22競争共闘
レンとはんぺんは仲良く神獣ヘルに挑んだ……訳がない。
まず消耗が甚大だった。はんぺんの切断された右足に、下半身の火傷。千切れかかった首の皮などは、ヒーラーの施術がどうしても必要だった。レンについても、弾丸類や回復薬を消耗しており、とても神獣に挑める状態ではない、とはんぺんのお付きのプレイヤーとゾディアックが猛反論したのだ。
「無茶苦茶です。そりゃあ兄貴にとっては、神獣なんてなんでもないかもしれないですけど、フェンリルだって倒すのに丸一日かかったじゃあありませんか!どう考えても今は準備不足ですって」
「彼と同意見なのは気に入りませんが、私も反対です。幾らはんぺん様がお強いといっても、限度があります。マサムネ様率いる精鋭部隊でも無理だったのに、その足で挑めるはずがありません」
「ああ……マサムネ君。彼もきっと、ヘルの捕獲なんて無茶なことを言われなければ、この程度の木偶、倒していたでしょうよ。彼は安全牌をとっただけです」
強がりを言ったはんぺんの体がゆっくりと傾き、ドシャリと大きな音を立てて、再び血の海に沈んだ。意志の力だけで、ずっと痛みに耐えていたようだが、限界が来たようだ。レンとの決闘からまったく回復していないのだから、無理もない。
お付の者――雲母という女性が、血に汚れるのも構わず、慌てて介抱する。と、いっても彼女はヒーラーではない。日本刀を武器にするウォリアー、セカンドジョブも中衛のレンジャーだった。千切れた足を繋ぎ直すような曲芸が、前衛職に出来るはずがない。はんぺんの足を治療するために、背負って組合の本部まで戻るらしい。レンがディンを助けた時と似たような状況である。
単独行動の過ぎるはんぺんの行方だけでも把握しようと、組合に派遣された彼女は、この程度苦でもないと笑ってみせた。
「目を離した隙に、フラッと何処かに行ってしまうはんぺん様を追いかけるほうが余程大変です。それを思えば、足のないはんぺん様を運ぶことなど、朝飯前です」
「いやあ、私にはそんなつもりはないのですがね」
「片足で神獣に挑むとかいう馬鹿を言い出す怪我人は、黙っていてください」
「あらら、怒られてしまいました」
「……あまり困らせてやるなよ」
「レンの頼みとあらば。また、戦ってくれますか?」
「機会があればな」
何故か生死を懸けた戦いを経て、はんぺんにほんのり親近感を覚えているレンだが、ゾディアックの反応は正反対といってもいいものだった。
神殿に到着した時、気配察知の外――上空から突然襲撃を受けたレンたち。レンにははんぺんが、ゾディアックには雲母が向かい合った。レンとはんぺんの主コンビは、実力が拮抗しているのか硬直状態が発生したが、従者側では、戦いとも呼べないような一方的な戦いが行われていた。アサシンのハイディングを見破られたゾディアックは、雲母の峰打ちであっけなく意識を失ってしまった。そのことがしこりとして残っているのか、終始不機嫌な表情のままだったのだ。組合にPKとして白眼視されているのだ。彼女の無意識下の侮蔑の念を敏感に感じ取ってしまったこともあるだろう。
「それでは、また」
女にしては背の高い雲母に背負われて行くはんぺんは、胸上だけ振り返って手を振った。別れを惜しむように、しばらくその体制を維持していたが、下の雲母に気を使ったのか、間もなくして、レンに背を向け雲母に体重を預けた。今にも滑りそうで、不安定な地面の上で荷物を背負ったまま、その重さを感じさせずに真っ直ぐ歩く雲母は、相当鍛えていることが察せられた。流石に戦闘部隊はレベルも高いということか。
彼らの影が小さくなるまで見送る。雪原の染みと見間違うほど、距離が離れた頃、ようやくレンは目を背けた。振り返った先には荘厳な神殿がある。
「兄貴……」
ゾディアックの不安そうな声が届く。途中で途切れた言葉の先は、「ヘルに挑むつもりですか?」だろう。
「いや、どうやらそんな事をしている暇はないらしい。お客さんだ」
