ようこそ、セクター22へ
同日、午後7時。ブラック・バードに乗り込んだ067は美紀、雅之夫妻が借りている自宅マンションへと辿り着く。
なにやってんだ、あいつら……。
モニター越しに映し出される眼下の光景は内と外とを隔てる壁の側に座らされ、寒空の下で凍える2人の姿であった。いくらセクター22が雪の降らない地域とはいえ、11月の夜の気温は氷点下にもなる。そんな外の世界へ無防備なパジャマで放り出されては震える本人たちも恐怖なのか、寒さなのか。脳が正常に判断できなくなっているはずだ。ハウンドたちは命令に従っただけだが、そこまで頭が回らない。
美紀さんのパジャマ姿を拝めるのはありがたいが、物事には順番ってのが大事なんだよなぁ……。
大衆食堂じゃないんだからさぁとぶつくさ文句を言いつつも、ちゃっかり美紀を拡大し、その滑らかな肢体をゆっくりと噛み締める。しかしやはり、表情が頂けない。素材の鮮度が落ちてしまっている。
可哀そうなのは趣味じゃねぇんだよなぁ…………。
これは急がなければと067はブラック・バードに命じた。
「ハッチオープン」
天井が開き、外気が急速に流れ込む。
さむっ……!!
操縦席の気温が一気に下がり、立ち上がった彼の吐く息は白く、煙のように立ち昇っては風に乗って流れていく。
まったく……。
067は飛び降り、すぐさま2人の下へと駆け寄りながら車をまずは1台、手配する。温かい飲み物と毛布が必要だ。
「なにやってんだよ、お前らー。呆れて物も言えないよ」
微動だにせず待機しているハウンドらに声を掛けた。
「もうここはいいから。早く帰れ」
ハウス!! と指示を出し、待機していたブラック・バードも右手を掲げ円を描くことで、待機所へと送り返す。
「お待たせしましたー。すみません。こんな寒い日に外で待たせてしまって……」
「い……いえ…………」
そう言う雅之も美紀もガチガチと歯を鳴らしている。
やっぱり可哀想なのは抜けない……。
そんなことを考えながらも体のラインがはっきりと浮き出た美紀の姿を067は瞬時に嘗め回す。
パジャマ姿の美紀はとてつもないエロスだ。豊かな峰はパジャマという名の野を作り、腹を隠す。しかし完全には隠れてはおらず、砂時計型のくびれが腰から臀部、太腿に掛けての曲線を強調している。それはまさに腹の底から情欲を掻き立てる色欲の権化だ。しかし、ここに件の子供を抱かせれば、その姿はまさに聖母となったであろう。
あー抱きしめたい。
そんなことを考えつつも時折美紀の視線が人型ロボットが抱いた子供に向けられていることは見逃さない。しかし、腹の中身までは知り得ない2人にとっては神によって遣わされた冥界の番人である。死を管理する存在にただ、ひたすらにひれ伏すことしかできなかった。
「申し訳ありませんでした!! 私たちにアマテラス様に反抗する意思はございません!! ですからどうか!! どうか妻だけはお助けください!! お願い致します!!」
「いえ!! 悪いのは私です!! 私だけをお裁きください!! この件に夫は関係ありません!! ただ、私が巻き込んでしまっただけです!! 悪いのは私です!! ですからどうか!! どうかあの子と夫だけはお救いください!!」
お願い致します!! お願い致します!! と頭を下げる夫妻を前に067は腰に手を当てる。そして左側に目を向け、元凶の赤ん坊の顔を覗き込む。
「ああ!!」
「大丈夫。何もしませんよ」
体を冷やさないよう特殊繊維にくるまれた赤ん坊はこんな状況下でもスヤスヤと眠りに付いている。
俺もあんな美人なママが欲しかったよ。このクソガキ!!
