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十九 疑惑


 王宮に戻ればターシャの長い説教がハイヤトゥンを襲った。

 しかし、アクラブの両親に会ったと彼が告げれば、怒りの矛先はアクラブに向いた。


「一体どういうことか説明して下さいませ」

「ハイヤトゥン様が私の実家の家計簿を見たいとおっしゃったので」

 アクラブは前後を省いてそれだけ言う。ハイヤトゥンは笑った。

「ターシャ。アクラブの母を官吏にと口説いたのだが袖にされただけだ。まぁ、アクラブが妬いてくれただけでも儲けだが」

「あら、妬くだけではなく、焼いて差し上げてもよろしくってよ」

「それは砂漠の太陽だけで十分だ。ターシャ、腹が減った。何か持ってきてくれ」

「夕食の時間に戻られないので処分しました」

 ターシャは不機嫌に答える。

「果物でも構わん。アクラブの分も」

「甘ったるい焼き菓子くらいしかありませんわ。使用人一同でいただこうと思っていたのですが……ハイヤトゥン様を空腹にしておくと使用人が消えますからねぇ」

 ターシャは笑って部屋を出た。

 使用人が消えるとは何事だろう。

「本気にするなよ」

「え?」

「使用人の話だ」

 ハイヤトゥンは笑う。

「私にはハイヤトゥン様が使用人を丸呑みにする光景が浮かびましたが?」

「……そんな蛇みたいな真似はしない」

 ハイヤトゥンはため息を吐いた。

 アクラブだってそんなことは思っていない。ただ、冗談だ。しかし、彼が呆れた顔を見せたことで笑いが零れる。

「珍しいな。お前が笑うなんて」

「あら? そうでしたか?」

「ああ。珍しい」

 ハイヤトゥンの手がゆっくりとアクラブに近づく。そして、そっと頬を撫でた。

「笑うと年相応に愛らしいな」

「老けて見えると?」

「言い方は悪いが、まぁ、不相応なほど落ち着いてはいるな」

 ハイヤトゥンの大きな手がアクラブの顔を包む。

 まっすぐ、視線が重なる。

 蛇に睨まれるとはこのことだろうかと思えるほど、体が硬直して動けなかった。

「ハイヤトゥン様?」

「ハイヤ、と。お前は私の妻となるのだから」

 ゆっくり顔が近づいた。

 捕食されると恐怖が湧く。

 怖い。目の前の大蛇が怖い。

 この蛇は小さな蠍など丸呑みにしてしまうだろう。

「何を怯えているのだ? 別に食ったりはしないぞ。噂を鵜呑みにするな」

 呆れたような顔。

 そして、ターシャの足音が聞こえた。

「お夜食をお持ちしま……お邪魔でしたか?」

 アクラブがかすかに首を動かせばターシャが固まっている。

 皿をひっくり返さなかったのは流石というべきか。困惑は顔に出ているが、料理は無事なようだった。

「そうだな。あと少しでアクラブを落とせたはずなのだが……まぁいい。逃がすつもりはない」

 ハイヤトゥンは笑ってアクラブを抱きかかえた。

「お前の嫌いな焼き菓子ばかりだな」

「本日は断食させてください」

「食べ物を粗末にするのは感心しない」

「使用人一同で召し上がられるそうですので」

 なんの拷問だとアクラブは批難したくなった。

「お前と私は運命共同体だ。毒も菓子も分け合おうではないか」

「あ、毒を足せばいいんだわ。ハイヤ様、何がよろしいです? 私の収集物はたくさんありますよ」

 途端に上機嫌になるアクラブに、二人は呆れた様子を見せる。

「本気で毒を足すのか?」

「もちろん。溶解毒に、神経毒でしょ、これはかなり強烈な麻痺で、こっちは、複合毒だから効果はいろいろあるけど……やっぱりこの蛇毒がいいかしら? ねぇ、ハイヤ様?」

 嬉々として毒を並べる様子にハイヤトゥンは頭を抱えた。

 しかし、そんなことは気にならないほどに、並べた小瓶たちは魅力的だ。

「アクラブ、そこまで毒が好きか?」

「はい。大好物です」

「……できれば軽いものを頼む。あまり消化器に損傷を与えないもので」

「あら、刺激が強いものはお嫌い? 意外とお子様なのね。じゃあ、かるーくこっちの神経毒にしましょうか」

「いやいや、国王に毒盛ったりしないでください! そんな嬉々として」

「だって、おいしいじゃない」

 笑顔を見せればターシャは固まる。

「ハイヤトゥン様、結婚を考えなおしてくださいませ。私はこの方にお仕えする自身がありません」

「……これさえなければこれ以上ないほど魅力的な娘なのだが……結婚には妥協が必要だろう? ターシャ」

 ハイヤトゥンの顔色はあまり良好とは言えない。しかし、それ以上にターシャの顔は青かった。

「あら、ハイヤ様もすぐに虜になりますわ。だって、毒とはこんなにも美しいのですもの」

「……アクラブ、あとで庭園に散歩に行くか?」

「はい、喜んで」

 庭園には毒草があふれている。

 毒のある花とはなぜあんなにも美しいのだろう。

「ターシャ、先に解毒剤を用意してくれると助かるのだが……」

「それは、奥様のほうが詳しいのでは?」

 ターシャがアクラブを見た。

「あら、解毒剤なんてないわ。クーヘンに解毒されるのが悔しくて改良に改良を重ねて解毒不可にしたの」

「それは改悪と言うだろう」

「大丈夫、痛くないから」

 アクラブは聖母の如く頬笑み、毒を含んだ焼き菓子をハイヤトゥンの口に運ぶ。

「本日はこのアクラブがお手伝いさせていただきますわ」

「……とても、魅力的な誘いだが……次は是非とも毒の入っていないもので頼む」

 こんな嬉々として人に毒を盛る奴がいるかとハイヤトゥンが呟いたことを聞き逃さなかったが、そんなことは知らぬふりをして口の中に押し込んだことは言うまでもない。

 部屋にターシャの悲鳴が響く。

 そして、ハイヤトゥンが床に倒れこんだ。

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