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2157【アマテラスの家畜たち】  作者: ひろひさ
Episode.067

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4/13

管理区域外の赤ん坊

 同日、午後5時5分。


 空が1日の終わりを告げる。街を彩っていたホログラム広告が一斉に消えた。ここは、人も街も共に眠る。


 美紀は等間隔に並ぶ街灯や家々の明かり、子供たちの笑い声を頼りに1人、自宅に向かって歩いて行く。


 まったく恐怖がないと言えば噓になる。だが、町中に取り付けられた防犯カメラ。時折すれ違う警備ロボット。羽音を立てながら飛び回るドローンなど、アマテラスの目に死角など存在しない。それでも突発的な犯罪は防げないが、何かあればすぐに通報することができ、強化人間や警備ロボット、ドローンがものの数秒で駆け付けてくれる。それが闇夜の恐怖を薄れさせた。例え今朝方、駅前で無差別殺人事件が起きていたとしても。


 まあ、滅多に起こることでもないし……。


 それにこの町にもいるという最強のハンターが迅速に事態の収拾に当たったというではないか。


 生まれてこの方、事件現場に遭遇したことも恐怖を感じるような目にも遭ったことはない美紀は仕事に忙殺されて重くなった体をなんとか動かし、一秒でも早く家に着いて横になろうと懸命に足を動かしていく。チップがアドレナリンの放出を促し、肉体の疲労は軽減されている筈。しかも精神状態は良好と、目の端に表示された青い光が彼女を照らす。


 システムに間違いはない――――。そう信じる彼女ではあるが、日に日に体は重さを増していく。鉛――――、いや。これに冷たさはない。血の通った温かさを感じる。——そうか。——赤ん坊だ。いつも抱きかかえる赤子の重さ、温もりが今も体を掴んで離さない。


「————————お――あぁ……」


 すると、何かの声が耳に入る。


「…………」


「————————お、あぁ……」


 何…………。


 思わず足を止め、耳を澄ませる。


「————おぎゃぁ!!」


 甲高い、耳障りな人の神経を逆撫でる声。彼女は直感的に理解する。乳児が何かを叫ぶ声だ。やけにはっきりと聞こえるため、彼女は誰かが外に出て赤ん坊を落ち着かせようと必死になっているのだろうと判断する。


 どこの家の子だろう……。自分たちで育てようとするなんて、偉いなぁ…………。


 大変だろうに……。しかもアマテラスからそれが許されるなど、余程立派な人物でなければならない。羨ましいと思いつつ、その模範的な親としての規格を満たす見知らぬ人物に敬意を表し、自分たちもそうあらねばと改めて決意を宿す。


 保育補助員の彼女は、乳幼児の大変さを身に染みて理解している。しかし、抱き上げた時の温かさ。生きようと必死に泣くその姿には心を打たれるものがある。幼児も覚えたての言葉を使って自分の思いをなんとか伝えようと苦心する姿には愛おしさを覚えずにはいられない。


 私は10年後、子供を自宅で育てられるだろうか。そもそも、その選択権を与えられるのだろうか。


 自分たちで育てたいなぁ…………。


 そう願い、目を閉じると思い浮かぶ雅之と2人、抱いた我が子の愛らしい笑顔を。しかし————————。


 なかなか泣き止まないなぁ…………。


 なんかスイッチでも入っちゃったのかな?


 そんなことを考えていると、自宅はもう目の前。だが、妙なことに赤子の鳴き声は段々、段々と大きく、はっきりと聞こえてくる。


 え…………? なんで?


 近隣住人は誰も自宅で赤ん坊を育ててはいなかった。しかし、声は確かにはっきりと、暗闇の中から美紀を呼んでいる。


 じゃあ、誰の子…………。


 喉が鳴る。心拍数が上がる。鼻息が荒くなっていく。目の前にあるのは高さ3メートル。奥行き5メートル。横幅5メートルの壁。カーボンとコンクリート、そして自己修復機能を持った内と外とを分け隔てる神の手である。横に連なる壁と壁の間は、5メートル。光の先の向こう側。暗闇が彼女を呼んでいる。管理区域内の人間であれば自由に行き来はできるものの、美紀は一度たりとも壁の外へ出たことはない。


「…………」


 一番端の家と壁との距離は道路一本分の距離がある。近づきたくはない。警備ロボットも常時配置されている。異常があればすぐに対処するはずだ。これは気のせい。仕事場での声が耳の奥に残っているだけだ。


 そう自分に言い聞かせるものの、気付けば彼女の体は自宅を通り過ぎ、声のする方へと近づいていく。確かめなければならなかった。


 まさかね………………。


 今までそんなこと、一度も経験したことがない。耳にしたこともない。壁外の人間が壁の近くに子供を置いて行くなんて――――。


 彼女は円柱型の警備ロボットの横から覗き込む。そこに広がるのはサーチライトでより濃くなった黒の世界。


 え!?


