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第二章:二百年の空白

「お、俺にも詳しいことは分からねえ……!」


喉元に突きつけられた、剃刀のように冷たい切っ先。そこから伝わる絶対的な「死」の気配に、ガロンは完全に腰を抜かし、泥まみれの石畳の上で狂ったように首を振った。


「ただ、ギルドの仲介人を通じて、裏の大物から話が回ってきたんだ!『三花流を嗅ぎ回る風変わりな旅人がいたら、生かして帰すな。情報はすべて剥ぎ取り、特にその書きかけのノートを奪え』ってな……! 手がかりは、その旅人が近いうちに王都を発って、東の『ローデン村』に向かうって情報だけだったんだよ! 本当だ、信じてくれ!」


「ローデン村……」


ヴェルトはその地名を耳にした瞬間、脳内に構築されている詳細な大陸地図のデータを即座に検索・照合した。

王都から東へ街道を馬で飛ばして約三日。峻険な山々に囲まれた盆地に位置する、かつての大国『ヴェルナ帝国』の直轄領だった古い農村だ。二百年前に帝国が崩壊してからは自治に任され、今では歴史の隅に忘れ去られたようなうら寂れた小村のはずだった。


「よく話してくれた。君の恐怖の混じった正確な供述、確かに私の脳内、そしてノートへ『記録』したよ」


ヴェルトが静かに剣を引くと同時に、ガロンは肺に溜まった空気を一気に吐き出すような悲鳴を上げ、四つん這いになって闇の中へと逃げ去っていった。路地に転がっていた二人の暗殺者も、折れた手首を抱えながら命からがら王都の雑踏へと消えていく。


路地に一人残されたヴェルトは、懐から再び使い慣れた羽ペンを取り出し、消えかけのランタンの光を頼りにノートへと追記を始めた。


『三花流の探索に対する、王都上層部からの明確な圧力を感知。ギルド経由の依頼であることから、宮廷内部、あるいは治安維持機構の幹部クラスに監視の目が存在する可能性極めて高し。また、私がローデン村を目指すという情報が事前に漏洩していた点に留意。――次の目的地、ローデン村へ移行する。そこには、歴史の隠蔽を暴くための“ミッシングリンク”が存在するはずだ』



三日後。

果てしなく続く麦畑と、徐々に険しさを増す山道を乗り合い馬車に揺られ、ヴェルトはローデン村の入り口に立っていた。


しかし、彼の前に広がっていたのは、事前資料にあったような「のどかで平和な農村」の風景ではなかった。


「……空気が重いな。物理的な気圧の変動ではない。大気中の『マナ』の配列が乱れている」


ヴェルトは小さく呟き、周囲の環境を細部まで観察スキャンし始めた。

まだ太陽が中天に位置する昼間だというのに、村の家々の窓は固く閉ざされ、木製の鎧戸が厳重に下ろされている。広大な畑には、農作業をする人影が一人も見当たらない。家畜の鳴き声すら響かず、ただ不気味なほどの、耳が痛くなるような静寂が村全体を支配していた。


(住民の屋外活動形跡、通常の十%以下。家々の煙突から上る煙の量から推測するに、住民は屋内に潜んでいる。大気中に微弱なエネルギーの「うねり」を感知。磁場の異常か、あるいは何らかの強力な術式の残滓か……)


彼が村の中央にある、干上がった井戸が置かれた広場へと進むと、ようやく数人の老人が寄り添うように集まっているのを見つけた。中央で頭を抱えているのは、白髪の目立つ、困憊しきった表情の村長だった。ヴェルトが旅の記録者であり、この地域の古い伝承を調べていることを告げると、村長は藁にもすがるような目を向けてきた。


