第61話 「すれ違い」
震災二日目、星児は新橋のカフェ清流に向かった。
新橋はランドマークである駅舎が全焼していた。
(レンガ造りの駅がこのありさまでは、カフェは…)
思ったとおり、残っていたのは地に墜ちた「カフェ清流」の看板くらいだった。
ただ、ここで凛音たちを見たという近隣住民がいた。
「女給さんたちだったら、怪我人を大八車に載せて避難していったみたいですよ」
「その中に、店長の娘はいましたか?」
「ああ。あの綺麗な子ね。あの子が先頭に立って、他の子たちを連れて行ってたよ」
無事だった。
まずは、そのことに安堵した。
「どこに行ったか、心当たりはありませんか?」
「そう言えば、高輪に清流院さまのお屋敷がある、って聞いたことがあるね。そこを買い戻すためにお店を頑張るんだって。だから、そっちに行ったのかもしんないよ」
「高輪ですね。ありがとうございます!」
清流院邸へ向かう。
ただそこへ続く道は瓦礫と廃材があふれかえっていて、進むのはかなり困難だった。
井戸水で喉と空腹をごまかしながら歩き続けた。
歩きながら思い出した。
父・侑李の葬式が終わった夜。
星児は自宅で呆然自失だった。
江田島が頭を下げる。
「若。男江田島甚八、一世一代のお願いです。この天童組の跡目を継いでください」
「…江田島も知っているだろう?僕に荒事は無理だよ。喧嘩だの抗争だの、意気地のない僕にヤクザの真似事なんてできないよ」
「いえ。荒事はあっしと子分たちが引き受けやす。若は何もなさらず、ただ神輿になってくださればいいんです。なにとぞお願いします」
「……」
「若もご存じでしょう。天童組は任侠団体ってより、在日外国人の自警団なんです。ロシア人二世だった先代のように、この国で差別されている者とその家族を守るためにつくられた組なんです。先代が亡くなったからといって、あいつらとその家族を放り出すわけにはいかないんです!」
その場に、凛音が入ってきた。
「星児さん。わたくしからもお願いします」
「凛音?」
「実は、清流院家に問題が起きました。麗華さんが莫大な借金をつくってしまい、毎日のように『早く返せ』と怖い殿方たちが屋敷に押しかけてきているんです」
「ヤクザが取り立てに?」
「なにとぞ、清流院家をお助けください」
今思えばわかる。
それは凛音の作り話だった。
いくらヤクザでも伯爵家の屋敷に取り立てに行くことはない。
華族には国から配備される警備員たちがつくからだ。
心が空っぽになった自分に目標を持たせるために、彼女は嘘をついたのだ。
「それに、わたくしももう17になりました。子供の頃からずっと思い描いてきたこと。わたくしたちの縁談を進めましょう」
「何を言ってるんだ。僕が天童組を継いだら、きみはその女房、姐さんということになるんだぞ。そんな危険な立場にきみをおくわけには…」
「わたくしは、かまいません。虐げられてる人々を守るためです」
「…凛音」
「わたくしの願いはただひとつ。あなたをお支えすることです」
固い決意と覚悟をみなぎらせながら、凛音が三つ指をついた。
決心した。
天童組二代目を襲名すること。
そして、凛音を嫁に迎え入れることを。
首都の危機に対して政府や軍部の対応は素早かった。
だがいかんせん、科学技術も経験則も不足していた。
都市の再開発計画は進められたものの、肝心の避難場所や飢えをしのぐ施策は滞っていた。
道路などのインフラ壊滅が流通を妨げていたからだ。
民間企業や華族たちも動いた。
「今こそ、財閥や華族の存在意義を示さねばならん」
雅の夫・石崎宗太郎率いる四菱をはじめ財閥も東京復興に力を入れた。
全国から物資を優先的に運び、生存者たちに食料と日用品を無償で提供した。
さらには、華族たちが使用していない建物や広場を避難場所に提供した。
「こんなときこそ、世間様のお役に立たなけりゃならねえぞ」
大川辰吉率いる大吉一家もまた、総出で炊き出しや出店を各地に用意した。
そのおかげもあって、市民たちはなんとか生き延びている。
だが、メンタルは誰もが疲弊していた。
大震災から二週間が経った。
お彼岸が近づいている。
この年のお彼岸は9月21日から26日だ。