気配察知に反応があった。東の方角から、高速で接近する生命反応。やがてレンたちの目に入ったのは、大空を我が物顔で突き進む怪鳥の編隊だった。
はじめは灰色の雪空の、黒い小さな染みだったのが、徐々に大きくなり近づいているのが分かる。その輪郭が判断できるほどの距離にまで近づいてきた時、その鳥たちの背にまたがる人影が判別できた。地形を全て無視して移動しているせいか、彼らの移動速度は驚くほど速い。全速力のレンとゾディアックの走る速さに匹敵するのではないだろうか。
今更逃げるのは無駄だった。周囲は何もない神殿前の雪原。レンたちの姿は遠くからでもよく見えているだろう。そのせいなのかどうかは不明だが、怪鳥の編隊は、一直線にレンたちに向かってきているように見えた。
「ゾディアック」
声をかけるまでもなく、ゾディアックは姿を隠していた。気配察知にには映っているが、肉眼でその姿を見ることは出来ない。景色に溶け込み、そこに意識を向けようとすると、焦点が合わなくなってしまうのだ。アサシンのパッシブスキル:ハイディングである。
飛んでくる怪鳥の数は四匹。当然、背の上の人影も四つだった。
四体四人の影は、高度を下げレンの目の前まで降りてきた。吹き付ける風で前髪が舞い上がる。
怪鳥ガルーダ。四体のモンスターはその凶暴性をまるで伺わせないような、静かな挙動で頭を垂れた。首にまたがっていた人間が、次々に滑り降りてくる。四人の内、二人はレンのよく知るプレイヤーだった。
見慣れてしまった黒い鎧甲。身長の何倍もありそうな巨大な翼。全身の黒と対照的に白く輝く花の顔。
――魔王と、その従者が地上に降り立った。
やはり彼女らの醸し出す雰囲気は凡百のプレイヤーとは圧倒的に異なっている。ガルーダから飛び降りるときも全くふらついた様子もない。ホバリング中のヘリコプターからの降機を思い浮かべてみればいい。素人がやれば、間違いなく捻挫してしまうような危険な飛び降りを、難なくこなしてしまっている。
計四人の人間が地上に降り立った。戦闘は魔王、そのすぐそばに控えるように、メイド服の従者――バルサが立っている。残りの二人の軍服姿の青年は、かなり後方で直立不動で待機していた。
「あら、レンじゃないの。元気にしてた?」
まるで世間話でもするような魔王の口調に、拍子抜けしてしまう。前回別れる時の魔王の言葉をレンはまだ覚えている。
――次に会うときは初めから敵同士ね。
最悪、いきなり無言で攻撃されることさえ覚悟していた。その落差はレンの緊張の糸を緩めてしまうには十分だった。
「お陰様で、な。どういうつもりか知らないが、あの時は治療してくれてありがとう」
「あんな裏切り染みた真似で、殺すのは寝覚めが悪かっただけよ、他意はないわ。ところで、こんなところで会うなんて奇遇だけれど……。さっき雪原に人影を見つけたのよね、焼いてしまおうか迷ったのだけれど――」
はんぺん、雲母。今しがた別れたばかりの姿が脳裏に鮮やかに蘇る。
おい、まさかお前ほどのやつが、簡単に殺られたりはしないよな。
万全の状態であれば、彼の強さを信じることも出来たが、運悪く彼は負傷している。止血こそしているが、片足を失うというのは、とんでもないハンディキャップだ。そして、彼の足を奪ったのはレンだ。彼の戦うための牙を折り、引き抜いたのがレンだ。
視界が赤く染まりそうになる。
駄目だ、今回は絶対に駄目だ。
ここで進めばもう取り返しがつかない……。
「面倒だったから、見逃したわ。もしかしてレンの知り合いだった?」
「……あ、あぁ。ちょっとした……な」
生きている。彼らは生きている。その喜びを表に出さないようにするのに苦労した。まあ魔王にならば、見透かされているかもしれないが、そんな事はどうだって良かった。
「そ。……この神殿にきているということは、レンの目的も”あれ”かしら?知ってるわよ、あの大きなオオカミさんを倒したんですって?」
「さあな」
