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十伍 錯覚


 アクラブが王宮に来て七日目になる。

 相変わらず部屋と空中庭園と食事をする為の部屋と浴室を行き来するだけの生活だった。

「暇」

 思わず呟く。

「では、何が望みだ?」

「外に出たいわ。いつもならこの時間は街で踊り子のフィッダとおしゃべりして、時々踊りを教えてもらうの」

「ほぅ、踊りもできるのか?」

「お祭りで踊るような簡単な踊りは。師匠が優秀だもの。王都で一番の踊り子よ。彼女は」

 アクラブはフィッダについてハイヤトゥンに話して聞かせる。

 王都で一番難しい踊りも踊れる優秀な踊り子だということ。背が低いことを気にしていること。大嫌いな甘いお菓子を貰って困っていると代わりに食べてくれるような優しさを持っていること。可愛らしい見た目に反してとっても喧嘩が強いこと。

 話は尽きない。

 それと同時に、酷く恋しくなる。

「フィッダは料理も上手なの。彼女の作るスープはとっても刺激的で美味しいわ」

「毒が入っているということか?」

「違うわ。異国の香辛料を使っているんですって。毒とはまた違った刺激があるの」

 アクラブは長椅子に移る。

 七日も居るのだから随分と王宮にも慣れてしまった。

「その娘を王宮に呼ぼう」

「え?」

「アクラブも会いたいのであろう? 私も興味がある。アクラブの友人だからな。そうだ、婚礼の髪飾りを選んでもらったらいい。踊り子と言うのは衣装を選ぶのが巧い」

 ハイヤトゥンは書類を置いてアクラブを見る。

「婚礼?」

 アクラブは訊き返した。

「来月の初めにすると言っただろう」

「……では、私は一生この部屋から出られないの?」 

 アクラブはハイヤトゥンを見た。

「不満か?」

「……ええ。だって、今まで自由だったのに、今は檻の中よ。あの魚と一緒だわ」

 アクラブは俯く。

「すまない……。私は、不安なのだ。お前が居なくなってしまうのではないかと」

「どうして?」

「他に想う男が居たのではないかと」

 アクラブは驚く。

 威厳あふれる王と、今の彼が同一人物とは思えない。

「……居ないわ」

「え?」

「そうね、想う女性は居ても……男性はいないわ」

 アクラブは笑う。

「ではその女について聞かせてもらおう」

 ハイヤトゥンは書類を押し除けて真面目腐った表情をつくりアクラブを見る。

「思い出は綺麗なままとっておきたいでしょう?」

「話を逸らすな」

「知らないの」

「は?」

「彼女の名前も、どこの人かも何も。ただ、いつも私に林檎をくれたわ。毒入りの」

 アクラブが言えばハイヤトゥンは溜息を吐く。

「お前には毒を盛った方が好かれそうだな」

「あら、毒の質には煩いですよ」

「これは厄介だ」

 彼は笑う。

 そして、立ち上がって、アクラブの隣に腰を下ろした。

「明日」

「え?」

「明日、臣には黙って街へ行くつもりだ。勿論、ターシャにも黙ってだ」

 彼は悪戯を企む子供のような表情で言う。

「お前も来るか?」

「よろしいのですか?」

「私が誘ったのだ」

 彼は笑う。そして、アクラブを抱き寄せた。

「市井にはお前の方が詳しい。民の視点で教えてくれまいか?」

「勿論です。ハイヤトゥン様」

「……明日は、その呼び方は止めてくれ。顔が知られても気付かれないのが私だが、名まで呼ばれれば流石に気付かれるだろう」

「あら、私の家では御自分から名乗られたのに」

「それは……お前が欲しかったからだ。身分を利用してでも」

 ハイヤトゥンはアクラブの頬に触れる。

 優しい眼差しはとても懐かしい。

「……ネロ……」

 知らない名前が零れた。

「誰だ? それは」

「え?」

 ハイヤトゥンの声で、アクラブは驚く。

「……ごめんなさい。寝ぼけているのかしら?」

「……ネロとは誰だ?」

「知らないわ。本当に……覚えていないの……」

 勝手に零れた名前。

 そんな知り合いはいないはずなのに、とても愛おしい名前。

「丁度いい。偽名に使わせてもらおう」

「え?」

「外ではそう呼ぶと言い。ハイヤトゥンでは即国王だと気付かれるだろう?」

「……ネロ?」

「ああ、悪くない」

 彼は笑う。

 けれど、その瞳はどこか寂しそうだった。

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