 自身の目を疑った。想像通り、赤ん坊が地面に寝かされ、泣いていたのだ。ライトに照らされ輝く白い布。赤ん坊は眩しくて泣いているのか。それとも母を求めて泣いているのか。とにかく何かを懸命に訴え掛けている。


 赤ちゃん!!


 彼女は駆け出した。そこに恐怖はなかった。あの尊き命を守らなければならない。その思いが彼女を無法地帯へといざない、そして駆け抜けさせたのだ。


 急ぎ赤子を抱きかかえ、来た道を戻る。長居はできない。武装した犯罪者たちが情け容赦なく襲い掛かってくるとも限らないのだから。


 彼女は走った。懸命に走った。そして、何事もなく壁に辿り着く。


 良かった…………。


 そう思ったのも束の間。


『ピピッ。未登録の乳児が壁内に接近。七瀬美紀様。その乳児を壁外へ置くことを推奨します』


 置いていけ!?


 彼女は即座に反論する。


「この子がいつからあそこにいたのかは知らない!! だけど、こんな生まれて間もない子供をこんなところに置いていける訳ないでしょ!!」


 今まで出したこともない荒々しい声が彼女の口から発せられた。それを受け、警備ロボはプログラム通りの返答をする。


『ピピッ。それでは只今から24時間以内にチップの埋め込みをお願い致します。場所は』


「そんなの解ってる!!」


 彼女はそう怒鳴り、タクシーを呼んだ。市内を走り回っている自動運転車はすぐさま彼女の下に駆け付ける。開いたドアに飛び乗り、行先を告げた。


「ⅠⅮ登録センターへ!! 急いで!!」


 その言葉を受け、車は専用高速道へと入り、目的地に向けてスピードを上げていく。彼女の瞳に映るのは泣くのを止めた赤ん坊の笑顔だけ。思わず柔らかな頬を人差し指でつつく。それに声を上げて笑い、彼女の指を小さな手で握り締める。


 この子は私の子————。


 視界の右端の色など、もう気にもしない。色はいつの間にか黄色へと変わっていた。





 午後5時半。目的地に到着。車はすぐに専用ドッグへと入り、窓が開いてエンジンを停止させる。車一台分の余地しかない四角い白い箱の中で、アームが赤ん坊の状態を非接触で診断。結果はすぐに知らされた。


『遺伝子異常を発見。登録することはできません。廃棄をお勧め致します』


 そう言って2本のアームが子供を渡すよう求めてくる。


「じょ、冗談じゃない!! 遺伝子異常なんて治せるでしょ!? 治せばいいじゃない!!」


 この子は笑っている!! この子は生きている!! 何が遺伝子異常だ。くだらない!! そもそも遺伝子異常ってなんなのよ!!


 彼女の叫びは己の魂を奮い立たせた。しかしその熱は、機械には届かない。


『その通りです。それでは治療後、再度お越しください』


 アームは車外へと出て、待機モードに移行。アマテラスへ報告を行った。


「遺伝子治療センターへ!!」


 そう叫ぶも車は残酷な現実を突き付けてくる。


『遺伝子治療センターは現在、診療時間外です。それでも向かわれますか』


「あ…………」


 もう5時を過ぎている――――。そのことが頭からすっぽりと抜け落ちていた。


 ――大丈夫…………。まだ時間はある…………。


「自宅に向かって……。住所は――――」


 落ち着け…………。落ち着け…………。


 今の美紀に残された選択肢は神への祈りだ。彼女は心の中でただひたすらに祈りを捧げ、心臓の鼓動は子を安らぎへと導いていく。車は指定された場所に向かって静かに走り出していた。






 午後6時17分。雅之、帰宅。


「ただいまー」


「お帰りー」


 美紀の穏やかな声がリビングから聞こえてくる。


 本当に美紀の声は落ち着くな……。


 そう思いながら昼白色の光が漏れるリビングの扉を開けると、そこには段ボールと共に紙おむつや哺乳瓶。乳児用の服が散乱していた。


 え?


