て、今度はバルサが空中で身動きの取れないゾディアックを突き刺した。
咄嗟に身体を捻っても、躱し切れるものではない。赤い血が溢れ、HPゲージがざくりと削り込まれる。バランスを崩し、そのまま落下。身構えることも出来ず、更に足を挫く失態。
「大丈夫か!?」
ヤマメの気遣いは有難いが、返事どころではない。そのまま至近距離でコンバットを仕掛けてきたバルサを捌くの精一杯だったのだ。
「魔獣使役で、しかも遠近対応かっ……」
「弱点を補うのは、当たり前の人間心理だと思いますね。丁度あなた達が協力し合ったように。なかなかに感動的な見世物でした」
メイドの澄まし顔が癇に障った。
脳天に落とされた踵を、すんでのところで掻い潜り、バルサのすらりとした太ももをむんずと掴む。痣が残るほど強く。
「くっ!何処を……!変態がぁ」
薙ぎ払われる。足の怪我が無ければあるいは回避出来たかもしれない。横っ面を張り飛ばされ、モンスターの群れまで飛ばされる。
代わりに前に出たヤマメが大剣で斬りかかる。この攻撃はバルサの使役する魔獣に惜しくも防がれる。
混乱から回復したモンスターたちが次々と襲いかかってきて、バルサと二人の間に壁を作る。その向こう側から精密な狙撃を仕掛けてくるバルサの攻撃方法は厄介という他無かった。
再び拮抗状態に入ろうか、という時、突然にバルサが動きを止めて呟いた。
「亜貴様……」
モンスターの組織だった抵抗も無くなり、彼女自身も無防備になる。ゾディアックは罠の類を警戒したが、ヤマメは若さを見せて、突っ込んでいく。
警戒を促すように叫んだが、無用な心配だった。
バルサの悲嘆は、ゾディアックたちにとっての朗報であり、希望だったのだ。
故に戦いの意味は既になく、勝敗は大局に何ら影響を及ぼさない。
――世界は、終わったのだ。
ゾディアックの憧れは、汚されることなく。世界を救ったのはレンなのだと、ただ信じ。
――英雄への憧れの物語は、此処で終わりを告げる。
――日常で腐る暗殺者は、代わり映えのない現実へと帰還する。
――その憧れは、心中で昇華され、信仰に近い物へと変わる。
――これより彼を待ち受ける物語は、語られ得ない。
鎮魂の洞穴で二人のプレイヤーをあしらっていたバルサミコ酢は、真っ先に終末を知った。
「亜貴様……」
予想していなかった終わりではない。けれど、望んでいた終わりでもなかった。
あの日。突然バルサの前から姿を消した主は、しかし数日してひょっこり戻ってきた。
そして心配した、と声をかけようとしたバルサに二の句も告がせず、この洞穴に連れてきたのだ。ラストダンジョンだ、と嘯きながら主はバルサに罠の敷設を命じた。
まるでパーティー会場を飾り立てるホスト役のように、嬉々としながら。そして聞かされる。この世界の終わらせ方。
一つはもともと目指していた目標、滅尽滅相。自分以外の全てのプレイヤーを殺し尽くすという、筆舌に尽くし難い蛮行。そうして、最後に二人きりになって、主に看取ってもらうのが、バルサの目標だった。
二つ目も、実は周知されていたやり方。この世界のラスボス、魔王を倒す、という方法。けれど、あり得ないほど精密で、広域に張り巡らされた主の情報網をもってしても、そんな存在は影も形もありはしなかった。そうするうちに、心ない組合のプレイヤーたちが、主のことを「魔王」だと畏れ始める。本来のラスボスの意味からどんどん離れていく、「魔王」
けれど、どうしたことか、主はこの展開を望んでいた節がある。そして、いつの間にか、「ラスボスの撃破」は、「主の撃破」へと摩り替わっていたらしい。
主が死ねば、ゲームはクリアされるのだ、と聞かされた時、どう思っただろうか。
一瞬でも忠誠が揺るがなかったと誓えるだろうか。
それでも、こうして主に付き従っている自分は、やっぱり自分の信じるものを貫き通せたのだと、胸を張れる。
だから、主とレンとの会合は、文字通り世界の行く末を決める大事な戦い。
どちらが死んでも、その後の未来は大きく変化する。
個人的な願望を言えば、主があの青年を討ち取り、その余勢を駆って、全プレイヤーを平らげる。その後、主から直々に下される終末。それが理想だ。
けれど、ライバル視していた四天王の同輩も半数以上が死亡した今、魔王の直臣は自分だけなのだ。そんなちっぽけな独占欲さえも、今はもう昇華してしまった。
太陽が消えて、嘆く人間が居るか。いや、嘆く暇など有りはしないだろう。それは彼女にとっての死を意味するのだから。
