21二人目の理事
はじまりの町を素通りして、レンたちは大陸の西端に向かっていた。そこには神獣の一角ヘルの神殿が鎮座している。
冷気を象徴する神殿の力が漏れ出しているのか、草原の草は徐々に少なく、色あせていき、殺風景になってくる。踝ほどまでの草木を踏みしめ、道を作りながらレンとゾディアックは進んでいた。草木が疎らになってくるのは歓迎すべきことだったが、素直に歓迎する気分にはなれなかった。神獣を侮っていたわけではないが、これほど距離があるにもかかわらず、影響力を行使しているのには驚嘆してしまう。
レンは肌寒さを感じていた。それは気候のせいだけではあるまい。ここ数日、常に背中にあったぬくもりが無くなってしまった。それが精神的にも物理的にも、レンに冷たさを与えていた。
「なんとかこの先、生きていて欲しいな」
主語のない独語だったが、レンに追従するゾディアックは正しくその意味を認識したようだ。
「あの娘と坊主ですか……。ゲームを終わらせるためには、魔王を倒さなければならない……。兄貴は、今大陸を治めている王は魔王の仮面をかぶった偽物だと言ってやしたが、だとすると、一体全体どうすれば、このゲームは終了するんでしょうかね」
「その解決手段を、全プレイヤーの抹殺だと信じているのが、魔王だよ。組合は彼女に対抗しているように見える。けれど、その根幹は魔王と異にするものではない。連中の大本の思想も、プレイヤーの鏖殺こそが脱出手段だという信仰だ。本当に魔王に並び立ち、対抗するというのなら、魔王の価値観と対立する別の何かを見つけなければならない」
「何か……。例えば、この世界を脱出する必要などなく、仲良くこの世界で暮らしましょう――なんて価値観ですかね?」
「……そうだな。それはいい発想だ。賛同してくれる人間がどれくらい居るかは不明だが、死ぬよりはこの世界で生きていくほうがマシだと考える奴も多いかもしれない。その策、十分に検討できると思う」
「レンの兄貴はやっぱり反対ですか?」
「そう……だな。ちっぽけな意地だよ。その選択は逃げているような気がする。先に進むような建設的な思考じゃない、だから気に食わない……。もちろん、そんな意地だけで、大勢の人間の生死を左右していいとは毛頭考えてはいないが」
それほど退廃的な価値観を持ち出す位ならば、魔王に同調したほうがマシだった。現に一度、レンにはその機会が魔王直々に与えられていたのだ。その誘いを断ったのだ。せめてそれよりも魅力的なお題目を見つけたい、とレンは思ったのだ。
「だったら――」
ゾディアックは続けた。いっそ魔王を倒してしまえばいいんじゃないですかね、と。
彼の言う魔王が、どの魔王を指すのかはわからない。システムに規定されたまだ見ぬ概念存在である魔王なのか、それとも現在大陸を支配する一人のプレイヤー、レンの唯一のリアルの友人である少女なのか。
彼の発言の真意さえわからないのだが、レンはなぜかその言葉に光明が見えた気がした。
空を見上げると、今にも落ちてきそうな重苦しい鈍色の曇天が広がっている。その重厚な雲の隙間から、一条の陽光が空を引き裂いた。降り注ぐ光は、きらきらと光る綺麗なものを所狭しとまき散らしていた。その光の粒は、この世界の死の象徴の光と類似しているようで、根本のところが完全に違うような気もした。光の粒子がゆっくりと降りていく。地上に近づくに連れ、その正体も明らかになる。
「雪か……」
既に大気は冷え冷えとして、肌を刺すような剣呑さを孕んでいる。神獣ヘルの座す神殿が近いのだろう。差し詰めここは氷の国か。
降りしきる雪はレンたちを歓迎するように、まるで花吹雪のようにひらひら舞い落ちていた。
既に神殿は目の前にある。けれど、最後の一歩がレンには踏み出せなかった。
「レン……プレシャスのところに居たプレイヤーですね」
レンの喉笛には鋭い切っ先が突き付けられていた。刃渡りは短い。けれど、その武器の重厚さは槍戈のような長柄武器を遙かに凌駕するほどだった。
分厚い鉄鋼を成形し、固め上げた巨塊。四角い板状になった鉄板からは、今レンが目にしている剣先が、短く突き出ている。
盾の剣の融合。
重装騎士として推奨される大盾に攻撃性能を付け加えれば、こんな武器形態になるのか。
「あなたの実力見込んで、頼みがあります。決闘を受けてはくれませんか?」
知的な顔はニコニコと笑みを浮かべているが、目は笑っていない。ただ凶暴な破壊の光を宿しているだけだ。そこには妥協や交渉の余地など、一切存在しない。
「はんぺん……。あんたのこと、プレシャスが怒っていたぞ、裏切られた、とな」