指で鼻でも弾いてやろうかとも思ったが、そんなことをすれば夫妻と信頼関係を築くことなどできなくなるので止めておくことにする。両手はポケットの中に仕舞っておいた。
…………よし。あとは出たとこ勝負だな。
移動中に粗方考えていた話の筋を纏め上げ、067は2人の前まで音もなく近づき、それからゆっくりと片膝を付いてそれぞれに向かって真剣ながらも威圧感を感じさせない視線を送る。
「話はすでにアマテラスから聞いております。まずはお2人とも、一度立ちませんか? 正座し続けるのもお辛いでしょう。ゆっくりで大丈夫ですので……。さ……………」
しっかりと目線を合わせ、2人。主に美紀に向かって両手を差し出す。
「あ……ありがとうございます…………」
「ありがとうございます…………」
067が立ち上がるのに合わせ、2人はよろけながらもなんとかゆっくりと立ち上がった。その際に見えた美紀の谷間を彼は見逃さない。
「あれ!? お2人とも裸足じゃないですか!? 大丈夫ですか? 痛いですよね?」
「え…………。ええ、まあ…………。そうですね…………」
「ですよねーすみません!! あいつらクスリとチップで無理やり強化してるもんだから気が利かなくって……」
「はあ…………」
困惑。2人の顔にはそう書いてある。
「それにしても寒いですねー。このままだと全員、風邪を引いてしまいますから、車を手配しました。まずはそこでゆっくりと体を温めてから、今後のことについて話し合いましょう。アマテラス」
そう言って耳のインカムに手を当てると、待機していた車が1台、恐る恐るといった速度で近づいてきた。
「さ、まずは乗ってください。早く何か飲みましょう!!」
さささっと2人を促し、座っていた順番に雅之、美紀と車へと乗り込んでいく。赤ん坊を抱いたロボットは067の手招きで後ろを付いて歩き、車へと近付いてきた。
「あったかい…………」
雅之が呟く。
「それじゃあまず、赤ちゃんをお母さんの方へ……」
「え!?」
戸惑い、驚く2人の下へ赤ん坊が返却される。
「ああっ…………!!」
愛しい我が子を美紀は抱きしめ、涙を流す。その美紀の両肩に雅之は手を置いた。そんな光景を前に067は口角を上げて頷き、そのままの顔でロボットに下がるよう左手を下から上へと2回動かし、指示を出す。そして再度、2人に人の良さそうな笑顔を向けた。
「さ、赤ちゃんも無事に戻って来たことですし。まずはお茶でも飲みましょう!! あ、その前に靴ですね、靴……」
えーっと……。これか?
備品のことを何も聞かされていない067はとりあえず勘で備え付けられた引き出しを適当に開けると、中にプラスチックの袋に入った見るからに安価なスリッパを2足見つけ出す。
「ああ、ありました。ありました。すみません、こんな安物で……」
マジで安物だな……。
もう少しマシな物を用意しろよと思いつつ袋から取り出し、履きやすいよう口の方を2人に向けて、足元に置いていく。美紀から順にだ。
「すみません。ありがとうございます……」
「ありがとうございます……」
2人は頭を下げる。
「後は温かい飲み物がー……ありましたね。お茶です。どうぞ」
オレンジ色のキャップが付いた小さなペットボトルを2人に差し出した。これもまた美紀から先だ。
「ありがとうございます……」
「ありがとうございます……」
お礼を言って2人は受け取り、まずはその冷えた両手を温め始めた。
「ふぅー…………。生き返りますねぇー」
最初に口を付けたのは067だ。別に喉は乾いていなかったが、そうした方が後に続きやすいと考えたからである。
「…………」
「…………。頂こう……」
それに続き、雅之がお茶を口にした。
「開けますよ」
「あ、ありがとうございます……」
赤ん坊を抱いて開けにくそうにしていた美紀にそっと両手を差し出す。067はキャップを開け、お茶を彼女に返した。
「すみません……。何から何まで……」
「いえいえ。こちらの不手際ですので」
2人がお茶を一口含み、一息ついたところで067は本題へと入る。
「それでは改めまして。私の名前はS22-P104-067と申します。よろしくお願い致します」
「よろしくお願い致します……」
「よろしくお願い致します……」
「それでは、えー今後のお2人のことなんですけども……」
「…………」
緩んでいた車内の空気が僅かにヒリつく。
「————バグ判定は取り消し。赤ちゃんも遺伝子治療後、お2人の下へとお返し致します」
「————えっ…………。本当ですか!?」
「はい。今回の判断は私に一任されておりますので」
「ええっ!! 良かったぁ…………」
美紀は眠る赤ん坊を再び抱きしめ、雅之もそんな美紀のことを抱き寄せる。
「ありがとうございます!! ありがとうございます!!」