「答えたくないのなら、別にそれはそれで構わないのだけれど。私達これから、あれを捕獲する予定なのよ。それで、もしレンがあれを倒す、って言うなら取り合いになっちゃうのよね」
「だから、邪魔者は今ここで殺す……ということか」
魔王の後ろのバルサが、矢筈を弓の弦にかけた。心なしか表情も緊張しているように見える。けれど、そんな緊迫した従者の行動などどこ吹く風、とでも言うように魔王は平然と言葉を紡いだ。
「いいえ。あのね、提案だけれど……共闘、やってみない?」
神殿の空気は外気よりも更に冷たかった。アバターの肉体ならば、そう簡単に凍死したりはしないだろうが、精神的に辛いのは確かだった。
誰が設計したのか、精緻な修飾が柱や天井など、ありとあらゆる場所に施されている。ゴシック様式というのだろうか。神殿と言うよりも聖堂を思わせる静謐な空気が充満している。
ダンジョン自体は狭すぎるくらいだったが、出現する雑魚モンスターの強さは半端ではなかった。
「”ペネトレーション”!」
発動するスキル。レンの後方から光線が一直線に飛んでいく。ビームのような容赦のない一撃は、トラップメイカーであるバルサの弓矢による射撃である。岩をも貫く一撃は、黒い巨人の眉間に突き刺さった。
巨人。ガングラティと言う人形モンスターの動きは酷く鈍く、単調だ。しかしその耐久力は馬鹿にできない。レン、魔王、バルサ、そして名も知らぬ二人の軍人で構成されるパーティーには圧倒的に火力が不足していた。本来ダメージディーラーとなるべき、ウィザードやウォリアーが居ないのだから、それも仕方ないのだが。とにかく、レンたちのなし得る攻撃では、どうやってもガングラティを一撃で沈めることは不可能だった。
「眠りな、さいっ!」
巨人に駆け寄った魔王が、強烈な拳を鎧のような筋肉に撃ち込んだ。インパクトの瞬間は何も起こらなかったように錯覚するが、遅れて振動と衝撃が伝わる。その時間差こそが、威力の大きさを物語っているようだと、レンは思った。
反撃とばかりに、普通の人間の胴回りの五倍はあろうかという、豪腕が振り上げられる。その下には攻撃を終えたばかりの魔王がいる。レンは彼女をフォローするように、次々に牽制の弾丸を発射する。しかし、圧倒的な頑強さを見せつけるガングラティには、多少の爆発など蝿が飛び回っている程度にしか感じないらしい。
振り上げられた腕が止まることは無い。
先ほどまでの鈍重さが嘘のような速度で、巨大な質量が振り下ろされる。石造りの美しい床が粉々に粉砕され、土煙を上げる。魔王の安否はわからない。こんなところで死ぬやつではない、というレンの根拠のない信頼だけが、頼りだった。
駆け出す。レンの中衛職としての足の速さは、他の追随を許さない。十メートル以上の間合いを一、二歩で埋め、その勢いのまま跳躍する。
「”サット・ドラゴン”!!」
土龍の一撃。高く伸び上がったレンは、そのまま急所と思われる巨人の頸部を切り裂く。
浅い。というより、刃渡りが絶望的に足りない。
今度の斬撃は確かに、ガングラティに痛みを与えたようだが、それだけだ。彼を倒すには全く威力が足りなかった。
けれど、レンは一人ではなかった。
「隙作り、ご苦労」
飛び上がったレンの下方から、生き生きとした声が昇ってきた。慌てて巨人の肩を蹴りつけて、戦線を離脱する。
「”ジェイサー・ブロウ”こういうの、昇竜って言うのかしらね?勉強した昔のゲームに出ていたわ」
自らの身の丈を軽々超える、巨大な跳躍、雄大な拳撃、アッパーカット。スキルにより、その威力と軌道を補正された魔王が、傷一つなく土煙の中から飛び上がった。
レンの根拠のない信頼は、正しかった。
破顔する。この世界に来てから、様々な戦闘、死闘を続けてきたレンだが、これほど楽しい戦いは初めてだった。お互いがお互いの限界を信頼し合い、その信頼が常に最高のパフォーマンスを叩き出す。正のフィードバックとも言える成功と達成の螺旋。
楽しい。これ以上楽しいことがあるか。
