十参 比較
昼食時にはハイヤトゥンはアクラブの居る部屋に戻る。
それから彼は部屋で書類仕事を始める。アクラブはと言えば、ただ、ハイヤトゥンの膝に乗せられ、退屈そうに時折書類を覗いたり、窓の外を通る鳥に少しばかり嫉妬したりした。
今日はまた随分と退屈そうな書類が並んでいる。
【軍事予算】だとか【国境警備】だとか需要がいまいちわからないが、ハイヤトゥンはそれを真剣に眺め、時折署名したりと忙しい。
「面白いですか?」
「まったくもってつまらん」
「だったら捨ててしまえばいいのに」
「この紙きれで民の生活が左右されることもあるのだ。そういうわけにはいかん」
普通国王はここまで細かく書類を確かめたりはしないだろうに案外マメだとアクラブは思う。
警備をしたところで攻め入られれば攻め入られる。
あれは無駄だとアクラブは思った。
「ハイヤ様、飽きました」
「つれないな。私の仕事を見守るのがお前の役目だろう?」
「紙を眺めてにょろにょろを書いているようにしか見えません」
「……そうだったな」
ハイヤトゥンは溜息を吐く。
すこしやりすぎたかと後悔するが、馬鹿のふりをして損は無い。
女はあまり賢いといけない。
養母の口癖だ。
彼女が魔術師を止めたのは養父があまり学のない男だったからだという。
常に夫を立てるのが女の役目だと。
女は心の中でどんなにその男が格下だと思ってもそれを口に出さずにおだててやるべきだと彼女は言った。
「褒めて伸ばす、だっけ?」
「ん?」
「いえ、母の口癖を思い返していました」
「なんだ?」
「男をどんなに馬鹿だと思っても絶対口に出さずに別方面から褒めて伸ばしてやれと」
「……それも言わぬ方が良いぞ」
「え?」
「……いや、お前が手厳しいのはよく知っている。お前の厳しさは民意と思い喜んで受け入れよう」
「あら、意外と寛大」
「寛大でなければ王など勤まらんだろうに」
彼は笑う。
その姿にどきりとした。
「他国の話には頻繁に法律を変える王や贅沢ばかりして税を上げる王がよく出てきますが、ハイヤトゥン様は違うでしょう? ハウルは世界に誇れる素晴らしい法を持っていると父が言っていました」
「あれは私の法ではない。何代も我が一族が護り続けてきた法だ」
「それでも、その法を護り続けているハイヤトゥン様は素晴らしい王です」
アクラブが言えば彼は驚いたようにアクラブを見る。
「えらく褒めるな」
「え?」
「いや、嬉しい」
彼はアクラブの頭を撫でる。
ふと、懐かしい感覚に襲われる。
「強く、美しく、賢い子になりなさい」
かつてこの王は自分にこう言った。
アクラブは若き国王の姿を思う。
「ハイヤトゥン様」
「なんだ?」
「いえ……約束は必ず果たします」
強く。
誰よりも強くありたい。
美しく。
誰よりも美しくありたい。
賢く。
どこまでも賢くありたい。
すべてはこの方の為に。
「私のすべてはあなたに捧げるためにあります」
「随分と情熱的な告白だな。しかし……それは私を王として見てのことなのだろう?」
「勿論です」
幼き日の誓いを一日も忘れたことは無い。
いつか、この方の側に侍る日を夢見て鍛え上げてきた。
「アクラブ」
「はい」
「私は……お前を見つけた時、とても嬉しかった」
「え?」
「再びお前に会えたことをとても嬉しく思った。だから、二度とお前を手放したくない」
真っ直ぐ見つめる視線に迷いなど無い。
目を逸らせない。
そして懐かしい。
アクラブはこの目を知っている。
けれども思いだすことができない。
「ハイヤ様?」
「無理に褒めなくとも私はお前が側にいてくれるだけで幸せだ」
彼は笑ってアクラブの髪に触れた。
「……変な人」
「ん?」
「蠍は忌み嫌われるために居るのに」
「ならば、蛇とて嫌われよう。嫌われ者同士仲良くするのも悪くない」
「ふふっ、そうね」
アクラブは理解した。
この人だから。
ハイヤトゥン・ハウルだからこそ、今のハウルが存在するのだ。
アクラブ・ギフトが仕えるのは他のどの王でもない。
ハイヤトゥン・ハウルだけだ。




