石の顔
昔、昔。
人がまだ文字を持たず、石に神々の姿を刻み、森の奥には名もないものたちが住んでいると信じられていた頃のことでございます。
大きな森のほとりに、スンという若い女がおりました。
スンは石を彫って暮らしておりました。
彼女の作るものはたいそう見事で、鳥の像には本物の鳥が寄り添い、鹿の像には小鹿が近づき、人の像などは、夜になると歩き出すのではないかと噂されるほどでございました。
スンは、売れ残った石像を森の小道へ並べておりました。
小川のそばには魚を抱いた子供。
古い樫の木の下には、眠る老人。
道の分かれるところには、遠くを指さす女。
森を行く者が道に迷わぬようにと、そうしていたのでございます。
ある日、森に深い霧が出ました。
木々も小道も白く隠れ、家の窓からは、すぐそばの井戸さえ見えませんでした。
スンが家の中で石を磨いておりますと、戸を叩く音がいたしました。
開けてみれば、一人の若い男が立っておりました。
それは、世にも美しい男でございました。
髪は日に干した麦のような淡いベージュ色で、瞳は澄んだ黄金の色をしておりました。顔立ちはあまりに整っており、石を彫ることに慣れたスンでさえ、このような顔を自分の手で作ることはできまいと思ったほどでした。
男は、自分がどこから来たのか覚えておりませんでした。
ただ、ミタという名だけを覚えておりました。
霧の中を歩いていると、美しい石像が一つあり、その先にも、またその先にもあったので、見とれながら辿ってきたところ、この家に着いたのだと申しました。
それを聞いて、スンはたいそう喜びました。
石像は、みな彼女が作ったものだったからです。
スンは男を家へ招き、温かい粥を食べさせました。
帰るところも分からぬというので、記憶が戻るまで家に置くことにいたしました。
こうして、二人の暮らしが始まったのでございます。
*
ミタは、よく働く男でございました。
石を運び、水を汲み、薪を割り、スンの仕事を手伝いました。
スンもまた、彼に食事を作り、衣を繕い、村の暮らしを教えてやりました。
二人は次第に、本当の姉と弟のように仲良くなりました。
スンが病めば、ミタが粥を炊きました。
ミタが記憶のないことを悲しめば、スンが炉のそばで話し相手になりました。
やがて、ミタも石を彫るようになりました。
不思議なことに、彼は何を作らせても上手でした。
鳥の羽も、獣の脚も、人の手足も、少し教えれば、たちまち見事に彫り上げました。
ところが、顔だけは作ることができませんでした。
目を彫ろうとしては手を止め、口を彫ろうとしては石を置いてしまうのでございます。
そのため、ミタが身体を作り、スンが顔を彫ることが、いつしか二人の習慣となりました。
家の裏には、二人で作った石像が幾つも並びました。
その中には、スンの姿をした像もございました。
けれども、その像だけは、まだ顔が作られておりませんでした。
スンは、自分の顔を彫るのがどうにも気恥ずかしく、いつも後回しにしていたのでございます。
*
森の向こうの集落に、アマラという娘がおりました。
多くの土地と家畜を持つ家の一人娘で、辺りでは一番の美人といわれておりました。
アマラは、美しいものをたいそう好みました。
珍しい貝殻を集め、色鮮やかな石を集め、鳥の羽を集めては、誰にも触れさせず、大切にしまっておりました。
また、自分の美しさにも強く心を寄せておりました。
水面に顔を映しては髪を整え、飾りを替え、幾度もその姿を眺めていたといいます。
そのアマラが、ある日、石像を求めてスンの家へやってまいりました。
そこで、ミタを見たのでございます。
アマラは、ひと目で彼を気に入りました。
それから幾度も家を訪れ、美しい衣や珍しい果実を贈り、とうとう結婚を申し込みました。
スンは喜びました。
ミタに家族が増えることは、彼女にとっても嬉しいことだったからです。
ミタも、アマラの申し出を受け入れました。
こうして、二人の婚約が決まりました。
*
ところが、婚礼を間近に控えたある日。
ミタが、青ざめた顔で帰ってまいりました。
いつもはスンの姿を見つけると穏やかに笑う男が、その日は戸口に立ったまま、長いこと動こうともしませんでした。
スンが事情を尋ねますと、ミタはようやく、アマラの家で起こったことを話しました。
アマラは、ミタの美しさがいつか失われることを恐れておりました。
どれほど美しい花も枯れ、鳥の羽も色褪せ、人の顔も年を重ねれば変わってしまいます。
アマラは、それがどうにも我慢ならなかったのでございます。
そして、ミタの美しい顔を、いつまでも変わらぬ宝物として手元に置こうと考えました。
彼女は、そのために用意した刃物をミタへ向けました。
驚いたミタが身を守ろうとしたところ、二人はもみ合いになり、思いもよらぬ事故が起こりました。
アマラは、その日のうちに亡くなってしまったのでございます。
ミタは、彼女を傷つけるつもりなどなかったと申しました。
ただ、恐ろしくなって、スンのところへ帰ってきたのでした。
スンは彼を家に入れました。
そして、いつものように炉へ薪をくべ、温かい粥をよそいました。
その晩、ミタは一口も食べませんでした。
*
アマラの家は、深い悲しみに包まれました。
父親は娘の姿を忘れまいと、スンに石像を頼みました。