魔王の拳で、顎を盛大に打ち上げられたガングラティは、上を向いたままの体勢で固まっていた。
「はあああああ!」
空中に無防備に浮かんだ魔王が、あり得ない軌道で巨人の顔面を踏みつけた。
空中ジャンプ――。遅ればせながら、レンはそのトリックに気づく。あれはファイターのパッシブスキルである、と。
まるで天から打擲されたかのように、巨人はその巨体を地に叩きつけられた。またもや打ち付けられた圧倒的な質量に、床が悲鳴を上げる。動作を停止した巨人は、束の間まるで前衛的な芸術家の作品のように神殿の背景と一体化していたが、自壊するように、内側から光の粒子に変わっていった。
「お疲れ様」
土煙の中から、煙たそうに魔王が姿を現す。
副職に前衛職をとっている彼女だけがこの即席パーティー唯一の前衛だ。魔王が戻ると再度陣形が組み直される。幸いにして怪我人は居ない。魔王の連れてきた二人の軍人はどちらもNPCのヒーラーらしく、戦闘に参加できるほどの腕前は持ち合わせていないようだ。実質的にパーティーメンバーは、魔王とレンとバルサの三人となる。それぞれが前衛中衛後衛を受け持つのは自然な流れだった。
神殿に出現するモンスターはさっきからこの黒い巨人、ガングラティばかりだった。あまり群れることがないのが救いだが、ゴーレムのように異常な耐久は、一回一回の戦闘を長期化させ、レンたちの疲労を確実に蓄積させていく。目に見える形でも、MPの消耗があった。
この世界で最強格のプレイヤーである魔王やレンが居てもこれなのだから、組合のヘル捕獲計画を死者ゼロで遂行したマサムネというプレイヤーは、相当な指揮能力を備えていたのだと今更ながら分かる。
けれど、その苦労ももう終わりに近づいているようだ。
レンたちは、入念な準備をしてから、ボスの間と思しき大広間に足を踏み入れた。
一段と高い天井の広間に入ると、気温がグッと下がったのを肌で感じられた。柱の修飾や窪みを埋めるように白い水が、さながら毛細管現象のように駆け上がる。そして氷結。一瞬にして周囲は氷と冷気に包まれた異界へと変わる。
「来るぞ」
気配察知に映る巨大な影。ボスモンスター、すなわち神獣ヘルが静静と姿を現した。
首のない女性。人形じみた雪のように真っ白な肌は、ガラスのように透き通っている。性別を判断できる豊満な胸の膨らみは、その色彩も相まって、望月のようだ。その綺麗ではあるが、生気の感じられない人形のような肢体を拘束するのは、見るもおぞましい怪物。目も鼻も、すべてが判別できない。蠢く肉塊の中には、全ての人体のパーツが揃っているようにも思えたし、逆に人間のパーツなど何一つ存在していないのではないか、とも思える。
紫色の毒々しい触手が無数に跳ねまわり、その一部が首のない女性をまるで邪神に捧げる供物であるかのように、高々と掲げている。
気持ち悪い、おぞましい肉塊は、けれど生を感じられた。動いている。
逆に首のない女性は、死というものを体現したかのように微動だにしない。死体。断頭台での処刑という概念を押し付けられたかのような、禍々しい気は、辺りに充満する冷気と合わさり、背すじも凍るほどだった。
怪物の大きさは、黒い巨人――ガングラティと同程度。首のない女性の死体、人間大の女性型パーツには、美しくも刺々しい氷の茨が十重二十重に巻き付いている。身に付ける衣服はなく、その茨が辛うじて代わりを果たしていた。
背徳的でありながら、蠱惑的な肢体である。
存在するだけで、吐き気を催すような怪物――神獣ヘルに先制攻撃を仕掛けたのは、最前線に立つ魔王だった。
「”ヴァナ・スパイク”」
一定時間自身の攻撃に、ノックバック性能を付加するスキルを使用した魔王は、渾身の拳を放つ。
体格差で言えば、力士と幼児ほどもあるが、幼児の一撃は力士の巨体を軽々と吹き飛ばしていた。
慣性に引きちぎられた無数の触手が、体液をまき散らしながら、鮮魚のように跳ね回った。
「レン!約束通り、私達がこれをテイミングするのが先か、レンがこれの息の根を止めるのが先か、競争ね」