お盆が故人の霊を慰めるのに対して、お彼岸は死者との対話だ。
だが話をする場所、お墓が各地で壊滅しているのだ。
「お彼岸とお月見をかねて、演芸会を開いてみてはいかがでしょう?」
雅が夫に提案した。
折しも、9月23日は日曜日で満月だ。
「いい考えだが、どこの演芸場も崩壊しているのだよ。まさか今から作るわけにも…」
「会場は、いいのがあるんです」
いつかの夜、星児が話していた天童組所有の演芸場だ。
小百合が日比谷野音をイメージして設計した天井も壁もないオープン会場だったため、地震の被害を免れていたのだ。
「出演者たちのアテもあります。とにかく何か、市民を勇気づける催しを」
たっての願いに、宗太郎は妻に任せることにした。
そして、当日。
9月23日の夕方。
家族や住む家をなくして意気消沈した東京市民が、気分転換になればと大勢集まった。
亡くなった家族の分まで、おはぎが無料で配布された。
この日だけは家族全員で会話をしてほしい、という想いを込めて。
大吉一家は出店を出すだけでなく、会場の設営から警備まで手伝った。
カフェ清流の面々も主催者の一員として動き回った。
「やあ、ヤングマダム」
芥川龍之介と文化人たちも観覧に来ていた。
「あ。龍ちゃ~ん」
小梅が両手を振る。
が、当の本人は凛音の方を見ている。
(しもた。あーしは小梅なんだった)
「カフェの方は残念だったね。でも、従業員のみんなも無事だったそうで、本当によかったね」
「芥川先生。志賀先生。それに谷崎先生も、ご無事で何よりです」
凛音が深々と頭を下げる。
慇懃な挨拶に、谷崎が肩透かしを食らった表情だ。
「あら。先生。どうかなさいまして?」
「な、ナオミくん。『先生』は、そのう…他人行儀、じゃないかなあ」
小梅が凛音に耳打ちする。
「凛音。お偉いセンセには、馴れ馴れしくした方がいいんだよ」
心得た、という顔で凛音が言い直す。
「ん?だって、じゅんいちろ―は他人じゃん。あはは」
笑いながら谷崎の肩をポンポン叩く。
「…これでこそナオミ。嗚呼、究極の美」
エクスタシーでも感じているのか、しまらない顔でデレている。
「芥川くん。『究極』のほかに、もっといい言葉はないかね?」
「さあ。至高とか最高とか、かな?」
(サイコー?ああ、平成ギャルのミサキ姐さんが言ってたな)
思いついた小梅が口をはさむ。
「マジ卍、とかどうっすか?」
「まじ…まんじ?そ、それだ!」
五年後谷崎は女性同士の愛を描いた「卍」を発表するが、この出来事がタイトルの由来だということは文学史には残されていない。*知らんけど。
「小山内くんも張り切っているよ。どでかい調光器まで用意してね」
志賀が指さす方には、照明や音響を操作する調整エリアがある。
小山内薫は既に帝国劇場で使われていた調光器、いわゆるスポットライトを用意していたのだ。
運よく演芸場近くの電線を引くこともできている。
「よし。最高の演出で、打ちひしがれた市民たちに生きる希望を与えるぞ」
入りは上々だ。
久しぶりのお祭り気分に、子供たちは無邪気にはしゃいでいる。
だが、大人たちは心の底から楽しめない。
「こりゃあ、お月見の方は無理かもしんねえな」
そんな声が漏れる。
この日の東京上空には分厚い雲が覆っていた。
(曇り空か。あの子の心も、なんだよね)
小梅が客席の隅に隠れるように佇んでいる花を見る。
震災の後、医者に診てもらった。
火傷した頬の具合は思わしくなかった。
「残念ですが、この火傷痕は一生残るかもしれません」
形成外科や整形の概念すらない時代だ。
だが年頃の女の子にとっては、死に等しい宣告だった。
花の心は沈んで行った。
笑わなくなった。
ひとと話さなくなった。
自慢のポニーテールも下して、髪で右頬を隠している。
特に双子の妹・蝶子と一緒にいることを避けるようになった。
火傷痕以外は、以前の自分の顔だからだ。
過去の自分との比較。
見るたびに突きつけられる現実。
(花。うちは、どうしたらいいの?)
蝶子もまた、深く傷ついていた。
避けられていることよりも、何もしてあげられないことに、だ。
災害の爪痕は簡単には消えないのだった。
つづく




