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十七 他人


 アクラブは賭けに出た。

 ハイヤトゥンに乗り移ったこのネロと言う男に、自分を乗っ取る別人の名前を聞き出す。

 そこから彼の正体を掴もうと。


「ごめんなさい、ネロ。私……よく覚えていないの」

「姫さん……ゆっくりでいい。俺はあんたに呼ばれただけで幸せだ」

 彼のことなど知らない。

 けれどもどこか懐かしいのは何故?

 アクラブは戸惑う。

「ネロ……私は誰? あなたの名前しか覚えていない私は……誰なの?」

「姫さん……何も思いだせないのか? いや、無理もない。俺もあんたを見るまで忘れてた……悪いとは思ってる。けど。忘れてしまってた」

 彼は悲しそうに言う。

 いったい何なのだろう?

「あんたの名はローザ。ローザ・ハウルだ。思いだせなくたって、この国に居れば嫌でも知ることになる。けど、姫さん一つだけ覚えててくれ。あんたは何も悪くない。評価ってのは他人が勝手にするものだ。王族となれば一層。だから、悪評があるのはその次の世代が都合の悪いことを先代に押し付けたいだけさ」

 彼は必至な様子で言う。

 ローザ・ハウル。

 知らないはずがない。

 部屋に肖像画まで飾っていた。 

 ハウル史上最も美しく残酷な王。虐殺王。

 ハウルの恐怖を塗り替えた女王だ。

「ハイヤ様?」

 おそるおそる、身体の持ち主の名を口にすれば、一瞬顔を歪め、すぐに気だるそうな表情になる。

「アクラブ? 私は……何故ここに?」

「家計簿を見に来たのでしょう? 私の家の前よ。ぼんやりしていたのかしら?」

「すまない。折角お前と過ごせる貴重な時間を」

 彼は心底申し訳なさそうに言う。

「どうぞ、おあがり下さいな。お父様、ただいま」

 アクラブが声を掛ければ父親は一瞬驚き、すぐに嬉しそうに笑う。

「アクラブ! おかえり。可愛い娘よ。三日前、クーヘンがうちに泊まって行ったよ」

「クーヘンが?」

「これは! 陛下!」

 父はハイヤトゥンの姿を見ると慌てて頭を下げる。

「面を上げよ。アクラブの親にそのような振る舞いをされては困る」

 彼は苦笑した。

「それに、今日は頼みがあって来たのだ」

「頼み、ですか?」

「家計簿を借りたい」

「家計簿? 何故そのようなものを?」

「民の暮らしを理解していないとアクラブに叱られてな。私の師は随分と厳しい」

 彼は笑う。

 本当によく笑う人だとアクラブは思う。

「お母様、勝手に借りますよ」

 アクラブは二階に上がり、引き出しから目当てのものを探し当てる。

「文字は読めぬのでは?」

「数字を理解できなければ商売などできません」

「知らぬふりが随分と巧い」

「あら、ばれていましたの?」

「お前が時折書類を眺めているのを見てな。もしかすると読めているのかと思っただけだ」

「次からは読まないように気をつけます」

「いや、読めるのならば手伝ってくれ。私もあの作業は嫌いだ」

 ハイヤトゥンは笑いながらアクラブの持つ家計簿を奪い取る。

「これは誰が書いている?」

「母です」

「綺麗な字だ。書記官に欲しい。今の書記官は書くのは早いが字が下手でな」

「人の母を口説かないでください」

「妬いているのか?」

「まさか」

「つれないな」

 ハイヤトゥンは苦笑する。

「二百年前は税など無かったらしいが、七代前に財政が酷く傾いてな。重税で苦労を掛けた」

「すみませんが、そのころには我々はまだ生まれてもおりません」

「そうだったか? どうも俺の周りは無駄に長生きしている奴が多くてな」

 彼は家計簿を隅々まで眺める。

「これは何だ?」

「どれですか?」

「護衛、と書いてある」

「どこの家も護衛を雇うんですよ。盗賊が多いので。国の警備員じゃ全く役に立たない。あ、すみません。全く、というか……その、警備員が賄賂を受け取って強盗を見ぬふりをしたり……全員ではないですよ? 勿論」

 アクラブは申し訳なく思う。

「……賄賂を禁じる法を廃止したのは私の父だ。だが……賄賂を贈るものも受け取るものも死罪にすべきだな。私はどうもあれは好かん」

「死罪はやりすぎでは?」

 父は怯えたように言う。

「そうでもせねば隠れてするものが多かろう。まぁ、死罪があろうとやる者はやるが……監視する者の育成も必要だな」

 ハイヤトゥンは考え込む。

「公開斬首に獄門辺りが妥当か」

「ハイヤトゥン様は斬首がお好きですの?」

 アクラブは面白そうに訊ねる。

「別に好き嫌いで判断しているわけではない」

「それは残念」

 アクラブは笑う。

「そう言うお前は斬首は好みか?」

「私は毒殺以外には興味ありませんわ」

 そう言ってアクラブは窓際に並んだ瓶を動かす。

「それは?」

「母の香水の空き瓶よ。空になったら貰うの。香水は嫌いだけど瓶は綺麗だもの」

 アクラブは瓶を日光に当てて眺める。

 きらきらときらめくそれに惹かれるのはなぜか。

 ただ、どのおもちゃより、きらめく小瓶が好きだったことだけは確かだ。

「アクラブは昔から金の掛からない良い子でしてね。おもちゃも殆ど欲しがらないし、服だって他所の娘のように次々に新しいものを欲しがることもなく、宝石にも全く興味を示さないんですよ」