「いえいえ。私はただ、こうすることが最適であると判断したまでです」
067は頭を下げる2人に止めてください。止めてくださいと優しく語り掛け、この後の流れの説明した。
「では、この後の流れなんですけども、まずはお2人のカラーが現在の赤から黄色へと変わります。そしてこのまま、別々の車になってはしまうんですけれども、更生センターの方へ向かって頂き、翌日。朝ー……、9時半からですかね。1時間ほどの講習を受けて頂きます。その間にこちらで赤ちゃんの遺伝子治療を行い、チップの埋め込みまでを行います。ここまでで、何かご質問等はございますか?」
067は必死に手順を思い出しながら話すように首を傾げたり顔を下げたりしながら両手も必死に動かし、真剣な表情で2人にちゃんと理解して貰おうと努力する。当然、2人は一言も聞き漏らすまいとそれ以上に彼の一挙手一投足を目に焼き付けていた。
「大丈夫です。ありません」
「私も、大丈夫です」
「ありがとうございます。では、お2人にお願いしたいことがございまして、明日の赤ちゃんの治療が始まるまでの間、申し訳ありませんが赤ちゃんのお世話をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい!! もちろんです!!」
美紀の力強い言葉に067も安心して頷く。
「ありがとうございます。では、講習を受けて頂いた後なんですけども、特にテスト等はございません。終了すると自動的に黄色から青に戻りますので、戻ったことを確認して頂き、その段階でお2人をご自宅までお送り致します。その際は赤ちゃんもご一緒ですので、ご安心ください」
「良かった…………」
「ああ……」
美紀は本当に片時も離れたくないのであろう。それが表情や手付きから簡単に読み取れる。それほどまでの熱量が彼女にはあった。
「…………」
彼の胸が熱くなる。これが親子の絆ってやつか……。羨ましいよ……。この仕事をしてきて初めて目にする血を超えた愛を前に067は人生で初めて愛し合った3人の女性のことを思い出し、性欲を超えた美しさを美紀から感じ取る。そして、一筋の涙が頬を伝った。左手でそっと拭い、平静を装う。涙を流すとは自分でも思わなかった。こんな人間らしい機能が自分に備わっているとは驚きである。一番古い記憶を辿っても泣いた覚えがないからだ。
「フッ……」
年寄りみたいだなと頬を掻く067に夫妻は美しいものを見たと感動した。3人の心は1つに繋がる。
「えーそれでは、あと、お2人にやって頂きたいことは赤ちゃんの名前ですね。名前の登録は後日でも大丈夫ですので、えーそれまでに、赤ちゃんの名前を考えておいてください。あと、今後赤ちゃんをどう育てていくのか。これは美紀さんの方がお詳しいとは思うんですけれども、アマテラスの判断待ちとなります。ご自宅での養育になるのか。ある程度の年齢まで施設預かりとなるのかは現時点では分かりません。確定するタイミングは遺伝子治療が終わって、チップを埋め込んだ後になります。通知のタイミングはご自宅の方がいいですよね?」
「そうですね。その方がありがたいです」
「解りました。美紀さんのご希望ということで、この後ですね、アマテラスの方へご自宅にご到着後、通知するよう指示を出しますのでご安心ください」
「はい!! ありがとうございます…………」
美紀は深々と頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ……。色々と不手際がございまして、申し訳ありません……」
お気になさらず。そんな顔をする067である。
「それでは車がーもう1台、来ましたね。どうしましょう。美紀さんと雅之さん。お2人と赤ちゃんには血縁関係がございません。ですので、母子であるという手続きと父子であるという手続きが必要になります。ドライブスルー方式ですので乗って頂いたままで大丈夫なのですが、なにぶん滅多に使わないものですから、機械がかなりガタが来ておりまして。3人乗っているとエラーを起こさないとも限らないんですね。ですのでご面倒をお掛けして申し訳ありませんが、赤ちゃんも寝ていることですし、美紀さんはこのままこちらの車でご移動頂きまして、雅之さんは隣の車にお移り頂くというのがベストなのかなとは思うんですけれども…………」
067は2人へ交互に顔を向けて、判断を迫る。
「……私たちは、別にどちらでも…………」
「まあ、じゃあ、俺が向こうの車に乗るよ。起こしちゃったら可哀そうだし……」
「いい? ごめんね。それじゃあ、そうします」
「解りました。それでは雅之さん。お手数ですが、ご移動の方お願い致します」
「解りました。それじゃ、後でな」
「うん。待ってる」