「はて?そんなつもりは全くないのですがねえ……。彼女の誤解でしょう。長く離れていれば、誤解やすれ違いはつきものですよ、長距離恋愛がなかなかうまくいかないのと同じ理屈です。――それはそれとして、私の頼み、聞いてくれますか、どうなのですか?」
「……」
脅迫されているようだが、そうではない。レンの反応速度なら突き付けられた剣先が動く前に、脱出することも可能だろう。レンの逃げ足を止めていたのは、そんな見せかけの刃などではない。はんぺんという、一人の英雄的プレイヤーの目に宿っている危険な輝きだった。
「フェンリルを単身斃した勇者の実力、是非拝見させてください」
「神獣フェンリルか……。確かにオレはやつを倒した。お前も戦いたいのならば、ヘルと戦えばいいじゃあないか。ほら、そこにおあつらえ向きに神殿があるぞ」
レンたちが今いる場所は、神獣ヘルの座す神殿ダンジョンの玄関ともいえる広場だった。神殿から漏れ出る冷気、氷雪が地面を固く凍らせている。障害物もろくに存在しない、だだっ広いステージだった。
向こうは二人、こちらも二人。
潜伏していたゾディアックは、相手のレンジャーに発見され、既に拘束されている。そもそもレンに退路はなかった。
「いや、あんな木偶と戦いたいわけではないんですよ。レンさん。
ゲームという言葉の元々の意味をごぞんじですか?人と人が遊ぶ、遊戯のことですよ。狭義の意味でコンピューターゲームを指すように変化してきましたが、元々の意味はそれです。人と人の干渉――それがゲームの本来の楽しみ方なんです。将棋でもいいし、囲碁でもいい。なんだったら、体を動かすスポーツでも構わない。それらは全てゲームなんですよ。一人で木偶と遊ぶことは、ゲームの本質から微妙にずれていると思うんですよ」
「……」
「一人で自慰がしたいのなら、壁に向かってやっていればいい。けれど、私はそういうものに楽しみが見いだせないんですよ……」
「……だったらどうして、こんなVRRPGなんてやってるんだ。まさにお前の言うコンピューターゲームそのものじゃないか」
「いえね、ただのRPGならそれは自慰と一緒ですよ。一応製作者をGMと見立てて、彼と交流、相互干渉していると言えなくも無いですがね、それでは無機物に欲情する変態ですよ。私は生身の人間とぶつかりあいたい、知力を、機転を、振り絞り、互いの限界を競い合いたい。それがゲームというものでしょう?その点、MMOならば、僅かながらでも人の影が見える、人の意志が垣間見える。競い合える。ぶつかり合える。だから、この命がけの世界に放り込まれたこと、私は天に感謝しているんですよ、ええ。天に徳を積めば、きっと願いは叶う。それは事実でしたよ」
口調は冷静そのものだったが、その内容は狂気に彩られていた。少なくともレンにはその内容は理解できなかった。
「変態って……。オレにはお前こそが変態に見えるがな」
「マイノリティーが差別されるのは仕方のないことではあります。ですが、私の性癖、それほどおかしいでしょうか?むしろ大多数の人間は賛同してくれると思うのですがね。人の歴史は闘いの歴史、争いの歴史。それこそが、私の望む他者との干渉ですよ」
「組合のトップがこんなサイコ野郎だったとはな……。上が腐れば下も腐るのは自明の理か」
「人聞きの悪い。レンさんにはどうしても私の頼みを聞いてもらいたくて、こうして心情を吐露しているのです。普段はこうも見境なく、性癖を暴露してはいませんよ。こう見えて私、外面と、内向けの顔を使い分けるのは得意なんです」
その言い方はなんとなく、プレシャスを思い出させた。記憶の中の彼女を、濁りきった汚泥で穢された気がして、レンの腸は煮えくり返った。
「うるさい。変態。相手してやるよ」
「おお!おお!真ですか!いやあ、最悪、無理やり襲うしか無いと思っていたのですがねぇ。平和的に解決できてよかったですよ」
決闘の申し出が、ウィンドウに表示された。決闘によってHPが0になっても死亡することはない――というのは、ベータ版までの話で。実際この世界で決闘がどう扱われているのかは、よく分からなかった。誰も自分の命を懸けてまで、試したくはなかったのである。だから、この決闘がほんとうに安全だという保証はなかった。
はんぺんというプレイヤー。彼は組合の理事の一人であり、戦闘部隊の隊長を務めている。極めてワンマンなプレイヤーで、その実力に裏付けされた単独行動が多いらしい。組合にも二、三人しかいないセカンドジョブ開眼者でもある。それはすなわち、彼が三人以上のプレイヤーの命を奪ってきたことにほかならない。油断は禁物だった。
――Ready...