「ああ」
彼女たちが絶対に不可能だと思われていた、ユニークモンスターの使役を成し遂げた理由は、やはり埒外運用だった。オーバードライブという言葉自体は組合が便宜的に付けた呼び名であり、魔王の知るところではなかったが、根本のシステムの存在はかなり早期に発見していたという。
最初期から魔王に仕えるバルサは、早い段階でオーバードライブについて教わり、研鑽を積んできた。その最大の成果とも言えるのが、神獣ヨルムンガンドの使役なのだ。手順は極めてシンプルで、モンスターに圧倒的に自分が格上だと分からせること、である。今回ヘルをテイミングするにあたっても、その方針を取るらしい。
レンがヘルを斃してしまうのが先か、彼女たちが圧倒的な武を見せつけるのが先か。
まさしくこれは競争だった。
魔王の拳打で吹き飛んだヘルが、身も凍るような悲鳴を上げて立ち上がった。
……どこから声が出ているのやら。
破壊の声。その余波で生まれた氷の礫が四方八方に飛び散る。ブリザードのような強風に乗って、飛来する礫。
レンは咄嗟に腕を前面に掲げ、脆弱な顔だけを守る。暴風に耐え忍ぶ間、灼熱が体のあちこちに生まれる。冷たさも極まれば、熱さに変わるということだろうか。一撃一撃、削られていくHPを目にしながら、レンは向かい風になるように、ヘルの元へ走った。
雹の相対速度が上昇し、HPゲージの減少速度が上がっていくが、それだけだ。0になるほどではない。一瞬の間隙をついて、スリングショットを放つ。強風のお陰で狙いは上手く定まらなかったが、目的だけは達成できた。
炸裂。爆風。
生じた熱風が、雹のような氷の塊を蒸発させ、軌道をそらす。この千載一遇の好機を、見逃すほど魔王パーティーは甘くなかった。
「”ペネトレーション”!」
光線のような一閃。世界そのものを切り裂くように、レンの後方から矢が飛んでいく。それに貫かれたヘルが怯み、礫の圧力が消え去る。それを待っていたレンは、乗じて炸裂弾を放つ。
怯みが連発し、一定時間の行動を自由を奪われたヘル。既にヘルとの間合いを詰めている魔王にとって、それは最高級のチャンスだった。
「この国の国王の精神を破壊せしめた魔法、”リコンストラクション”。傾国の魔法――貴様に耐えられるか?」
レンがヨルムンガンド戦で目撃した神秘が再現される。淡い癒しの光。その清浄な輝きは、対象――ヘルの存在しない頭部に纏わり付くように生じている。本来は手足の欠損を修復する回復魔法。どういう原理か、オーバードライブによってその魔法を応用した魔王は、それを攻撃、撹乱魔法に転用してしまっていた。まさしく、魔の王である。
幻痛に苦しむ人間のように、ヘルは身悶える。その動作をあざ笑うように、魔法の光はその輝きを強めていく。
「む、しぶといわね……。脳が無いのかしら?」
「Lulululululu!」
魔王の魔法攻撃に耐え切ったヘルは、安堵するように冷気の吐息を、全身から排気のように吐き出す。極低温の風は直撃すれば、魔王でも危うい。けれど魔王はその程度の反撃は、予測していたようで、危なげなく後退する。
自然と生じた魔王の僅かな隙。何の意思疎通も使わず、自然にそれを感じ取ったバルサの援護射撃がヘルの足を止める。
「ヘイト値、上から順に、90、10、50、0、0!」
魔王が叫ぶ。パーティーメンバーは魔王、レン、バルサ、士官A、士官B。魔王はヒーラーのパッシブスキルでモンスターのヘイト値を観測することが出来る。
パッシブスキル:敵意認識。モンスターのヘイトを数値化して読み取る能力であり、PvPではまったく役に立たない反面、狩では一番欲しい能力といっても過言ではない。
その予報によれば、次に狙われるのは、攻撃や魔法を連発して目立っている魔王。その予言を的中させるように、ヘルが魔王に向き直る。黒黒とした緑の触手をピンと突き立て、先端に白い魔力を集中させ始めた。
「レーザー来ます!」