067の後に続き、雅之が車を降りた。
「もうすっかりお父さんですね」
「いや……。そうですかね……」
照れ臭そうな笑みを浮かべる彼の背中を美紀は優しく見守る。067はそんな彼の背に触れるか触れないか、微妙な距離感で車内まで彼を導いた。
「あ、あともう1つ。受け入れの関係で、少し間隔を開けないといけないんですよね。美紀さんを先に行って頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
雅之は力強く頷く。彼の目に迷いはない。
「それでは先に、美紀さんの方がいってらっしゃい。ということで……。お願いします」
そう車に呼び掛けると扉が閉まり、ゆっくりと走り始める。扉が閉まり、走り始める間も2人は視線を外さなかった。
「はぁ……」
長い1日だった……。シートに体を預け、グレーの天井を見上げる。だが、どうにか3人とも認められた。家族として生きていけるのだ。その事実がピンと張られていた緊張感を一気に緩めていく。
「——お疲れですね」
死神かと思っていた人物ににこやかに話し掛けられ、雅之も照れ臭そうに笑顔で返す。
「はい……。今日はなんだか色々とあって、さすがに疲れました……」
「心中お察し致します。でも、もうパパですからね。きっと明日から忙しくなりますよー」
「ホントそうですよねー……。まだまだ先のことだと思っていたので、全然父親になる勉強なんてしていませんよ…………」
「まあ、そりゃそうですよ。こんな形で父親になるなんて、想像できる訳ないじゃないですか」
「そうなんですけどね……。やっぱり今回の件で、何かあっても美紀は1人で抱え込もうとすると思うんですよね……。なので自分が夫として、父親として、もっとしっかりしないと……」
強い決意を秘めた瞳に067は、ただただ頷く。
「立派な心掛けですね……。尊敬致します」
「いえいえ、そんな!! これくらい、当然です」
謙遜する雅之を横目に車が角を曲がったことを067は確認した。
「行きましたね」
「そうですね」
「それではそろそろ、大丈夫だと思いますんで……。行きますか」
「はい。お願いします」
そう頭を下げ、067は発進するよう指示を出すかと思いきや、「あ!!」と声を上げる。
「どうしました?」
やらかした!! と顔をしかめる067に雅之は何事かと首を傾げた。
「ああ、いえ。実はボディチェックをするのが決まりでして……。すみませんが雅之さん。最初に来たあいつら、お2人にボディチェックをしましたか?」
「えーいや。していません」
記憶を辿る必要もないほどに鮮明に覚えている。銃を両手に押し入って来たかと思えばアマテラスからの指示もあり、家の外に連れ出されたのだ。
「やっぱり……。手ぇ抜きやがったなあいつら…………」
まったく……と、067は眉間に皺を寄せた。
「……今から、やりますか?」
「え? いいんですか?」
雅之からの提案に067は目を輝かせる。
「すみません、本当に……。何から何まで……」
「いえいえ……。067さんのせいではありませんので……」
申し訳なさそうにペコペコと頭を下げる067の姿に雅之は大変だなぁと、心の中で同情する。この人はこうやっていつも誰かの尻拭いをさせられたりしているんだろうなぁ、と。
「ありがとうございます。そう言って頂けると、助かります……」
雅之の中でどんどんと、067の存在が小さくなっていく。最初はあんなにも強そうで、恐怖の塊のような存在であったことが嘘のようだ。
「どうすればいいですか? 両手をこう、上げればいいんでしたっけ?」
そう言って車を降り、彼の前で水平になるよう両腕を左右に上げた。
「そうですね。ありがとうございます。それではですね。どうしよっかな……。そうですね。そのままあちらの壁——と言っても何もないですけど。そのまま前を向いたまま立って頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい。解りました」
雅之は言われた通りに前を向く。眼前に広がるのは、一面の暗闇。しかし、そこに恐怖はない。空には白い光の粒が散りばめられている。
今度は3人か…………。
そんなことを考えていると、067は両手で構えた銃の引き金を引き、男の後頭部を撃ち抜いた。闇夜の空に花びらが舞う。そしてそのまま、踏み固められた汚らしい地面へと倒れ込んだ。
「任務完了。あとは振込よろしく。ママ」
ホルスターに銃をしまい、アマテラスに呼び掛ける。
「よくやりました。067。やはりあなたは優秀です」
「そりゃどうも。あー疲れた」
無駄に頭を使ったなぁ……。
067は車に乗り込み、自宅へ向かうよう指示を出す。雅之の頭から流れ出した血は、綺麗な丸みを帯びていく。