「……!!」
突然魔獣の制御の手綱を手放し、武器すらも放り捨てたバルサに警戒の念を抱くゾディアック。けれど、その相方は一寸の躊躇さえなく、バルサの元へと飛び込んできた。
「悪いですが、押し通らせてもらいますッ!!レンさんを一人で行かせるわけには、いきません!!まだ、あの人は死んではいけない人だ。この世界の希望なんですッ!」
怪気炎を上げ、我武者羅に斬りかかる彼の姿は、全てを知るバルサから見れば、あまりに滑稽だった。
「……違いますよ。このカーズドワールドの希望は亜貴様です」
淡々と事実を述べる。けれど蒙昧な彼には、真実の言葉は届かないようで、
「オオォォォッッ!!!」
気迫の篭った大剣を振りかぶるのみ。まるで聞こうともしない。
防御する必要すらバルサは感じなかった。何故なら――
「全ては終わったのです。この悪夢のような遊戯も。全てが……」
唐突に仮想世界から、意識が弾き出される。この世界が仮想なのだと、思い知らせてくれるお馴染みの感触は久方ぶりだった。
視覚情報は遮断され、視界を埋め尽くすのは、一見では判別不可能な数式や、機械言語の並び。
あらゆる情況証拠が主の死を指し示し、疑いようもないほど。
誰も存在しない。
自分だけの意識空間、仮想と現実の狭間で、バルサはただ、むせび泣いた。
元の世界に帰れた喜びと、それを遥かに上回る喪失感。そして、主に死を賜れなかったという倒錯した寂寥感。
バルサの気持ちがわかる人間は多くはないだろうし、彼女も分かってもらいたくなど無かった。この気持ちは自分一人のもので、主を除いて、他の誰にも渡したくない。
夢と現実の境界は、曖昧になり、ただ虚無だけが胸中を満たす。
――ひとつの物語は、ここで終わる。
――魔王に命諸共忠誠を捧げた神獣遣いは、忠愛する主を失い、悲嘆を胸に帰還する。
――これより彼女を待ち受ける物語は、語られ得ない。
「あは、あははははは。そうですか。僕はあなたの轍にされてしまったのですね。ああ、分かっていたことだけれど、終末とはこれほど寂しいものなのでしょうか?」
光の壁に呑み込まれたバルサが消滅したことで、テイミングされていたモンスターたちも居空間へ消え去っていく。
ヤマメと肩を並べて戦っていたはずのゾディアックの姿ももはや無い。
洞窟内で彼は一人ぼっちだった。
レンが世界をクリアしたことは状況から見ても明らかだ。きっとゾディアックやバルサは、現実へと目覚めたのだろう。彼らの内心がどうであろうと、彼らにとってはハッピーエンドともいえる結末のはずだ。
「さあて、これから何が起こるのでしょうか。楽しみです」
世界が薄れていく。ヤマメは笑っていた。幾ばくかの強がりが混ざっていたことは否定しない。それでも悲観から生じた絶望の笑いではない事は確かだった。
ヤマメの現実の肉体は既に死亡している。今の自分は亡霊のようなものなのだ。こうして、感じ、考えている時点で既に奇跡のようなもの。
「この世からお別れする前に、めいいっぱいこのカーズドワールドで遊び回れたこと、それだけで感謝すべきなのでしょうかね」
――病室で鬱屈した日々を送っていた少年の人生は終わった。
――物語の終焉とともに、生きていた頃の残滓とでも言うべき思念も元の形を保てなくなる。
――数年後、仮想世界でまことしやかに語られる、ワイアードゴーストの噂話に彼が関係しているかどうかは、神のみぞ知る。
西方の決戦は、激化の一途をたどっていた。魔王軍、組合軍。双方退く気はなく、戦闘は泥沼の様相を呈していた。
戦闘が始まってからは、プレシャスもレンの勝利を祈る余裕はない。ただ全軍の指示に忙殺される。
開戦当初、温存に温存を続けていた無双級戦力。はんぺんと雲母を酷使しながらの交戦だった。彼ら二人が落とされると、敗色濃厚になることもあり、不用意な消耗は避けられるものなら避けたいのだが、かといって、出し惜しみで負けても仕方ない。
ほとんど休憩さえ取らずに、戦場を奔走する彼らは、いつ崩れてもおかしくないほどに疲労している。その事情はプレシャスも同じであり、身体的にはともかく、精神的には彼らの何倍も弱っていた。
「報告!右翼が崩れかかっております。援軍求む、とのことです」
「余剰分を回せ。傷病兵の隊が残っていたはずだ」
「はっ!」