決闘を承認すると、視界の端でカウントダウンが始まった。
はんぺんは、喜悦を顔に浮かべながら得物の盾剣を構え直している。
レンもそれに合わせて短剣を握り締める。
――Go!
即座に切り払う。
喉元の切っ先を逸らし、素早く後退した。はんぺんは追ってこない。
いや、追ってこれないのか。
スピードで他の追随を許さない中衛のレンの敏捷は、ちょっとしたものである。メインジョブが前衛職ナイトのはんぺんがそれに追いつくことは難しいだろう。
腰に提げた袋から弾丸を掴み出す。
凍った地面を滑るように下がりながら、レンはスリングを乱射した。はんぺんは盾としての本来の使い方でそれをいなした。逸らされた炸裂弾が凍りついた地面を跳ねまわり、あちこちで乾いた爆音を発している。いくら発射しても、このままでは弾丸は盾の表面に弾かれるだけだった。
このまま続けても埒が明かない、そう判断し、接近戦の準備をする。おそらく、これが相手の狙いなのだろう。
前衛タイプのナイトは接近戦にめっぽう強い。遠距離攻撃を難なく無効にしてみせることで、得意の距離までこちらを誘い出すつもりなのだ。
――いいだろう。その誘い、乗ってやるよ。
レンは一つだけ保険をかけてから、はんぺんに向かって突っ込んだ。
風景が川の様に流れる。
両腕を体で、はんぺんの目から隠し、手に持った武器を見せない。
迎え撃つはんぺんは、何故か構えた大盾を頭上に振り上げた。前面がガラ空きになる。誘いだろうか。
手の届く距離まで接近したレンは、地面を強く踏みしめようとした。それは跳躍の動作、あるいは突進の構え。当然それに気づいたはんぺんは、盾の影に隠していた第二の武器――マサカリを振り下ろした。
期待通りの反応だ。
レンはほくそ笑んだ。踏みしめた足は、氷の地面で滑り、うまく体重をかけられない。通常であれば、転んでしまうような体勢にスリップしてしまうが、レンはわざとこれを狙っていた。
はんぺんの動揺が伝わってくるようだ。無理な体勢のまま、ナイフをブレードのように氷面を走らせマサカリの一撃を回避する。服の端布が切り飛ばされたが、ダメージはない。
レンの体勢は既に完全に崩れ、半ば地面に倒れ込むような形になっている。このままだと、遠からず地面にキスしてしまうほどだ。丁度はんぺんの股の下をくぐるように、頭が突き出されている。そのぎりぎりの状態で上半身を捻ったレンは真上に位置するはんぺんに、今まで隠していた武器を発動した。
握りしめた左の拳を優しく開くと、中からこぼれだしたのは、スリングの弾丸――炸裂弾だった。
本来スリングの弾丸は、スリングを介して発射しなければ発動しない。そうでなければ、弾丸を取り零すだけで暴発してしまうだろう。しかし、レンには前例があった。まだレンジャーの推奨武器など詳しく知らなかった頃から、レンは素手で石ころを投げつけ、攻撃に利用していた。今思えば、あれも一種の埒外運用だったのではないだろうか。
そして今、レンの掌でうごめく、無数の弾丸がレンの手から”投擲された”
股下で起こる爆発。
はんぺんにとっては、急所を狙った最悪の攻撃。
至近で爆発に巻き込まれたレンだが、その爆発の推力を横方向に逃し、氷面をスケートリンクに見立てて、滑るように逃げ去り、ダメージを半減させていた。
「ぐぅあぁああッ!」
股間は当然、盾の内側である。防御の及ぶ箇所ではない。
爆風で吹き飛び、絶叫するはんぺんの下半身は酷く焼けただれていた。
レンの被害も軽いものではないが、相手に大打撃を成功させたことで精神的には高揚している。
「ぐ……まだ、まだァァァ!!」
吠えたはんぺんが跳ね起きた。同時にスキルが発動する。
「”アウェイクン””ペインレス”!」
一瞬の燐光に包まれたはんぺんは、猛然とレンに向かって突っ込んできた。
馬鹿正直に受け止める必要はない。レンはスリングによる投擲で彼を迎え撃つ。
一発、二発。