スンはそれを引き受けました。
白い石を選び、アマラの立ち姿を彫りました。
ミタも手伝いました。
いつものように、身体はミタが作り、顔はスンが仕上げました。
出来上がった像は、まことに美しいものでございました。
アマラの父親は涙を流し、その像を家の庭へ運ばせました。
ところが、三日目の朝。
庭へ出た父親は、ひどく驚きました。
アマラの石像から、顔がなくなっていたのでございます。
壊された跡も、削られた跡もありません。
ただ、初めから顔などなかったかのように、そこだけが滑らかな石になっておりました。
父親はスンを呼びました。
スンも驚き、もう一度、娘の顔を彫ってやりました。
けれども、翌朝には、またなくなっておりました。
三度目も、同じことでございました。
とうとう父親は諦め、顔のない娘の像を、庭の奥へ移してしまいました。
*
その頃から、ミタは石を彫らなくなりました。
家の裏にある作りかけの像にも、近づこうといたしませんでした。
ある日、スンは、まだ顔のない自分の像を仕上げようと思い立ちました。
すると、ミタは珍しく、それを強く止めました。
どうしても、その像に顔を作ってはならないと申すのでございます。
スンには、訳が分かりませんでした。
けれども、弟のように大切に思う男が嫌がるので、それ以上は尋ねませんでした。
顔のないスンの像は、そのまま家の裏に置かれました。
*
それから、幾度か雨が降りました。
ある霧の深い日。
スンが目を覚ますと、ミタの姿がありませんでした。
寝床はきれいに整えられ、衣も、履物も、いつものところに残されておりました。
スンは森を探しました。
小川へ行き、古い樫の木へ行き、石像の並ぶ小道を、幾度も行き来しました。
けれども、ミタは見つかりませんでした。
家へ戻ったスンは、裏に置いた石像が一つなくなっていることに気づきました。
顔のない、自分の像でございました。
スンは、それを不思議に思いました。
けれども、ミタがどこかへ運んだのかもしれぬと考え、それ以上は気に留めませんでした。
ミタは、とうとう帰ってきませんでした。
*
スンは、また一人で石を彫るようになりました。
以前と同じように、森の小道には美しい石像が並びました。
ただ、彼女はそれから、人の顔を彫る仕事をあまり引き受けなくなりました。
村の者たちは、ミタの行方を知りませんでした。
アマラの家でも、いつしか娘の石像を訪ねる者がいなくなりました。
そうして、しばらくの時が過ぎたのでございます。
ある日、森に深い霧が出ました。
スンが家の中で石を磨いておりますと、戸を叩く音がいたしました。
開けてみれば、一人の若い女が立っておりました。
たいそう美しい女でございました。
その女は、自分がどこから来たのか覚えておりませんでした。
森を歩いていると、美しい石像が一つあり、その先にも、またその先にもあったので、見とれながら辿ってきたところ、この家に着いたのだと申しました。
スンは、それを聞いて喜びました。
石像は、みな彼女が作ったものだったからです。
女を家へ招き、温かい粥を食べさせました。
帰るところも分からぬというので、しばらく家に置くことにいたしました。
女はよく働きました。
石を運び、水を汲み、薪を割り、スンの仕事を手伝いました。
そして、石を彫ることも、たいそう上手でございました。
ただ、顔だけは、どうしても作ることができませんでした。
*
ある晩、スンは女に、ミタの話をいたしました。
霧の深い日にやってきた、美しい男の話でございます。
女は、静かに聞いておりました。
スンが話し終えると、女は、家の裏にある石像を見たいと申しました。
二人で外へ出ますと、そこには、昔と変わらず幾つもの石像が並んでおりました。
女はその一つ一つを眺め、最後に、何も置かれていない台座の前で足を止めました。
そこは、かつてスンの像があった場所でございました。
女は、その台座をたいそう気に入りました。
そして、自分の像をここに作ってほしいと頼みました。
スンは引き受けました。
翌日から、二人は石を彫り始めました。
身体は女が作り、顔はスンが仕上げました。
出来上がった像は、まことに美しいものでございました。
女は、いつまでもその顔を眺めておりました。
その晩、森には、また深い霧が出ました。
*
翌朝、女はおりませんでした。
そして、家の裏の台座も、空になっておりました。
スンは森へ出ました。
小川のそばには魚を抱いた子供。
古い樫の木の下には、眠る老人。
道の分かれるところには、遠くを指さす女。
その先に、見覚えのない石像が立っておりました。
淡い髪の美しい男の像でございました。
さらにその先には、もう一つ。
今度は、見知らぬ若い女の像でございました。
どちらも、顔はありませんでした。
スンは、長いこと二つの像を眺めておりました。
それから、家へ戻りました。
仕事台の上には、昨日までなかった、小さな石像が置かれておりました。
石を彫る若い女の像でございました。
その姿は、スンにそっくりでした。
ただ、顔だけが、まだ作られておりませんでした。
スンは、しばらくそれを見つめておりました。
そして、いつもの道具を手に取りました。
自分の顔を彫るのは、初めてのことでございました。
霧は、まだ晴れませんでした。
おしまい。