援軍を送る余裕などあるはずもない。今は佳境。両軍ともに疲弊しきった状態であり、後ひと押しで勝てる。そういう局面なのだ。使える戦力があれば、とっくに使っている。
魔王軍は鶴翼の陣で組合軍を押し包むようにぶつかってきた。その時点では兵力はほぼ互角。拮抗した戦いが予想されたのだが、敵左翼の最前線に混じっていたジョシュアが機動力に優る騎馬隊を率いて、撹乱をかけてきたのだ。
散々に陣形をかき乱された所へ、圧力が加えられ、多くの味方の将兵がそこで刈り取られた。
はんぺんや雲母も奮戦は続けているのだが、個人がカバーできる範囲には限りがある。当たれば並ぶ者のない戦力だとしても、当てることが出来なければ遊軍である。薄く広がった魔王軍の陣形相手では、彼ら二人の価値も半減する。初日の密集陣形相手に出し惜しみしていたことを悔やんでも遅い。
壊滅、とまではいかないが、組合軍の右翼の拮抗は完全に崩され、いいように押されていた。
「本陣を動かす。一撃離脱でジョシュアを叩く」
動けるものが居るとしたら、プレシャスしかいなかった。仮にもプレイヤーである自分なら、そうそう流れ矢にあたっても死ぬことはないはずだ。そう自分に言い聞かせる。
全てを投げ出して遁走しそうになる足を押さえつけながら、自陣を動かす。激戦区である右翼方面へと。
半壊状態の自軍の波を渡り、鉄船のような自軍が陸へと乗り上げた。踏み潰された魔王軍兵が悲鳴を上げる。強兵とはいえないが、今の今まで戦意を持て余していた本陣の護衛たちは、一気呵成に敵陣を切り裂く。プレシャスの援護の魔法も的確であり、確実に魔王軍の数は減じていく。
最後の防衛線を突破しようかという時、敵の妨害が入る。横合いから叩きつけるような慣性を保って突進してくる騎兵隊。馬上で器用に弓に矢をつがえるものや、魔法を放つものも居る。ぶつかる直前にそれをやられて、統率が乱れた所へ、猛禽のように襲い掛かってくる。勢いが乗った突進は凄まじく、ほとんど勢いを殺さずに自陣深くまで斬り込んでくる。包囲の輪を作り、捕殺しようとすれば、直前でするりと逃げ出していく。逃げ際に雨のように矢を降らせてきて、容易に追撃できない。
「逃げ足の速い」
プレシャスが騎馬隊の背中目掛けて発射した魔法も減衰して、数人を兵士を落馬させただけだった。消費MPに比して見合わぬ戦果だった。
「プレイヤーの使う魔法の射程も範囲も熟知されてる上、多少の犠牲は許容しつつ、最小の犠牲になるように立ち回っているとは、面倒な……」
幾ら広範囲に渡る攻撃手段を擁していても、当たらなければそれは無用の長物である。はんぺんや雲母への対策と同じように、その戦法を封じられたプレシャスは、計算していたほど戦力に貢献できていなかった。
その結果、無双戦力を有効活用できずに、苦戦が続いている状態。後一人雲母以上の実力を持つプレイヤーが加われば、勝敗は分からないのだが、と何度目かわからないくらいヤマメのことを悔やむ。
「ここは私達に任せて」「心置きなく行って来なさい」そんな昔の自分の言葉を否定したくてたまらない。格好良い事を口で言っても、実際に戦場で倒れていく仲間を見ると、持ち得たかもしれない戦力を、決戦前に自分から捨てることが、どれだけ愚かしいことか、嫌でも痛感させられるのだ。
「て、て、敵襲!!」
本陣に急を告げる伝令が飛び込むと同時に、地が揺れるような衝撃で自陣が歪む。
機動力を活かしたジョシュア直下の騎馬隊の再度の突撃だった。
「落ち着け!そう何度も同じ戦術が通用するはずがない事を、思い知らせてやれ!!」
最初の突進と比べれば、傷はまだ浅い。キリキリと袋の口を縛るように包囲の輪を狭め、敵の退路を撓めていく。
今度も相手側の引き際を弁えた的確な指示によって、包囲撃滅は失敗した。けれど、反応が速かったおかげで、こちらの被害も極小。
プレシャスは胃腸が締め付けられるような緊張感から、束の間解放された。
「方陣を組み直せ!二度と連中に崩されるな」
そう厳命し、目前の敵の調理に取り掛かる。騎馬隊の撹乱は鬱陶しい事この上ないが、所詮それまで。指揮官たるジョシュアを欠いた残りの魔王軍の士気はそれほど高くはなかった。
掘削機で強引に掘り進めるように、自陣が前進し、右翼戦線を優位に進める。ちょっかいをかけてくる騎馬隊も、万全の迎撃態勢を整えている組合軍本陣を崩すほどではない。
それは油断とも呼べない僅かな気の緩みだった。