 父はハイヤトゥンに言う。

「ほう」

「唯一収集するのが、王族の肖像画くらいで……あの子の部屋には歴代の王が全ていらっしゃる。遊び道具は硝子の瓶と木箱だけ。それに、よく手伝いもしてくれます。働き者の良い子で自慢の娘です」

「アクラブは誰よりも強く美しい。私は生涯あれを手放すつもりはない。もちろん、そなたたちに返すつもりもない。来月、婚礼をと考えている。異論は無いな?」

「一つだけ、約束して下さい」

「なんだ?」

「あの子は私たちの娘です。ですが、人様から預かっている、大切な娘でもあります。あの子を幸せにしてあげて下さい。どうか、あの子を……大切にしてください」

「当然だ。我が命よりアクラブを優先させる。アクラブ、お前もそれでいいな?」

「お断りします。あなた、馬鹿ですか? 命より護衛を優先させるなんて御自分の立場を理解していない。私は消費されればそれで満足です。私のことは消耗品だと思ってくださって構いません。その筆と同じ。書けなくなれば捨てる。戦えなくなったら捨てて下さって構いません」

 ハイヤトゥンは滅多に見せない怒ったような顔をした。

「ふざけるな。お前はハウルの民だ。国王である私が民を捨てるはずが無かろう。民は私の身体だ。お前を失うことは私の身体を抉られることと同じ。死なぬ私にも痛みはあるのだぞ」

「……ハイヤトゥン様……あなた様だからこそ、私は命を捧げたいのです」

 この人の為なら。

 そう思わせるものをこの王は持っている。

「アクラブ、私が死ぬまで死ぬことを許さん」

「困ったわ。不死身のハイヤトゥン様が死ぬ日なんて来るのかしら? きっと私、しわくちゃのお婆さんになっているのね」

「そのころには私も老いているだろう。共に老いを楽しもう」

 彼が笑えばあたたかくなるような気がした。

「この方なら安心だろう。クーヘン」

 父は壁に向かって笑いかける。

「気の迷いだよ。アクラブ」

 突然現れた男にアクラブは驚いた。

「クーヘン?」

「やぁ、久しぶり、でもないか。こないだは随分強烈な一撃をありがとう。解毒するのが大変だったよ」

「あのまま死ねばよかったのに」

「酷いなぁ。傷つくよ」

「知り合いか?」

 ハイヤトゥンは男とアクラブを見比べる。

「ええ、昔お世話になっていた人よ。クーヘン・レープって言うの。名前くらいはお耳にしたことがあるのでは?」

「……砂漠の狼か。確か暗殺者」

「いやあ。俺も有名になったものだね。セシルには負けるけど」

「セシリオ・アゲロでしょう? 西の死神」

「赤い死神じゃなかったっけ?」

 変なところだけ訂正する。

「まぁ、アクラブが選んだなら仕方ないけど……俺はあんたが大嫌いだ。ってか俺、身分の高い人間はとりあえず嫌いなんだよ。ルフト以外は」

「ルフト?」

「君の母親だよ。俺が出会った中で一番気高く美しい人だった」

 クーヘンは笑う。

「ルフト……聞いたことがあるな」

 ハイヤトゥンは考え込むようだ。

「……ルフト・ギフトのことか?」

「あれ? 知ってるの? ますます気に入らないな」

「一度会ったことはあるが……随分昔の話だ」

 アクラブは首を傾げる。

「赤毛の人?」

「いや、彼女は輝く金の髪だよ。それに、森の瞳だ。一緒に居ると凄く温かくて、心地よかった」 

 彼は全て過去形で言う。

 ああ、そうか。

 ルフト・ギフトもまた死んだ人間だ。

「私の母ですって? 知らないわ。そんな人」

「彼女は毒と薬の専門家だった」

「……レーベンの女王だ」

「え?」

「アクラブはハウルの人間じゃない。一滴もハウルの血は流れていないんだ」

 クーヘンの言葉に、アクラブは唇を噛む。

 生まればかりは自分ではどうしようもならない。

 だからこそもどかしい。

 悔しい。

「私はハウルの民よ。誰よりもハウル国王を敬愛している」

 あの、祭りの日に誓った。

 強く、美しく、賢く。

 国王の護衛になれるような、立派なハウルの民になると。

 アクラブは、真っ直ぐとハイヤトゥンを見た。

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