「おお、旅の御方……! よくぞこのような呪われた村へ。お願いだ、どうか私たちの話を聞いてくだされ。さもなければ、この村の若い血は、すべて絶え果ててしまう……!」


村長が震える声で語った内容は、あまりに奇妙で、そして凄惨なものだった。


「一週間ほど前から、夜になると村の若者たちが突然、夢遊病のようにベッドから起き上がるのです。皆、一様に目を白濁させ、うつろな顔で、一度も握ったことのないはずの『剣』を手に取る。そしてこの広場に集まり、恐ろしい、見たこともない鋭い型を、まるで悪魔に躍らされるように繰り返すのです。引き止めようと親たちが触れれば、凄まじい怪力で撥ね退けられる。そして朝になると、若者たちは夜の記憶を完全に失い、ただ極度の疲労で泥のように衰弱していく。……すでに数人が、起き上がることすらできなくなり、命の灯火が消えかけておるのです……」


「剣の型、ですか」


ヴェルトの胸の奥で、再びあの、前世の記憶に由来する「システム的なざわつき」が走った。


「村長。その若者たちが振るうという剣の動き、具体的にどのような軌道を描いているか、あなたの記憶にある限り教えていただけますか」


「私らのような素人には、詳しいことは分かりませぬ……。ただ、ただ、彼らが振るう木刀や農具は、まるで目に見えぬ三枚の花びらを描くように、美しく、そして冷酷に空気を切り裂くのです。風の音が、普通の剣とは全く違う、ヒュッという高い、耳障りな音を立てるのです……」


(――間違いない。三花流の『型』だ。二百年前に公式に途絶えたはずの技術が、なぜ剣の手ほどきなど受けたこともない田舎の農夫たちに発現している? 遺伝的な記憶の覚醒か? いや、同時に十数人が発症するとなれば、外的要因による強制的な“精神汚染”と見るのが論理的だ)


「村長。この村の周辺に、古い遺跡や、文字の削り取られた祠のようなものはありますか」


「それなら……村の裏山の中腹に、大昔の大戦時代から立ち入りを禁じられた『三花の祠』という古いお堂がございますが……。まさか、あそこが原因だと?」


ヴェルトは即座に立ち上がり、リュックの紐を締め直した。

「案内は不要です。少し、その『記録』を取りに行ってきます。長居はしませんよ」


裏山の鬱蒼とした、昼なお暗い雑木林を抜け、ヴェルトは苔むした古い石段を一段ずつ登っていった。登るにつれて、大気中の歪み――ヴェルトの感知する「世界のノイズ」が、指数関数的に増大していくのが分かった。頭痛に似た微弱な電気信号が、前世の記憶の領域を刺激する。


石段の最上段、木々の隙間に開けた場所に、完全に風化しかけた小さな木造の祠があった。

周囲には、かつて結界が張られていたであろう注連縄のような古い布の切れ端が散らばっている。お堂の扉の鍵はとうに錆びて壊れており、隙間から差し込むわずかな光の中に、一本の剣が台座に据えられているのが見えた。


ヴェルトは物音を立てずに近づき、その剣をそっと手に取った。


(全長約八十・五センチメートル。重量、推定九百グラム。刀身全体が厚い赤錆に覆われているが、不自然なほどに芯までは腐っていない。この独特の、優美な『反り』。そして、柄の金物つかがしらに微かに刻まれた、三枚の花びらの紋様。――これは、叩き斬るための西洋の直剣ではない。前世の私が知る、東洋の島国で洗練された『日本刀』に極めて近い、あるいはそれをベースに発展した構造だ)


彼がその古剣の柄に指を触れた瞬間、パチリ、と静電気のような衝撃が走り、祠の空間全体がびりびりと震えた。

大気中の歪みが、この古剣を中心に、目に見えない磁気嵐のように渦を巻いている。


(仮説を構築。この剣は単なる武器ではない。二百年前に調律された、残留思念、あるいは特定の精神波を増幅するための『指向性アンテナ』として機能している。そして、その増幅された波長が、夜間、脳波の低下した村の若者たちの精神回路と同調し、一種の強制的な催眠状態オーバーライドを引き起こしている。……論理的な辻褄は合う。ならば、今夜ここで、若者たちが集まる広場で、そのエネルギーの『発信源』を物理的に遮断する必要があるな)


ヴェルトは錆びた古剣を腰の帯へと差し、静かに、しかし冷徹な眼差しで、村へと忍び寄る夜の訪れを待った。

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