再三に渡る騎馬隊のフェイント攻撃を無視した後、突然に猛烈な勢いで騎馬隊が噛み付いてきた。犠牲さえ厭わぬ我武者羅な突進であり、気の緩みかけていた組合軍はボロボロと戦線が崩壊していく。
「あれほど気を抜くなと……」
毒づいたところで仕方なかった。最前線の兵は、騎馬隊が接近してくる度に、死を覚悟しながら警戒していたのだ。相手が引き返せば、安堵し、生の喜びを噛み締める。緊張と安心の喫水線を乱高下した兵たちの精神は、短時間のうちに限界まで摩耗し、まともな働きを失っていた。
それを手抜きとみるのは、非情に過ぎる。
敗れるべくして敗れた組合軍の前線。
開けた一筋の道を、総大将のプレシャス目掛けて騎馬を駆るジョシュアが突っ込んでくる。彼の狙いは一つだった。大将首。組合筆頭理事のマラークがやられても、次にプレシャスがいる。けれど、プレシャスの後任は居ない。即製の連合軍である組合軍をまとめ上げる手腕を持つ人材に替えはきかない。そのことを見破ったジョシュアは確かに良い眼力を持っていたのだ。
「”コラプス”」
迎撃の魔法は容易く躱される。自軍が邪魔で、広範囲に殲滅力を行使する魔法はなかなか成功しない。
プレシャスの目前まで剣戟が迫り、退却を覚悟した瞬間、一陣の風が吹き抜け、突き進むジョシュアの前に立ち塞がった。
「状況はさっぱりだが、とりあえず助太刀に来た。こいつは斬っても問題ないのか、プレシャスさん」
「マサムネ!ええ、出来るものならお願いします。大将首です」
「……ほぅ。ついでに首尾を報告しておこうか。任務は成功した。王都は大混乱。四天王の内、二人は脱落」
ジョシュアに向かって不適な笑みを浮かべるマサムネ。どうやら王都での暗殺任務を成功させ、しかも生還できたようだ。あまりにも望んでいたタイミングでの援軍は、プレシャスを狂喜させた。
王都に居たのはマサムネだけではない。ヤマメを援軍に向かわせたレンも中央にいるはずだった。ならば、マサムネの言う王都の混乱はレンが引き起こしたものかもしれない。
「グラビに続き、俺一人で二人も貰えるとは有難い。はんぺんさんに嫉妬されないか、心配になるほどだ」
二本の剣を巧みに操り、騎馬の相手の進路を塞ぐ。ジョシュアも、不用意に進めば馬の脚を切断させられてしまうことが予想できてしまうため、迂闊に前進できない。
銀閃が連続し、二人の剣がぶつかり合い、せめぎ合って、激しく火花を散らす。剣の威力は一見して互角。なればこそ、趨勢を優位に展開するのはマサムネの方だった。
「片手剣相手に、鍔迫り合いになっている時点で、あんたに勝機はないよ」
マサムネの右手の剣がジョシュアの剣とせめぎ合っているうちに、もう一方の左手の剣が馬の首を切断する。馬上から落ちたジョシュアに、マサムネは猛然と斬りかかる。
激戦が始まろうかという時に、その現象は発生した。
「お、おい……。なんだアレは……?」
周囲で戦う兵士たちがざわめく。釣られて空を見あげれば、東の空に天高く聳える光の柱が見て取れた。その神々しさたるや、有無を言わさぬものであり、魔法スキルのエフェクトでさんざん非現実的な景色を見慣れていたプレイヤーにとっても、あの光柱は明らかな異常だった。
最初は細く、糸のようだった光の柱は、一気に拡大し、視界を埋め尽くす。雪原に展開した兵士たちも敵味方の区別なく、その光に呑み込まれていく。光の先は見通すことかなわず、呑み込まれた者の行方がわからない様は、まるで世界の終末を告げる滅びの光だった。
「ははは。これが世界の終わりなのかな」
プレシャスの独り言は、偶然にも的を得た感想だった。
言うまでもなく、あれは魔王消滅に伴う世界終焉の光であり、レンが為すべきことを成し遂げた証だった。
両軍を光が包み込み、戦いも争いも、何もかもを終わらせてしまう。
これだけの激戦でありながら、このプレイヤーNPC入り交じる西の乱における、プレイヤーの死亡者数は零だった。
魔王という圧倒的な光輝に怯え、肩を寄せ合い団結していた組合は、何度も滅亡の危機に瀕しながらも、その中核だけは残存した。
失われた命は数多けれど、最後まで抗い続けた者たちには、祝福のような生が与えられた。
死んだものが諦めていたとは言い切れないが、生き残った者たちは全員が運命に抗し続けていた。
――組合理事として、組織を引っ張っていたアルケミストの物語は此処で終わる。
――世界の命運を一人の無所属プレイヤーに託した彼女は、彼に対する感謝を胸に現実へと意気揚々と帰還していった。