悲鳴のようなバルサの声。それに呼応するように、光線が魔王の胸を貫いた。まさしく光の早さで放たれた氷結光線。それを回避することなど出来るはずがなかった。傷口ごと凍結してしまったようで、血は全く出ていない。それがレンに、逆に恐ろしさを感じさせた。
「”ハイパー・ヒーリング”」
光線に耐え切った魔王は、ゼエゼエ息を切らしながらも、回復魔法を唱える。どうやら無事のようだ。安堵したレンは、次は自分の番だと、心に決め、硬直の冷めやらないヘルに向かって突進した。
ヘルの狙いは依然として魔王。急接近するレンには見向きもしない。易易と懐に潜り込んだレンは、細い腕に斬りかかった。鏡のような表面。弾かれるが、諦めない。弾かれた勢いをも利用して、空中で何度も連続して斬撃を浴びせる。その度に火花が飛び散り、徐々に切り込みが深くなっていく。
「撃ちます!」
反射的に体を可能な限りひねる。一瞬前に自分の体があった地点に、光の矢が着弾した。レンの連撃にその矢が止めとなったようで、ヘルの前腕が引きちぎられ、砕け散った。レンもろともヘルを攻撃した矢の持ち主は、もちろんバルサである。機会さえあれば、敵もろともレンをも潰そうという一撃だった。
「危ないな」
「避けてくれると思っていました。信頼です」
悔しそうに吐き捨てたバルサ。まさか本気だったのか。敵だけでなく、背後にも気をつけなければならないのか。今のところ危なげなく戦えているが、油断はできない、とレンは気を引き締めた。
ヘルの部位破壊を成功させたせいで、ターゲットが魔王から変更されたようだ。ふらふらしていた触手が一斉に振り向き、鎌首をもたげた。ヘルの次なる標的は、後方で弓を構えるバルサだった。
レンはヘルの氷の肉体、肉塊を足場に駆け回りながら、当たるを幸いと斬り続ける。
レンもパーティーメンバーもまだまだ余裕がある。組合の討伐部隊が戦った際も五割までは削っているのだ。そこからの攻撃パターンの変化に注意すればいい。
即席のパーティーとはいえ、個々人の性能はこの世界のプレイヤーでもトップクラスであり、順調にヘルの体力を削っていく。
――そうして、HPの半分を削るまでに三時間ばかりが経過した。
いい加減に集中力が切れ始めた辺り。そうしたこちらの精神の緩みをついて、今まで遊んでいたヘルは本気を見せた。
「”ブリザード・パレス”」
ヘルのスキル。発動直後には何も起こらない。いや、気づかなかっただけだ。視界の端でチラチラ動いているものがある。気配察知には何も反応はなかったが、念の為に、一瞬だけそちらを確認する。広間の外周にあるすべての柱から、霜柱が成長し、棘のように突き出してきている。丁度、有刺鉄線のように鋭いトゲトゲが、ニョキニョキ生え出し、伸びる。当然、戦闘できる領域面積は狭まっていく。その速度は遅いものの、ヘルを倒すまでに時間制限ができてしまったことは、留意して置かなければ。
そう思い、ヘルに再び目を向けた時、気配察知レーダーに次々と光点が生まれる。
息を呑む。何もない地面から、黒い腕が次々と生えてくる。その数、20。光点の数は10個。眷属の召喚である。
黒い腕はそのまま伸び上がり、水から上がるように巨体を持ち上げる。次々出現するガングラティたち。
レン以外のメンバーも一様に驚愕して硬直している――全員?彼女は違う。魔王だ。魔王はこんな状況で全く冷静さを失わずに、指揮をしている。
「陣形変更!レン、ヘルのタゲ取りお願い。一分でいいわ。バルサはそのまま後ろで牽制を」
あの神獣とタイマン、だと?
「面白い、やってやるよ」
レンはヘイトを稼ぐために、ヘルに向かってスリングを乱射した。
血が滾る。
今までのある意味、微温い戦いから一転。死の可能性が急速に浮上する。神獣フェンリルとの死闘を思い出す。あの長期戦に比べれば、今回は一分間だけだ。何も恐れることはない。
ヘルは召喚を完了させ、満足そうに冷たい排気を吹いた後、レンの方に向き直った。
神獣と単身で戦う英雄譚が、再び綴られる。