 背中を向けて立つ彼女は体を揺らし、何かをあやしているかのようだ。床に伸びる影が狂ったように踊り続けている。


 まさか…………。


 急激に体が冷えてきた。何を抱えているんだ……。その想像は付いた。だが、なぜ? という問いが口からは出ない。代わりに脇から汗が一筋、その腹を伝って崩れそうな砂の足を固める。


「た、ただいまー……」


 なんとか声を絞り出し、彼女が振り返るのを待つ。逃げ出す訳にはいかない。夫として、どんな顔をしているのか確かめる必要がある。雅之は恐怖と戦いながらも帰宅の挨拶を再度した。


「お帰りー。お疲れ様」


 そう言って振り返った彼女の顔はとても穏やかだ。


 良かった……。


 だが、安心したのも束の間、両腕には見知らぬ赤子が抱かれている。


「え!?」


 言葉が出てこない。何があったんだ……。誰の子なんだ……。疑問ばかりがどんどんと湧き上がり、気付けば渦を巻いていた。水洗トイレに生み落とされた汚物になった気分だ。


「シッ。静かにして……。今ようやく寝たとこなんだから…………」


 穏やかに、まるで聖母のような瞳を赤子へと向ける彼女を前に雅之はただただ、呆然とする。


「ああ、ごめん…………」


 ――――いや、言いたいことはそんなことじゃない!! なんなんだ、その子は!!


 立っていることができなくなった雅之は椅子を引き、静かにその重い腰をゆっくりと座面へと下ろす。


「…………」


「…………」


「この子ね……。壁外で見つけたの……」


「へ……壁外…………」


 壁の外に出た。なんのために…………?


 もう訳が解らない――――。雅之はうな垂れ、顔を上げることができなくなった。まだ、彼の色は青い。


「そう。壁外…………。私、今日初めて壁の外に出たの……。この子のために…………」


「その子のため…………」


 顔を上げ、美紀に尋ねる。


「そう。この子のため――――」


 外に出ることは罪ではない。だが、外に出た人間を雅之は知らない。出る必要がないからだ。しかし、そんな彼女をアマテラスはどう見るのか。その考えに雅之が至るのは、もう少し先のことになる。


 美紀は順序立てて、事実のみを伝えた。最初は何か言いたげな様子を見せる雅之であったがすぐに口を閉じ、彼女が話し終えるのを黙って聞き続ける。


「解った……。明日、一緒にセンターに行こう……」


「雅くん…………」


「この子はもう、俺たちの子だ。どんな結果になろうと、2人で最後まで、責任を持ってこの子のことを守ろう……」


 その言葉を聞き、彼女の中の何かが溢れ出す。


「ありがとう…………。ありがとう…………。ごめんね…………。ごめん…………」


「謝らないでよ。俺たち、夫婦だろ? どんな困難も一緒に乗り越えようって約束したじゃないか」


「うん…………。うん…………」


 涙を流す彼女を雅之はそっと優しく抱き寄せた。その瞬間、彼の心に黄色の光が優しく灯る。非表示にしていたことが仇となり、そのことに気付くことはない。


「俺も子供が欲しかったし。これはきっと、神様がくれた贈り物なんだよ。だから大丈夫。アマテラス様もきっと俺たちのことを認めてくれるよ…………。だからさ、泣くなよ?」


「うん…………。うん…………」


 その厚い胸板を涙で濡らす。彼女は鼻を啜りながら彼の優しさ、温かさにその身を預けた。


 この人と結婚出来て、本当によかった…………。


 今日ほど雅之を、そして万人を平等に見つめるアマテラスに感謝した日もないだろう。


 私は本当に幸せだ…………。そんな多幸感に包まれながら、彼女は最愛の夫と口づけを交わした。右端に映る黄色い光に目を背けながら。






 同日、午後6時53分。夕食を終えた067が薄い板状の携帯端末で漫画を読んでいると、無骨なゴーグルが本日2度目の着信を告げる。

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