確かにダメージは与えているはずなのに、はんぺんは凶相を浮かべたままその走りを止めない。
不味い。
近づかれすぎた。
一閃する大盾。リーチは短いが速度が尋常ではない。辛うじて流すことが出来たが、二撃目は無理だった。
「”シールドバッシュ”ッ!」
剣としての使用法から一転。盾の広い表面を向け、突き出される。線攻撃から面攻撃への急変化、それにレンは追いつけなかった。
肋骨が軋むほどの衝撃。耐えられるのか。
HPゲージがガリガリとすごい勢いで減少する。
まだだ、まだ戦える。
ピンチになるほど、レンは思考が明晰になっていくのを感じていた。限界の戦いでは、全身全霊をかけて一撃一撃を読みきらなければ、生き残ることは出来ない。無駄な思考が漂白され、綺麗に消えて行く。心にあるのは、自分と相手だけ。白と黒。余計なものはもう目に入らなかった。
「くくくくく。いいよ、実にいい。最っ高だ!」
はんぺんは大笑している。何がそんなに可笑しいのか、壊れたラジオのように笑声を発する。
「そうでなくては、なあ。此れ位やってくれんと、神獣を倒すなんて無茶はやれんだろう」
「ごちゃごちゃ五月蝿いやつだ」
「くく、無言で戦うなど、相手に失礼ではないか。獣はそれでいいだろうが、人にはちゃんと意思を伝える言葉があるのだぞ?」
「オレが伝えたい意思は、敵意位だ」
「いい、それでいいのだよ。戦いは人と人の物だよ。獣を屠殺することに喜びなど無い。獣姦趣味は私にはないのでね」
その言葉をレンは聞いては居なかった。集中力が限界を超えて、全ての動きがスローモーションに変わる。
遅い、遅いぞ。
蛇のように地を這いながら、突撃した。ネズミ花火のように、はんぺんの足元を駆け抜ける。彼の防御は追いつかない。いや、そもそも防御する気があったのかどうか。
無防備な右足を切りつける。柔らかい肉を引き裂いていくと、固い骨が刃を止めようと踏ん張る。
そのささやかな抵抗をぶち破った時、レンのナイフは完全に、はんぺんの脛を両断していた。
はんぺんの片足を奪った代償として要求されたのは、レンの首だった。迎撃で振り下ろされる断頭台のマサカリ。
「”サット・ドラゴン”」
スキルを叫ぶ。
地を這う蛇が龍に変じた。短剣が限界を越えた速さで、相手の首を逆に噛み切ろうと鎌首をもたげた。そのスキルの補正によって、急激に体を起こしたレンは、辛くも断頭台から逃れた。
はんぺんの体は傾いている。片足失ったのだから、支えるものが無くなったのだ。その状態で、首筋にレンの短剣スキルが襲いかかった。
噴出する血しぶき。
――You Win!
勝利を告げるファンファーレと同時に、はんぺんはドサリ地に沈んだ。
勝った、しかし殺してしまったのだろうか。
血の海に倒れ伏すはんぺんが、突然むくりと起き上がった。
「Good Game!いい勝負だったよ、レン」
のみならず、どくどく血を流しながら、さわやかな笑顔で握手を求めてきた。ついさっきの凶相、妄執が嘘のようだ。
レンは若干引きながら、固い握手を交わす。はんぺんの性癖は理解できないが、戦いに少しばかり傾倒しているだけで、根は悪いやつではない。自身も若干バトルマニアの気があるレンは、プレシャスに抱く思いとはまた違った好感を、彼に対して感じた。
「それにしても生きていてよかった。決闘で死ぬかも、と思っていたからな」
「ははは。そうだね。でもまたレンと戦う機会が生まれたっていうのは、素直に喜ぶべきことなんだろうね」
「……勘弁してくれ、PvP狂い……」
「ごめんごめん。仲直りの印に、モンスター狩りにでも出掛けないかい?」
「なに?」
「ほら、丁度ここにはいい木偶モンスターが居るじゃあないか。協力プレイもゲームの華だよ」
片足がないので、まだ歩けない赤ん坊のように地面に座り込んだ状態のはんぺんは、近くにあるダンジョンを指さした。
白い冷気。立ち昇る妖気。修飾過多の白亜の建築。
「神獣ヘル。まあ体力だけは多いし、しばらく楽しめると思うよ?」




